第四話 「俺、懐柔される」

 怪獣王に、俺は――なる!

 ………………

 …………

 ……

 なーんつって!

 なーんつって、な!

 ……いきなりはしゃいですまない。

 ちょっと言ってみたかっただけなんだ。

 まだ三匹としか戦ってないのにいきなり大風呂敷を広げすぎだということくらい俺にだって分かってる。

 二勝一引き分けの戦績で怪獣王を目指すなんて井の中の蛙にもほどがある。

 井の中の蛙、大会を知らず、だ。

 つまり地区予選すら突破していないのに気が早すぎる。

 スポーツ漫画の場合だと、地区予選篇が面白くても、いざ全国大会に進むとイマイチ盛り上がらない事ってあるよな?

 具体的にタイトルを挙げろと言われると何も思い出せないのが悲しいが……

 あやふやな記憶で適当なことを言ってるだけなので真に受けないでほしい。

 ……いったい何の話だっけ?

 話を戻そう。

 俺が考えているのは、つまり、怪獣同士は殺し合う宿命なのかということだ。

 カニを食べたら泡を吐く能力を獲得したように、自分の能力を拡張し、レベルアップするために積極的に他の怪獣を襲う――それが怪獣の本能なのかどうか。

 もしそうだとすれば、遭遇すればすなわち戦闘は避けられない。

 飛竜を食べれば飛行能力が手に入るとなれば、俺だって色気を出してしまう。

 しかしカメに翼を足すと……立派なヒゲをたくわえた配管工のおっさんに安全靴で踏み付けられるイメージが脳裏に浮かぶのは何故だろう?

 五体満足で生き延びることさえ微妙なのに、能力アップのご褒美狙いで積極的に攻撃を仕掛けるとか、そういう分不相応な真似は控えた方が吉ってことか。

 俺は平和主義者だから自分から仕掛けることはない……というのは建前で、実際のところ鈍足だから敵と向き合うと逃げられないという根本的な問題を抱えている。

 そもそも俺には戦うか否かの選択権は用意されていないのだ。

 実にひどい話である。

 こちらに戦意がないことを示して、相手が見逃してくれれば交戦せずに済むんだが……今のところ平穏無事に済んだ例がない。

 で、やはり。

 自分のランクがどの程度なのかを把握しておくことは重要だ。

 たまたま弱い敵と当たって勝てているだけの井の中の蛙なのか?

 それとも全国大会で通用するレベルなのか――?

 全国レベルの怪獣の世界では身長百メートル超えが普通だったり、目からビームを出したりバリアを張ったり重力制御で空を飛んだりするのが当たり前だとしたら?

 とてもじゃないがそんな化け物に付き合ってはいられない。

 どこかに適当な巣穴でも掘って引きこもるしかない。

 だから――せっかく荒川に辿り着いたというのに、俺は流れに乗ってスイスイと泳ぐどころか、むしろ流れに逆らってゆ~っくりと歩いているのだ。

 ただチャプチャプ水浴びをしているだけともいえる。

 急いで泳ぐと自分の流したウンチに追いついてしまうから?

 残念、ウンチはまだ出していない。

 というか便意もまだ来ていない。

 腹に詰まっているのは将来への不安だ。

 このまま大会ならぬ大海に出て、果たして本当に大丈夫なのか?

 海に出たら今まで出会った相手なんかとは桁違いの大怪獣がいて、東京湾がそいつの縄張りになっている……なんてことだってないとは言えない。

 巨大イソギンチャクとか、巨大ナマコとか、巨大ウミウシとか、巨大アメフラシを相手に戦えるのか!?

 巨大クリオネにバッカルコーンで頭からかぶりつかれたら?

 海底を覆い尽くすほどの超巨大オニヒトデとか……怖すぎる。

 強さもそうだが、見た目の不気味さだけでも脅威だ。

 人間のメンタルは傷付きやすい。

 それに俺の身体の作りはどう見てもリクガメであってウミガメじゃない。

 水中生活に適応しているといっても、それはあくまで淡水の話だ。

 怪獣にとっても海は広くて大きく、海水はしょっぱいのだ。

 手足がヒレになれば大海原でもどうにか生きていけるだろうが、今のままだと湾岸で生活することになる。

 甲羅干しのために陸に上がるたびに自衛隊に包囲される生活――

 ちょっと想像しただけでウンザリする。

 東京湾が平和な楽園だなどと無邪気に信じられるほど俺も能天気じゃない。

 いろいろ考えると、荒川を下るよりも遡上して山に籠もった方がいいんじゃないかとさえ思えてくる。

 せめて……誰かに言葉が通じればなあ。

 いや、言葉が通じなくたっていい。

 怪獣だって生き物だ。

 殺し合うばかりが能じゃない。

 お互いに生き延びるために協力し合うのだってだろ?

 もし元が人間だったのなら、俺の他にも理性が残っている者がいるはずだ。

 そいつを探して仲間にしよう。

 次に出会う怪獣がそうとは限らないが。

 俺が仲間になりたいと思っても気持ちが通じるとは限らないが。

 怪獣王を目指すよりかはよっぽどイージーだろ?

 とにかく。

 希望と理性は捨てずにいこう――

 そんな俺の殊勝な心掛けを嘲笑うように、水中を近付いてくる何者かの気配があった。

 そこそこの質量を持った物体が水を切って走る音が下流の方から接近してくる。

 モーターボートかな?

 それにしてはエンジン音は聞こえない。

 俺は水に浸けていた顔を持ち上げて行く手に目を向けた。

 水面に立つ銀色の帆が見える。

 ヨット?

 ……まさか、な。

 荒川をデカいヨットが遡上してくるとは考えにくい。

 じゃあ何だ?

 しかもこいつ――速いぞ!?

 銀色の帆はどんどん大きくなっていく。

 高さは……目測で二十メートルくらいある。

 ヨットというよりも帆船の帆柱の高さだ。

 何か……何かヤバい!

 接近する物体の正体を見極めようと俺が川底に両足を踏ん張って立ち上がるのと、が水上に姿を現したのがほぼ同時だった。

 いや――が何なのかはひと目だけでは分からなかった。

 水飛沫を上げて目の前に立ち上がったそれは、俺の背丈よりも高々と振り上げられたとしか見えなかったからだ。

 カッターやナイフというより、身の分厚い、巨大な出刃包丁だ。

 頭上から振り下ろされてくる巨大な刃を、俺は真剣白刃取りの要領で両手で挟んで受け止め――損ねた。

 ガチィン!

 刃が俺の左肩の、甲羅の庇の部分とぶつかった。

 あ……危ねええええ!

 そして痛ってえええっ!

 きっ、切れた!?

 まさか甲羅より硬いのか!?

 とにかく両手で刃を挟んで押し返そうとすると、銀色の鱗に覆われた尻尾が暴れて水面を叩いた。

 尻尾――いや、尾ビレだ!

 ヒレが縦向きってことは……魚か!?

 まさかのサカナ!

 タジャレにも回文にもなっていないが構っている場合じゃない。

 ヨットの帆に見えたのも背ビレか。

 でも頭が出刃包丁になってる魚なんて知らんぞ!

 って……こんなんじゃなかったよな?

 ノコギリザメの仲間か?

 いや、どっちかっつーとカジキっぽい!?

 長大な刃そのものといえる頭を含めると俺の身長よりデカい。

 刃渡りはおそらく三十メートル以上。

 体長は優に八十メートルはありそうだ。

 どう見ても大海がホームグラウンドなのに、何で荒川を遡ってくるんだよ!?

 うっかり迷い込んだのか!?

 それとも鮭みたいに上流で産卵するのか?

 こんなのが荒川で生まれ育ったのか?

 でっかく育ったもんだな、おい! 

 何にしてもスゲー迷惑!

 水中で正面から力比べをするには分が悪い。

 俺は出刃頭を一度押し返した後、左に受け流した。

 同時に甲羅の両脇鰓から水を噴射し、水中から一気にジャンプして河川敷に上がった。

 出刃頭は俺の姿を見失ったらしく、銀色の背ビレを水面から立てたまま右往左往する。

 うん……まあ、しょせん魚だな。

 水中じゃ手強いが陸に上がってしまえば脅威はない。

 あいつも人間から変身した怪獣なのか?

 元水泳部とか。

 しかし人間から魚っつーのも違いすぎ……いや、脊椎動物だからむしろカニとかムカデなんかより生物としてはよっぽど人間に近いのか。

 にしても……困ったな。

 ようやく辿り着いた荒川がさっそく安住の地ではなくなってしまうとは。

 まあでも、しばらく放っておけばどこかへ行ってしまうだろう。

 出刃頭をやり過ごす間、どこぞで甲羅干しでもするかな。

 荒川に背を向けて歩き出そうとしたその時――水面から突き出た背ビレがいきなり俺の方を向いて突進してきた。

 両目が正面に付いていたら完全な不意打ちになっていたところだが、カメの視界にはバッチリ見えている。

 俺は反射的にその場に伏せた。

 水中から飛び出した出刃頭が頭上を通過し、堤防に突き刺さる。

 こいつ……魚だけにやっぱりバカなのかな?

 頭が刺さったまま尾ビレを振り回している様はあまりお利口そうには見えない。

 これで全身が丸見えになったのでよく観察してみよう。

 全体のフォルムはサメによく似ている。

 全身は鮮やかな銀色に光る鱗に覆われている……と言いたいが、ところどころ皮っぽい部分もあり、ヒレのエッジの部分は甲殻で補強されている。

 なんとなく古代魚っぽい感じ。

 特徴としては背ビレと胸ビレが大きいことだが、最たるものはやはり刃物になってる頭だろう。

 普通の魚と違って、身体の先端が包丁の切っ先になっているためか、口は包丁の刃の終端にあった。

 本物の包丁で『アゴ』と呼ばれるところが上顎になっている。

 その口の少し上に眠たそうな目があった。

 頭の刃物も正面から見た時は出刃包丁だと思ったが、横から見ると少し印象が異なる。

 包丁頭の峰にあたる部分にノコギリ状の歯があって、背ビレの根本まで並んでいる。

 包丁というよりサバイバルナイフを思わせる。

 正直ちょっとカッコイイ。

 男子小学生の考えた超強いサメ、みたいな。

 でも実際相手にする俺にとっては凶悪すぎて笑えない。

 ……突っかかってきたお前が悪いんだからな。

〈ナパーム・ブレス〉で丸焼きにしてやろうと口を開けたところで、ナパームが品切れになっていたことを思い出した。

 ええい、この肝心な時に!

 こいつ……泡で倒せないかな?

 常識的に考えて無理か。

 威力が強すぎて使い勝手に難はあっても、なければないで心許ない――それが必殺技の存在感か。

 そこそこ時間も経ってるし、一発分くらい回復していないかと思ったが、例の胸焼けがまるで感じられない。

 ナパームのリロードってどうやるんだ?

 ……何か燃料的なものを食べないと補充されないのか?

