参「百鬼見舞」
あたしは赤眼のセンリ。芸を売って
まったくドジな話だが風邪を引いちまった。夜の小堀に落っこちてびしょ濡れになるなんざ、ほんとらしくない話。だからこうして情けなく女郎屋くずれの安部屋で、やぶれ布団をひっかぶって転がっている始末だ。えっ、なんだってそんなドジを踏んだんだって? なに、あたしがちいとばかりお人好しに過ぎただけの話さ。あんまり聞くな、恥ずかしい。
それで風邪だ。こいつがなかなかタチの悪そうな風邪で、悪寒は抜けたが熱がなかなか下がらねぇ。浮かれ頭を抱えながら、すきま風が走る破れ障子とほつれ畳のおんぼろ部屋で独り寝ていると、さすがに気丈なあたしでもちょいと心が弱くなる。鼻をぐずって咳をついても誰も気遣ってくれる人がいないってのは、やっぱり寂しいもんだ。しかし、それでも誰でもいいとは言えないもんで、こういうときに限ってろくでもない奴ばかり訪ねてきやがる。
「おうセンリ、元気にしてるか?」
ガタガタと立て付けの悪い引き戸を開けて、ドスドスと部屋に上がってきやがった奴の声は、あの差配屋のサジの野郎だ。
「見ての通りだよ」
あたしは横目にチラと顔を見て、すぐに頭から布団をかぶり直す。まったく、ほんとにろくでもない奴が訪ねてきやがった。
「つれないねぇ。おまえが弱っているって聞いたから、せっかく見舞いに来てやったのによ」
顔を見ずとも声を聞くだけで、へらへらと小憎らしい狐目をさらに細めて笑う姿が目に浮かぶ。あたしゃほんとにサジの野郎が嫌いなんだねとしみじみ思う。ああ、鬱陶しいったらありゃしない。
「あんたなんかに見舞われるほどひどくはないから心配いらないよ。ほらほら、さっさと帰んな」
「おいおい、そこまで冷たくしなくてもいいだろう。病気で独りじゃおまえも寂しかろうと思ってきたんだぞ」
布団の中から手を振るあたしに押しかけ見舞いが苦情をつける。どしりと枕元に尻突く音。こいつめ居座るつもりかい。仕方なくあたしはのっそりと起き上がる。
「なんともお優しいお言葉だね。でもこれでも意外と忙しいもんなんだよ」
「ほう。そいつはどうして?」
その疑問にあたしは部屋の隅を指差して応える。ほれ、暗がりになにかがかさこそと動いているのが見えるだろう?
「お、家鳴りかい」
野郎の細い狐目が少し開く。そこには身の丈三寸ばかりの小人が三匹、車座になって互いの盃に酒を注いでいる。家鳴りってのは人の家に住み着く小鬼のことだ。よく見れば小さな頭に申し訳ばかりの角が生えているのがわかるだろう? ガタガタと家のものを動かして音を立てるから家鳴りと呼ばれているあやかしさ。
「それだけじゃないよ」
さらに指を上に差す。天井隅の暗がりに白い糸。しみったれたおんぼろ部屋におあつらえむきの大きな蜘蛛の巣が張っている。
「ありゃ、女郎蜘蛛か」
巣のまん中にいる大蜘蛛が、野郎の声にこちらを向いた。そこにあるのはふたつの
「昔、ここらで客をとっていた女郎の果てが、不幸見たさにあたしを見舞いに来てるのさ。他にも見舞い客なら引っきりなしさね」
あたしが赤眼を光らせて、宙を手でひと払いしてやると、虚空に闇が一筆走り、そこから夜の色が溢れ出す。それ、見なさんな。そちらにずらりと並ぶのは百鬼の夜行のお姿だ。
「こりゃ大層な見舞い客だな」
一つ目鬼に口裂け犬、八ツ首
「どうだい、わかったろ。見舞いならもう十分さ。あんたももう引き取るがいいよ」
「いやいや、こんな奴らに付きまとわれちゃ、治る風邪も治らんだろうに。オレが側についててやるよ」
