第X話 愛はさだめ、さだめは「・・・」
その朝――
心地よいはずの目覚めの前の微睡みは、何だか妙に肌寒かった。
疲れが残っているのか、身体のあちこちが強張っている気がする。
うーん……と伸びをすると、伸ばした手の先が硬い物にぶち当たった。
ドサドサと何かが崩れる音。
ヤベえ!
俺は慌てて飛び起きた。
また寝惚けてうっかり雑居ビルか何かを倒壊させたのか!?
振り向いて確認するが……違った。
崩れたのは、ゲームオーバー寸前まで積み上がったテトリス状態の雑誌の山だった。
「何だ、雑誌かよ……ならば、よし」
毛布にくるまって二度寝しようとして――再び跳ね起きる。
自分の両手の掌を、裏返して甲を確認する。その行為を繰り返すこと数回。
肌には毛も鱗もなく、皮は白くて薄っぺらい。
細長い指先にある爪はペラッペラで、およそ攻撃には使えそうにない。
「え? おい、これはまさか……」
両手で自分の顔を撫で、頬を思い切りつねってみる。
痛い!
顔の皮膚が柔らかい!
これは……もう間違いない!
「うおおおおっ! 俺は……俺は人間に戻っ――……っは、はぶしょぉい!」
布団から立ち上がったとたん、寒気に襲われて盛大にクシャミを一発かます。
何故かパンツすら穿いていなかった。
怪獣の時は常時全裸でも平気だったのに、人間の身体は冬でもないのに寒さを感じる。
甲羅を剥がされた亀ってのは、こんなにも心許ない気分なのか。
俺はその辺にあったトレパンを直穿きしてベランダに出た。
眼下には高島平方面の街並みが広がっている。
部屋はアパートの二階だが、小高い丘の上に建っているためビルの五階相当の高さがあり、見晴らしはすこぶるいい。
素肌に感じる初夏の風は実に爽やかで、鮮やかな緑が目に優しい。
「……あっれぇ~?」
俺が倒壊させたはずの高速五号線が直っている。
荒川に向かうため縦断して壊しまくった住宅地も、すっかり元通りだ。
復興、早っ!
………………
…………
……
な~んつってね。
んなわきゃーないってことはバカでも分かる。
この状況は、つまり――
「………………………………全部、夢かァァァッ!」
どっと疲れた……いや、全身から力が抜けた。
長かった……ほんっとに、マジで長かったぞ!
そもそも、ある朝目が覚めたら巨大怪獣になってたとか、何をどう説明つけたところで無理ありすぎなんだよ!
かなり序盤の段階で夢オチだと分かってたんだから、第一話からこの結末でよかったんじゃないのか!?
古今東西すべての夢オチのパターンを網羅しようとしてたのか?
そんな迷惑なチャレンジは他所でやってくんねーかな。
俺以外の誰かが主人公の話でな!
しかしまあ……言いたいことは山ほどあるけども、だ。
よかった!
夢でよかった!
ありがとう、夢オチでありがとう!
夢オチ最高!
あんな怪獣大戦争の後で人間に戻されても生きてける自信ねーわ。
全部夢で、何もなかったことにしてもらわないと困る。
そういう意味じゃ、これこそ注文通り、お望みの結末じゃないか。
この先の人生、特筆すべき出来事が何ひとつ起きないとしても満足だわ。
何事も平穏無事が一番。
平和万歳だ。
しかし……そうだ、あの博士の説が真実なら、俺ひとりの問題じゃないんだよな。
それこそ、ここから見渡せる範囲の街の住人全員が寄せ集められて、一匹の巨大怪獣になったってことだからな。
よし、人間に戻れた喜びをご近所の皆さんと分かち合おう!
『人間に戻れてよかったね祭』の開催じゃ~!
――と思ったけど、全部俺の夢なんだよなー。
あれ?
つまり……?
あの怪獣災害のことを、俺以外の誰も覚えていない!?
な……ん……だと?
なんてこった!
怪獣になった俺がどんだけ苦労したと思ってる!?
どれほど悲壮な覚悟で銀色の宇宙魔人に挑んだか……分かってるのか!?
人の気も知らずにのうのうと平和に暮らしやがって!
何だかものすごく不公平な気分だぞ。
この気持ちをどうしてくれる!?
………………
…………
……いかんいかん。
この怒りは辻褄が合っていない。
まだ寝惚けてるんだろう、夢と現実がごっちゃになっているようだ。
シャワーでも浴びて頭を冷やそう。
そして冷たいコーラを飲もう。
コーラがなければコーヒーに氷をブチ込んでもいい。
そういやアイスの買い置きはあったかな。
どれも怪獣時代には望んでも味わえなかったものばかりだ。
人間にとっては当たり前の楽しみなのに、すっげーワクワクしてきたぞ!
安い男と笑わば笑え。
俺はコストパフォーマンスに優れた男だぜ。
ベランダから戻り、あらためて自分の部屋を眺める。
築年数はけっこう古そうだが、六畳と四畳半の2Kで、独り暮らしの学生が住むには十分に広い間取りだ。
六畳間に置いてある家具は一年中出しっぱなしのコタツ、文庫本とマンガで占められたカラーボックスが二個、サボテンの鉢が乗っている三段のウッドシェルフ。
家電はBDレコーダー一体型の液晶テレビと、それに接続されている新旧のゲーム機。
コタツの上にはモバイル向きじゃない大きめサイズのノートPCがある。たぶんゲームとネットにしか使っていない。
さっきまで寝ていたのは畳の上に敷かれた布団だ。
一見して分かる、畳の部屋に椅子はいらないという潔い思想。
自分の部屋だから落ち着くなあ……と思いきや、一部、気になる箇所があった。
まず、全身が映るサイズの姿見。
それと、そこそこ大きなワードローブ。
あと、ハンガーに掛かっている真っ赤なレザージャケット。
俺って案外、衣装持ちなのか。
姿見に映っているのは、二十歳そこそこの、いかにも文系のパッとしない学生で、目を背けたくなるほど不細工でもなければ、見惚れるほどイケメンでもない。
カワイイと言われることはあってもカッコイイとは言われないベビーフェイス。
身長は高くもなく低くもなく、体格はデブでもなければガリでもない。
筋肉質なスポーツマンでもなければ手足の長いモデル体型でもない。
特徴らしい特徴が見当たらない、まさしく『ザ・普通』だ。
ラノベとかギャルゲーの主人公かよ……それも、イラストで顔が影になってたり後ろ姿しか出てこなくて、人相すら定かじゃないタイプの。
没個性の権化のような坊やが着るには、このジャケットはちと派手すぎないか?