 コンビナートを襲って原油をグビグビ飲むとか嫌なんだが。

 まあここで考えてもしようがないか。

 絶好のチャンスを逃す手はない。

 俺は出刃頭改めサバイバルナイフ頭に――長い!

 サバ頭でいいか。

 サメなのにサバの要素が混ざるのもおかしな話だが、この際名前なんてどうでもいい。

 俺はそのサバ頭に直接手を下すために近寄った。

 殺すつもりはない。

 ヒレの一枚でも引き裂いてやれば大人しくなるだろう。

 ……この発想はもしかして怪獣的すぎるかな。

 などと考えながら尾ビレを掴もうと左手を伸ばした瞬間――サバ頭の身体が発光した。

 光ったのは主にヒレだ。

 輪郭がぼやけたヒレで手を叩かれる。

 うおおっ、痛え!

 掌がパックリ裂けて緑色の血が滴っている。

 こいつ……ヒレまでカッターになってるのか!?

 サバ頭が刺さった堤防周辺がみるみる崩壊し、ドロドロに液状化する。

 何が起きている!?

 理解する暇もなく、自由になったサバ頭は河川敷を跳ねて移動し、荒川に飛び込んだ。

 呆然としている俺の視界から、銀色の背ビレが遠ざかっていく。

 俺に対する興味を失ったのか?

 理由は何にせよ魚としての領分を守って、陸上で戦うつもりはないらしい。

 俺だってナパーム抜きであんな凶悪な魚を相手になんてしたくない。

 全身が刃物とか超怖いし。

 ……やっぱり隅田川ルートに移ろう。

 俺は堤防を上り、市街地に出た。

 立ち上がった俺の視点よりも高いビルがほとんど見当たらない住宅地だ。

 ここはどの辺りだ?

 北千住かな?

 すると足立区に入ったわけか。

 周辺の地理がよく分からない……ということは人間時代には縁がなかったのだろう。

 見たところ細い路地ばかりだな。

 鉄筋コンクリートのビルは少なく、二階建ての木造家屋がやたら多い印象。

 踏み潰しながら進むのは簡単そうだが、一般市民の家を壊すのは忍びない。

 周囲を見回すと、四車線以上ある幅の広い道路が街の真ん中を縦断している。

 荒川を跨ぐ橋に続いているところからして国道だろう。

 ありがたい。

 これに沿って南下すれば隅田川まで一本道のはずだ。

 道のりはそう遠くない。

 せいぜい一キロちょっとってところか。

 急がす慌てず、しかし速やかに移動しよう。

 俺は荒川を気にしつつ堤防の上を移動し、国道に入った。

 速度優先で四つ足で移動する。

 不意に、ゴリゴリと身体が擦れる感覚とともに、すぐ後ろから異音がした。

 見ると、道路の右側のビルの壁面に甲羅の縁が当たって削っていた。

 いかんいかん。

 このところ高速道路を移動していたので自分のを意識することを忘れていた。

 慌てて左に寄せると、今度は左側のビルに軽く甲羅が擦れた。

 ……おかしい。

 片側三車線で中央分離帯もある、都内でもかなり幅の広い国道なのに……妙に狭く感じてしまうのは何故だろう?

 違和感はそれだけじゃない。

 陸に上がって浮力がなくなったことではっきり分かったことがある。

 身体が重い。

 重いが――軽い。

 矛盾しているように聞こえるだろうが、偽らざる感想だ。

 その違和感の原因にも心当たりがある。

 いきなりピンときたのだ。

 それはつまり――

 不意に聞こえてきたローター音が俺の思考をかき乱した。

 低空飛行してきたのだろう、ビルの上から見覚えのあるヘリが現れ、俺の背中でカンカンと音が鳴った。

 甲羅に石礫のようなものが当たっている感触。

 まさか……撃たれてる?

 そのまさかだった。

 ヘリの機種の下に装備されたバルカン砲……じゃなくてチェーンガンだっけ?

 とにかく機銃で撃たれているのだ。

 完全に戦闘ヘリだ。

 そういえば飛竜と交戦していたのもこの機種だったっけ。

 しかし何故!? ホワイ?

 俺……撃たれるようなこと、したか?

 確かに街中を歩くだけで建物を破壊しがちな俺だけれども!

 俺ほど自衛隊に配慮してきた怪獣も他にいないと言い切れるのに。

 隅田川までの最短コースを縦断しようとしただけで銃弾を浴びせられるとは。

 やっぱりこいつもDSK48の熱狂的ファンか!?

 いや……あれは俺の妄想の中だけの架空のアイドルだから違うはずだ。

 じゃあ何の理由で?

 そういや声を掛けてなかったな。

 市街地に入る時は『ポメェ~』と一声かけるべきだった。

 すでに住民は避難した後だと思っていたが、この先に避難所でもあるのか?

 だったら俺の行く手を阻もうとするのも理解できる。

 それにしてもやり方が手荒いな。

 怪獣用順路の表示をしてくれればそれに従うのに。

 ああ……そういやすっかり忘れていた。

 他の怪獣を仲間にする前に、自衛隊と意思疎通する方が先だった。

 それもこれもDSK48の一件で自衛隊に対する信頼が揺らいでいたせいだ。

 妄想だと分かっていても夢見が悪すぎた。

 ところで攻撃ヘリのチェーンガンの威力ってどれくらいあるんだ?

 甲羅をぶち抜く貫通力だとちょっとヤバい。

 ただでさえ脱皮して間もないから穴だらけになってるんじゃないのか!?

 俺は後ろ足で立ち上がり、ちょっと抗議するフリをした。

 あくまでフリだ。

 伏せたままだと好き放題に撃たれそうだったから、多少のリアクションは見せておいた方がいいと……

 ――と。

 国道の向こうから、光の尾を引く何かが飛んできた。

 ミサイル!?

 あの、あれだけは食らいたくないとかねがね思っていたミサイルが遂に来たのか!?

 立っていると当たる!

 慌てて伏せると、ミサイルはいったん急上昇し、ほぼ真上から落ちてくる。

 俺は左側の脇鰓から圧縮空気を噴射し、右へ側転した。

 国道の右側に立つビルに背中から激突する。

 ミサイルは国道の路面に着弾して爆発した。

 ふう、なんとか避けられたぜ……と安心する暇もなかった。

 二発目が飛んできたからだ。

 半ば裏返ったような今の体勢では避けられない。

 ええい、ままよ!

 俺は口を開いて泡を吐いた。

 細かいメレンゲ状ではなく、大きなシャボン玉を作って大量に飛ばす。

 自分の真上の空間を覆い尽くすほどの数だ。

 シャボン玉同士がくっついて壁のような塊になったところへミサイルが降ってくる。

 頭上で真っ赤な爆炎が広がり、高熱のシャワーが浴びせられた。

 ミサイルはシャボン玉を貫通せずに爆発したらしい。

 つまり……迎・撃・成・功!

 やったね!

 俺は身体を起こし、首を巡らせて周囲にシャボン玉を吐き散らした。

 ミサイル避けのバリヤーだぜ。

 シャボン玉はチェーンガンの銃撃は貫通するがその程度では割れず、ヘリのローターに接触すると機体を不安定にさせる程度の効果があった。

 シャボン玉の効果を警戒したらしく、攻撃ヘリは高度を上げた。

 三発目のミサイルは飛んでこない。

 どうやら……何が何でも俺を倒そうというつもりはないらしいな。

 あるいは戦力が足りないのか。

 そういえば水じゃなくて空気を噴射したが、それでも側転の助けにはなった。

 なかなかの推進力だ。

 圧縮空気が大量に貯蔵できれば短距離のジャンプくらいならできそうだな。

 ………………

 …………

 ……

 人間に存在しない器官を使いこなそうしている自分に気付いてちょっぴり複雑な気分になったぜ。

 それくらい出来ないと全国大会で生き残れそうにないから必要なことだが。

 ともあれ今は自衛隊対策だ。

 向こうの戦力は攻撃ヘリとミサイルを携行した地上部隊だ。

 さっきのは対戦車ミサイルか?

 軌道からして地上から発射されたものらしい。

 あらかじめ怪獣を警戒して配備されていたのだろうか。

 何があるのかは知らないが、この先に怪獣を通したくないらしい。

 彼らを撃退するという選択肢が俺にない以上、シャボン玉バリアーが通用している間に退散するのが賢明だろう。

 増援が来たら厄介だ。

 というか、たぶんすぐに来る。

 ミサイルだって何発も撃たれたらさすがに防ぎきれないし。

 サバ頭の影に怯えながら荒川河川敷を歩くことになるが致し方ない。

 飛ばしたシャボン玉は空気より重いためすぐに落ちてくる。

 俺は追加のシャボン玉を周囲に撒き散らし、速やかに後退しようとした。

『バチン!』――と音がして、シャボン玉が割られた。

『ズシン!』――と音がして、地面が揺れた。

 シャボン玉を割ったのは、紅葉のような五本の指を持った華奢な白い腕だ。

 地面を揺るがしたのは、着地の衝撃だ。

 その両方をやったのは、ビルの陰から飛び出してきた――だった。

 年齢は五つか六つってところか。

 女の子だ。

 丸裸なのですぐに分かった。

 膝のあたりまで伸びたツヤツヤの黒髪を身体にまとわりつかせているが、大事なところまでは隠せていない。

 というかそもそも隠す気がない。

 ついでにいえば俺の存在に気付いてすらいない。

 風に流されて漂うシャボン玉を追いかけるのに夢中だからだ。

 キャッキャと声を上げてはしゃぎながら、俺の吐いたシャボン玉を追いかける少女――

 いや、幼女か。

 ……うん。

 可愛い。

 愛くるしい。

 そして……ヤバい。

 これはヤバいぞ。

 何だか分からんが強烈にヤバい!

 大仏おばちゃん!

 大仏おばちゃんはいるか?

 ちょっと来てくれないか!?

『なんだい? ずいぶん慌てて』

 あれを見てくれ!

 何に見える?

『可愛らしい女の子だね』

 あれは俺の妄想なのか?

 それとも現実なのか?

 妄想だとしたら俺は正気を失っている。

 現実だとしたら俺は正気を失いそうだ。

『ロリコンだから?』

 違うわ!

 巨大生物と化した俺の目に人間がどう映るかは再三にわたって説明した通りだ。

 あまりに小さすぎるため個々の人間は判別できず、赤く光る虫みたいに見える。

 しかし、目の前に現れた幼女は頭の先から足の先まで、顔の表情すら確認できる。

 それは何故か?

 背丈が六階建てのビルほどの高さがあるからだ。

 人間型の……怪獣!?

 いや、単純に巨大化しただけの人間か!?

 俺や他の怪獣のように別の生物に変身していない、純然たる巨人――

『フッ、なるほど……自衛隊はあの少女をお前と会わせたくなかったようだな』

 カニ貴!

 呼んでないのに出てきたよ!

