『俺は怪獣 / I, Kaiju』コメンタリー②
■これは一人称……なのか?
本作はt怪獣視点の一人称小説である。
小説のスタイルとしては間違いなく一人称なのだが――実際書いてみるとすぐに普通の小説とは勝手が違うことに気付いた。
一人称に慣れていないから――ではない。
「この話……もしかして話し相手がいない……?」
これである。
いわゆる普通の一人称小説と呼ばれる作品だって主人公にはちゃんと対話する相手がいて、つまり何というか……「社会という環境の中で自己と他者との間で力関係が変化すること」それ自体がドラマでありストーリーなのだが、『俺は怪獣』にはコミュニケーションを取るべき他者が存在しないのだ。
人間は昆虫サイズだし他の怪獣とは話が通じない。
結果、主人公はずーっと独りで自問自答を続けることになる。
独り舞台の演劇のように全編がモノローグで構成されている小説は、果たして一人称小説にカテゴライズしていい代物なのだろうか?
もしや初めて書く一人称小説としては題材の難度が高すぎるのでは――そう気付いた時は後の祭り。
全編独り語りで間を持たせてなお読者を退屈させないとなると、これはもはや小説というよりエッセイや随筆の領分である。椎名誠クラスの文才が必要になる。もちろんそんな才能は持ち合わせていない。
だが――独り語りといえば、エッセイスト以外にも思い当たる職業があった。
ラジオパーソナリティがそれだ。
お笑いコンビでもなく、聞き役になるアシスタントもいない、単独のパーソナリティが放送時間の間ひたすらマシンガントークを続けるタイプの番組がある。
現在でいえばTBSラジオの月曜JUNK『伊集院光 深夜の馬鹿力』がその代表だろう。しかしかつて深夜のラジオ番組といえばニッポン放送の『オールナイトニッポン』の時代があった。
自分は『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』をギリで聴いたことがある世代で、学生時代に毎週エアチェックしていたのは月曜深夜の『デーモン小暮のANN』、そして今や伝説の番組として語られる木曜の『ビートたけしのANN』だ。
ここはひとつ、リスナー歴30年の経験を生かして深夜ラジオの軽妙なノリでモノローグを乗り切るというのはどうか――
というわけで怪獣ラジオの誕生と相成った。
■こんな怪獣は嫌だ!
こ れ は ひ ど い w
時間が経って書いた内容を忘れていたので、読み返したら素で笑ってしまったんだが読者はついてこれているのだろうか。芸人として全盛期のビートたけしの声で脳内再生できる人でないと厳しいかもしれん。
ANNじゃなくて『元気が出るテレビ』の「たけしメモ」じゃねーか!というツッコミは勘弁してもらいたい。
直後に平成ゴジラのネタも入ってくるので対象年齢が高すぎかも……
■四足歩行の発見
自分の姿形はおろかどんな能力があるかも把握していない状態から、次第に新たな発見をし理解を深めやがて使いこなしていく――という成長要素はこの話のウリのひとつだが、最近『マジンガーZ』のTVシリーズを見直したら五話とか六話の段階でも兜甲児がマジンガーZをまともに操縦できていない(でも機械獣には勝つ)のを知ってビックリするとともに「やっぱ王道だよな!」と納得した次第。
■第二話について
二体目の敵怪獣の登場&初勝利&初捕食の回。
敵怪獣がカニモチーフなのは「敵を倒して捕食する」というシークエンスにおいて「比較的食べるのに抵抗感がない」という点で採用した。
あと小説で怪獣を表現するのに厄介なのが「見たこともない形の怪獣」は描写できないということ。ガンダム的なロボットものにも通じる問題なのだが怪獣もロボットも基本的に映像ありきのものなのである。
成田亨御大の「生物が単純に巨大化したものは怪獣とはいえない」というポリシーには大いに賛同するものの、いかんせんテキストで表現するには限界がある。怪獣の外観情報に読者の想像力のリソースを無駄に割くくらいなら「デカいカニ」で良いと割り切って書いている。
もっとも、主人公のボキャブラリーが貧困なだけで実際の姿は「部分的に甲殻類の特徴はあるけど全然カニじゃない」可能性もあるのでその辺は小説の有利なところともいえる。
というわけで今回はここまで。
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