変身ヒーローの普段着だろ、これ。
ジャケットの背中には翼を広げたドラゴンのイラストがプリントされている。
これを着て外を出歩くのはちょっと勇気が要るな……
キャラに合わない服を無理して買ったはいいけど、実際に着るのは恥ずかしくて、家の中でだけ楽しんでるパターンかな?
襟周りのデザインに特徴があるな……これってライダースじゃないのか?
床に散乱している本の中にバイク雑誌を見つけた。
そうか、バイク乗りなら多少派手でも大丈夫だ。
フルフェイスのメットを被ってしまえば顔も関係ないし。
容姿の地味さを服装で補おうという発想だな。
ふむ……悪くないぞ。
だが、次にワードローブのファスナーを開けてみて、俺はウッとなった。
派手どころか……原色だらけじゃねーか!
色が多すぎて目がチカチカする。
いや、色はこの際置いておくとしても、これは……まさか!?
衣装のひとつを取り出してみると、そのまさかだった。
どう見ても女物だ。
しかもアニメやゲームのヒロインのコスプレ衣装ばかり、十着以上も――
下の衣装ケースには青やピンクのウイッグ、コスプレ用の小物アイテム、ブーツなんかが詰め込まれている。
おいおいおいおいおい!
マジか……!?
部屋にはアニメのポスターもフィギュアも飾ってないし、表向きは一般人で通用する程度のライトなオタクだろうと思ってたのに……コスプレ女装趣味などという強烈にマニアックな趣味がプロフィールに追加されるとは、予想外にもほどがあるぞ!
しかし……ここまで本格的じゃ認めざるを得ないな。
試しに姿見の前に立って衣装を合わせてみる。
うーむ、これは……間違いなくキモい。キモすぎる。
おや?
この衣装、肩幅とかウエストの寸法が……やっぱりそうだ。
サイズが合ってないぞ?
レオタードみたいに伸びる素材ならいいだろうけど、そうじゃない生地で作られた衣装も同じサイズ――と、いうことは?
俺がコスプレ衣装だけでハアハアできる訓練された変態ということか?
俺の類い希なる妄想力をもってすれば不可能ではない。
実力的には衣装すら必要ないレベルだと言い切れるが……
だが待て。
自分で着用しないのなら、サイズを合わせる必要はないだろ?
だったらこのサイズにぴったりの人間が他にいるはずだ。
それは……誰だ?
思い出せない。
まだ俺の記憶は曖昧だ。
恐ろしいことに気付いたぞ。
この部屋……本当に俺の住んでる部屋か?
枕元に積み上げられていた雑誌のせいで、てっきり自分の部屋だと思い込んでいたが……実はまったく見知らぬ他人の部屋という可能性だってある。
全裸で寝ていたのもおかしい。
ここで脱いだとすれば俺の服はどこへ消えた?
……おや?
水の跳ねる音が聞こえる。
さっきから聞こえてはいたが、隣の部屋だろうと思って気にしなかったのだ。
はしゃいでばかりもいられない状況に直面し、神経を尖らせてみると、その音はこの部屋の中から聞こえてくるように思える。
確認してみるか。
俺は忍び足で四畳半の部屋を抜け、玄関のある台所へ向かった。
水の音は、ユニットバスから聞こえている。
築年数に比べて水回りが新しく見えるのは、アパートができた当初は別になっていたトイレとシャワールームをユニットバスに改装したからだろう。
折戸を開くと、トイレと浴槽を仕切るシャワーカーテンが閉まっている。
誰かがシャワーを使っている。
俺が入ってきたことに気付いているはずだが、とくに反応はない。
つまりこの人物は、俺が何者かを知っている――知っていて、起きてきた俺がトイレを使うために入ってきたと思っているのだ。
俺は呼吸を整えると、シャワーカーテンに手をかけて一気に開いた。
目に飛び込んできたのは――冷たいシャワーだった。
「あばばばっ、ちっ、ちべてぇぇぇ~っ!」
顔面に冷水のシャワーを浴びせられた俺は、慌てて避けようとして便器に足を取られ、派手に尻餅をついた。
窒息させる勢いで執拗に顔面を狙っていたシャワーがやっと止まる。
「――おはよう、
俺はびしょ濡れの顔を手で拭い、声の主をまじまじと凝視した。
シャワーカーテンで身体を隠して顔だけ覗かせているのは、若返った博士――ではなく、成長した〈彼女〉だった。
年上のクールな美人に見えるが、俺よりひとつ下だ。
まるで覗き魔を見るような冷ややかな目つきだが、本気で見下げ果てているわけではなく、単純に角度の問題だ……と思いたい。
ゾクゾクするのは俺がドMだからか、あるいは冷水をぶっかけられたからか。
ともあれ、俺の頭はすっかりクリアになっていた。
「……おかげさまでね」
俺はおもむろに立ち上がると。トレパンを足首まで一気にずり下ろした。
『あっ』
彼女が声にならない声をあげて驚いた、その隙をついて浴槽に踏み込む。
浴槽の縁を跨ぐと同時にトレパンを脱ぐという我ながら無駄のない動き。
ユニットバスの浴槽の中で裸で向き合うと、彼女は冷静に抗議した。
「狭いわ」
「水をぶっかけたのはそっちだろ」
「そういうつもりは……」
「じゃあどういうつもり?」
「……風邪を引けばいいのに、と」
「だったら仕返しだ」
シャワーヘッドを奪って蛇口をひねり、彼女に水を浴びせる。
狭い浴槽の中なので自分にもかかるが構うことはない。
普通の女の子なら『キャ〜!冷た〜い!』とかなんとか可愛い悲鳴を上げて大騒ぎするところだが、彼女のリアクションは違った。
まるで運命の残酷な仕打ちに耐えるシリアスなドラマのヒロインのように、自分の身体を抱いたまま動かない。
手足がかじかむくらい浴びせてから、水を止めた。
「……寒いわ」
「どうしてほしい?」
「温めて」
「よしきた」
待ってましたとばかりに、俺は彼女の身体をギュ~ッと抱き締めた。
柔らかな肌と肌が密着する。
冷水を浴びた身体は最初こそ冷たいが、触れたところから燃えるように熱くなった。
ふたつの鼓動が重なり、昂ぶる。
この肌の触れ合いの温かさは爬虫類型怪獣では味わえない。
やっぱり人間はいいなあ。
人間でよかった!
人間最高!