 しかしなるほどって――そうか、他の怪獣ならいざしらず、人間型の巨大生物ならコミュニケーションが取れる可能性が高い。

 事と次第によっては怪獣災害の謎を解く鍵になるかもしれない。

 いやいや、なるかも……なんてあやふやな話か?

 最優先で保護して研究すべきだ。

 合点がいったぜ。

 あの子と他の怪獣を出会わせたくないと考えるのも当然だ。

 鋭い牙も爪も持たない、まるで無防備な丸裸の幼女なんて、他の怪獣からすれば恰好の獲物だ。

 おいしくお召し上がりくださいと言ってるようなもんだ。

 俺が自衛隊の人間だったら、同じように近付く怪獣を追い払おうとする。

『ロリコンだからか?』

 違うわ!

『もとい。ロリコンだからカニ?』

 わざわざ言い直してまでキャラを盛らなくていいから!

 シャボン玉をあらかた割り終えた巨大幼女は、辺りを見回して――俺と目が合った。

 立っている幼女と四つん這いの俺だと、視点は俺の方がやや低い。

 幼女はキョトンとした顔で、不思議なものを見る目を俺に向けている。

 ……マズい。

 次の瞬間には泣き出してもおかしくない。

 幼女が怖がって逃げ出したりしたら、自衛隊から怒濤の砲火を浴びせられそうだ。

 怖がらせるな。

 驚かせてもいけない。

 ただちにご機嫌を取れ!

 俺は舌を丸めて伸ばし、シャボン玉を吐いた。

 バリアー用ではないのでできるだけ大きい玉を作ってと飛ばす。 

 幼女は目を輝かせ、満面の笑みを浮かべて、宙を舞うシャボン玉を捕まえようと手を伸ばしてジャンプした。

 かっ……可愛い!

 DSK48との死闘でささくれた俺の心を癒すには十分すぎる威力だ。

 思えば怪獣になって以来、可愛いものを目にするのは初めてかもしれない。

 まさに眼福。

 カメでよかった。

 内心どれほどニヤケていようと表情に出ないからな。

 そしてありがとうカニ貴!

 ナパームを吐くしか能がないかつての俺では幼女を喜ばせることなど叶わなかった。

 しかし……そうだ、怪獣と仲間になるという目標もこれで達成できるんじゃないか?

 仲間どころじゃない。

 確実にそれ以上の意味があるぞ。

 つまりだ。

 この巨大幼女と仲良くしておけば、俺が人類に対して友好的な怪獣であることの何よりのアピールになるじゃないか。

 単に子供好きの怪獣と思われるだけかもしれないが。

 問題は、俺が子供に好かれるルックスをしているかどうかだ。

 普通の日本産のカメのように全体的に丸っこいならいいが、ワニガメ風の全身トゲトゲの凶悪な姿だとしたら触れただけで怪我をさせてしまう。

 こんな心配をするのも、現在の自分の状態が把握できていないせいだ。

 はっきり言っておこう。

 さっき気付いたことだが……俺の身体は、明らかに、以前より大きくなっている。

 原因はもちろん『脱皮』したことだ。

 俺は2.0にバージョンアップしたのだ。

 サイズや外見の他にも何が変化しているか分かったもんじゃない。

 身体が大きく、重くなったことで小回りが利かなくなっているかもしれない。

 筋力アップしてむしろ身軽になっているかもしれない。

 ただでさえ分からないものがさらに得体の知れないことになっているのだ。

 触れただけで怪我をさせかねない柔肌の幼女と戯れるのは控えたいところだが……

 嫌われるわけにいかないのであれば、好かれるしかない。

 俺は覚悟を決めて口を開いた。

『……ポメェ』

 咆吼、と呼ぶにはなんとも控えめな一言だった。

 しかし幼女の気を惹くにはそれでも十分だったらしい。

 シャボン玉を追うのをやめて、俺を注視している。

 小首を傾げながら、ちっちゃな口を開く。

『……ぽめ……?』

 おおっ、声を出したぞ!

 興味を惹かれている顔だ。

 よし、恥ずかしがらずに勇気を出せ!

『ポメェ~!』

 少し大きな声を出すと、幼女は驚いたらしくビクッと身体を震わせたものの、すぐに言い返してきた。

『ぽめ~~~~っ!』

 耳にキンキンくる高い声だ。

 むう、やるな。

『ポォォォォメェェェェ~~ッ!』

『ぽ~~~~め~~~~~~っ!』

『ポォメポォメポォォメェェ~~~~~~ッ!』

『ぽめぽめぽめぽめぽめぇぇぇぇ~~~~~~~~~~っ!!』

 おっ、ただ真似するだけじゃなくて上乗せしてきやがった。

 この幼女、ノリノリだな。

 ひとしきり吼え合うと、幼女は『がお~~っ!』と怪獣らしい一声をあげてケラケラと笑った。

 すっかり警戒心をなくした幼女は手を伸ばして俺の鼻先をつまみ、額をペシペシと叩く。

 犬か何かだと思っているのか。

 だったら俺もペロペロしていいかな?

 駄目か。

 味見しようとしたと自衛隊に受け取られかねないので自重しておこう。

 ここでひとつ残念な事実に気付いた。

 いまだこの巨大幼女には人間の言葉をしゃべる様子が見られない。

 巨大化したことで人間と同じような発声ができないのか、それとも言葉を忘れてしまったのか――それに外見に比べて行動が幼い。

 知能は三歳児くらいかもしれない。

 俺と同じく人間の頃の記憶をなくしているのか。

 だとしたら厄介だぞ。

 自分で身を守るどころか、危険を危険と理解する知能すら持っているか怪しい。

 他の怪獣に出くわしても無警戒だとしたら――

 などという俺の懸念を他所に、幼女は俺の身体によじ登りはじめた。

 しかも……おい!

 俺の頭を踏み台にして!

 大股開きで跨いで!

 可愛い尻を乗っけて擦りつけるとか!

 いきなり顔面騎乗とはハードプレイだな!

 ミルクみたいな甘い匂いがする。

 俺の頭にトサカがあったら大事なところが割れるぞ……ってもう割れてるか。

 四つん這いで大人しくしていたら全裸の幼女に馬乗りにされるとは貴重な経験だ。

 甲羅の背中にはカッターのように鋭く尖った部分があったはずだが、幼女は嬉々として跨がっている。

 脱皮して丸くなったのか?

 巨大幼女は俺に跨がり御満悦な様子だ。

 気に入ったならまあいいか。

 俺に乗っても竜宮城へは案内できないぜ。

 せいぜい隅田川までだ。

 ん?

 そうか!

 このまま行けばいいんだ。

 幼女を乗せたまま進めば自衛隊も手を出せまい!

 むわーはははははははは。

 そこのけそこのけ幼女が通る!

 あそこのはないけどな!

 ……最低のオヤジギャグだな。

 絶好調といわざるをえない。

 何故なら攻撃ヘリもミサイルも恐れる必要はなくなったからだ。

 むしろこの幼女を守るために使われるなら、俺にとっても自衛隊は味方に等しい。

 この状況はまさに願ったり叶ったり!

 タナボタどころの騒ぎじゃねえぜ。

 俺は大手を振って(四足歩行なのであくまで気分だけだが)国道を南下した。

 うーむ、そろそろ呼び名を決めておくべきだろうか。

 しかし巨大な幼女ってだけで特徴らしい特徴が……

 そうだ『ジャイアント.よう.JOEじょー』ってのは?

 凝り過ぎだな。

 ひとまず幼女A(仮)としておこうか。

 もともと人間サイズの子供だったとすれば本名があるはずだが……

 そうだ、この子の両親はどうしたんだ?

 もしかして近くにいるのか?

 だとすれば勝手に連れて歩くのはヤバい。

 未成年略取になってしまう。

 隅田川に着いたら別れるか?

 でもなあ……

 さっきのサバ頭みたいな超危険巨大生物がうろつく修羅の巷と化した東京に一糸まとわぬ裸の幼女を置き去りにするのは非常に不味い。

 自衛隊がついてるから絶対安全かといえばそうとも限らないしな。なにせ当人に危機感というものがまったくない。俺が凶悪怪獣ならとっくに食べられてるところだぞ。

 荒川を下って東京湾に出るというプランを変更して、このまま巨大幼女の乗騎としてのポジションを確立するというのはどうだろう?

 巨大幼女を保護するという共通の目的をもって怪獣の俺と自衛隊が手を組む――なかなかに熱い展開じゃないの。

 ただしそれは人間性を認められた結果ではなく、逆にかなぐり捨てる方向の選択になるのかもしれないが……とにかく生き延びることが先決という考え方だってある。

 単に子供好きの怪獣として扱われるのをよしとするか、それともあくまで己の人間性を主張するか……

『男が苦しい時に使う言葉がふたつある――』

 カニ貴がいきなり語り始めた。

『「それでも」という言葉と「それならば」という言葉。付録としてもうひとつ「だがしかし」というのもある』

 カニ貴……それってどこ出典の名言なんですかね?

 まあいい。失われた俺の記憶の一部には違いないし、試しに使ってみるか。

 今の俺は一介の巨大怪獣と成り果てているが、「それでも」元は人間なのだ。

 とはいえそれを主張したくても現状は厳しく、生き延びるだけで精一杯だ。

「それならば」巨大幼女におもねって自衛隊を味方につけるという策もやむなし。

 ……ありゃ、「だがしかし」が余ったぞ。

 これまでの展開を混ぜっ返すようなこの言葉は……どう使うんだ?

 オマケだから無理に使う必要はないのか。

 いや待て、このアイデアには俺の気付いていない問題があるのかもしれない。

 ………………

 …………あ。

 ……分かったぞ。

 分かってしまった。

 こう使うんだ。

「だがしかし」今の俺の肉体はあくまで怪獣である。

 いくら元人間だとしても、いざ怪獣の本能が目覚めたなら、それを理性で完全に抑えることは難しい。人間のメンタルよりも、怪獣のフィジカルの方が強いのだ。

 つまり……俺自身が本能的にこの巨大幼女を「美味そうだな」と思ったら――食欲を抱いたら、果たしてどうなってしまうのか?

