第10話 偽の王女
「ここは…どこ?」
天蓋付きのベッドに寝かされている。
シーツのベタつきや甘ったるい匂いから、お菓子の国からは出ていないとが分かって一安心……いや、安心は出来ない。
ここはどこだ。
「アル! アル……居ないの?」
アルの名を呼ぶが、返事はない。それどころか生き物の気配もしない。
ぶにり、と起き上がる為にベッドについた手が沈む。
この弾力、色、匂い、間違いない。
「グミだ」
このベッドはグミで作られている。
それに薄い綿飴をシーツとしてかけているのだ。
ベッドだけではない。
起き上がってよく周囲を見渡せば、極彩色の壁に床、窓枠までもがグミ。
独特な感触に酔いそうになりながらも、何とか窓まで辿り着く。
水飴の窓は残念な事にはめ殺しだ、ここからの脱出は不可能。
僕の力で割ることなど出来ないだろう。
骨と皮だけの細い腕を睨みながら、溶けかけて上の方が薄くなった窓を軽く叩いた。
「はぁ……情けないなぁ」
窓から外を眺める。見た事もない風景だ。
山、草原、川、そんなものばかり。
海などどこにも見えない、僕の知っている場所とは反対側なのだろうか。
残念な事にこの部屋には窓はこちら側にしかない。
改めて部屋を眺める。
赤や茶色、紫に黒……どこか生き物の体内を思わせる色合いだ。
そう考えるのはアルが鹿を喰うのを見ていたせいだろうか。そう考えると気持ちが悪い、この部屋も、そんな事を思いついてしまう僕も。
虫唾が走る。
ぎゅむむ、とドアが開くとは思えない音を立てて、グミで作られたドアが開いた。
入って来たのは少女だ。
真っ赤なドレスを身に纏った美しい少女。
ドレスに負けず劣らず彼女の髪も瞳も燃えるように赤い。
この部屋にある意味ピッタリと言えるだろう。
そして何よりも、そのドレス。
妙に露出度が高いような……その、胸元とか特に。
『目が覚めた?』
「あ……えっと、あの」
言葉に詰まる。
何か話さなくては、聞かなくては。
考えがまとまらない、焦るな、ダメだ。
少女は痺れを切らしてこちらに向かってくる。
それでやっと気がついた。
ドレスのスカート部分に入ったスリットの存在に、それが彼女の左足を腰元まで露出させている事に。
「嘘…だろ」
『ん…? 何か言った?』
魔法の国ではこんな過激な格好をしている者は居なかった。魔法陣を服の裏に仕込む為に大量に着込むからだ。
顔…せいぜい手のひらぐらいしか出ていなかった!
そんなものしか見ていないのに、こんな。
「ちょ、ちょっと…その、目のやり場が」
『え? あぁ…へぇ?』
少女は何かに感づき、ニッコリと微笑んだ。
その明るい表情に目を押さえていた手の力が緩む。
少女はそれを見逃さず、僕の両手を押さえつけた。
同い年くらいの女の子に力で負けるなんて、と悲観する暇もない。
『そうねぇ…ココなんかイイんじゃない?』
僅かに背を曲げ、肩を内側に寄せる。
つまり、胸の谷間を強調している。
僕の目の前で。
『ふふ、真っ赤になっちゃって、かーわいいの!』
額を軽く指でつき、ヒラヒラと手を振りながら少女は僕から一、二歩離れた位置に立つ。
『あぁ…ココでもいいのよ?』
と、今度はスリットから手を滑らせ、少しずつ捲り上げていく。
『見るだけならいいわよ? お触り禁止』
「さっ、触らないよ!」
『あらそう? ざーんねん』
楽しそうに笑う少女に誤魔化されていた。
こんな話をしている場合じゃない、何故、何処、何時、聞きたい事は多い。
「えっと…質問に答えて欲しいんだけど」
『いいわよ? ベッドでならね』
ベッドに腰掛け、隣に座れと言わんばかりに僕を見つめる。
仕方なく隣に腰を下ろすと、少女は意外だと驚いた。
『断ると思ったのに、意外とダイタンなのね』
「……話すだけだからね」
『つーれないの!』
大袈裟に拗ねてみせる彼女の仕草は全てが嘘くさい。その演技じみた言動に少しずつ慣れてきた、彼女が膝の上に置いた手に指を絡ませてこなければ、もっと冷静にいつも通りに話せただろうに。
「あ、の…さ。手…あぁもういい! ねぇ、ここどこ? 何で僕ここに居るの? アルがどこにいるか知ってる?」
一息で、彼女が聞き取れるかなんて気にもせずに言い切った。
今まで僕を見つめていた赤い双眸は、ゆっくりと部屋を見回す。
絡められた指に力が入り、赤く塗られた爪が僕の手のひらの下に隠れた。
『ここはねぇ……お城、お菓子の国のお城よ』
「え…っと、それで?」
『ワタシが呼んだの、アルとかいうのは知らないわ』
「……っ……どう、して?」
声を荒らげないように必死で抑えると、声が裏返ってしまう。少々変に思われても構わない、ここで怒鳴って泣き喚くよりはマシだ。
『欲しかったからよ? アナタが』
その言葉と同時にベッドに押し倒される。
肩を押さえる腕の力は異常だ、赤い爪がくい込むと布の裂ける音がした。
赤い髪を振り乱し、赤い瞳が妖しく輝く。
『……そう、その魔眼。間違いない』
僕の両手首を頭の上で十字に左手で押さえつけると、自由になった右手で僕の髪をかきあげる。
隠している僕の右眼を暴くと、少女は年相応の可愛らしさで微笑んだ。
『可愛がってあげるわ、魔物使いさん。私の夢の為に、しーっかり働いてね?』
ガチャン、とお菓子の国らしからぬ金属音が頭の上で響いた。
手首には冷たく硬いものが触れている。
手枷。
これはお菓子じゃない、絶対に違う、何故こんな物が、何故こんな事を。
それにこの少女は今、魔物使いだと言った。
どうして知ってる? 目的は何?
そんな疑問をかき消すためか、口の中に甘い、甘ったるい液体が流し込まれる。
何度も咳き込んで、涙目になって、無理矢理飲み込まさせられた。
一滴も残さずに飲み干すと、少女は満足気に笑う。
『ああ! 自己紹介がまだだったわね、ワタシはこの国の王の娘、王女よ。ウソなんだけどね。
メロウ・ヴェルメリオって名乗ってるの。メルでいいわよ? なんならリリムやリリンでもね』
「え? ちょっと、何一つ分かんないんだけど!」
王女? それが嘘? 今のは偽名?
どれが本物だ、どれが偽物だ。
いや、本物なんてあるのか?
『スグ戻ってくるわ、まいだーりん!』
あぁ、あの言葉は間違いなく偽物だ。
閉じていく赤褐色のグミのドアを眺めながら、呆然とそう考えた。
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