お互いの体温を交換し合ってすっかりポカポカした俺たちは、火照りすぎた身体が冷めるまでしばらくイチャイチャした。
……え?
肝心なところを適当に流すな、だって?
粘膜的接触があっただろうって?
そりゃ~ありましたけど……それが何か?
自分の恋人の肉付きがどうで、オッパイの形や揉み心地がどうかなんて、世間に公表するようなことじゃないんでね。
だってほら、全部、俺のだし。
一応、彼女の名誉のために言っておくと、俺なんかにはもったいないくらいの美人のうえ、抜群のプロポーションの持ち主だ。
背丈は俺とほぼ同じだけど、手足が長くて、腰の位置が俺よりずっと高い。
余計な贅肉がほとんどついていないアスリートっぽい筋肉質の身体なのに、出るべきところはしっかり出ていて、抱き心地は信じられないほどしなやかで柔らかい。
つまり最高ってことだ。
ただし、性格がちょっと変わっているというか、少々気難しいところがある。
彼女はコスプレが趣味の、いわゆるレイヤーだ。
ワードローブの衣装はもちろんすべて彼女の私物なのだが、彼女があの衣装を着て人前に立つことはない。
いわゆる萌え系美少女キャラのコスプレが絶望的に似合わないからだ。
フリフリの可愛らしい魔法少女の衣装を着ても、敵が化けた偽物か、洗脳されて悪堕ちしたバージョンかよって雰囲気が醸し出されてしまうのだ。
その一方、恐ろしいほど似合ってしまうクールビューティ系の女戦士や悪の女幹部キャラは、本来の彼女の趣味ではないらしい。
変身願望を叶えるためにやるのがコスプレのはずだが……やりたいことが必ずしも向いているとは限らないとは皮肉な話だ。
彼女自身も似合っていない自覚があるので、萌え系キャラのコスプレを披露するのは俺の前でだけだ。
四畳半に簡易スタジオを作り、一対一の撮影会をするのも恒例行事になっている。
そういう時、ライトなオタクでよかったとつくづく思う。
彼女の性癖に理解を示しつつ、元の作品をよく知らないおかげでキャラ崩壊が気にならないからな。
もっとも、初見が彼女のコスプレだと、後からアニメを観た時にキャラのイメージのギャップに違和感を覚えまくるという弊害もたまにあるが……
人間に戻れた今となっては些細なことだ。
長風呂の後、俺は畳の上に全裸のまま正座させられ、お叱りを受けた。
これからバイトだという彼女にしつこく迫ったから――というもあるが、問題をこじらせたのは、俺のマズい言い訳だった。
「巨大怪獣から人間に戻れた嬉しさのあまり、つい――?」
下着を身に着けながら、彼女はあからさまに蔑みの籠もった口調で詮議する。
「そんな男子小学生しか見ないような夢を……オタクのくせにマンガやアニメの知識が浅いとは思っていたけど、謎が解けたわ。四至本君って怪獣博士だったのね」
それは謎が解けたことになるのだろうか。
もっとも、怪獣になっている間は肝心の怪獣の知識は忘れ去っていたわけだが。
「しかも映画なら三部作が作れるボリュームの大怪獣バトル? たった一晩でよくもそんな大冒険ができたものね」
「それだけ長い間、ひとりぼっちだったんだよ。人間的なスキンシップに飢えてて……」
正座したままにじり寄ると、彼女がパンストを穿いた足で肩を踏ん付けてきたので、俺はこれ幸いとふくらはぎに頬ずりした。
「むう……普通は女に踏まれると屈辱を感じて嫌がるものなのに、それを逆に利用してスリスリしてくるとは」
「蹴爪も生えてない足でいくら踏まれてもむしろ御褒美ですけど?」
さすがに呆れたらしく、彼女は足を引っ込めてしまった。残念。
「……で?」
「で? とは?」
「勝ったんでしょうね? 痛み分けでドローとか、あやふやな結末なんて認めないわ」
「結末か――」
実際、あの後、どうなったんだっけ?
喉笛に噛みついたところまでは憶えてるんだが……銀色の巨人は死んだのか?
――と。
不意に、記憶のフラッシュバックが起きた。
口の中に広がる、錆びた鉄か何かの腐った金属の味――真っ先に甦ったのは視覚ではなく味覚の情報だった。そこから芋づる式にUマン戦の顛末の記憶が繋がって出てくる。
そう……結論から言えば、Uマンは俺の攻撃では死ななかった。
死ななかったので、生きたまま解体して、俺と飛竜の二頭がかりで食い尽くしたのだ。
硬いところはサバ頭を使って細切れにして、残さず平らげた。
決して美味しい代物ではなかった。
有り体に言って、もの凄くマズかった。
だったら食わなきゃいいのにとも思うが、地球上からUマンという怪物を影も形もなく消し去るには、そうする他になかったのだ。
あえて思い出そうとするまでこの記憶に蓋がされていたのは、映像的にかなりグロテスクな食事風景だったのと、味がクソマズかったからだな、きっと。思い出しただけで胸焼けがしそうだ。
「やっつけたよ。どうにかこうにかね」
「完全勝利?」
「それ以上ないってくらいに」
その方法について具体的に報告する義務はないよな?
「インベーダーの魔の手から地球を救った?」
「たぶん」
「そう、なら褒めてあげないとね」
そう言うと、彼女はまるで母親が幼い子供にするように、俺の頭を胸に抱き寄せた。
……意外だ。
もしかして俺、相当ヤバい顔になってたのかな?
髪を梳くようにして頭を撫でられ、谷間に頬を埋めて心音を聞いていると、安心してちょっと涙が出てきた。
ブラを外してペロペロしたくなったが怒られそうなので我慢する。
俺の鼻息が荒くなってきたのを察したか、彼女は手を放して着替えを再開した。
細身のジーンズを穿き、ハンガーに掛けてあった真っ赤なライダースジャケットに袖を通す。似合うなあ。
「ところでそろそろパンツを穿いてもよろしいでしょうか?」
「まだ穿いてなかったの? いつまでその醜くて貧弱なモノを恥ずかしげもなく晒しておくつもり?」
確かに粗末だけど、怪獣の頃に比べれば可愛らしいもんだぞ?