 当然、襲いかかるだろうな。

 そして、味方につけたはずの自衛隊がそのまま敵に回る。

 さらに言えば……カニ貴はカニだから焼いて食っても罪悪感は薄かったが、巨大幼女の場合はそうはいかない。

 俺の人間性が大ダメージを受ける。

 おそらく理性が崩壊する。

 恐ろしいことだ。

『お~ッ!』

 幼女A(仮)が跨がったまま両脚をバタつかせ、俺の頭をペシペシ叩いた。

 いつの間にか足が止まっていたらしい。

 急かされて俺は再び歩き出した。

 心はもう決まっていた。

 隅田川までの付き合いだ。到着したらこの子とはそこで別れよう。

 名残惜しいが、それがお互いのためだ。

 隅田川までの道のりはほんの一キロほどだった。

 前方に鉄橋が見えてくる。

 橋の手前に自衛隊の装甲車が二台停車していた。

 装甲車と周辺の建物の陰にいくつもの赤い光が瞬くのが見える。

 さっき対戦車ミサイルを撃ってきた部隊だろうか。

 装甲車の屋根にそれっぽい発射装置が載ってるみたいだし。

 橋を通らせたくないのかもしれないが、そもそも俺にそのつもりはない。

『あー! あー!』

 幼女A(仮)は何を見つけたのか甲羅の上に立ち上がって前方を指さした。

 俺は首を精一杯伸ばしてその方角を見る。

 建物の向こうに、東から西にゆっくりと移動しているが見えた。

 もしかして……いや、もしかしなくてもだ!

 荒川を遡っていったんじゃないのか!?

 わざわざ狭い隅田川を下って戻ってくるこたぁないだろうに……

 荒川から隅田川に入るところにはデカい水門があったはずだが……わざわざ突破してきたのか!?

 サバ頭め、バカだバカだと思ってたが予想以上だな。

 しかも方向音痴ときてる。

 ……荒川へ引き返すか。

 消極的すぎるという批判は甘んじて受けよう。

 俺は平和主義者なのだ。

 避けられるトラブルは避ける。

 それが賢い身の振り方というやつだ。

 回れ右をしようとしたが、不意の爆音が俺の足を止めた。

 爆発の炎と煙が上がる。

 鉄橋に接触した銀色の帆に向かって自衛隊が攻撃を加えたのだ。

 ……おい待て、早まるな。

 俺を監視しているヘリから魚怪獣についての報告を受けていないのか?

 ただでさえキレやすい脳筋……ならぬなんだぞ?

 うむ、我ながら上手くない。

 サバイバルナイフ部分に脳味噌が詰まってるとは思えないし。

 案の定、サバ頭は猛烈に暴れ始めた。

 巨大な頭のナイフが橋を下から突き破って現れる。

 尾ビレが水面に叩き付けられ、水飛沫が俺のところまで飛んできた。

 やっぱり隅田川はあのサバ頭の巨体には狭すぎる。

 潜って身を隠せるほどの水深もない。

 つまりいい的だ。

 自衛隊が集中砲火を浴びせれば簡単に倒せるんじゃないか?

 ちょっぴり期待しながら観戦してみるか……

 しかし、俺のこの考えは甘かった。

 自衛隊の火力を過大評価しすぎた?――それもある。

 俺とサバ頭に前後を挟まれた状況で冷静に対処できる人間はいない?――それもある。

 だが何よりの誤算は、サバ頭がただのデカい魚にすぎないという思い込みだった。

 隅田川からサバ頭がジャンプし、高々と宙に舞い躍った。

 空中でイルカのように一回転すると、ヒレから銀色の光がレーザーのように飛ぶ。

 国道の路面に、周辺のビルに、装甲車の一台に、そして俺の右手の甲に――銀色のが突き刺さった。

 いっ……痛ってええええっ!

 左手に続いて右手が……!

 右手の甲に刺さったものを見る

 それは銀色の刃物だった。

 ヒトデを思わせる星型の――手裏剣?

 いや、これは鱗か!?

 鱗を手裏剣のように飛ばして――ヤバい!

『やは~!』

 甲羅の上の幼女A(仮)は無邪気に手を叩いて喜んでいるが、当たらなかったのは単に運がよかっただけだ。

 俺は右手に刺さった鱗手裏剣を口で咥えて引き抜くと、今度こそ回れ右をしてスタコラ逃げ出した。

 四足歩行の全速力だ。

 ドタドタと不格好な走りだが時速五十キロは出てるはずだ。

 だが……クソッ!

 何故だ?

 怪獣の本能か!?

 ――

 直後、から突き上げを食らって俺は急停止した。

 甲羅に跨がっていた幼女A(仮)が勢い余ってすっ飛んでいく。

 上手く転がって受け身が取れたか――?

 怪我はしていないか――?

 そんな気遣いをしている余裕はなかった。

 自分の身を心配する方が先だったからだ。

 なにしろ……地面から突き出たが、俺の腹を貫いているんだからな。

 貫いているというのは正確じゃない。

 刺さってはいるが、辛うじて腹の装甲は貫通していない。

 ……たぶん。

 だが、これ以上押し込まれたらアウトだってことは分かる。

 より深く刺そうとしてか、いったんナイフが沈む。

 俺はその機を逃さず、両脇鰓から圧縮空気を噴射して前転した。

 仰向けに転がった俺の目前で、地中から飛び出したのは――サバ頭だった。

 地中から……!?

 などと考えている時間は一秒もない。

 俺は尻尾を支えにして横に転がり、ギロチンのように落ちてきた巨大なサバイバルナイフを躱した。

 アスファルトとコンクリートの破片が飛び散る。

 取り押さえるなら今だ!

 そう判断してサバ頭に飛びかかったが、俺の両手はぬかるみを掴んだだけだった。

 消えた――だと!?

 ズズズズ……と不気味な振動が足の下から伝わってくる。

 地中から茶色い水が染み出し、たちまち足首まで沈む。

 怪獣の巨体にとってはアスファルトの地面でさえスポンジケーキのように柔らかいが、今やプリンの上に薄氷が張っているような頼りなさだった。

 周囲のビルが次々と沈下し、横倒しになる。

 何てこった……地面が液状化している!

 俺の視界に飛び込んできたのは信じられない光景だった。

 地中から突き出た銀色の帆が走っている。

 サバ頭が

 魚のくせに地底怪獣の真似事だと!?

 この液状化現象も奴の仕業か!

 俺は目を剥いた。

 その背ビレが幼女A(仮)に向かって一直線に突進したからだ。

 幼女A(仮)はさっき吹っ飛ばされたのも忘れて泥んこ遊びに興じている。

 危機感ゼロかよ!

『ポメェェェッ!』

 俺はぬかるみの中を四つ足で駆けた。

 しかしサバ頭の方が――速い!

 何で地中を移動してる奴の方が速いんだよ!?

 こうなったら……アレをやるか?

 やれるのか!?

 この身体の自由度で?

 だがやるしかねえ!

 俺は後ろ足で立ち上がり、体操選手よろしく側転した。

 手足と頭を引っ込め、尻尾で地面を叩いて回転に勢いを加える。

 完全に外界が見えない状態で、俺は一個の車輪と化してゴロゴロと転がった。

 普通なら目が回りそうなものだが、意外にも俺の三半規管は優秀だった。

 自分が転がっている速度、重心バランス、方向感覚等の運動状態が完璧に把握できる。

 尻尾で方向と速度を調整し、サバ頭と幼女A(仮)の間にバッチリのタイミングで割り込むことに成功した。

 ガツン!

 背中に衝撃。

 サバ頭の突貫を受け止めたのだ。

 見よ――自らの身体を盾にするこの献身!

 カメじゃなかったら死んでるところだ。

 両脚を伸ばして踏ん張り、両手で幼女A(仮)を抱える。

 幼女A(仮)の頭越しに、傾いたガラス張りのビルの窓にカメのシルエットが映っているのが見えた。

 そのカメの背後に、巨大なサバイバルナイフの影が現れる。

 陽光を反射したのか、ナイフの刃が光った。

 ギョィィィィィン!

 甲羅に叩き付けられるナイフ――ここまでは想定内だ。

 だが、このビリビリくる振動は何だ!?

 まるでチェーンソーで削られているような不吉な音。

 まさかと思うが……高周波振動カッターとかいうやつか!?

 サバ頭とヒレが超振動することで地中を泳げる……?

 いや、そんなトンデモ能力なんて知らねえし!

 とにかく現状はヤバい。

 なんだか背中が熱くなってきた気がするし。

 脱皮して新品になったばかりの甲羅をボロボロにされるのは勘弁だぜ。

 俺は横を向くと同時に尻尾をひと振りしてサバ頭の胴を引っぱたいた。

 やはり魚の尾ビレでは踏ん張りが利かないらしくチェーンソー攻撃は躱せたが、サバ頭はすぐに地中に潜って姿を消した。

 地中――といってもサバ頭の高周波震動(?)による液状化、さらに奴の掘った穴に隅田川の水が流れ込んで今や周囲は泥沼と化している。

 この状況で幼女A(仮)を庇いながら戦えだと?

 まったく……不利な条件ばかり揃ってやがる。

 助けて自衛隊!

 しかしこの足場じゃ地上部隊はまともに動けまい。

 さっきの対戦車ミサイルは――サバ頭が地中にいる間は当たらんな。

 なら攻撃ヘリは――?

 健在で上空を飛んでいるが頼りにはならないか。

 サバ頭が地上に飛び出た瞬間にミサイルを命中させるとか絶対無理だし。

 結局俺自身のスペックでどうにか切り抜けるしかないのか。

 銀色の帆は見えない。

 どうやら畳んで完全な潜行モードになっているらしい。

 移動に伴って液状化現象が広がり、三百メートルほど先で建物が沈み始めている。

 注意してその変化を見ればだいたいの位置は把握できる。

 サバ頭に対して俺が有利な点はどこだ?

 一撃では致命傷にならない装甲の厚さ。

 それと目の良さだ。

 動く物は見逃さないからな。

 あとは人間の知恵か。

 こいつをフルに活用しないと勝負にならない。

 サバ頭のスペックに死角があるとすれば、どこだ?

 だいたい地中を泳ぎながらどうやって獲物の位置を把握している?

 レーダーでもあるのか?

 電気的な何かを感知しているとか?

 臭いは?

 あるいは音や振動か?

 でも自分で高周波振動をしているってことは……アレか?

 コウモリやイルカと同じエコーロケーションってやつ。

 音の反射で障害物を探知しているってことか。

 それと呼吸は?

 泥の中で鰓呼吸はさすがにできまい。

 だとすれば酸素を吸うために地上に顔を出す必要があるはず。

 攻撃のチャンスがあるとすればそこか?

 問題は攻撃方法だが――これには当てがある。

 ついさっき気付いたが、胸焼けの感覚が戻ってきている。

 一時的に品切れになっていたナパームが再入荷したらしい。

 とはいえ連発はちょっと無理っぽい。

 必殺を期するなら吐ける〈ナパーム・ブレス〉は一発こっきりだ。

 たったの一発。

 正面から突っ込んできたところへ合わせれば……

 いかん。

 吐いたブレスがサバイバルナイフで真っ二つにされる予想図が脳裏に浮かんだぞ。

 できれば横から腹に一発かましたい。

 でも動いてるところを狙うのは分の悪い賭けだ。

 思えば最初の遭遇で土手に刺さって身動き取れなくなったところを攻撃していれば簡単に仕留められたんだよな……実に今さらだが。

 しかし、そもそも、何でサバ頭は俺にしつこく絡んでくるんだ?

 やはり怪獣同士は出会ったが最後、殺し合う宿命なのか?

