第4話 もう一体のキマイラ
『さて、これからどうするか? だったな』
店を出た僕らは城下町から離れるように歩いていた。このまま行けば町を出る門があり、その先を更にずっと行けば国境だ。
『ご主人様はどうしたい?』
「アル…そのご主人様ってのやめて欲しい」
『何故だ? ヘル、貴方は私の主なのだから、恥ずかしがる事は無い。なぁ、''ご主人様''?』
「面白がってるだろ! やめてってば!」
アルは少し前からこの調子だ。
この呼び方が気恥しくて、やめてくれと何度か頼んでいるのだが、一向にやめる気配がない。寧ろ悪化している。
僕が嫌がるのを楽しんでいるふうでもある。
『くっくっく……可愛らしい''ご主人様''が出来たものだ。クリューソスと…ついでにカルコスにも自慢せねばなるまい…くっくっく…はっはっはっ!』
ああほら面白がってる!
「誰に言う気なの、やめてよ…アル、お願いだよ」
『ああ、可愛らしい私の''ご主人様''、貴方が嫌がるような真似は致しませんよ』
「してるんだよ! さっきから! 分かってるだろ! 面白がってるだろ!」
アルはこれでもかと言うほどに尾を揺らす。僕とは反対に機嫌が良いらしい。
巨大な門を目の当たりにし、僅かに気後れする。
門の横にはこの国の守り神とされる像が建てられており、その横は壁だ。城を中心に国を囲う巨大な壁、この国はこの壁のおかげでそれなりに平和だったのだ。
だが、空を飛ぶような魔物には意味をなさない。
『出るのか?』
「いつまでもここに居たって仕方ないよ」
『それもそうだ、が…どこに行く気だ?』
「………僕、この国の外は何も知らないよ」
『ならば私が案内するとしよう、他の国を渡り歩いた…飛んだ? 身だからな』
アルは一足先に門をくぐる。
二枚の翼を広げる…漆黒が僕の視界を覆い尽くす。
黒蛇が僕の服を噛み、背に乗せた。銀色の美しい毛は絹のような滑らかさだ。
『ヘル、どこかに掴まっていろ』
「へ? どこに……って、うわぁ!」
突然走り出したアルの背に必死でしがみつく。
まだ歩いてすらいなかった時の、重くないだろうかだとか、毛を掴むと痛いだろうかだとか、そういう気遣いは一瞬で消えた。
猛スピードで景色が流れる。右も左も同じ景色の中、僕はあることに気がついた。
アルが走るその先には、地面がない。崖だ。
「アル、アル!? と、止まってよ! 落ちる!」
そんな僕の警告も虚しく、アルは崖を跳んだ……が、落ちることはなかった。
『ヘル、私の背には何がある? そこからならよーく見えるだろう』
「………はね……だね」
『心配無用だ、空中散歩を楽しむといい』
アルは僕の方を振り向いて楽しそうに笑う。心臓が止まってしまうんじゃないか、なんて心配は杞憂に終わる。
遠く離れた大地。ゴマ粒程の大樹に、指よりも細い大河、どこまでも続く緑、本当に素晴らしい光景だ。
これは楽しまなければ損だ、と言いたいところなのだが。僕は高い所が苦手らしい。今の今まで気がつくことのなかった事実だ。
気がつかなかったのは、僕が箒で空を飛ぶことも出来ない無能だったから。
「………アル、どうしよう、すごく怖い」
『大丈夫だ、落としはしない』
「そ、そういう問題じゃなくてさぁ、一回降りない?」
『……却下だ、申し訳ないが少々急がねばならん。暗くなるまでには関所に着きたいのでな』
「そ、そんな…うぅ…高いよぉ」
アルの首に腕を回し、頭の後ろに顔を埋める。下を見ないように見ないようにと目を瞑る。
時折に翼が上下にゆったりと揺れるが、それ以外に空を飛んでいるという感覚はない。少し風は強く感じるが、アルの背はとても居心地のよいものだった。
『チッ……この感覚、カルコスか、面倒な奴を見つけてしまったな。急いているというのに』
アルは僕と話している時とは全く違う低い声で唸った。不機嫌そうに尾の黒蛇が僕の胴に巻きついた。
『はぁ…見つけた以上は声をかけねばな、後が面倒だ。まだヘルを彼奴に見せたくないのが……仕方がない、か』
アルはそう呟くと徐々に高度を下げていった。
誰かを見つけたらしいが、独り言のようなそれに話しかけるのははばかられて僕は気がつかないふりをした。
微かな揺れを感じ、体を起こして周囲を見渡す。酷く懐かしく感じる地上だ。
『ヘル、私は少し昔馴染みを探さねばならん。無視がバレると後々面倒なのでな。だが貴方に会わせたくはない、暫しこの岩陰で待っておいてくれないか?』
「え…っと、うん。分かった、待ってればいいんだよね」