今の俺にアレが付いてたら彼女だって裸足で逃げ出すだろうぜ。
俺の服は押し入れの中のタンスにきちんと畳んで収納されていた。
昨日脱いだ服は彼女が洗濯機に入れたため見当たらなかったのだ。
種明かしをしてみれば何てことはない。
タンスから出した服を着て、彼女をアパートの駐車場まで送る。
「バイトってどこだっけ?」
「池袋」
彼女は愛車のクラシックな型の中型バイクに跨がった。
お尻のラインがすごく綺麗だ。
これを見たいがために見送りに来ているのは内緒だ……バレてはいるだろうけど。
キーを挿したところで彼女はいったんバイクから降りると、こっちに戻ってきて、何も言わずにキスしてきた。
走り去るバイクを見送りながら、俺はニヤニヤ笑いが止まらなかった。
俺の彼女はどんだけ男前なんだ。
俺が女でも惚れちゃうぜ。
アパートに戻ろうと踵を返すと、赤いランドセルを背負った、小学生らしき少女と目が合った。
一部始終を目撃していたらしい少女は、驚いた顔になって脱兎の如く逃げ出す。
顔が真っ赤だったな……えらいところを見られてしまった。
慌てて車道に飛び出したりするなよ。
自分の部屋のドアの前で立ち止まり、表札を確認する。
『四至本』と書かれているが、いまだにこれが自分の名字だという確信がない。
まあ追い追い思い出すだろう。
部屋に戻った俺はテレビをつけ、ノートPCの電源を入れた。
まずはインターネットだ。
怪獣時代に何が一番困ったかといえば、世の中の情報が一切入ってこなくなることだ。
これで思う存分に情報を収集してくれる!
ブラウザの検索バーに『DSK48』と入力してエンターキーを叩く。
意外とヒット件数が多い!?……と思ったが、ヒットしたいくつかのサイトを回ってみたところ、それぞれ無関係な会社や記事が出てきた。
同名の国民的アイドルグループが実在しているわけではないらしい。
よかった……あれは全部俺の妄想の産物だったわけだ。
試しに『ムカデ』で検索してみると、いきなりサムネイル画像が表示されたので「ぎゃあ」と叫んでモニターを閉じた。
最近のブラウザはテキストの他に画像の検索結果も参考として表示されることがある。
クッ、余計な親切機能を……!
画面を見たくないので電源ボタン長押しでPCを強制終了させ、再び立ち上げる。
『ブラウザが異常終了したので直前に表示していたページを復元しますか?』云々のメッセージが出たが当然、答えはノーだ。
ふと思いついて『カメ』『ペニス』と入力すると、今度は動画が上位にヒットした。
うわあ……スゲえ、何だこれ!?
てっきり怪獣化の影響で化け物じみたサイズ&デザインになったのかと思いきや、自然界のカメの形態に忠実だったとは……カメ、恐るべし。
次は『ロケットの構造』だ。
固体燃料ロケットと液体燃料ロケットの仕組みの違いについて軽く勉強してみる。
やはり固体ロケットの方が構造が単純で出力も大きいようだが、一度点火したら燃料を使い切るまで噴射しっぱなしってのが使い勝手悪いよな。
頑張れば液体ロケットの構造も甲羅内で再現できそうではあるし、制御しやすいのが魅力だ。
んーでもなあ……必ずしもロケットの大推力が必要かと問われれば違う気もする。
専用のエア・インテークが甲羅の前方に開いたってことは、ジェットエンジンの構造を真似た方がいいんじゃないか?
そう思って調べてみると『パルスジェットエンジン』が一番単純な構造みたいだな。
おっ、この『ラムジェットエンジン』ってのも良さそうじゃないか。
吸気口から飛び出してるスパイクコーンが格好いいし。
しかし――
甲羅に双発のラムジェットエンジンを内蔵した姿を想像して、俺ははたと気付いた。
二本の角が生えたら、後ろ姿がパーフェクトな『般若の面』になってしまう!
………………
…………
……バカバカしい。
何をやっとるんだ、俺は?
あの時にこの知識があれば……という後悔がそうさせるのか。
今さら知識を仕入れたところで後の祭りなんだが。
どうすっかなー、今日。
大学のサークルに顔を出すか?
それとも、背中にでっかい般若の刺繍が入ったスカジャンでも買いに行こうか――
そうだ、怪獣の頃に歩いたルートを原付で走ってみるというのはどうだ?
東京大仏もスカイツリーも人間の身体で行ったことないし、怪獣として歩いたコースを観光がてらに辿ってみたら?
それがいい。そうしよう。
ネットで天気を調べ、地図でルートと走行距離を確認する。
帰りが遅くなっても雨に降られる心配はなさそうだ。
俺はとりあえずスマホだけ持って徒歩で出掛けた。
東京大仏のある乗蓮寺は近所だから歩いて行っても十五分もかからない。
まずは大仏おばちゃんに挨拶するのがスジってもんだろうしな。
道すがら、スマホでネットに繋いで『東京大仏』を検索。へー、大仏おばちゃんは阿弥陀如来なのか。
『無明の現世をあまねく照らす光の仏にして、時間と空間に縛られない仏』か。
それなら怪獣を導くくらいお手の物だな。
そうだ、ついでにあのワードも調べておくか。
検索バーに『ADAMⅢ』と入力して「GO」をタッチすると、遺伝子関係の難しい話や宗教関係の記事がヒットした。
無関係な類似ワードでのヒット件数も多数……そりゃそうだよな。
続いて『銀色の巨人』とワードを追加し、それぞれ二重引用符で囲んで再検索。
これで検索ワードに完全に一致する結果だけが表示される。
ヒット件数――一件!?
どうせないだろうと思ってたのに……あるのかよ!
開いてみると、それは俺もよく利用する巨大掲示板のスレッドのひとつだった。
『【終わりの始まり】銀色の来訪者【ADAMⅢ】』
オカルト板かと思ったら、科学系のニュース板だ。
しかもスレが立ったのは……ほんの数分前!?
『ノルウェー南極観測隊が氷の下から発見した〈銀色の巨人〉についての報告書は、今から二時間前にリンクとともに履歴からも削除されて閲覧不能となっているが、データベースから関連資料と思しきいくつかのファイルのサルベージに成功した』
サルベージって……要するにクラッキングじゃないのか?
貼られているリンクは五件。
URLの頭が抜いてあるリンクをいちいち手打ちするのは面倒なので、掲示板閲覧用のアプリに切り替えて表示する。
リンクのうち四つは、光量不足で何が映っているのかよく分からない画像。
残りのひとつはテキスト文書だが、英語でもないらしくまったく読めない。
……何だこれ?
