第2話 水中からのシ者
目を覚ますと、まず息ができることに気がついた。
何があったのか?怪我はないかと思い全身をまさぐるが、怪我どころか濡れてはいない。
起き上がる。
周りは暗い。
湿った黴のような匂い。
明かりは?僕が地面に手をついたら、そこに硬い金属の感触があった。
床だ。
呼吸が荒くなる。人工物の冷たさに驚いたせいじゃない。何かが近づく足音が、床を伝って僕のもとへとやってきていたからだ。
「おめざめ?真田くん」
突然、目の前が白くなり、黒い影が目の前を覆った。
「君を待っていた」
白い世界の正体は証明だった、視界が戻りはじめると、目の前にあるものの正体がおぼろげながら見え始める。青い輪郭。やけに大きな体。なにか妙な匂いがする。生臭い。まさか。
「おどろいたでしょ?ここ・・・いや、私に」
目の前にいたのは、魚だった。
それもレインボートラウト。
つまり、ニジマスだ。
ただしサイズは違う。慎重は明らかに僕よりも高い。顔は明らかにニジマスのそれなのだが、横に付いた巨大な目で僕をみようと、不思議な角度で顔を横にねじっている。
「落ち着いて聞いてほしいの、食べるつもりはないから」
巨大化しているヒレを僕のほうへと差し伸べるが、手を掴む気にはなれない。僕は其の場を逃げ出そうと、尻もちをついたまま後ろへと這おうとしたが、震えた体はいっこうに動かない。きっと、彼らに食べられるベイト達のほうが素早く動けたろうに。
「怖い?いつもみたいに、ルアーを投げようとは思わないのか?」
思うわけがない。
気がつけば、こいつは今日本語をしゃべっている。口を動かしている様子なんてまるでないのに。
見れば、ぬめりとした腹部の膨らみが言語にあわせ上下している。浮袋から声が聞こえるのか?だとしたら、いやそうでなくともこいつは化物だ。釣りにおけるモンスターという意味ではない。記念写真をインスタにあげる気すらおきない。
本物の化物だ。
「君の武器はあっちだし、忠告しておくけど、ここであれを投げないでくれよ、ここにいるみんなそれを恐れてる」
右の胸びれが指す方向には僕の安物タックルがあった。しかし、竿先にあったはずのルアーは外されている。タックルケースも無事に床の上に置かれていた。
そういえば、この部屋はなんだ?
この怪物も恐ろしいが、部屋の様子はさらにおかしい。垂直に立っている魚の背景にあるのは、銀色の壁。スチールだろうか?いや、それとも別の金属か。どこにも照明は見当たらない。なのに、部屋の中は明るく照らされている。恐ろしく文明的だ。
「どうしたの?しゃべれるでしょ?人間なんだから」
どうやら僕に向かって聞いているらしい。
なにか言わなければ殺される。
そう思い口を動かそうとおもったが、パクパクと動いただけで、何も声はでなかった。
「私の真似?面白いよそれ」
無表情のはずの魚人の顔には何も浮かんではいない。怒らせたかもしれないと思い、僕は必死に息をすって、吐く。
「ここは?ここはどこだ。誰だ?おまえは一体?」
「ニジマスだよ。いや、君らの知っているニジマスではないかな」
「ニジマスって・・・そんなわけないだろ、それは・・・」
「そうだろうね。それを説明しよう。それに、君がなぜここに来たのかも」
そういって、ニジマスは2つに割れた尾びれで床の上を歩き、壁へと向かう。すると、突然そこにドアが現れる。仕組みはわからない。ただ、ヤツがそこに立った瞬間に扉が壁に現れたのだ。
「きてよ、歩きながら説明するよ。人間だ、もちろん歩けるでしょ?」
魚人が胸ビデで扉にふれると、扉は音もなく開き、其の奥へと消えていく。
立ち上あがり、僕も後に続いた。何がおきているのかわからないが、とにかく、ここから出て元いた場所に戻りたい一心で。
扉を出たあと、その先には暗いトンネルが続いていた。
上をみるが、照明はまた見当たらない。だが、トンネルは数メートルおきに輝き、壁が燃えるようにオレンジ色にそまっては消えていく。
「疲れたろう、いきなりここに来たんだから」
目の前を歩く魚人は、背びれごしに僕を見る。
「でも怪我もないはずだよ、僕の仲間は君らと同じ方法を使うんだ」
「方法って?」
「ネットさ、ここに来るときにはネットで君らを運ぶ。傷つかないようにね」
そういわれ、自分がランディングネットに入れられている姿を想像しようとするが無理だった。入りっこない。
「想像力の欠如は知識の枯渇と同意だという意見もあるけど、私はそうは思わない、だから安心してほしいし、さすがにランディングネットじゃないよ」
心の中を覗かれた。いや、それはきのうせいだろうか?