再び手を振るあたしに、野郎がお優しいことをおっしゃりやがった。ふん、なかなかしつこい奴だねぇ。こうなれば思い切って手を変えてみるのも便法か。あたしは頬に手を当てて、諦めたように弱くため息をついてやる。
「じゃあ、ちょいと頼まれごとをしてくれないかい? こうも弱っちゃあ、湯を沸かすのも億劫でね。身体もロクに拭けていないんだ。まったく、痒くてたまらないよ」
「そりゃ難儀だな。わかった、ちょいと待っていろ」
そう言って野郎がいそいそと湯の支度を始める。さてさてこいつ、どう出るか。
「ほれ、湯を張ってきたぞ」
手ぬぐい片手に湯気を立てるタライ桶を抱えて野郎が戻ってきた。あたしは咳をつきながら自分の側にこいつを手招く。
「ああ、すまないね。でもどうにも力が入らなくて、身体を拭こうにも帯がうまくほどけないのさ。申し訳ないんだが、ちょいと手伝ってくれないかい?」
「よしきた」
あたしは脇を上げて
「それじゃあ、背中を拭いてくれるかい?」
湯にひたした手ぬぐいしぼり、野郎がいそいそとあたしの背中を拭き始める。湯に濡れた手ぬぐいがあたしの背中を熱に湿らせる感触は、なかなかに悪くない。なんだいこいつめ、思ったよりも上手じゃないかい。
「どうだい?」
「ああ、いいね……。今度は腕の方も拭いてくれ」
あたしは右腕を伸ばしてこいつの前に見せてやる。熱い手ぬぐいがあたしの白腕をしとりと濡らし、薄紅色の湯肌の色に染めていく。
「ああ、いいよ。そのまま前の方も拭いてくれないかい?」
あたしはそう言いながら、こいつの頭に右腕をからめる。あたしの身体を背中から抱くような形になったこの野郎は、うろたえ気味に身じろぎする。
「おいおい、これじゃあ拭きにくいじゃないか」
奴の耳をあたしの口元に引き寄せて、吐息をひと吹きかけてやると、奴の身体がびくんと跳ねた。
「野暮だねぇ……。あたしに気があって来たんだろ?」
からめた右手で奴の耳の裏をさすりながら、左手で顎の下をなでてやる。どうだい、気持ちいいだろう?
「や、そこは……」
ごろごろと喉を鳴らす声が聞こえる。ふふふ、かわいい声じゃないかい。こんなに顔も真っ赤にしちまって。これはかわいがり甲斐があるってもんだ。あたしの舌がちろりとこいつの耳たぶを舐める。そのやわい感触についにこいつは根を上げた。
「ああ、ダメだ! もう勘弁してくれぇ!」
ぷるぷると震える奴はもう我慢も限界と、そう叫んであたしの腕を振り払い、どたどたと部屋の隅へと後ずさる。
「なんだい、せっかく人が誘っているのに。なんて冷たい御仁だよ」
あたしは脱げた襦袢を羽織り直すと、そう言いながら逃げた野郎に四つん這いでにじり寄った。下から迫り寄るあたしから逃れるように、野郎は思いっきりに首を引いて壁にぺたりと張り付いている。
「いやいやいや、ものには順序ってもんがあるだろう? いきなりそんな誘われても……」
引きつり顔で苦笑う野郎の吐息が触れるほどに、あたしはぐいと身を寄せて、サジの野郎にも負けないぐらいの訳知り顔でにこりと微笑み返してやった。
「気があるのは嘘じゃないだろ? かわいい仔猫のお坊ちゃん」
丸く目を開け固まる仔猫のお坊ちゃん。ふふふ、かわいい顔だねぇ。
「おいおい、なにを言って……って、どこに手を入れてんだよ!」
あたしは泳ぎ目でしらばっくれるこいつのお尻に問答無用で手を入れる。ほらほら、逃げようとしてももう無駄だ。ほーら、捕まえた。まさぐるあたしの手が“それ”をがっちりと掴み取った。
「それじゃあ、この尻尾はなんの尻尾だい?」
