世にも奇妙な異世界転生

庭木深更

世にも奇妙な異世界転生

世にも奇妙な異世界転生


「異世界へようこそ! 未知なる体験と刺激的な毎日があなたの手に」


 ピンクのネオンランプに縁取りされた看板。

 アニメのキャラクターのようなかん高い音声がスピーカーから幾度となく繰り返される。

 あやしさ満点だが、もう後戻りはできない。何せ私はもう既に生きてはいないのだから。

 そう、私は既に死んでいるのである。


 思えば、久しぶりの外出で海というのがそもそもの間違いだったのかもしれない。何のことは無い、海水浴の最中に足がつってしまった私は、混乱のあまり海水を飲みこみ、上下不覚となっては深い深い海の底へと沈んでいってしまった。


 ……いってしまったはずなのだが、気付けば一面真っ黒な空間に放り出されていた。

 走馬灯というにはあまりに味気ない情景に、自分でも半ば呆れかえっていたが、どうにも意識がはっきりとし過ぎているという事実に向き合わざるを得ないようであった。

 というのも暗闇の中にただ一つ、例外が存在した為である。

 派手派手しい光を放つ“異世界総合案内所”と書かれた看板と、やたらと高揚した調子で繰り返される音声。もし、これが自分の無意識下で創造されたものだとするならば、あまりの恥ずかしさに目を背けたくなるのも無理のない話だと思う。

 近年、ネット小説などを中心に耳にすることが多くなった異世界転生という言葉。

 私自身、目にしたことはあったが、その世界観にのめり込むということは全くなかったと断言できる。それどころか、人間はここまで浅ましく短絡的な思考的結論に価値を見出すことが出来るのか、と見下していた部分すらあった。

 だが、その張りぼてのスタンスがただのポーズでしかなかったのではないか、という危機に今まさに直面しているといっても過言ではないだろう。表層的意識に反して内心では、そのような物語の主人公を羨んでいたのではないか、いや例えそうであったとしても、まさか自分にこのような機会が訪れるなど、想像だにできなかったのは紛れもない事実である。


 幾ばくか思考に時間を費やしたが、突っ立っていても時間が解決してくれることはなさそうなので、恐る恐るそのそそり立つ歪な構造物に近づいた。

 剥き出しになったカウンターには埃一つなく、磨き上げられた長机の表面にはネオンランプのピンク色が幻想的に写り込んでいる。反射された幻影がゆらりと形を歪ませ、それが人の形をしていることに気付くまで、しばらくの時間を要した。と、同時につまるところカウンターに人が立っているんだと今更ながらに顔を上げた。

 絶世の美女、という表現はいささか陳腐な言い回しだという自覚はあるが、まさにそうとしか言いようのない容姿だった。自分の理想とする異性がそこには存在していた。私自身、女性の好みは一般的なものから逸脱している訳ではないと、そう言い切れるが、誰もがそうであるように個人の好みというものは、まさに多種多様であり例え、テレビに映るような美人女優であっても一様に皆がみな好意を寄せている訳ではないだろう。であるにも関わらず、目の前の女性は全てが私の思い描く形にフィットしていた、理想を突き詰めていた、必要とする全てがそこにはあった。だが、いやだからこそ、私は肝胆を寒からしめる妙な薄気味悪さを感じていた。


「ようこそいらっしゃいました。ここはあなたを幸せな異世界へと導く、スタート地点となる場所です」


 鈴の鳴るような美しい声が、耳を打つ。

 はにかむような笑顔は、誰が見ても胸をときめかせることは間違いないだろう。


「これは、ご丁寧にどうも。つまり、これから私はどうなるのでしょう」


 思いのほか、スラスラと言葉は出てきた。死という事象が与える言語野への影響は思いのほか少ないのかも知れない、いやあるいは精神という構造が既に臨界を迎えているこの空間でこのような思考自体が無意味な事なのか、と堂々巡りの思考迷路に陥っていた私を、女の美声が現実に引き戻す。


「お客様のご希望に沿った異世界コースへと私がご案内いたします。現在は“ファンタジー現代知識チートコース”が一番人気でして、多くのお客様にご利用いただいております」