歩く足元の輝く床から目をあげると、もう魚人は僕のほうを見てはいなかった。
「君がここに来た理由を知りたいかい?」
もちろんだ。
だが、それだけじゃない。何から聞けばいいかわからないほど意味不明で、何もかもが理不尽すぎる。
「君がここに来た理由の前に、まずはここについて説明するよ」
トンネルの先に壁がまた現れた。どうやらつきあたりらしい。
魚人が胸鰭を広げると、また扉が現れる。こんな技術がある世界の謎がどんなものか、聞いたところで理解できる気などしない。
「はいってきて、ここが私達の住む場所」
魚は扉の奥に消えた。
僕は一瞬躊躇した。ここから先は、見てはいけないものがある気がしたからだ。
後ろを振り返ると、今きた暗闇が続いている。もう、オレンジの炎はトンネルを照らしてはいない。
「何をしているんだい?はやくきてくれ」
扉の無効からニジマスの声が聞こえる。おかしな話だ。僕は其の声に従うしかないと思い、扉の中の闇をくぐった。
そこに現れたのは、巨大な街だ。
目の前にある鉄柵の向こうには、無数の住居がならぶ。
それらがうねりをなし、帯状に左右へと伸びつづけている。
ただ、そこに並ぶ建造物はどれも見たこともない幾何学的な形ばかりで、信じられないことに、常にゆるやかな能動を繰り返している。生き物。いや、それ以上の何か。
ある家は呼吸をしているように開いては閉じてねじれた立法体を回転させていた。別のピンク色の建物は横たわったまま、配列を変えている。それらは全て隣接する建物の影響を受け活動しているかのように見える。細胞のようでもあるが、生きているというよりも、死すらないような──
「ユーグリット幾何学から続く1と2の羅列を、キミらはアルゴリズムとして理解するようになったけれど、だからといって自然についていきなり生物学的な解釈を持ち出すのは不自然だよ。生物は整粒であっても、自然は別のものと常につながっている。全体論的に見ることを君らは知っているというのに、いつも見ているのは自分のエネルギーと、それがもたらす結果だけ」
「なんだ?何をいっている」
「ここが私達の住んでる川ってことよ、つまりここも自然の一部ってこと」
「川?自然?」
ばかな。
「君が釣りをしていた天塩川とは違う、もうひとつの天塩川」
「ここが、天塩川?」
「そうだよ」
わけがわからない。
確かに言われてみれば、眼下に見下ろす帯状の街の様子は川のようでもある。いつかみたグーグルアースの天塩川の様子にも確かに酷似していた。だが、これが川なわけがない。
なにせ川は、こんな恐ろしい姿をしてはいない。
「ここには私と同じような魚が沢山住んでいる。それはもう何万とね。下に見えるあれは全部家で、商業施設は別にある」
そういって魚の胸鰭が刺した方向をみると、平坦だったはずの住宅が、地表から突き出た数十メートルの壁で止められている場所があった。
「あそこが商業施設のある場所。なんでも売ってるし、生活に必要なものや仕事も多い」
仕事?こいつらは仕事をしているのか?
「魚なのに仕事をしているのが気になるって顔をしてるね?私達は仕事をするし、その対価にお金ももらっているから、あなた達とそう変わらない、ここではお金ではなくて、ペレットって呼んでるけど、地上にいた名残りだね」
「ペレットって、あのペレットか?」
「どのペレットのことをいっているかわからないけど、わたしたちニジマスの養殖用につかうやつなら正解」
まさか、ペレットが通貨になっているだって?僕が疑うと、魚人はウロコの隙間から小さな黒い粒を取り出す。
「これがペレット、もちろんそのまま食べるわけじゃない。食料は別にある」
黒い粒は小さな鉄球のようだった。これが通貨の変わりになっているのか。
「で、話をもどすけど、あなたが最初にやってきたのはあの壁から」
「壁って?アレか?」
「そう、あそこにはこの川の国境になってるの」
よくみると、私はそれが何の形をもしているのかわかった
「もしかして、あれは砂防堤か?」
そうなのだ。
幾ら見ても天塩川とは思えないこの奇妙でいびつな風景の中、さっきからどこかで見たことがあると思っていたあの壁と、その下に広がる能動する建造物の群れの形。それは僕がここで目覚めるまで釣りをしていた、あの砂防堤にそっくりなのだ。
「そう、そっちではそうだし、上の川と機能はそう変わらないよ」
「そうなのか?」
あれは確か水量を調節して土砂災害をふせぐためのものだったはずだが。
「あそこは上の川と下の川をへだてるもので、あの壁から向こうはあなたがもといた天塩川に通じてるの。で、あそこから下が私達の川になっているの。で、貴方は私達の仲間にルアーをかけちゃたわけ」