スレを更新してみると、早くも十件以上のレスが付いていた。
二件目は案の定『オカルト板でやれ』だったが、最新のレスでは『謎の画像を補正してみた』のコメントとともに新たなリンクが貼られている。
その後のレスがないのでグロ画像の可能性もあるが、待ちきれずにリンクを踏む。
表示された画像を見て、俺は凍り付いた。
それが、両膝を抱えて体育座りした状態の〈Uマン〉のバストアップだったからだ。
四枚の画像は顔のアップだったり、引きの画だったりしたが、レベル補正しても完全に真っ暗な部分が多く、全体像は分かりづらい。
だが両目と胸の発光体の形は確認できる。
Uマンの周囲は黒い木の枝のようなもので包まれていた。
まさか……〈ユグドラシル〉の枝か!?
どういうことだ?
待ちきれずにスレを更新するが、有用なレスは付いていない。
俺は静観できずに、ガードレールに腰掛けてレスを書き込んだ。
『この巨人の詳細プリーズ!』
しかしすぐに返答はなく、スレを覗いている連中の考察レスが続く。
『え? これって何?』
『新作映画の宣伝』
『あーなる。この手口は前にも見たな』
『巨人って書いてるけど比較対象がないと大きさが分からんぞ』
『CGの出来の悪さを誤魔化すためにわざと画像劣化処理してんだよ。人間と合成したら一発でバレるだろ』
当然といえば当然の反応だが、俺としては全力で釣られざるを得ない。
『この画像が俺の知ってる巨人と同じものなら、身長は八〇メートル前後のはずだが』
『オカルト板からの出張ご苦労様です』
『そのサイズならクリーチャーじゃなくて完全に怪獣だな』
『新作怪獣映画か! いつ公開? ティーザーサイトのURL教えて』
いつもなら俺も無責任に面白がる側だが、今回だけは違う。
『この写真はいつどこで撮られたんだ?』
『画像のExif情報を信じるなら、撮影日時は七日前、場所はノルウェーのトロル基地からは全然遠い。日本のドームふじ基地の近くだ』
『撮影場所が氷の下っぽいからジオタグは必ずしも正確じゃないと思うんだ』
『この画像を撮影したカメラが最後にGPS情報を取得した位置がドームふじ基地の近くってことか?』
『ノルウェーの観測隊がどうしてそんな場所に?』
『Exifなんていくらでも編集可能だろw』
『情報が改竄されているという証拠を示せ。できないのなら黙ってろ』
『こんなコラ画像で釣られる男の人って……』
スマホなので画像のExif情報は閲覧できない(閲覧できるアプリもあるのかもしれないが入れていない)ため確認はできないが、情報を鵜呑みにするならUマンは南極の氷の下にいるってことか。
『テキストの翻訳できたよ~』
『キタ――――!!』
『待ってました!』
『よし、でかした。さっさと見せろ』
『ノルウェー語だし、くだけた文面なんでイマイチ上手く翻訳できてないんだけど、ヤバげな単語がいろいろ出てきたw』
『そもそもどういうテキストなんだ?』
『写真を撮った人間が同僚に宛てたメールだね。報告書じゃないから個人の感想入りまくりw』
『ええい、余計な前置きはいい! 結果だけ教えろください』
『ほい』
貼られたリンク先で翻訳テキストが読めた。
“私たちはついに成功しました。今世紀最大ではなく人類史上最も偉大な発見です――”
ですます調だが興奮ぶりがよく分かる文面だ。
けっこう長文なので拾い読みしていく。
巨人は南極氷床の地下(氷下?)五〇〇メートルの深さにある空洞で発見されたこと。
空洞は融解水によって氷が削られてできたものであること。
発見以来、融解水の流入量は増えており、遠からず巨人の全身が露わになると予想されること。
融解水のため年代特定が困難になっているが、巨人は少なくとも一万二〇〇〇年以上前からこの場所に眠っていること。
巨人は頭部だけで八メートルに達するサイズであること。
手足は屈葬のように折りたたまれた状態だが、身長はおそらく六〇から八〇メートルほどと推測されること。
銀色の皮膚は非常に硬く、ドリルによる掘削も受け付けずサンプルが採れないこと。
巨人を包んでいる石化した植物は、巨人の身体の一部ではないらしいこと――
調査結果はこれくらいで、後半は書いた本人の所見だった。
“銀色の皮膚や仮面のような凹凸の少ない顔からして、これは宇宙服のようなものではなかろうか?”
“私たちはコキュートスを発見したのだろうか? 同僚たちはこの巨人を〈第三のアダム〉と呼んでいるが、氷の檻に幽閉された反逆者にも見える”
この邦訳テキストの公開で、スレが一気に加速した。
『コキュートスwwwww』
『ダンテさんチィ~~ッス』
『いったい何が始まるんです?』
『封じられし古の魔王が解き放たれる時が遂に……』
『なんで第三のアダムなんだ?』
『イエスは〈第二のアダム〉と呼ばれている。後は……分かるな?』
『年代から言えばこっちのが先じゃね?』
『サードどころかファーストの可能性あるな。つまり人類の始祖』
『どうやって分厚い氷床の下五〇〇メートルの深さにあるのを見つけられたんだよ?』
『神の声を聞いたんだろ』
『納得wwwww』
『絡みついてる枝みたいなのは?』
『セフィロトの木だろ。言わせんなよ恥ずかしい』
『氷の檻に幽閉されていた巨人が復活して大暴れのパターンか。ありがちな展開だな』
『王道だろ』
『来訪者ってことは、はるか昔に宇宙から来て南極で冬眠してた異星人か?』
『前半はファースト・コンタクトがテーマで、後半ではヒーローとして活躍するパターンのやつや!』
『巨大異星人と心を通わせるヒロイン役は誰がやるの?』
『ゴーリキーがいるじゃないか』
『せやな』
理系のニュース板とは思えないノリのレスが増えているのは、他の板に貼られたリンクから誘導されてきた人間が書き込んでいるんだろう。
こりゃちょっとした祭になるぞ……後でまとめサイトに取り上げられるな。
いや、写真四枚とメールだけじゃ燃料が足りないか。
俺としては正確な情報が知りたいだけだし、このまま続報がないようならいったんスレを閉じて夜にまた覗こうか――そう考えながら更新ボタンをタップすると、レスの数が一気に三十件も増えていた。
スレ主が新たな情報を提供したのだ。
コメントはなしで、リンクだけが貼られている。
しかも大量にだ。
ID抽出してみるとスレ主の新しい書き込みは十七件あり、ひとつのレスについて四つか五つのリンクが含まれていた。