奴の尻から生えているのは二本の立派な猫の尻尾だ。握られた尻尾は固くこわばり、ぴりりと逆毛を立てている。
「くそっ、いつから気づいてたんだよっ!?」
「最初からに決まってるだろ。あたしを誰だと思ってるんだい? 赤眼のセンリの姐さんを、なめてもらっちゃあ困るねぇ!」
あたしの赤眼は不思議な眼だ。こいつの正体が化け猫だなんてこたぁ、先刻お見通しなのさ。だいたい“あの”サジの野郎が、なんの用むけもなしにあたしなんかを見舞うかい。
「バレちまったらしょうがねぇな!」
そう言って、奴はしっぽを握るあたしの手を振りほどき、バッと空中へ跳ね上がる。くるりと一転、身を翻して畳におりると、そこにわらべ服を着た、子供ぐらいの大きさの半人半獣の化け猫が現れた。ははは、猫耳をピンと立てて、牙を剥いてあたしを威嚇していやがる。あらあら、なかなかかわいい仔猫じゃないかい。
「
そう言って化け猫は全身の毛を逆立てる。鋭い爪を光らせる四つ足からは陰々たる
「へぇ、あたしと化かし合いで勝負する気かい? そいつは面白いね」
あたしはすくと立ち上がると家鳴りの一匹を指で招く。意を察したか、気の利く家鳴りは、あたしの商売道具の朱染めの扇子を肩に担いで持ってきた。よしよし良い子だ。あとで存分に礼をしてやるよ。
「へへん。余裕の顔でいられるのも今のうちだぜ、赤眼の姐さん。この“半夜の又七郎”の術を甘く見るなよ!」
気がつけば化け猫は、身の丈が一丈はあろうかという大鬼に姿を変えていた。赤肌の筋骨隆々とした大鬼は、手にした金棒を高々と持ち上げると、あたし目がけて振り下ろす。
「そいつはこっちの台詞さね。“赤眼のセンリ”の名は伊達じゃないよ」
あたしの赤眼がきらりと光ると、振り上げた扇子は一瞬に赤鞘の飾り刀に姿を変えて、鞘身の反りに金棒を走らせ、その一撃を受け流す。
「なにっ?」
「
はだけ襦袢を翻すと、一転にあたしの衣装は紅色の
「ええいこいつめ、ぴょんぴょんと」
あたしは轟然と空を切る金棒を右に左にさらりとかわし、ぴょんと飛び跳ね欄干の上に降り立つと、怒れる鬼さんにむかってぱんぱんと手を叩く。
「どうしたんだい鬼さんや。ほらほら、手の鳴る方はこっちだよ」
「ええい、馬鹿にしやがって」
あたしの挑発に鬼の怒りは心頭に達したか、その赤ら顔を
「惜しいねぇ」
欄干砕く大風巻いた金棒の一撃を、あたしはひと跳びにかわしてやると、くるりと一転、地面に降り立ち、身を翻して朱塗りの飾り鞘から白身の刃を抜き放つ。
「では、鬼さん。ここからあたしの刀舞の本番だ」
抜き放たれた白刃は刀閃を引きながら空を裂き、こぼれた光は万華の花びらとなって散華する。散り花の残光は粉雪のようにきらと舞い、淡く薄れて虚空の中へと溶け消える。ここであやかしどものやんやの喝采。そうだよ、宴のたけなわはここからだ。あたしは刀の白背に唇寄せると、光る赤眼に微笑み湛えて口開く。そして歌を一首、
――刀舞い、咲き閃きて散り落つは
万華の花のさきとつゆ知れ
口触れる刀をゆっくり引いて切っ先に顔を並べると、あたしは大音声で見得を切った。
「さあさ、これが赤眼のセンリの万華の刀舞さ! 存分に堪能あれ!」
「なにをっ!?」
踏み込みに突き出す刀の一閃は、
「ええい、こんな
あたしの魅せる星の幻惑を払うように、鬼さんが金棒を振り回す。ああ、ああ、ひどいじゃないかい。星屑たちが風に乱れる木の葉のように次から次へと散り墜ちる。あたしの舞に無粋な真似は許さないよ。それ、ここにもう一太刀。