現実世界では貧困にあえいでいた自分。確かなものばかりが目の前にありすぎるからこそうんざりしていたはずなのに、不確かなものばかり目の前に並べられても、また喘いでいる。とにかく理解できない。そして哀れになる。自分が。
「で、彼らはあの部屋に貴方をつれてきたの」
魚人は大きな目を動かし、すんだ瞳で僕を見つめた、
「でも偶然ってわけじゃない」
「どういうことだ?」
驚いた。
僕がここに来たのは、何か目的があったということか。
「彼らは貴方が今日、あの砂防堤に来ることを知っていたわ」
「そんなことなんで知れるんだ」
「私達は上の川で何度かあなた達を見ているの。だから土曜の今日、必ず来るってわかっていたわ。それを知っていた上で、あえて貴方のルアーを引っ張ってこちらの世界につれてきたというわけ」
魚人は口をパクパクと動かし、目をぐるりと回す。
「目的は・・・この川を救うこと」
「救う?一体何から?」
「私達の存在を知りはじめた人間がいるの、彼らから私達を守ってもらいたいのよ」
「どういうことだ?なんで僕が?それに、この世界が?もう何がなんだかさっぱりわからない、一体何がどうなっているんだ!」
その瞬間、急にけたたましいサイレンが鳴り響きはじめる。眼下に広がる街の色が変わり始め、中から無数の魚人達が飛び出している。何かがあったのだ。
「まずいわ、ブラウン達に知られた」
「ブラウン?ブラウンて、ブラウントラウトか?」
ブラウントラウト。
ヨーロッパ原産の外来種で獰猛さで知られているが、彼らもこの世界にいるのか。
「そうよ、彼らは反天塩川組織の作っているの」
「なんだそれは」
「この川の自治に反対する組織よ、貴方を手に入れれば彼らの勢力は拡大するから」
「なに?なんでだ僕なんだ?」
「いいから、行ってちょうだい」
「いくって、どこへ?」
「飛び降りるのよ、ここから」
「この世界では上下運動でエネルギー量が変化するの、急速の上昇しても、落下しても移動できる」
そう行って、魚人はいきなり僕の背中を物凄い力で押し、柵へと向かわせようとする。
「はやくいって、ほら!急いで!」
「やめろ!何をするんだ!!
押し付けられた柵の下を見ると、ゆうに50メートルはありそうだった。下では小さな点になった魚人達があちらこちらにうごめいていた。左の壁沿いを見ると、茶色い連中が急いでこちらにむかっているが、大声で「いたぞ、あそこだ!」と、口々に叫んでは僕のほうを見ていた。
「しょうがない、ごめんねαトラウト!」
次の瞬間、魚人の尾びれが僕の後頭部を襲った。
鈍痛と衝撃のあと、白濁とする意識の中、逆さまになった魚人が柵の向こう側に立っていたが、そのまま魚人は急降下していく。違う。落ちているのは自分。それに気がついたが遅かった。まわりの速度は光を超えて歪み、螺旋上の回転を始め、僕は再び意識を失った。
再び目が覚めた時には、僕はすでに家にいた。
それだけではない、目の前にはいつもの机とノートパソコン。
となりには先程見ていた光景とおなじ。コーヒーと、ミルクの渦がカップの中でゆっくりとまわっている。
夢だったのではないか?
状況からみてそう思ったものの、12時間以上も寝ていたとは考えられない。
机の横を見ると、朝みた支払いの請求書がそのまま置いてある。現実だ。夢の中なら、こんな不快が気分にはなりはしないだろう。
ためしに妻に僕が今まで何をしていたのか聞いてみようと思ったが、まずはその前にこの出来ごとをブログに残すことにした。
エイプリルフール。
愚かな4月とはいわず、12ヶ月常に愚かな僕にしても、やはり今日の体験をただの夢だという度胸はない。
それにしても、あの二足歩行のニジマスは何だったのだろうか?
しゃべりかたからして雌だったのかもしれないが、見た目ではさっぱり判断はつかない。
もし、またあの砂防堤に行けば、彼らの世界に引きずり込まれるのだろうか?あのニジマスは。彼女は僕があの世界に必要だという。また、人間の中にはふたつ目の天塩川の存在に気がついている人間もいるという。
とにかく、この文章を書き終えたら僕は妻と話、この事実をどうするか考えることにする。川がみせた幻というロマンティックなものならありがたいが、どうもそうでもなさそうだ。
いや、幻だとしたとしても、僕はまたあの場所に釣りにいけるだろうか?
巨大なトラウト達が跋扈するあのあの世界への入り口。そこでルアーを投げれば、また引きずり込まれるとして。いや、また同じ幻を見るとしても、その勇気はない。
とにかく今は冷静になろう。
今日はエイプリルフールだ。
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