 いったん別れたんだから戻ってこなくてもいいのに。

 何故……と思ったが、よくよく考えてみれば当然だった。

 俺と幼女A(仮)が調子に乗って吼えまくったからだ。

 怪獣に限らず咆吼というものは自分の縄張りを主張するためのものだ。

 俺はここにいるぜ、というメッセージだ。

 それを聞きつけた怪獣が寄ってくるのは戦いの本能を刺激されてのことだろう。

 人間の尺度で考え、声が届かないほど遠くに去ったと思い込んでしまった。

 巨大生物としての自覚が足りなかったのだ。

 反省したところでもう手遅れだが――

 何があろうとこの幼女A(仮)は死守するぞ。

 怪獣になって以来、人間的発想で行動していい結果になったためしがないが、これだけは譲るわけにはいかない。

 しかし手元に置いておくのも危険なら、離れるのも危険な気がする。

 サバ頭は地上にいる俺と幼女A(仮)の区別はついていない様子だった。

 進路上にいればお構いなしで向かってくる。

『ぽめ~?』

 幼女A(仮)が不満そうな顔で俺を見上げる。

 状況を理解していないこの子を好き勝手に動き回らせてはいけない。

 ……仕方ない。

 一蓮托生だ。

 俺はいったん四つん這いになり、幼女A(仮)を肩車して立ち上がった。

『にゃは~』

 視点が高くなったことで幼女は大はしゃぎだが、俺は気が気じゃない。

 さあ、サバ頭め――どこから来る!?

 俺の作戦はシンプルだ。

①サバ頭がバカみたいに突っ込んでくるのを待つ。

②地中から飛び出してきたらとにかく気合いで躱す。

③どこかに頭が刺さって動きが止まったところへすかさず〈ナパーム・ブレス〉をお見舞いする。

④焼き魚にして美味しくいただく。

 以上だ。

 ……出たとこ任せすぎる気がしないでもない。

 問題は②の「気合いで躱す」部分だろうか。

 この足場で、直立した状態で素早く躱せるか?

 四つ足なら多少は速いが、視点が低く視界が狭まるので対応が遅れる。

 ……あ、圧縮空気の補充を忘れてた!

 今のうちに気嚢のポンプで限界まで吸気しておく。

 十分に引きつけてから、片側に集中して噴射すればギリで避けられる……はず。

 もっと推力が大きければ垂直ジャンプで避けたりできるんだが、圧縮空気ではジャンプの補助で使うのがせいぜいだろう。

 ……待てよ。

 ナパームがあるんだから燃焼エネルギーを上手く利用すれば大幅に推力アップできないか?

 ジェット……いや、ロケットエンジンの原理で――って、甲羅の内側で燃やすのか?

 燃焼をコントロールできずに自爆する未来しか見えない。

 いかんいかん。

 ないものねだりをする前に現状で勝率を上げる方法を模索しよう。

 少し考えて、俺は『ないよりはマシ』な程度の手を打った。

 周囲にカニバブルの素――つまり泡になる前の液体を撒いた。

 効果のほどは検証している時間はない。

 ちょっとしたトラップというか、保険のような役割を期待してのことだ。

 ズズズズ……

 地響きが近付いてくる。

 二時の方角。

 北千住の駅の近くのビルが支えを失って横倒しになる。

 サバ頭はすでに近くに来ている。

 俺は倒れたビルの方に身体を向けた。

 来るか……!?

 ………………

 …………

 ……

 来ねえぇぇぇぇぇっ!

 震動源が――足の下深くを素通りしていく。

 何で!? と思ったその矢先、足元の国道が陥没した。

 俺の下半身が完全に地中に埋まり、ズブズブと沈んでいく。

 踏ん張りかきかず、足が抜けない。

 むしろ動けば動くほど深みにハマり込んでいく感じだ。

 クソッ……そういうことか!

 先に足場を破壊して、身動き取れなくしてから襲うつもりだ。

 悪知恵が働くじゃねーか!

 サバ頭のくせに!

 ヤバいぞ……これはヤバすぎる!

 この体勢では幼女A(仮)を守りきれない!

 銀色の帆が地上に現れた。

 速度が上がっている。

 仕留めに来るぞ!

 俺は肩車した幼女A(仮)の細い腰を掴み、身体を持ち上げて、思い切り放り投げた。

『んきゃぁぁぁっ!?』

 放物線を描いて飛んだ幼女A(仮)は、二百メートルほど先にある、斜めに傾いたビルの屋上に着地した。

 ナイスコントロール、俺!

 銀色の帆が再び正面に回り込んできた。

 さっき通ったコースをもう一度通るつもりだ。

 そして今度は素通りせずに攻撃してくる!

 脇鰓から圧縮空気を噴射する。

 しかし……推力が足りない!

 泥沼から脱出できない!

 いや待て。

 俺はカメ型怪獣だ。

 人間の感覚で泥沼に取られた足を抜こうとするのが間違いだ。

 甲羅だ。

 甲羅の中に引っ込めれば……!

 両脚を甲羅に収めたその時、地中からサバ頭が飛び出してきた。

 泥沼の罠から抜け出した俺は空気の噴射で躱そうとしたが――間に合わない!

 サバイバルナイフの先端が、俺の腹甲に突き刺さる。

 突進を受け止めた俺の身体は、国道沿いのビルに背中から叩き付けられた。

 ………………

 …………

 ……危なかった。

 寸前に足が抜けなかったら、サバ頭に身体を貫通されていたかもしれない。

 そして……やれやれ、ダメ元で打った手が功を奏したようだ。

 サバ頭の全身に、半透明の網のようなものが絡みついている。

 その正体は、事前に撒いたカニバブルの素だ。

 この液体には奇妙な性質がある。

 水で薄めれば石鹸水のように泡立つ一方、濃度によって粘性が強くなる。

 さらに乾くと発泡スチロールのように固まるのだが、半透明の網はちょうど乾きかけの接着剤のような状態で、その弾力によってサバ頭の突進の勢いをほんのちょっとだけ弱めたのだ。

 ギュィィィィィィン!

 頭のナイフが振動し、腹甲の傷が広がっていく。

 残念だったな。

 俺の腹の中をかき回して殺すには、時間も、パワーも足りないぜ。

 てめーはもうサメでもなけりゃサバでもない。

 ってやつだ!

 俺はサバ頭の背中に向けて〈ナパーム・ブレス〉を吐いた。

 視界が、目映い紅蓮の炎の色に、染まった――


           ★


 俺は、ジュルジュルと汁を啜るような音で目を覚ました。

 どれくらい気を失っていたのか……

 たぶん、そんなに長い時間じゃない。

 ほんの十数分、いや、数分ってところかもしれない。

 視界に映るのは変わらず昼下がりの空だ。

 だいたい腹にどでかい刃物をブッ刺したままで熟睡できるわけがない。

 身体の前面が焦げ臭いし、今もまだ煙が上がっている。

 俺は倒壊したビルの瓦礫に半ば埋まるようにして仰向けに倒れていた。

 サバ頭は――サバ頭になっていた。

 腹甲に突き立った巨大サバイバルナイフは、背骨の一部がまるで柄のように残っているのみで、胴体は消し飛んでしまっている。

 さすがは俺の必殺技……頼もしい破壊力だ。

 こんな至近距離で炸裂させるのは今回限りにしたいところだが。

 そういえば幼女A(仮)はどうしたろうか。

 あの柔肌だ。

 爆発の巻き添えで怪我なんかしていなけりゃいいが――

 首を伸ばして周囲を観察する。

 すぐに可愛いお尻が見つかった。

 地面に這いつくばって何をしているのか……と、さらに首を伸ばしてみて、俺はギョッとした。

 爆裂して千切れ飛んだサバ頭の胴体の――腹の中に、顔を突っ込んでいる。

 汁っぽい何かを啜る音はそこから聞こえてきていた。

 ……食べてる?

 何を?

 声……掛けづらいなあ。

『……………………ポメェ?』

『――!?』

 恐る恐る声を掛けると、幼女A(仮)は顔を上げ、こっちに振り向いた。

 ……あれ?

 サバ頭の青い血で染まった横顔の輪郭が……

 まるで犬かオオカミのように、鼻と口が前に突き出して――見えた。

 しかし、正面を向いた幼女A(仮)の顔は、口のまわりが血で汚れてはいたものの、作りは普通の人間のそれだった。

 目の錯覚か?

 それより気になったのは、幼女A(仮)が口に咥えているものだ。

 ソーセージ……に見えなくもないが、実際は血の滴る魚の腸だった。

 正直グロい。

 どうして身の方じゃなくてハラワタなのかと問いたい。

 食通なのか?

 そっちの方が苦味があって美味いのか?

 子供は苦味が大嫌いなはずだが。

 それとも怪獣の本能が為せるわざか?

 いや……違うぞ。

 食べているんじゃない。

 囓っているんじゃない。

 血だ。

 血を啜っている。

 魚を捌く道具もないのに、子供の歯で肉を嚙み千切れというのは無理か。

『ぽぅめぇ?』

 俺の声を真似ただけなのか、それとも何か意味を込めて聞き返したのか――それは分からない。

 幼女A(仮)は魚の腸を捨てて俺の方に寄ってきた。

 俺の腹に刺さったままのサバ頭を観察し、ペロリと唇を舐めると、サバ頭の背骨に両手を掛けた。

『ポゲェェェェッ!?』

 俺の口から断末魔のカエルのような悲鳴が飛び出した。

 幼女A(仮)が背骨にぶら下がるようにしてサバ頭を下に引いたからだ。

 腹甲の傷口が広がる。

 膝の高さまで下げると、幼女A(仮)は今度は背骨を押し上げた。

 ま……待て待て待て!

 だから待てって!

 腹に刺さったナイフを上下にんじゃない!

 切っ先が腹甲を貫いて内臓に達してるんだぞ!?

 これ以上傷を広げたら中身が出ちゃうって!

 いでででででででででででででででででで!

 死ぬ!

 このままだと死んでしまう!

 俺は巨大サバイバルナイフの刃を両手で挟み、傷口から押し戻した。

 カメ体型の悲しさか腹甲が邪魔で力が入らないが、幼女A(仮)が下に引いたタイミングに合わせたおかげてどうにか抜けた。

 開いた傷から緑色の血が大量に噴き出す。

 それを頭から浴びた幼女A(仮)は、まるで石油を掘り当てたような喜びようだ。

 両手を器にして受けた血を口に運び、美味しそうに飲み干す。

 噴出が弱まると、傷口に直接口をつけて血を啜った。

 見方によっては子供にお乳を与えているように見えなくもない。

 俺は雄……のはずだけど。

 ……いかん、クラクラしてきた。

 貧血かな。

 それとも目の前の光景に現実味がなさすぎるせいか?

 まあ、その両方だろうな。

 こんなに血が好きってことは、それが主食だからと考えるのが妥当だろう。

 もしかしてこの幼女は人間型の怪獣じゃなくて吸血鬼なのか?

