第5話 国境にて


小川に手を浸す。

指先から染み込むようなその冷たさに生を実感する。

そっと両手で掬って、顔を濡らす。

髪をかきあげると隠していた右眼が川面に映った。

目玉に直接魔法陣を書き込んだ様な奇妙な模様。

光の入る角度なのか何なのか、ある時は赤くある時は青く、またある時は金に銀にと変わる色。

不気味としか言えない。


川面の右眼を眺めるのはもうやめだ、今度は髪だ。空中散歩で風に晒されボサボサになった髪を整えていく。

なんだか、白が増えている気がする。毛先の方から色が抜けていっている僕の髪。手触りは悪くないが、こんな派手な見た目は嫌だ。


僕が身嗜みを整えているその横で、大きな水柱があがった。大量の水飛沫を頭からかぶり、苛立ち気味に話しかける。


「アル! 飛び込むのやめてよ!」


『嫌だ』


一言だけの否定を吐き捨ててアルは陸に上がる、とまた飛び込むのだ。何が楽しいのか知らないが、さっきからずっとこうしている。


『ヘル!』


「なんだよもう! ……って、うわっ!」


尾の黒蛇が手首に巻き付き、川に引き込まれる。川底に座り込むと、胸から上は水中から出すことが出来た。

この深さに飛び込んでいたのか…


『どうだ? 目が覚めたか?』


「とっくに覚めてるよ……もう」


アルは僕の首筋に頬を擦り寄せ、翼で僕を包み込む。ずぶ濡れのそれらはとても冷たかったが、芯に確かな暖かさを感じた。


「……他の国に行くんじゃないの?」


『ああ、まず関所に行かねば』


「関所で何するの? 身分証作れるのって15歳からだろ? 僕それまであと何ヶ月かあるよ」


『貴方は魔法の国の住人だったということで話はつくだろう、移住先を探すと言えば旅をしても問題無いはずだ。なに、心配はいらん。すぐに通れる。ついでに服も貰えるといいんだがな』


そう言って僕の服を見やる。魔物や人の血で汚れ、破れている。

そもそもこれは部屋着、その上僕は裸足。旅に向かないなんて問題じゃない。


何故国で取ってこなかったのか?

火事でほとんど焼けていたからだ、無事だったのは商店街……食べ物関連の店ばかり。だが探せば残っていたのかもしれない、そう考えると後悔の念に襲われる。


アルは僕を川から引き上げ、背に乗せると関所に向かって歩み出した。昨日とは違うゆったりとした歩みに、昨日とは違った幸福を感じる。アルの翼に指を這わせながら、ふともう一つの心配事が頭を出した。


アルは関所を通れるのか?


各国を旅したとか言っていたがそれは空を飛んでいたからじゃないのか、魔物が関所を通れる訳が無いだろう。

そんな思いが頭を駆け巡る。

耐えきれなくなって狼に話しかけようとした時にはもう関所に着いていた。


「何者だ!」

「名は! 国は! 目的は!」


槍を持った兵士が門の前に二人、中にも居るのだろうか。彼らは魔法の国の者ではない、関所に派遣されているのは大抵が武芸の国の出身者だという、彼らもそうだ。

ああ、武芸の国は武術の国とは全く関係がないそうだ、武術の国は何年か前に滅びている。

国同士の場所もかなり離れているのに、なぜ名前が似通っているのかは知らない。


「えっと……ヘルシャフト、です。魔法の国出身で、えっと…目的、は。旅? をしたくて」


自分でも思う。

こんな事を言う奴は通さないだろうと。


「魔法の国…魔法の国だって!? 生き残ったのか! 大丈夫だったのか、何があったんだ!?」

「おい! あまり話させるなよ! ああ、待ってろよ、すぐに…えっと、とにかくすぐに!」


思っていた反応と違う。全く違う。

兵士達は大慌てで開門のベルを鳴らし、僕達を中に引き入れた。そして僕はすぐに備え付けのシャワー室に連れていかれ、出ると着替えが用意されていた。


そして今、宿直室で温かいココアを飲んでいる。

どういう状況なのだろうか、目の前を行ったり来たりする兵士に何か聞いた方がいいのだろうか。


「あの、すいません」


「ああ! なんだ、どうした。傷が痛むか?」


「い、いえ、怪我はしていませんから……えっと、ここって関所ですよね?」


「ああ! 関所だ! そしてサンドイッチだ!」


「あ、ありがとう……ございます?」


手渡されるサンドイッチ、ハムにレタスにチーズ。魔法の国で食べる物とはまた違う味だ。材料は殆ど同じ筈なのに、不思議に思うと同時に魔法の国を思い出して泣きそうになる。