リンクのひとつを踏んでみたが、ファイルの容量が大きすぎるのか、アクセスが集中しているせいか、ダウンロードのゲージが全然進まない。
「……ええい!」
もはやスマホの通信速度じゃ追いつかない。俺はアパートに猛ダッシュで引き返すと、ノートPCの電源を入れて閲覧ソフトを立ち上げた。
案の定、スレは大騒ぎになっている。
家の回線でもファイルのダウンロードはなかなか進まず、俺は早々に諦めて検証のレスを眺めることにした。
こういう時にイライラしても無駄だ。
今取得できないとしても、速い回線を使っている親切な誰かが保存して後から別の場所にまとめてアップロードくれるだろうし、解析や検証だって俺より賢い誰かに任せた方が早いに決まっている。
果報は寝て待て、だ。
一時間ほど経った頃、親切かつ暇な人がまとめサイトを作ってくれたので、スレ主の上げたファイルを一覧することができた。
ほとんどは静止画や動画で、第一報よりずっと見やすく高精細な画質だった。
オリジナルとは別に、画質を落として容量を抑えたファイルが動画サイトに次々とアップロードされ、まとめサイトのリンクに追加されていく。
画質がいいのはカメラの差というより、撮影環境の違いだった。
照明機材が持ち込まれ、十分な光量と安定した足場が確保されたうえでの撮影だからだ。
映像で確認できるノルウェー観測隊のメンバーは六名。
彼らは世紀の大発見に興奮を隠せない様子だ。
隊員と巨人がひとつの画面内に収まっていると、その大きさがよく分かる。
分かったことは他にもある、
ユグドラシルの枝は、巨人を包んでいるだけではなく、銀色の皮膚にガッチリと食い込んでいた。
巨人の体内で発芽して伸びたわけではない。
これは……やはり戦いの痕跡と考えるのが妥当だろう。
もっとも、これはユグドラシルがけっこうアクティブな植物怪獣だと知っていればこその発想だろう。
一万二〇〇〇年前、宇宙からやってきた銀色の巨人とユグドラシルの戦いがあった。
決戦の地が南極だったのか、決着がついてから南極に運ばれたのかは分からないが、とにかくユグドラシルが勝利し、巨人を分厚い氷床の下に封じた――違うか、順番からすると、巨人の上に雪が積もり積もって氷床になったのか。
俺の貧弱な想像力で思いつくストーリーはそんなところだ。
ファイルも終盤になり、隊員がカメラに向かって新しい機械を自慢気に見せつけた。
チェーンソー……だと?
「おいバカ、そりゃ何だ? 何をする気だ!? いや待て……だから待てって!」
俺は記録映像と知りつつ思わず声を荒げた。
当然ながら俺の制止に耳を貸すことなく、隊員は近くにあるユグドラシルの枝にチェーンソーを押し当てた。
枝のサンプルを採るだけならいい。
だが、巨人を包んでいる枝を取り去るつもりだとしたら――?
スレ主が『ラスト。』のコメントとともに貼った最後のファイルで、その結末が明らかになった。
最後の動画は空洞内ではなく、地上に設置された定点監視カメラの映像だった。
震動で激しく揺れる画面。
巨大なパンチで抜かれたように、直径数十メートルの綺麗な円形に陥没する氷床。
衝撃で横倒しになるカメラ。
真っ白な水蒸気の中、頭上に虹色の光輪を戴いた〈銀色の巨人〉が一瞬、画面を横切る――
「何てことをしてくれたんだ……どう責任を取るつもりだよ!?」
あの様子じゃ誰も生き残っていないだろうな。
よもや人類が自らの手で、あの悪魔を解き放つことになるとはな……
昔から特撮でさんざん使われてきたような展開じゃねーかよ!
工事の邪魔だからって昔からある祠を取り壊したら、そこに封じられていた古代怪獣だか妖怪だかが甦って大暴れのパターンだろ!?
『おお~凄いCGだなー』
『これは大ヒットの予感!』
『はっきり見せずに期待感を煽る演出が憎いね』
『雑な合成。どう見ても低予算の駄作。センスねー』
『アホか。南極ロケってだけでもカネかかってるだろ』
スレに書き込んでいる人間の八割方は、賛否はどうあれ新作SF映画の巧妙な宣伝活動だと信じきっているようだった。
できれば俺だってそう信じたい。
信じたいが……真面目に検証している側のレスに、画像がCG合成だと証明できたものがひとつもないのが現実だった。
最後の動画の撮影日時は、およそ三十時間前――
『画像の真偽とかはどうでもいい! 復活した巨人はいま、どこにいるんだ!?』
ひとりだけ温度の違うレスをしてみるが、めぼしい反応はなし。
スマホからPCに移ってIDが変わったことも書き込んでいたため、巨人の身長が八〇メートルと最初に指摘したことを何人かに突っ込まれたが、『怪獣になった時に件の巨人と対面したから』などと語ったところで余計に混乱を招くだけなのでやめておいた。
思い直して南極基地関連で新たに検索し直したがヒットせず。
スレ主のコメントからすると〈銀色の巨人〉の存在は機密情報扱いで、表に出ないように情報操作されているのかもしれない。
三十分ほど検索に費やしたものの収穫はなし。
新しい情報があるかと掲示板に戻ってみる――と。
『スレッドが見つかりません。過去ログを開きますか?』のメッセージ。
これは……おい、まさかだろ。
スレそのものが削除されている!
ブックマークしておいたまとめサイトも、ミラーを含めて消されていた。
動画サイトにアップされた動画も同様だった。
……マジだ。
これはマジの情報操作だ。
俺は取り乱し、PCからLANケーブルを引っこ抜いてモニターを閉じた。
腕には鳥肌が立っているのに、脇は汗でびっちょりだ。
黒服にサングラスの屈強そうな男たちが今にも部屋に乗り込んできそうな悪い想像が働いたので、スマホを持って表に出る。
原付に乗りたかったが、駐輪場に人の気配があったので早足でアパートを離れた。
近くの公園のベンチに腰掛け、ぼんやりと溜め池を眺める。
俺は……何を恐れている?
怖いのは人間じゃない。
分かっている。
もう、カラクリは、ほぼ分かってるんだ。
俺はスマホを取り出し、彼女に宛ててメールを打った。
内容は、こうだ――
『大変なことが分かった。俺が巨大怪獣になる夢のことなんだが……あれは夢じゃなかったんだ。いや、夢は夢なんだが……ただの夢じゃない。どうやらあれはいわゆる〈予知夢〉ってやつらしい――』
簡単に事情を書き、これを読んだら電話してくれ、と結んでメールを送信する。
そう……俺が恐れているのは、未来だ。
あるいは運命、と言い換えてもいいかもな。
どういうことかって?