「今度はなんでぇ!」
真一文字に振るわれたあたしの刀の太刀筋は、一瞬の閃光に星屑のきらめきを紅色の華へと咲き開かせた。あやかしどものどよめきの声。そうだよ、
「さあて、こいつで仕上げさね」
吹き荒れる紅の
「うわぁぁぁっ!」
華の渦に包まれて悲鳴を上げる鬼に向かい、あたしは刀を振り上げる。
「断!」
一声に振り下ろされた白刃の筋が、華嵐の竜巻を切り裂くと、渦巻く華は
――つゆと知る、三千世界の
ならば裂き散れ、太刀斬り仕舞い
「さてさて、見る花散れば、花見の客も散り仕舞い。今日の芸もこれにて仕舞いさ、仔猫ちゃん?」
振り仰げば舞い散る花びらも霞んで消えて、元に戻ったほつれ畳のおんぼろ部屋に、きょとんと座る二股しっぽの仔猫ちゃん。こうしていればかわいいもんだが、まったく騒がせてくれたもんだね。さてさて、どうしてくれようか……と、そんなあたしの視線に気づいたか、ビクッと身体を震わせたこの小さな化け猫は、慌てて身を翻して土間の方へと駆け走る。
「ま、参りやした。まさか赤眼のセンリの姐さんがここまでの芸達者であられるとは、この“半夜の又七郎”見くびっておりやした!」
土間に降りると、そう言って頭をついて土下座する。なんだいこいつめ、態度がころりと変わったね。あたしが眉をひそめると、そこでこの猫が頭を上げる。
「見事な舞芸、感服致しやした。ああ、この“半夜の又七郎”、姐さんに惚れやしたわ」
「……は?」
訝しむあたしをよそに、この猫は調子よく言葉を続ける。
「さすがは
「……はいっ?」
ペラペラと捲し立てるこの化け猫は、愛くるしいつぶらな瞳であたしの顔をうかがってくる。修行だ? 弟子入りだ? 人の目ん玉くり抜こうとしていたくせに、なんなんだいこの野郎は調子のいい。手のひら返しもいいもんだね。あたしは呆れて手を振った。
「弟子なんか取るつもりはないよ。ああ、馬鹿らしい。もう仕置きはしないから、とっとと去るんだね」
「そんな、後生ですぜ、姐さん!」
言い募る化け猫を、あたしは赤眼でギロリと睨む。身震いした化け猫は慌てて外へと逃げ出した。
「この“半夜の又七郎”、必ず姐さんの弟子になってみせますからね!」
「いらないよ! とっとと消えな!」
二股しっぽを振って走り去る化け猫に、そう叫んだ途端に立ちくらみ。ああ、そうだ、あたしは風邪で寝込んでいたんだ。張った気が抜けちまったら、たちまちに熱がぶり返してきやがった。あたしははだけた襦袢の帯を締め直すと、いそいそと布団へ戻る。……うん、なんだい? 家鳴りがひょこひょこと枕元にやってきた。両手いっぱいに泥団子のようなものを抱えている。
「どうしたんだい、そんなもの?」
もう一匹の家鳴りが身振り手振りであたしに伝える。どうやら、さっきのあたしの舞芸を観ていたあやかしの一匹が、見料代わりに置いていったものらしい。よく部屋を見渡せば、他にも割れた皿に折れた櫛、お供え物の握り飯やら破れ着物の
「……まったく、どいつもこいつも」
あたしがゴホゴホと咳をつきながら嘆息すると、家鳴りたちが慰めるようにあたしの頭をぽんぽんと叩く。ああ、ああ、そうだね。あんたらはかわいいよ。
「ん?」
不意に家鳴りの持っている泥団子の臭いが鼻についた。この臭いには覚えがある。こんなに鼻の奥を突く、苦い臭いは霊薬のものに違いない。あたしはがばりと起き上がると、家鳴りの持っていた泥団子を取り上げる。おお、そうだ。こいつは
「こいつを飲めば、こんな風邪なんか一発で吹き飛ぶはずだ。これは思わぬ拾い物だよ」