 機械的、あるいは商業的な受け答えに思わず面食らう。

 だが考えてもみれば、この女が業務として私の水先案内を務めるのであれば当然の対応であるのかもしれない。信号無視のトラックや、高圧的な神様や、お調子者の女神などという存在は社会的常識からはあまりにも剥離しているといえる。――そもそも異世界転生という事象が社会的常識の範疇にないことが根本的な問題であることは、私の主観的観点からこの際考えないものとする。

 もし、サービスとしての異世界転生が存在するとすれば、必然的にその対価が必要になってくることは想像に難くない。まさか死後も資本主義の楔から逃れることができないとは、地獄の沙汰も金次第とは昔の人はよく言ったものだ。


「あの、言いにくいんですけど、今持ち合わせがないんです」


「いえ、お代は結構でございます。お客様が満足して幸せに暮らしていただくことが、何よりの対価ですので」


 恥を忍んで台詞を絞り出した私の顔は、いくらか渋いものだったに違いない。そんな心情を見透かされているような、あまりにも眩しい笑顔に、思わずこっちも笑みがこぼれる。

 ただほど高いものはないというが、この笑顔の前にはそんなことは些末な問題のように思えた。


「では、その一番人気のコースでお願いします」


「かしこまりました。それでは、瞳を閉じて意識を集中させて下さい。あなたの幸せな旅路をお祈りしております」


 薄い目蓋を通して向こう側が、暗闇から強い光に照らされていることを感じる。私も物語の主人公として新たな冒険譚を刻むのだと、胸の鼓動が耳元でうるさくがなりたてていた。






「お気に召しませんでしたか?」


 結論から述べると、私は再びこの“異世界総合案内所”のカウンターに力なく座り込んでいた。実際ここから旅立ってどのぐらいの年月が経っていたのか、私には分からなかったが、少なくとも目の前の水先案内人の様子から察するに、満足のいく程の期間ではなかったらしい。


「……どうやら私には高望みが過ぎたようです」


 本意をオブラートに包み、答えを濁すことは慣れたもので、角が立たないように立ち振舞うことが私の人生における最大の特徴なのではないかと、自嘲気味な笑いが口角を釣り上げる。

 実際の体験というものは非常に貴重なものだ。参勤労働制であったり、金貨の数え方であったり、肉の両面焼きであったり、溶解熱であったり、鉄を溶かす火であったり、椅子の概念であったり、四則演算であったり、奴隷制度であったり、例を挙げればきりがないが、このような自身を全肯定させるためのイベントやキャラや背景は、いざ自分の立場になってみると実に不気味としか言いようがない。これらに対して、そのような感情を持った時、周りの色彩は失せ、音は歪み、視界が暗転したかと思えば、気がつけば再び真っ黒な空間に放り出されていた。


「それではこちらの“MMORPG廃プレイチートコース”はいかがでしょう」


「いやそれも、恐れながら」


 正直なところ、「すごい」だの「流石です」だのは、おそらくの並の人間の一生分以上は言われたおかげで、ずいぶんと食傷気味となってしまった。称賛というものは不思議なもので、苦労の末に成し遂げた物事を正当に評価されることはこの上ない快感だが、何でもない行動をわざわざ褒め称えられると、これはもう馬鹿にされているとしか思えなくなる。

 あまり色よい返事が返ってこないのが気に障ったのか、女の表情に陰りが差す。もっとも、その様子を注意深く見ていなければ分からないほどの差異であったが、その隠された深層には何かどす黒いものが渦巻いている、根拠があるわけではないが確かに私はそう感じた。


「分かりました。では人間以外のパターンもございますが、いかがでしょう」


「そういうのも、あるんですか」


 昨今のサブカルチャーとしての異世界転生とは別に、古くから宗教的な輪廻転生という概念は存在し、私も寡聞ながら頭の片隅にある見聞きした記憶を引きずり出す。日本の仏教はもちろんのこと、ヒンドゥー教や世界各地で輪廻転生、生まれ変わりは信じられてきた。その中でも必ずしも来世が人間であるという事例は存在しない。こどもの頃に自身の前世について妄想を膨らませたのは、おそらく私だけではないだろう。そういった意味でも人間以外が来世、転生先であることに少なからず興味を抱いていた。