「あ…の、アル、アルギュロス…は」


「アルギュロス…? ああ、あの狼の事かい? あの子なら向こうに居るよ」


涙を無理矢理堪えて、兵士の指差した方向に走り出した。何故かアルに会いたくてたまらなくなっていた。





アルは床に寝っ転がり、大きなタオルで翼や体を拭かれていた。


『ん、ヘルか』


片目だけを開けてこちらを見つめる。


「……なに、してるの?」


『貴方は風呂上がりに体を拭かんのか?』


背後から兵士が追いかけてきた。

先程サンドイッチをくれた人だ。


「魔獣用のシャワー室もあるからね、オオカミさんにはそっちに行ってもらってたんだ。言っておいた方が良かったね、ごめんね?」


ポン、と頭の上に手が優しく乗せられた。


『私の姿が見えなくなって不安になったか? 全く、可愛らしいご主人様だ』


アルはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる、同じように黒蛇が壁を這った。背後の兵士は楽しげに僕の頭を撫でている。


「仲が良いんだね、よしよし」


『手のかかるご主人様程いいものは無いぞ? 羨ましかろう』


アルは自分の体を拭いている兵士の腕に尾を絡ませ、自慢げに話している。混乱してきた。






宿直室に戻り、ココアを飲みながら兵士に説明を受けた。魔法の国で起こった''災害''、アレの被害者ならば移住の手続きが出来ると。

だが、僕は旅をしたいと答えた。兵士は少し戸惑っていたが、通行許可証と就労許可証を渡してくれた。それらは革の袋に入れて、首から下げられるようにしてもらった。

関所でやるべき事は終わったが、気になる事がある。


「あの、アルは、他の国の中に入れても大丈夫なんですか?」


『……ヘル、私は人を噛んだりせんぞ』


怪訝な顔で見つめてくるアルの頭を撫でながら兵士を見上げる。


「ああ、大丈夫! 最近は下級の魔獣をペットにする人多いよ。結構前に国連が許可したんだよ、厳正な審査の元にね。

それで国連加盟国じゃない国も、真似て魔獣のペット化を進めてる。

まぁ魔法の国では一般的じゃなかったよね? あそこは特に魔物嫌っていたから。でも最近は魔物が事件を起こす事多いし、あまり良い目では見られないだろうね。

ああ、あと……天使に絡まれることも増えるらしいし、まぁやましい事がなければなんともないんだけどね」


兵士は本棚からイラスト付きの本を引っ張り出す。

『魔獣と暮らそう! 』とかいうタイトルが見えた気がした。


「でもその子はちゃんと刻印してあるから、どこの国行っても平気だよ。多分店にも入れるだろうし、安心して!」


「刻印……って」


黒蛇が僕の目の前を揺れる、美しい鱗を醜く裂いた僕の名前。


「それはかなり上級の契約だろう? よく出来たね。その子プライド高そうだし……っていうか上級魔獣だよね? 普通に話してるし」


「えっと……それはよく分かりませんけど。上級とか下級って何なんですか? 」


「いやー、見たことないもん。きっと上級だよ。あ、上級とか下級ってのはそんなにちゃんと決まっている訳じゃなくてね、大抵の人間より弱ければ下級、強ければ上級、同じくらいなら中級……って感じかな」


本棚から別の本を取り出す。これもイラスト付きだが、先程とは全く厚みが違う。魔獣の図鑑だろうか。


『もういいだろう? 行くぞ』


「あ、待ってよアル!」


兵士達の足の間をすり抜け、関所の外に進んでいく。

僕はアルを追いかけながら、関所を振り返った。


「あの……ありがとうございました!」


精一杯の大声。関所に居た兵士達は皆僕を見送ってくれた。それがとても嬉しくて、僕は次の国を待ち遠しく思えるようになった。

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