 同じモンスターでも怪獣と吸血鬼じゃジャンルが違うよなあ。

 あ~でも『吸血怪獣』ってことにすればいいのか。

 ただの巨大幼女かと思ったら意外な肩書きが付いたな。

 ………………

 …………

 ……

 朦朧としかけた意識が激痛で引き戻される。

 この痛みは――

 幼女A(仮)が俺の腹の傷口に肘まで手を突っ込んで、中身を引っ張り出そうとしている!

 反射的に突き飛ばしそうになったが、本気でそれをやると殺しかねないので堪えた。

 代わりに細い腕を掴んで止める。

『うっうぅ~』

 俺を睨み、威嚇するように唸り声を上げる幼女A(仮)。

 やだ怖い。

 何なのこの凶暴性。

 やはり怪獣の本能に突き動かされているのか?

 とにかく腹の中を掻き回されるのはやめさせないと。

 幼女A(仮)の肩を掴もうとした左手に鋭い痛みが走った。

 見ると、左手の甲から、銀色に光る刃のようなものが生えている。

 ……何だ、これ!?

 左手を引き戻すと、その正体が分かった。

 幼女A(仮)が右手に持っているナイフが、俺の掌を貫通していたのだ。

 ……ナイフ!?

 ナイフなんてどこから取り出した?

 いや……?

 よくよく見ると、それはナイフではなかった。

 いや、ナイフはナイフだ。

 形はナイフだが、手に持っているわけではないので普通のナイフじゃない。

 幼女A(仮)の右手がナイフだった。

 もう一度言う。

 幼女A(仮)の右手がナイフなのだ。

 何を言っているのか分からんと思うが、俺だって何がどうなってるのか分からん!

 紅葉のようだった可愛らしい幼女の手がのだ。

 しかも凶悪でカッコイイその形は……サバ頭をそのまま縮小したかのようだ。

 刃の質感もそっくりだった。

 俺の掌をあっさり貫いているところから鋭さも本物だ。

 つまり……ええと……

 幼女A(仮)は傷口に差し込んだ左手を引き出した。

 その手も血染めのサバイバルナイフに変わっている。

『ぽめぇ?』

 幼女A(仮)が無邪気な笑みを浮かべる。

 ここにきてようやく、俺ははっきりと恐怖を覚えた。

 人間の姿をしていても、この子はやっぱり怪獣だ。

 ひとまず顔に泡を吹き付けて視界を奪――

 俺の考えを読んだのか、幼女A(仮)は野獣の速さで襲ってきた。

 右手のナイフが俺の下顎の裏を貫き、舌が上顎に縫い止められる。

 頸動脈を狙って突き出されてきた左手のナイフを、俺は右手で掴んで止めた。

 完全に仕留める気満々の攻撃。

 ようやく理解した。

 俺は今、絶体絶命の大ピンチだ。

 普段なら幼女の腕力くらい押し返せるが、大出血のせいか腕に力が入らない。

 下顎を貫いているナイフも、かろうじて手首を掴んで止めているものの、あと少しでも押し込まれたら切っ先が脳髄に達するんじゃないのか。

 あまり認めたくないが……俺、死ぬかも。

 いや、死ぬね。

 よもや保護するつもりの幼女に殺害されるとは。

 なかなかにトホホな最期だよな。

 でもまあ俺らしいかな。

 記憶がないのにもへったくれもないわけだが……

 ところで自衛隊の皆さんの目にはどう映るだろうか。

 この有り様を見てもまだこの怪獣幼女を保護するのかな。

 だが危険な怪獣だと分かったとしても、幼女の姿をしている生き物を攻撃できまい。

 それは俺も――

 霞みはじめた視界を、赤黒い影が通過した。

 天井が落ちてきたのかと錯覚する、真上から叩き付けてくる突風。

 幼女の手の力が緩んだ。

『ギュオオオオオオオォォォォ――――ッ!』

 鼓膜に刺さったのは、どこかで聞いた覚えのある咆吼だった。

 下顎からナイフが抜かれる。

 新たな敵が襲来したからだ。

 俺は口一杯に広がる血の味を感じながら、何度も瞬きして、頭上を舞う飛行物体に焦点を合わせた。

 鏃のような尖った頭を持ち、コウモリのような翼を羽ばたかせずに滑空する、鮮血のように真っ赤なドラゴン――

 それは、いつぞやの飛竜だった。

 自衛隊の攻撃ヘリがロケット花火のようなものを連射した。

 ミサイルじゃなくて無誘導のロケット弾ってやつか。

 当たれば相当な威力なんだろうな……

 紅蓮飛竜は空中で大きく両翼を広げてひと打ちした。

 ロケット弾は見えない壁に激突したように空中で爆裂し、炎と破片を撒き散らす。

 飛竜には火の粉はおろか破片すら届かない。

 ほとんどバリヤーだな、あれは。

 相も変わらずデタラメな野郎だ。

 まあ烈風のバリアなんて使わなくても空中の機動力だけで全部躱しきるだろうけどな。

 まさに空中無双――

 ヘリが撃墜されないか心配になったが、飛竜の方は相手にもしていない様子だった。

 奴の目当てはもちろんこの俺と――幼女A(仮)だ。

 まったく……ただでさえ絶体絶命なのに、さらに絶望を上塗りされるってのは……こういう状況を何と表現すればいいのかね?

 泣きっ面に蜂?

 弱り目に祟り目?

 前門の虎、後門の狼?

 どれもこれも、とてもじゃないが目の前の現実に追いつかないな。

 さて……どうする?

 ナパームは品切れだが、黙っていれば分からない。

 飛竜に学習能力があるなら、警戒して近寄ってこないだろう。

 だが幼女A(仮)は別だ。

 さぞや美味しそうな獲物に見えることだろう。

 ――と。

 視線を下げた俺は、そこに、信じがたいものを目の当たりにした。

 幼女A(仮)が、両手を広げている。

 頭上を旋回する飛竜を見上げ、羽ばたきの真似をしているのだ。

 問題は……それが、ただのお遊戯じゃないってことだ。

 身体の色が、鮮やかな赤に変わりはじめている。

 両手の親指と人差し指を除く三本の指が伸び、その指の間と腕、そして脇の間の皮膚が広がり膜が張られる。

 頭蓋骨が変形していた。

 鼻と口が前方に伸び、牙を備えた嘴に変わる。

 髪の毛が抜け、皮膚が硬質化して鱗に覆われていく。

 足の爪先が伸び、指が発達して鈎爪が生える。

 お尻から尾羽が生えた。

 変身に要した時間は一分足らずだった。

 そこにいるのは人間の幼女ではなく、飛竜の子供だった。

 身体のバランスは頭が大きく、全体的に丸っこい。

 翼のサイズも飛ぶには小さすぎる。

 これは幼体――つまり雛だ。

 飛竜からすれば最高に可愛らしく見えるだろう姿だ。

 そうか。

 そうだったのか。

 この幼女A(仮)は、幼女ではなかった。

 巨大化した人間ではなく、幼女に擬態していたのだ。

 つまり偽物だ。

 変身・擬態能力――それが生存戦略に直結している怪獣なのだ。

 怪獣としてはサイズも小さく力も弱い。

 それを逆手に取り、目にした怪獣の幼体を模した姿に変身する。

 他の怪獣に攻撃されにくい姿になり、あわよくば味方につけようという戦略だ。

 しかしさっきのナイフは……?

 それについても説明できる。

 おそらくだが、この幼女A(仮)はふたつの能力を持っている。

 ひとつは擬態。

 見様見真似で姿形を変える能力。

 タコが目にした様々な物に擬態するのと同じようなものだ。

 もうひとつは、吸血による遺伝情報の取り込み。

 他の怪獣の遺伝形質を取り込み、その特徴を自分のものとする能力――サバ頭の血を吸ったことで手足をナイフに変える能力を得たと考えれば辻褄は合う。

 するとさっきサバ頭の腹の中に顔を突っ込んでいた時に、犬やオオカミに似た顔になっていたのも目の錯覚ではなかったのだ。

 犬の遺伝形質を使って変身したのだろう。

 だが飛竜の雛は?

 飛竜の血を得られる機会があったとは思えない。

 今の姿は遺伝子レベルの物真似じゃなく、外見を真似ているだけだ。

 しかしこの姿で油断させて近付き、飛竜の血を吸うことができたなら……幼女A(仮)は本物の飛竜に変身する能力を得るだろう。

『ぴぃ――――っ!』

 幼女A(仮)改め飛竜の雛が高く鳴いた。

 親鳥ならぬ親竜を呼ぶ可愛らしい声だ。

 上空を旋回していた飛竜が急降下してきた。

 ……マジか!?

 この飛竜にも通用するのか。

 擬態能力、パねえな。

 飛竜は翼をいっぱいに広げて急制動をかけ、実に軽やかに着陸した。

 こいつ……前よりスリムになったか?

 体型がより高速飛行向きに変化した気がする。

 全体的に鮮やかな体色で、頭のトサカが後ろに長く伸びていてちょっぴりオシャレだ。

 実はこいつもバージョン2.0に進化してたりして。

 雛はヨタヨタと覚束ない足取りで飛竜に近寄った。

 餌を求めて甘える動き。

 ……違う。

 飛竜はスリムになったんじゃない。

 デカくなってる。

 総重量は変わらないまま体長が伸びたから細く見えるだけだ。

 雛との身長差で分かった。

 尻尾の先まで含めれば百二十メートルは超えている。

 顔つきにもちょっと風格が出てきたんじゃないか?

 しばらく会わないうちに随分と立派になっちゃってまあ……などと田舎の親戚の気分になっている場合じゃない。

 雛は驚くほど飛竜の特徴を取り入れていた。

 ちょっと見ただけでここまで忠実に物真似できるのか。

 飛竜は雛を見下ろしている。

 凝視している。

 俺と同じで顔の表情は動かない。

 やがて飛竜は頭を下げて、大きく口を広げた。

 親鳥が吐き戻した餌を雛に与えるような体勢。

『ぴぎぃぃぃぃ――――ッ!!』

 悲鳴が上がった。

 誰の?

 雛のだ。

 飛竜が、雛の肩に食らいついていた。

 牙が肉に食い込み、華奢な骨が砕ける音が響く。

 おい、やめろ。

 姿

 お前は飛竜に取り入るんだろうが!

 俺は目を瞑り、顔をそむけた。

 幼女A(仮)が飛竜に食われる姿なんて見たくなかった。

『ぽめぇぇぇぇっ!?』

 その声に、俺は思わず目を開いてしまった。

 誰でもない、この俺に助けを求める声だったからだ。

 幼女A(仮)の姿が変わっていた。

 人間の子供でも、飛竜の雛でもない。

 カメだ。

 子供のカメだ。

 今さら俺を当てにするつもりか。

 なんつー姑息な……と思ったが、そうじゃないのかもしれない。

 幼女A(仮)はカメに変身することで甲羅を纏い、飛竜の牙に抵抗しようとしているのだ。

 だが、所詮は子供だ。

 甲羅は薄く、飛竜の顎の力は強い。

 変身が完了するが早いか甲羅は易々と噛み砕かれた。

『ぽめぇ……』

 幼女A(仮)の声はか細い。

 飛竜は首を振り、子ガメの身体を地面に叩き付けた。

 ええい……畜生!