要するに、夢オチだと思っていたのが夢オチじゃなかったってオチだ。
つまり、怪獣災害は『なかったこと』になったわけじゃなくて、これから起きるんだ。
ごく近い未来――おそらく明日、あるいは明後日。早ければ今夜かもしれない。
俺は怪獣になり、個人としての記憶を失う。
……待てよ?
予知夢以外の解釈だって、やろうと思えばできなくもないぞ。
もしかして、この現象は〈タイムリープ〉か?
未来の記憶を持ったまま過去に戻るやつ。
だとすれば、俺は未来を変えるために時間を遡行してきたのか!?
怪獣災害を防ぐために俺に出来ることは――?
………………
…………
……
ない!
ないぞ!?
ざっと検討してみたけど……やっぱ、ないわ!
すでにUマンが復活している以上、一個人の力じゃ怪獣災害は防ぎようがない!
できることといえば、せいぜい彼女と一緒に東京を脱出するくらいだが……
しかし博士の説が正しいとすると、Uマンを倒さない限り怪獣は生まれ続けるわけで……怪獣にならなくても、怪獣災害に巻き込まれるリスクはなくならないな。
そういや太陽嵐で通信システムがやられるんだっけ?
電車も動かなくなるっていうし……全力で逃げても逃げ切れないかも。
全国的にパニック状態だろうし、安全な場所なんてどこにあるんだ?
だがしかし……未来の記憶を持っていることには何か意味があるはずだ。
予行演習か?
一度戦った相手なら、次に戦う時にはもっと上手く立ち回れるはず……と思ったけど、怪獣になった時点で記憶がなくなるじゃねーかよ!
これがゲームなら二週目だぞ?
『強くてニューゲーム』じゃないのかよ!?
手に入れた能力も全部なくなって、初期状態からやり直し?
何が困るって、DSK48とは二度と出会いたくないんだが……Uマンに勝つためには〈毒の虹〉は切り札として欠かせないし――発狂寸前まで追い込まれると分かっていてもなお、避けて通れぬ茨の道なのか!?
せめてセーブしたところからやり直させてくれよ。
前のは体験版で、これからが製品版なのか?
Uマンに勝ったのに、トゥルーエンドへ至るフラグを立て損ねたとか?
ノーミスで勝ったらエンディングが変わるのか?
まさかと思うが……これってループもの?
実は何度も怪獣になって戦い、死んではタイムリープして時間を遡り……を繰り返してるんじゃあるまいな!?
冷静に考えれば、Uマンとは百戦やって一回勝てるかどうかの性能差だし――
……いかん。
考えれば考えるほど怖い想像になってしまう。
とりあえず、今はまだ大学院生の従姉妹にメールを送っておこう。
『近い将来、甲羅が般若みたいな模様になってるカメ型の巨大怪獣が現れるかもしれないけど、そいつは人類の味方だから攻撃を控えるよう自衛隊に伝えてくれ』
送信……っと、これでよし。
こんな怪しさ満点のメールを送られても困るだろうけど、背に腹は替えられんからな。
怪獣映画ならヒロインのポジションなんだから頑張ってくれよ。
あと、個人の記憶は消えても知識はある程度残るわけだから、勉強しておいても無駄にはならないかもしれないな。
ラムジェットと液体燃料ロケットの構造図くらいは頭に入れておくか。
他の怪獣の元になった生物の特徴も知っておけば多少は役立つだろうし、自衛隊の装備や組織についても知っているのとそうでないのとでは対処法が全然違ってくる。
カフカの『変身』もちゃんと読んでおいた方がいいのか?
案外やれることはいっぱいあるぞ。
怪獣と化した暁には、あやふやで頼りない知識と、ちっぽけな人間性以外には何も持ち越せないとしてもだ。
ふと公園内に目を向ける。
麗らかな午後の日差し降り注ぐ公園には、溜め池で釣りを楽しむお年寄りや、ベビーカーを押す主婦、学校帰りらしい小学生たち、ダンボールおじさんなんかの姿がある。
このありふれた日常の光景も、もう見納めになるのか。
スマホから着信メロディーが鳴った。
女児向けアニメの主題歌の着メロ――彼女だ。
『――今、どこにいるの?』
第一声から質問か。
「近所の公園にいる」
『サンシャインの?』
「いや、俺のアパートの近くの区立美術館のある――」
『そう……覚悟は決まったのね』
「覚悟って? 話が見えないよ。電話だからじゃなくて」
『もし私と一緒に逃げるつもりなら、今頃池袋に向かっているはずよね? 向かっていないということは、つまり運命に立ち向かう決意をしたということ』
「それは――」
『それとも運命を嘆いて茫然自失? 自暴自棄になって泣いてる最中なのかしら? だとしても私が恋しくなって会いに来るはずだけど』
「ずいぶんな自信だな!」
『だって、四至本君は私を愛しているもの』
何なんだよ!
まるで自分から告白したみたいに恥ずかしいぞ!?
「それを事実として認めるのはやぶさかじゃないけど、そっちはどうなんだ?」
『右に同じよ』
「それってつまり……?」
『私、ナルシストなの』
「知ってたよ!」
それも面倒臭いタイプのな!
「電話をくれと書いたのは、君の考えを聞きたかったからだ」
『彼氏の頭がおかしくなった悲劇のヒロインを演じるか、それとも怪獣になって一緒に戦うか――その二者択一かしらね』
発想がブッ飛びすぎだ。
「俺の話を信じた結果がその二択なのか!? とりあえず東京を脱出するというプランは?」
『怪獣災害から逃げ切れると思う?』
「正直、難しいんじゃないかな……都会ほど危ないだろうけど、田舎に逃げれば安全という保証もない」
『私、怪獣の闊歩する崩壊した日本で、怯えながら右往左往するなんて御免だわ』
「怪獣になっても右往左往したけどね」
『アニメも観られなくなるし』
「怪獣になっても観られなくなるけどね」
『ライブ特撮で我慢するわ』
「怪獣視点だから人間は出てこないけどね」
偽物だけど巨大幼女なら出てくるか。
『その南極の氷の下から復活した巨人を倒せば、怪獣災害は終息するのね?』
「たぶんね」
『他の怪獣に倒せると思う?』
「束になってかかっても無理だろうね」
『四至本君なら勝てる?』
「実力だけで言えば正面からやり合って勝負になる相手じゃない。勝った記憶があるだけでね。それに、ひとりで勝てたわけでもないし」
『そう、なら決まりね』
「どう決まったの?」
『逃げないで東京に留まるわ』
「どうして?」
『四至本君が覚悟を決めたから。私も付き合うことにする』
話が最初に戻ったが――今となっては俺にも分かる。
「待ってくれ。怪獣になると人間の頃の記憶は消えてしまうんだぞ!? もし出会えたとしても互いのことなんて分からないし、怪獣同士で殺し合うことになるかも」
『それなら心配には及ばないわ』
「何で!?」
『もちろん、四至本君が私を愛しているからよ』
俺に丸投げかよ!
