第9話 消失、捜索
宿に戻ると、壊れた窓から投げ入れられたらしい鹿の死体が大量にあった。
「なにこれ……嫌がらせ?」
『いや、寧ろ好意だ。カルコスだろう』
アルは嬉しそうに鹿を貪り喰う。肉なのか骨なのかも知りたくないが、ごりごりという音が部屋中に響いている。
アルは狼という肉食性の魔獣であると騒ぎ立てているようだ。それを聞きたくなくてベッドに潜り込むと、目の前に血の滴る肉片を咥えた黒蛇が現れる。
『喰うか?』
「い、いらない」
『菓子ばかりでは太るぞ』
黒蛇は肉片を飲み込むと、シャツの隙間に入り込み脱がすように捲り上げる。
「ちょっと、やめてよ」
弱い拒絶を無視してアルはベッドに飛び乗った。
『この脂肪も無い筋肉も無い、細い体を保って欲しいものだな』
鹿の血に濡れた顔を腹に擦り寄せられる。
冷たい感覚、これがあの鹿の血だと思うと鳥肌が立つ。
「気にしてるんだからやめてよ」
長年部屋から出なかっただけあって、筋肉の一つもついていない体。
それはコンプレックスでもあった。
そろそろ鍛えたりしようかと思っていたのだ。
『何を言う、ここまで庇護欲を掻き立てるモノは無いぞ? 勿体無い事を言うな』
生温い柔らかいモノが腹を這う。
いつもは愛を実感するアルの舌も、先程の台詞の後では嫌なモノに感じてしまった。
「やめてったら!」
精一杯の力で狼の顔を押した。
それでもアルは微動だにしなかったが、僕の言葉に従った。
『済まない、調子に乗ったな』
残念そうに戻っていく後ろ姿になんとも言えない哀愁を感じながら、それを振り切るために質問をする事にした。
「あ……ねぇ、あのライオンは神獣とか言っていたけど、本当はなんなの?」
『ただの子猫だ、我儘で寂しがりのな』
「そういうんじゃなくて…さ」
『種族か?』
「それ! …かな?」
ごきん、と一際大きな音を立ててアルは振り向く。
口の周りは黒っぽい赤に染まり、牙には肉片がこびりついている。それを長い舌で舐めとる光景は、怖いの一言だ。
『
「き…ま? 三体セットって事はあと一人居るの?」
『あぁ、私達の中で最上級のモノだ。まぁ彼奴に会うことは無いだろう』
鹿の頭蓋骨を噛み砕くと、どろんとしたピンク色の何かが垂れる。
それを美味しそうに啜るアルを見て、明確な恐怖を抱いた。
「あ…えっと、キマイラ? ってどんな魔獣なの?」
『難しいな、人に造られた存在で…ううん強いていえば、その辺の魔物には負けん、とかか?』
「強いんだ」
『む…そう言われると肯定するのは気恥しいな』
「へぇー、強いんだぁ。頼もしいなぁ」
『この話は終わりだ、もうやめよう』
照れてそっぽを向くアルは可愛いと思えた、その口と前足は血まみれだが。
ベッドに寝転がっていたせいだろう、眠くなってきて、欠伸をする。目を閉じたまま寝返りを打つと、僅かな浮遊感と衝撃を感じた。
ベッドから落ちたのか…と、起き上がるとそこには、見た事もない景色が広がっていた。
『はぁ…全く、確かに強いと言えば強いだろうが…それを言うのは、やはり』
品性に欠けるだろう、と血まみれの顔で考える。
一匹の鹿を喰い散らかし、ベッドに向かう。
私の愛しい少年と戯れる為に。
先程は失敗した、少々急ぎ過ぎたのかもしれない。
今度からは気をつけようか。
さて…………?
『ヘル…?』
いない。
『ヘル!』
いない。
『何処だ、ヘル!』
返事もない。
甘ったるい匂いを我慢して、シーツを破りベッドを引っくり返す。
部屋中を探し回り、尾をぶつけて壁に幾つかの穴を開けた。
そして部屋を飛び出し、階段を転がり落ちる。
宿屋の客が悲鳴をあげるのにも構わずに叫ぶ。
『ヘルは何処だ!』
宿屋の主人が飛んで来て、私を壁の影に押し隠した。
「こ、困るよオオカミさん…そんな顔で出てこられたら」
濡れた布巾で私の顔を拭う、赤黒く染まったその姿は人にとっては恐ろしいものだろう。
ましてやこの私の翼や尾は、とても魔物らしいモノなのだから。
だが、今の私にはそれを気遣う余裕などない。
『ヘル……ヘルは! 何処に行った!』
「えっと…あの男の子かい?」
『そうだ! 何処だ! 私のヘル…何処へやった!』
「み、見てないよ。出かけたんじゃないかな。」
店主はお前が喰ったんじゃないのか。
なんて言いかける口を慌てて押さえる、そんな事を言ったらどうなるか分かったもんじゃない。
『私に何も言わずにか? 有り得ん! そうだ、階段を降りたのを見たか? 貴様の居た位置なら見えた筈だ』
「し、知らないよ…見てないったら。あの子は派手な見た目してるから気がつかないなんてないだろうし、今日は昼から誰も階段を降りなかったよ」
そう、今日は城下町で小さな催し物がある。
それを見に行っているのか朝から宿屋に客はいなかった。
さっきまでは食事をしに来た商店街の店番達が居たが、アルを見て逃げ帰ってしまった。
『なら…それならヘルは何処だ』
「知らないったら……あぁ、城下町の方に行ってみれば?人が多いし何か分かるかも」
店主は苦し紛れにそう言った。
話をしながら何とか血は拭き取れたものの、鬼気迫る表情の狼と顔を突き合わせるこの時間を早く終わらせたかったのだ。
『礼を言う、ヘルが戻ったら部屋に居るよう言ってくれ』
店主の足の間をすり抜けて商店街を走り抜けるアルを目で追う。
やはりと言うべきか、あちらこちらで悲鳴があがる。
「オオカミさん、悪い子じゃないんだろうけどなぁ」
もう少し辺りを気にして欲しい、と砕け散った壁を見て思った。
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