『ポメエエエエエッ!』

 最後に取っておいた圧搾空気を全力噴射!

 瓦礫を吹き飛ばしながら起き上がり、泥を蹴散らして四つ足で突進する。

 ナパームの残弾はない。

 泡を吐いたところで効かないだろう。

 だが武器は……ある!

 俺は、地面に転がっていたサバ頭を口に咥えた。

 飛びかかりながら首を振り、巨大サバイバルナイフを水平に一閃――

『ギュオォォォッ!?』

 飛竜が慌てた声を上げる。

 俺の攻撃は、皮膜を支える指ごと右翼の先端を斬り飛ばしていた。

 だが、動けたのはそこまでだった。

 不意に襲ってきた悪寒に身体が震え、目の前が真っ暗になる。

 血が足りない。

 寒い……

 柔らかくて固い壁が鼻先にぶつかってくる。

 それが地面だと理解するだけの思考力はかろうじて残っていた。

 身体に感じる風圧。

 幼女A(仮)の悲鳴が風に千切れ遠ざかる。

 飛び去ったか……

 いや、――というべきか。

 どうしてそう思うのか。

 それは――

 ………………

 …………

 ……


          ☆


「……とまあ、そんな話なんだが」

 俺の話を面白がって聞いていた三人は、口々に文句を垂れた。

『おい! 怪獣しか出てこない殺伐とした話にようやく登場した貴重な萌えキャラが!』

『遅れてやってきたヒロインじゃなかったのか』

『ハハハ、お前……ヤマモト某にケンカ売る気満々かよ』

 誰だよヤマモトって?

 つーかお前ら誰だよ!?

 人間時代の友人らしいがひとり残らず記憶にない。

 釣り人みたいなベストを着たガリ、迷彩服のガチムチ、萌えキャラがプリントされたTシャツを着たビア樽というメンツだ。

 全員二十歳前後。

 どう見てもオタク趣味全開の学生である。

 俺たちが集まっている場所も、壁一面の棚に漫画やらDVDやらフィギュアやらが処狭しと並べられたヘビーなオタク系サークルの部室だった。

『アイデアは悪くないな。カフカの『変身』のパクリだけど怪獣にしたことでスペクタクルになっている』

『巨大生物に変身したのに感覚が一般人のまんまってのも親近感があっていいな』

『出会う怪獣とひたすら戦い続けるって、まさに串団子式の単純な物語構造だよな。ある意味〈番長もの〉に近い』

『怪・獣・番・長wwwwwww』

『しかし萌え要素がゼロというのは……』

『バーニングの「燃え」ならあるぜ。なにせ火ィ吐けるし』

『そもそも話の通じる相手がいないからドラマの作りようがないぞ』

『そこはほら「怪獣に仮託することで現代人が潜在的に持っているディスコミュニケーションという病理をえぐり出した問題作」とか適当な理屈をくっつければ』

『「この作品における〈怪獣〉とは肥大化した自我のメタファーであって」……とか?」

『それいいな。批評家気取りのサブカル厨がいっぱい釣れそうだ。トンデモ本が山ほど出たりしてな』

『そんなことより、最大の問題はメディアミックスが不可能ってことだろ』

『そうそうそう』

 その点で三人の意見は一致しているようだ。

『怪獣ものなんだから当然、着ぐるみ特撮でやりたいところだけど……』

『外見じゃなくて内面のモノローグが面白さの大半を占めてるもんな』

『しかも自分で自分の姿が分からないってのがミソなんだよな? 主人公が画面に出せないとか作劇が難しすぎるわ』

『画に出来ないってなると、せいぜいラジオドラマかドラマCDが限界じゃね? 出ても俺は買わないけど』

『意表をついて創作落語にするってのは?』

『ちょっ……お前、天才だな』

『もちろん寄席で真打ちクラスの噺家が披露するんだよな? それだったら超聴きてえわ。まさにイリュージョンじゃねえか』

『まあ落語も面白そうだけど、ちょっと渋すぎるわな。メディア展開の旨味がないし。やっぱり一儲けしようと思えばコミカライズは避けて通れない』

『漫画化……できるか? 無理っぽくね?』

『いや、この世に漫画化できない題材はない!』

『出たよ。漫画万能論』

『だから主人公はどうするんだ? 描かないのか? 終始不自然な構図になりそうだが』

『黒ベタのシルエットで描けばいいだろ』

『それは……デザインが卑猥すぎて子供に見せられないみたいじゃないか』

『自主規制で全身に「消し」が入ってる主人公www』

『斬新だな』

『アニメ化されても地上波放送じゃ謎ビームだらけで何をやってるか全然分からない』

『ブルーレイ限定版でようやく規制解除か』

『これは売れる!』

 何だその誰得な仕様は!?

 連中はオタクネタで大盛り上がりだが、俺は当事者なのであまり笑えない。

 そもそもアレだ……この三人はそれぞれ専門分野を持っていて知識も豊富だが、俺は広く浅くかじっているだけのライトなオタクにすぎないので、あまりディープな話題になると適当な相槌を打って曖昧に笑っているくらいしかできない。

 おそらく人間時代からこんな感じだったんだろう。

『どうせメディアミックスするなら自衛隊関係はしっかり描いてもらわないとな。陸自の攻撃ヘリの機銃をチェーンガンって呼んでるけど、ガトリング砲との区別ついてる?』

「知らねえよ。ヘリったって怪獣の身からすればプラモみたいなもんなんだから……細かいところまで分かるわけがないだろ?』

『装備から機種を特定できるくらいの情報は最低限入れとかないと』

「だからこっちはマニアじゃないんだって。武器を積んでるヘリなら攻撃ヘリでいいだろ?」

『いやいや……少女漫画に出てくるような雰囲気だけで適当に描いた、世界中どこにも存在しない車や銃じゃあるまいし』

 それって詳しく描写してもミリオタがニヤリとするだけだろ?

 これだからオタクという人種は面倒くさい。

 俺も一般人から見れば『オタク』で一括りにされちゃうんだろうけどな。

『それとだ、怪獣としての君の振る舞いには大いに不満がある』

「何がだよ?」

『有名な建物を壊してないだろ。せっかく池袋まで行ったのに、そこから北上して王子を経由して北千住とか、ルートが地味すぎるんだよ』

「被害を抑えるようにやってるんだからしょうがないだろ」

『いやいやいや、怪獣となったからにはランドマークを破壊してナンボだろ』

『今ならスカイツリーだな』

『そう! 展望台の上に巣を作るくらいじゃないと』

「俺、カメ型怪獣なんだけど……」

 どう考えてもそれは飛竜の仕事だろ。

「サンシャイン60ですら高いのに、どうやって登りゃいいんだよ!?」

『飛行能力が要るな』

『それについてはアイデアがある。体内で生産されるナパームと圧縮空気が鍵だな』

『甲羅の内側で液体燃料と圧縮空気を混合して点火するのか』

『ジェットエンジンのようなものを想像しているなら間違いだ。構造が複雑すぎてとてもじゃないがコントロールできないと思う』

「じゃあどうする?」

『ナパームを固形燃料として使う』

『ロケットモーターか! 確かにそれなら構造は単純だ』

「ロケットといえば液体燃料じゃないのか?」

『簡単に言えばロケット花火と同じだな。ケース内の固形燃料に点火してノズルから燃焼ガスを噴射、その反動で飛ぶんだ。ただし一度点火すれば燃料が尽きるまで燃焼は止められないし、火力の調整も原理的に困難だ』

「ガスコンロと炭火の違いのようなもんか」

『言い得て妙だな』

『つまり必要な推力の分だけ固体燃料を生産して使う、という感じかな』

『自前のロケットモーターを持つ怪獣か。スカイツリーくらいひとっ飛びだぞ』

「その前に命がいくつあっても足りなさそうだが……」

 甲羅の内側って要は俺の腹の中だからな。

 失敗したら大火傷どころか木っ端微塵だ。

『どうせ隅田川を下ればスカイツリーには辿り着くんだ。せっかくだから壊しとけ』

「……分かったよ。壊せばいいんだろ、壊せば」

 すでに倒壊した後かもしれないけどな!

『ところでさ、この話、最終的にタネ明かしはされるの? 人間に戻って最終回?』

「それを俺に訊くのか」

『何かしらドラマ的に一区切りつけないと終われないよね?』

「ドラマったって……話し相手もいないし、ひとりで喋ってるラジオのDJみたいなもんだぞ? あんまり期待されても困る」

『恋愛要素は?』

「怪獣にそんなもんあるか!」

『そうとも限らんぞ』

「まさかと思うが、大仏おばちゃんとかカニの兄貴との間には何も起こらんぞ。あれは結局俺のひとり芝居だから」

『そうじゃなくてだな……これはひとつの仮説なんだが』

「仮説?」

『あの飛竜って、実はじゃね?』

「なん……だと?」

『怪獣幼女の擬態が通用しなかったのはロリコンじゃなかったからだ。つまり雌だ』

「それだけで断言するものどうかと思うが……むしろ子育ての本能があるのは雌の方じゃないのか?」

『あと、おそらくツンデレだし』

「デレるところが想像つかねえわ!」

『でもまだ希望は捨ててないんだよな?』

 希望……

 怪獣と化した俺に、この先どんな希望があるというのか。

 この先一生怪獣のままで生きていくとすれば、そりゃあ確かにロマンスのひとつもなきゃやってられんわな。

「しかしたとえ雌だとしても相手はドラゴンだぞ? 萌えられる要素がどこに……?」

『そこは頑張れとしか』

『すべての怪獣が元人間だとすれば全然いけるだろ』

「相手が人間でも選り好みする権利くらいあるわ!」

『しょうがないな……』

 萌えTのビア樽がスケッチブックにサインペンを走らせる。

 あっという間に描き上げて見せたのは、飛竜のコスプレをしているポニーテールの少し生意気そうな美少女だった。

 はっきり言わせてもらえば――ド真ん中ストライクで好みだ。

『こいつで脳内補完しろ』

 俺は飛竜少女のイラストを有り難く頂戴した。

 これならどうにか頑張れそうだ。

「じゃあ、そろそろ行くよ」

 俺はパイプ椅子から立ち上がり、窓際に立てかけてあった甲羅を背負った。

「ひとつ忠告しておくけどな……もしお前らが怪獣になっていたとしても、俺とは出会わない方がいいぞ。お互いロクな目に遭わないからな。きっと」

 すでに出会ってるかもしれないけどな――

 ほろ苦く笑ってから、俺は部室を後にした。


          ☆


 ………………

 …………

 ……何だ、今の夢は?