少し酔ったような不思議な気分になりながら岩陰に腰を下ろす。すると、アルは僕の顔に頬を擦り寄せて唸った。
『面倒だ、本当に……彼奴は嫌いだ』
牙を剥いて唸る顔も、不機嫌を極めて辺りの木をへし折る尾も、意味も無く揺らされる翼も、僕にはどこか可愛らしく思えた。
まるで駄々をこねる子供じゃないか。微笑ましくなって頭を撫でる。
それを気恥しく思ったのだろう、さっさと済ますとでもいうように走っていった。
しばらくの間僕は一人になる、だがそれはもう苦痛にはならない。
アルは必ず僕の元に帰ってきてくれるのだから。
岩陰から顔を覗かせ、アルの走っていった方を見る。今は何も見えないが、もう少しすれば狼はきっと大急ぎで帰ってきてくれるのだ、それを僕は心待ちにしている。
背後で羽音。
ああ、帰ってきた!飛んでくるなんて、背後から来るなんて、随分と意地悪な真似をしてくれる。
僕はそんな事を考えながら振り向いた。
そして後悔した。
アルを引き止めなかった事を。一緒に行くと言わなかった事を。
そして、今振り向いた事を。
僕の背後に降り立ったのはアルではなかった。
獅子だ。赤銅色の翼と鬣を持つ大きな獅子。
そして獅子とは思えない程に長く伸びた尾は途中から二つに割れていた。
「ひっ……だ、誰?」
獅子は僕の言葉を聞いて嬉しそうに顔を歪める。ゆっくりと僕に詰め寄り、僕は背中に冷たい岩の感触を味わった。
「アルの、知り…合い…?」
僕は一縷の望みをかけてそう尋ねた。
きっとそうだ。入れ違いになったんだ。この獅子もアルと同じに僕に優しくしてくれるはずだ。
『アル……? アルギュロスか?』
獅子の牙が眼前に迫る。
「そう! そうだよ、えっと……僕は、アルの、えっと、なんて言えばいいのかな」
思った通りだ。だが、なんと説明すべきだろうか。
ここはアルの帰りを待つべきなのか。
『そうかそうか……ハハハッ、良いなぁ。それでこそ喰い甲斐があるというものだ。』
「え…? ちょ、ちょっと、今なんて」
獅子は乱暴に僕の服を咥え、横に転がした。そして大きく口を開ける。
「や、 や め ろ ! 」
そう叫ぶと、獅子は大口を開けたまま止まった。
それと同時に酷い耳鳴りがする、これは一体。
『魔物使いか! 素晴らしいなぁ……この我の動きを止めるとは! だが、ま、これまでだ。もう使い物にならんだろう』
大きく翼を広げ、上機嫌に尾を揺らす。獅子は高笑いを終えると、僕の首筋に牙を当てた。恐怖と酷い頭痛で動けずにいると、なによりも望んでいた声が聞こえた。
『離れろ、カルコス』
『あぁ! 遅かったなぁ兄弟! 待ちわびたぞ、腹が減って仕方ない!』
首元から牙が離れたのを確認し、僕とカルコスとの間にするりとアルが入り込む。
陽の光を反射して輝く銀色の柔らかい毛、僕を包み込むように広げられた漆黒の翼。尾の黒蛇はカルコスの喉元で揺れていた。
『そんな事よりも、だ。知っているか? 兄弟。そこの国…魔法の国だったかが滅びたんだと! 一夜にして全滅だ! 全く面白い!』
『今すぐその無礼な口を閉じろ』
『ん…! なんだ…お前、それ。ハハハッ、落ちたものだな! アルギュロスともあろうものが忠犬気取りか!』
『黙れと言っている。あぁ、悪かったな、貴様は喚くしかできない子猫だった。その子猫から鳴き声を取っては……何も残らんからなぁ』
カルコスは高笑いを上げている…が、その黄色い瞳は狼を睨んでいる。獲物を狙うように、憎悪をぶつけるように。
僕の位置からではアルの表情は分からないが、カルコスと同じようなものだろうと直感した。
『百獣の王に向かって子猫とは! ハッ! 偉くなったものだな……犬っころ』
『もとより私は貴様よりは上の筈だがな。百獣というのはリスやネズミか?』
カルコスの尾が力強く地面を打ち、土を抉った。すっかり不機嫌になった様子で土を蹴り、砂埃を立てながら飛び去った。
『行ったか、面倒な奴だ。だから嫌いだ』
アルは顔や体についた砂埃をゆっくりと払う、その動きすらも優雅だ。
僕に砂がかからないように気遣ってくれたのだろう、僕を包んでいた翼は砂まみれだ。
「知り合い…? 兄弟とか言ってたけど」
『彼奴が勝手に言っているだけだ、彼奴と私が同じ腹から生まれると思うか?』
「いや、思わない、けど」
僕がそう答えるとアルは満足げに僕の手を舐め、再び背に乗せる。そして少し急ぐという宣言通りに猛スピードで空を飛んだ。
再び地に降りた頃には、僕は恐怖で憔悴していた。
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