棄てる神あれば拾う神あり、とは言ったもんさね。さて、さっそくいただきますか……と、思った矢先だ。
「おう、センリ、起きてるか?」
無遠慮に土間の引き戸を開けて現れたのは、あの差配屋のサジの野郎だ。あたしはびっくりして、思わず霊薬をまるごと飲み込んじまった。
「どうした、青い顔をして。なに、水? ああ、汲み置きはここか。それにしてもとっちらかった部屋だな」
げほんげほんと咳き込みながら、喉に詰まった霊薬をサジから受け取った水でどうにかこうにか飲み込んだ。霊薬が胃腑に落ちると、なにやら澄んだ清気がじんわりと身体に染み入る感覚がある。すると頭に上っていた熱がすっと引いて、重たい頭がすっきりとしていった。さすが霊薬、効果
「……ふぅ。で、あんたはなにしに来たんだい? 見舞いならもう間に合ってるよ」
あたしの冷たいあしらいも蛙の面に小便と、サジの野郎はあたしの横に胡座をかいてどかりと座り、相変わらずのいかがわしい狐目にけったくそ悪いおあいそ顔を貼り付けて、上機嫌にあたしの肩をぽんぽん叩いてきやがった。
「なんだい、ずいぶんと元気そうじゃないか。たまには見舞いでもしてやろうかと思ったが、これならそんなもんも必要ねぇな。じゃあ、ちょいと仕事を受けてくれ」
「はい?」
出し抜けにさらりと抜かしたサジの野郎に、あたしはこれ以上ないくらい眉根を寄せて、不快な声で返事する。まあ、そんなこったろうと思ったさ。こんなことなら霊薬なんて飲まずに寝込んでいた方がよかったよ。賭場の助言とサジの話に万に一つも得はない。あたしはゴホゴホと咳き込んで、よよとしおれた声を作る。
「……ああ、まだ病み上がりだ。こいつはまだまだ養生しないと駄目だねぇ……。悪いが今回は他を当たってくれないかい?」
「ふん。そいつは残念」
仮病芝居に頭を抑えて天井を仰ぐあたしを見て、サジの野郎は残念そうに首を振りながら立ち上がった。悄然と背中を向けるサジの野郎。おや、今日はずいぶんと諦めがいいじゃないか、気持ちの悪い。と、あたしが思ったところでサジの野郎が立ち止まり、なにかを思い出したかのようにぽんと手を叩いた。
「ああ、そうだ。この話をするのを忘れてた。ちょいとここを訪ねる前に、ここの大家にばたりとあってな。なんでもしばらく家賃を滞納しているとかいう、ふてぇ
あたしの背中に悪寒が走った。風邪とは別の冷たい悪寒。こいつはまた、ちょいと嫌な予感……。
「そしたらなんだい、あの赤眼のセンリの姐さんがって話じゃないか。そこで見舞い金の代わりにでもと思ってな、ちょいと立て替えてやったのさ。こいつがその証文だ。利子は十日で一割と安くしといたぜ。なに、感謝するほどでもねぇ。困ったときはお互い様さ。次は頼むぜ、センリの姐さん」
そう言ってサジの野郎は、懐から出した証文をひらひらとさせて土間へと降りていく。
「ああ、ああ、待ちな。待っとくれ」
あたしはのろのろと手を伸ばし、サジの背中を呼び止める。するとサジの野郎め、例のニヤニヤとしたおあいそ顔で振り返り、いけしゃあしゃあとお抜かしになられてくださった。
「さすがは赤眼のセンリの姐さんだ。その情の厚さには感謝の言葉も出ないねぇ。じゃあ、ちょいと頼まれてもらおうか」
ぽんとあたしの背中を叩く家鳴りたち。ああ、なに心配するな。こんなことはいつものことさ。
拾う神あれば棄てる神あり。まったく、渡世のことわりは世知辛い。
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