『休憩時間が終わるから切るわ。次は戦場で逢いましょう』
俺の返事を待たずに通話は一方的に終了した。
今生の別れになるかもしれない会話なのに、スゲーあっさり切りやがったな。
デートの約束にしちゃハードすぎるだろ。
俺の彼女はどんだけ男前なんだよ……惚れ直しちゃうだろ。
スマホを切って、盛大な溜息とともに伸びをする。
思わず頬が緩んで、笑みが漏れた。
重荷をすっかり下ろしたような、軽やかな気分だった。
実際には半分になっただけだが。
明日には重い甲羅を背負うことになるかもしれないが――
急に空腹を覚えた。
そういや昼飯がまだだった。
最後のランチと洒落込むか。
勢いをつけてベンチから立ち上がり、公園の出口に向かうと、ちょうど公園に入ろうとした小学生の女の子とぶつかりそうになり、お見合いになった。
「あっ」
俺の顔を見て、女の子がびっくりした顔で固まる。
利発そうな子だが、それよりも目を惹くのは髪の綺麗さだった。
キューティクル満載でツヤッツヤの黒髪をお団子付きのツーテールに結っている。この髪型でテールの先が腰まであるってことは、解くと膝下まで届く長さだな。髪で身体が隠れるレベルじゃないか?
髪を下ろした姿を想像して、俺は奇妙な胸の疼きを憶えた。
「えーと、君は――」
「無理です!」
少女は両手でバッテンを作って飛び退いた。
「道端でチュ、チュチュチュ、チューとか! エッチすぎます!」
「いきなり何だよ!?」
思い出した。
アパートの駐車場で俺が彼女を見送ってるところをガン見していた女の子だ。学校にも行かずにまだ近所をウロチョロしていたのか。
少女はランドセルにぶら下げている防犯ブザーを握った。
「近寄らないでください! 通報しますよ!?」
「されてたまるか。最高に美人で最強にエロカッコいい彼女がいるのに、ツルペタの小学生なんてお呼びじゃねえ。お前が天才子役でもそんなオファーはしねーっつーの! 十年早いわ! そのまんまの意味で!」
「十年もしたらババアじゃないですか!」
「嘘つけ、十年後でもまだ高校生だろ? 充分ストライクゾーンだよ! ん? つーかお前……暗に人の彼女をババア呼ばわりしたな!?」
「お兄さんみたいな人のことを『りあじゅー』って言うんですよ」
「小学生が知らなくていい言葉を知っているな。まあ……あえて否定はしないが」
「『後ろからケモノのように襲いかかる』って意味で」
「俺も知らない言葉だった!」
どこから仕入れた知識だよ!?
リア充と怪獣を掛けた駄洒落を用意していたのに、そっちの方が面白いじゃねーか!
背中を見せたら襲われると本当に信じているのか、少女は紅潮した顔で防犯ブザーを握り締めながら、俺が近寄った分だけ後ろに下がった。
今日日の学校ではどういう教育をしているんだ? それとも家庭の問題か?
親の顔が見てみたいぜ。俺のような一介のオタクなんぞには文句のつけようのない、高学歴かつ高収入で社会的地位も高い、常識円満な幸せ家族だったらそれはそれでショックだが。
チッ、まあいい。
幼女を視界に入れただけで不審者扱いされる嘆かわしいこのご時世だ、下手にかかわるとあらぬ噂を流布されかねない。
速やかに立ち去るのが吉だが、俺は思い直して足を止めた。
ビシッと少女に人差し指を向ける。
「ガキんちょにはちょっと早いが、いいことを教えてやろう。親や学校から『エッチ』と『エロ』は悪いことだと教わってるかもしれないが、このふたつが合体すると『
………………
…………
……
時間停止能力に目覚めたのかと錯覚するほどのノーリアクション。
やはり小学校低学年には早すぎたか。
それとも、どこぞからパクッてきたネタだとバレているのか?
清々しいほど死んだ目で俺を見てやがる……クッ、早急にフォローしておかねば!
「ついでにもうひとつ――俺たち、明日からどえらいことになるぜ」
しまった。この言い方だとあらぬ誤解を招きかねないぞ。
どうにもこうにも重大な犯罪を匂わせる台詞だと、口に出してしまった後で気付いたが――女の子は意外な反応を見せた。
「ああ、それなら知ってます」
そう言って、ニコ~ッと笑ったのだ。
いたって無邪気な、屈託のない笑みを浮かべて、少女は確かにそう答えたのである。
「し……知ってるの?」
「はい!」
「そう……そうか。なら、よし」
公園に入っていく女の子を見送る俺は、狐につままれたような顔をしていたはずだ。
女の子は何を『知っている』と答えたのか――?
聞き違えでないとして……もしも、俺が思っている通りだとすると……
俺は前後左右を見回した。
公園の内外、歩道、道路、座っている人、歩いている人、車に乗っている人……この瞬間だけを切り取っても、ざっと十数人はいる。
もしも、の話だ。
視界に映る全員に同じ質問をしたら、全員から同じ答えが返ってくるかもしれない。
全員が、明日起きることを知っているのかもしれない。
だとしたら――だとしたら、どうする?
………………
…………
……
さほど悩むこともなく、答えは出た。
『別にどうもしない』だ。
俺はフフンと鼻を鳴らし、軽く肩をすくめて歩き出した。
まずは美味い昼飯を食おう。
それから、かけがえのない今日という日を、人間としての最後の一日を、何てことのない平凡な一日として過ごすだけだ。
それこそが最高の贅沢ってやつじゃないか。そうだろ?
ただ、ひとつだけ気懸かりがあるとするなら――
人間の俺が、怪獣の夢を見たのか?
怪獣の俺が、人間の夢を見ているのか?
どっちなんだろうな。
まあ、どっちでもいいか。
現実がどうであれ、どうせ大した違いなんて、ありはしないのだ。
そう、なにしろ明日からの俺は――
[俺は怪獣・終]
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