彼の女

 うさぎを、ったのは、ひとが、欲したから。


「ねえ、わたくし、うさぎが食べたいわ」


 白い顔に、唇ばかりが。真っ赤に、真っ赤に、濡れていた。 

 乞われるがまま、馬を駆り、弓を手に、野に兔を逐った。

 

 彼の文を、懐中したのは、彼の女が、くれたから。

 

「子惠思我 褰裳渉溱※」

(もしあなたが私を想ってくださるのなら、

 裳裾もすそをからげて溱の川を涉りましょう)


 その、古い詩の一節だけ書かれたそれを。何度も、何度も、読み返した。

 想うがまま、馬を駆り、彼の女の元に、飛んで行けたなら……


 兄の目の前で、その文を落とした時。

 

 怒り狂う兄の、

 腰に帯びた剣の切っ先が、私を貫いた。


 どくどくと、流れ出ていく己の血を感じながら、

 私は、わらった。

 


 ――彼の女は、兄の妻だった。






――――――――――――――

※『詩經』鄭風「褰裳」より

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