 メタフィクション系かよ。

 それにしたって俺の記憶から出来てるものには違いない。

 俺の半端なミリタリー知識は迷彩着たガチムチ体型のやつから聞いたんだろうな。

 釣り人みたいなのは航空機マニアだろうか。

 もうひとりはまあ……見たまんまだな。

 濃い連中だが、もし実在の人物だったとして、この状況で無事でいるだろうか。

 興味本位で怪獣を見物に行ってうっかり死んでそうだが。

 それにしても……俺の人生だぞ?

 メディアミックスの心配とか大きなお世話だ。

 人間に戻れた暁にはまず自伝を出版して大儲けしてやるからな……

 意識が覚醒に向かい、肉体の感覚が戻ってくる。

 最初に感じたのは、胸のあたりがやたらスースーする感覚だった。

 そして、ユッケをかき混ぜているような湿った音――

 ユッケか……そういや肉、食ってないなー

 怪獣のスケールになると牛なんて丸ごと一頭でも一口サイズだから食べ甲斐がなさそうだよな。

 などと呑気なことを考えながら、目を開く。

 仰向けになった俺に、真っ赤な髪をポニーテールにしたちょっぴりワイルドな美少女が馬乗りになっていた。

 ……誰ですか、あなた?

 それが萌えTが描いたキャラクターだと理解した直後、幻想の美少女は消え失せ、代わりに紅蓮の飛竜が姿を現した。

 俺の腹に開いた大穴に、飛竜が矢印のような頭を突っ込んで臓腑をえぐり出している。

 体温が一気に奪われ、手足が氷水に突っ込んだように冷える感覚。

 その原因はすぐに分かった。

 飛竜が、湯気をあげる真っ赤な内臓器官を、俺の胸の中から引きずり出したからだ。

 俺の……大事な〈ナパーム袋〉が!

 中のゲル状燃料が透けて見えるナパーム袋を、飛竜は噛まずに丸呑みにした。

 熱さで喉が灼けるのだろう、苦しげに悶えながらも嚥下する。

 こいつは知っているのだ。

 強くなる方法を。

 俺がカニの内臓を食って泡が吐けるようになったのと同じように、必殺の〈ナパーム・ブレス〉の能力を奪うために舞い戻ってきたというわけか。

 確かにこいつが強力な飛び道具を獲得すれば鬼に金棒だが……

 何てこった……これでせっかくのロケットモーターのアイデアも

 スカイツリーも拝めない。

 ひとつ忠告しておいてやるか。

 ナパームの扱いにはせいぜい気を付けるんだな。

 そいつは威力がありすぎる。

 下手すりゃ我が身を焼くことになるぜ。

 ま、これから死んでいく俺の知ったこっちゃないが……

 ………………

 …………

 ……







『……お~い、いつまで寝てるんだ?』





『まさか本当に死んじまったんじゃねーだろーな?』





『見たところ心臓は動いてるんだけどな……心臓が外から丸見えってのもゾッとしねえ話だがよー、ウヒヒ』






『聞こえてんだろ? 何せ、オレ様の声はお前の心の声でもあるんだからよー』

 なん……だと?

『おっ、意識はあるんじゃねーか。ウケケケケ』

 何だその笑い方……この期に及んでまさかの新キャラ登場か?

『新キャラ? まあそうとも言えるし、そうでないとも言えるねえ』

 チンピラ口調で思わせぶりなことを言う……俺の知り合いにそんなのいたっけ?

『いいから起きろよ。飛竜の奴なら飛んでっちまったぜ。てめーにトドメを刺さずにほったらかしにして、なあ。キキキ』

 マジで!?

 すっかり観念して死んだ気でいた俺は、半信半疑で目を開いた。

 時刻は夕方になっていた。

 西日が廃墟の街を赤く染めている。

 自分の腹を見ると、穴から内臓が飛び出したままになっていた。

 しかし喰い散らかされたという感じじゃない。

 どうやら飛竜の目当てはナパーム袋だけで、他の臓器には興味がなかったらしい。

 だったら片付けていけよな……

 内臓を腹の穴に手で押し込み、濃度調整したカニバブルを接着剤代わりに吐いて塞ぐ。

 案外これだけの処置で命に別状がなさそうに思えるのが怪獣の凄いところだ。

 でもずいぶんと血を流したし、比喩ではなく胸にポッカリ穴が開いてしまっている。

 栄養を補給しなければ。

『だったらいいモンがあるだろ?』

 声の主の方に顔を向けた俺は、眩しさに目を細めた。

 西日を反射して輝く銀色の物体――

 それは、地面に突き立ったサバ頭だった。

 背骨を剣の柄に見立てれば、鍔のあたりに顔があった。

『やっとオレ様の存在に気付いたか』

 お前かよ!

 確かに新キャラだが新キャラじゃねえ。

 すでに登場していたわけだからな。

『この先にオレ様の身体がある。メスガキの食い残しだがなー』

 最後のナパーム・ブレスで吹き飛んだやつか。

 行ってみると、サバ頭の言った通り、本マグロ丸々一匹分くらいある魚の身が残されていた。

 内臓の方はほとんど空になっていたが、身の方は手つかずだ。

 幼女A(仮)の目当てはサバ頭の血だけだったからな。

 ナパームの熱を浴びたせいだろう、カツオのタタキみたいになっている。

 ……うーむ。

 丸かじりしたいけど、こいつの鱗とか骨が喉に刺さったらやだなあ。

『バカ野郎、オレ様を使え』

 いいのか?

 本人が言うんだからいいんだろう。

 俺はサバ頭を包丁代わりに使ってサバ頭の身を三枚に下ろし、刺身にした。

 醤油と、あとミョウガがあればなあ。

『贅沢言うな。食えるだけでも有り難いと思え』

 俺も食われる立場になったら同じこと言うだろうな。

 いただきます。

 手を合わせて一礼してから、刺身を食べる。

 あんまり脂は乗ってないな。

 意外にも淡泊で上品な味だ。

 本人はすげーバカなのに。

『ほっとけ』

 人間のスケールで考えると十万人前くらいある刺身を、俺はペロリと平らげた。

 ごちそうさまでした。

 カニ先輩ほどじゃないがなかなか美味だったぜ。

 この栄養で胸の傷が塞がればいいが……

 心の傷の方はどうしたものか。

 そして何より、この先の身の振り方が問題だ。

 必殺の〈ナパーム・ブレス〉が使えなくなったいま、全国大会レベルの戦いで生き残れそうにない。

 どこぞに隠居したい気分だ。

『ケッ、年寄りかよ。ナパーム袋のひとつやふたつ、くれやっても構やしねえ。何せこのオレ様がいるんだからな……ウケケケケ』

 どういう理屈だ?

 あと、その笑い方はやめろ。

 キャラ付けが安すぎる。

『ならば問う。オレ様をして行きますか?』

 いきなりキャラがブレちゃったよ!

 口調って大事だね。

 所詮俺の脳内会話なんだからどう考えても俺の責任だが……

 まあいい。

 装備するかと問われれば、そりゃ装備するしかないだろ。

 この先、丸腰じゃスライムにすら勝てそうにないからな。

 このドデカいサバイバルナイフを鞘なしでどうやって持ち運ぼうかとしばらく悩んだが、その問題は意外にもすんなり解決した。

 初遭遇した時に甲羅の左肩に受けた傷が、鍔の突起を引っ掛けるのにちょうどよかったからだ。

 剣を背負うと、ちょっとしたサムライ気分だ。

 怪獣剣士?

 カメ剣豪?

 うん、新しい。

 新しすぎるくらいだ。

 それにしてもこの剣、顔が付いていて(俺の脳内限定とはいえ)しゃべるんだよな……剣と魔法のファンタジーに出てくる知性のある魔剣みたい。

 知性……?

 まあサバ頭に知性は期待できそうにないが。

『大きなお世話だ。剣は斬れりゃいいんだよ』

 そりゃそうだ。

 俺は地面にサバ頭を突き立て、その横でひと眠りすることにした。

 満腹になったことだし、何より傷を治すには寝るしかない。

 未来のことは分からないが、明日の行く先は決めてある。

 スカイツリーだ。

 友人との約束は、果たしておかないといけないからな。

 それから先のことは――明日考えよう。



















[俺的怪獣図鑑]その④

※このデータはすべて俺の主観であり多分に推測と想像を含む。


■ファイル№1[ただの鈍ガメ]更新!

[名称]なし(俺)

[分類]カメ型怪獣

[身長]およそ六十メートル?

[体重]甲羅はあれど中量級

[地形適応]陸・水/水中でエラ呼吸可能

[移動力]陸C(四足歩行時)D(直立二足歩行時)/水C

[機動力]C/脇鰓から逆噴射してジャンプが可能

[攻撃力]D

[必殺技]①ナパーム・ブレス……口からゼリー状の爆薬を吐く※使用不可

     ②シャボン・ジェッター……舌先から泡を噴射

[防御力]B/ダメージを受けても脱皮で再生できる

[備考・補足]サバあたまの剣をそうびした!攻撃力が?上がった!


■ファイル№2[紅蓮の猛禽2.0]更新!

[名称]紅蓮飛竜

[身長]八十メートル。尻尾を含めると百二十メートル。

[体重]俺の3/2くらい

[分類]ドラゴン・ワイバーン型怪獣

[地形適応]空

[移動力]A/翼による飛行能力がダントツ。

[機動力]A

[攻撃力]B/嘴と爪、投げ落としが強い。

[防御力]C

[備考・補足]俺のナパーム袋を奪ったことで〈ナパーム・ブレス〉が使えるようになるかも? 性別が雌の可能性あり。


■ファイル№5[銀色DQN]

[名称]セイバーヘッドシャーク/通称・サバ頭

[分類]サメ型怪獣

[身長]全長八十~九十メートル

[体重]俺と同じくらい

[地形適応]水/地中/地面を液状化して地中を泳げる。

[移動力]B

[機動力]C

[攻撃力]B/サバイバルナイフ型の頭部、鱗手裏剣など全身凶器。

[防御力]C

[備考・補足]とにかく気性が荒い。とにかくすげえバカ。


■ファイル№6[G・Y・JOE]

[名称]幼女A(仮)

[分類]吸血擬態怪獣

[身長]三十メートル

[体重]すごく軽い

[地形適応]陸/水?/空?/魚型怪獣や飛行怪獣の遺伝情報さえ手に入れれば水中や空中もOK?

[移動力]D

[機動力]D

[攻撃力]D/コピーした怪獣の能力次第だが体格が子供なので基礎体力が低い。

[防御力]E

[備考・補足]目にした怪獣の外見を模倣した幼体に擬態して近付くと、隙を突いて血を吸い遺伝情報を獲得、その怪獣の本物の能力を手に入れる。

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