「そうですね、例えば……犬、兎、牛、狼、熊、燕、鳥、鶏、猫、羊、蛇、ペンギン、モグラ 、イカ、カニ、鯉、山椒魚、シャチ、タコ 、ブラックバス、ヤドカリ 、蟻、蛆虫、カブトムシ、カメムシ 、蜘蛛、コオロギ、ムカデ 葦、木、草、タケノコ、種、マタタビ 、松茸、薬草 、飴、エアコン、案山子、木の棒、毛玉、剣、自動販売機、掃除機 、盾、卵、土、人形、畑、飛行機、便器、宝石、枕、靄、鎧、ロボット、スライムなどなど多数取り揃えております」


 言葉を失うとは、まさにこのことだろう。生物どころか無機物まで入っているとは、予想外もいいところだった。先ほどの例から察するに、恐らくこれらも誰かが生み出した物語であることに間違いないだろうが、ここまでくると人間の想像力は無限大だということを改めて痛感させられる。

 だが、ある意味ではそのような無機物こそが真に無心、悟りを開くことができるのではないかと、達観した考えも頭をよぎる。


「人工物まで入っているみたいなんですが、モノにも魂は宿るのでしょうか」


「もちろん。見聞きする事も出来ますし、喋ったり人に変身することも出来ます」


「……それは、本来の無機物とは言えないのでは」


 期待とは裏腹に、肩すかしを食らった私は大きく息をついた。

 その様子を見かねたのか水先案内人である女は、カウンターに置いた手の指を苛立たしげにコッコと鳴らす。


「では、どのような転生をお求めなのですか」


 もはや隠す気のない怒気のこもった質問に、今回ばかりは私も少し捻くれた態度をとった事に対し心ばかりの反省をした。とはいえ、内心では興味を失いつつある感情を胸の奥にしまいこみ、膝の上で手を組んで改めて考え直すことにした。

 その時だった。

 私は手の甲に浮かぶ光点に気がついたのである。その一条の光をたどり、頭上を見上げると真っ暗な空間に一点だけ、針で穴をあけたような光が洩れていた。


「見てはいけません! あなたには輝かしい異世界での物語が待っているのです」


 私の視線が頭上の光に向けられていることを理解したのか、必死の形相で女がまくしたてる。しかし、こうもあからさまな態度をとられては私も疑り深くなるのも当然のことで、気がつけば天に向かって手を伸ばしていた。

 特に意識してやった行動ではなかったが、自然と伸ばした手に呼応するように光はどんどん広がっていき、やがては私を包み込むように全身を明るく照らした。






 断続する電子音が鼓膜を震わせる。機械的で無機質な音はひどく耳障りで、心を不安にさせる。まるで何かを警告するような響きに神経がささくれ立つ。


「ッ―――――――――――かはっ」


 胸が焼けるように熱い。痺れるような痛みが全身に伝う。反射的に筋肉が収縮し、肺から絞り出された空気が入口を塞いでいた海水と共に吐き出された。


「大丈夫ですか! 大丈夫ですか!」


 耳元でうるさく叫ぶ声に、鉛のように重たい目蓋を開く。

 刺すような光であった。真夏の太陽はその効果をいかんなく発揮し、砂浜の海水浴客に紫外線の洗礼を浴びせる。

 次第に酸素の供給された脳が活性化していく。私が砂浜に仰向けに寝かされている事、こんがり焼けたガタイの良いライフセーバーに執拗に頬を叩かれている事、身体の数か所にラバーシートが張り付けられ、そこから伸びるコードが真っ赤なAEDに繋がっている事、状況を理解するのに時間はかからなかった。




 今でも、たまに思い出す。

 あのひとときは夢だったのだろうかと。

 そう決めつけてしまうのは簡単なことだが、瞳を閉じると訪れる闇に、あの場所がずっとそこに存在しているのではないか思える程、鮮明に記憶に刻まれている。

 そして何より、あの場所で異世界のまどろみの中へ居続けた場合、私は砂浜で息を吹き返すことが出来たのだろうか、死神がドクロの顔をしているとは限らないのではないかと、思い出すだけで背筋が凍るような悪寒に襲われる。


 最後に、出来るだけ考えないようにしている事が一つ。

 それは、私が気が付いていないだけで、私は既に誰かの物語の主人公になっているのではないかと、そう思えてならない。

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