第4話

「数値はとても安定しています」

 僕の身体をCTスキャンした画像を見つめながら、医師は両親に説明をした。

「血圧も心拍数も平均並み。もうほとんど回復したといって良いでしょう。最後の手術が成功しましたね」

 医師は誇らしげにしているのに対し、両親は怪訝な顔をしていた。

「でも、まだあの子は歩けないのですが」

「気持ち的な問題かもしれませんね」

 医師は淡々と説明した。感情を殺しているかのようだった。

「身体は健康体なのですが、歩くほどの意欲がまだ湧いていないのかもしれません。入院生活ももう三ヶ月を超えました。こちらとしては、やれることはもう」

 医師は言葉を濁し、僕を一瞥した。困り眉の下で、瞳は僕を睨んでいるかのようだった。

 病室のベッドにも限りがある。回復している人間をおいておくわけにもいかないのだろう。

「もう少し待ってもらえますか」

 母が先に切り出した。

「きっともう少ししたら歩けるようになると思うんです。うちでとなると、どうしても、仕事の方もありますし」

 喋りながら母は僕を何度も見た。言葉を選びながら言っているようだった。あなたを見捨てるわけじゃないと、必死に訴えられているような気がして、僕は目を合わせないようにした。

「まだ院内にも余裕はありますが」

 医師は言った。

「しかし、その時がきたら、考えてもらわないとですね」

 項垂れる両親の背中を見て、僕の胸が痛んだ。


 僕が回復しつつある、というのはどうも本当のことらしかった。

 朝目が覚めたときの気分がまるで違う。日中も、外の景色を見てときどき鳥肌が立った。陽の光を浴びて走り回る自分を想像して、いつの間にか胸が高鳴っていた。

 身体が動きたがっている。

 脚が動かないのは本当だった。歩き方を忘れてしまったかのように、シーツの上でだらりとそれらは横たわる。

 だけど、もしかしたら。

 確かめる勇気がなくて、僕はまた眠る。夢を見ようとする。

 それなのに、最近は何も見ない日も増えてきた。

 身体が健康になるにつれて、ティナは僕を呼び出しにくくなっているのかもしれない。

 想像が膨らむ。不安に汗ばむ。横たわっても、気持ちが全然休まらない。

 そのようにして過ごす一日一日は、地球がおかしくなったんじゃないかと思うくらい長く感じられた。


 久しぶりのあの世界には雨が降っていた。

 鼻先から火の粉が立ち上っても、すぐに掻き消されてしまった。

「よかった……」

 ティナの声は弱々しかった。

 ティナは僕の膝にもたれかかった。鱗に触れた掌が小刻みに震えていた。衣服には泥が滲み、青ざめた顔は額から滴る血にまみれ、瞳は僕と焦点が合わずにいた。

 ――ティナ!

 叫び声は火炎になって鼻の先から火球になった。熱波が広がると、地の底から響くような唸り声がした。眼前に岩の身体を持つ人型の魔物がいた。眼球のない顔が三つ並んでいる。そのうちの一体に、ティナの扱っていた大剣の切っ先部分が抓まれていた。柄の部分は別の岩人間の脚に踏みにじられていた。

 ――よくも!

 僕が放出した炎が岩人間を包み込んだ。とどろくような悲鳴はするが、岩は燃えてはくれない。この雨に加え、不燃物。相性は悪い。腕を組んで守りの姿勢を組む岩人間が勝ち誇ったように胸を反らした。

 僕の胸の内で何かが爆ぜた。

 足下にいるティナを横にさせると、地面を破れるほどに踏み抜いて岩人間の顔面に膝蹴りを食らわせた。岩にはひびが入り、断末魔らしい唸りとともに四散する。首無しのふらつく岩胴体の中央に両手の爪を全て突き立て、開き、ありったけの火炎を吹き込んだ。赤く色付いた岩は今度こそ破裂し、ばらけて岩山を転がり落ちた。

 残る二体の岩人間が腕を振り上げ威嚇してくる。ティナの剣を握った奴に狙いを定め、火球を矢にして吹き飛ばした。岩人間は仰け反り、指から逃れた剣が地面に突き刺さる。よろける岩人間に頭突きを食らわせ、崖から突き落とす。不意を突いて僕にのしかかろうとしてきた最後の岩人間の顎を尻尾で砕き、振り向きざまに翼で斬った。腰から砕けた岩人間に僕は踵を乗せ、力を込めて踏みつぶした。

 砂埃が落ちつくと、雨に濡れて湿った岩がいくつも足下にあった。その中を掻き分けて、岩人間の動力だった心臓のようなものを爪で潰し、炎でじっくり焼き尽くした。燻った煙が立ち上る頃には、欠片ものこっていなかった。

 勝利の快感などはなく、僕は焦ってティナの元へと賭け寄せた。ティナは相変わらず青ざめた顔のまま、地面に横たわっていた。未だ止まない雨に髪が濡れそぼっている。僕はティナの身体をつまみ、翼をはためかせた。岩山をひとつ超えた先に潰れたテントが見えた。ティナの使っていたテントだ。川縁であるその傍には、凹んだ地面がいくつかあり、砕けた岩も見えた。岩人間は三体だけではなかったのだ。数体の岩人間に囲まれて、ティナは戦いながら逃げていたのだろう。

 僕はテントの傍に降りるとティナの身体を中においた。雨を手に集めようとしたが、僕の身体に触れるとすぐに蒸発してしまった。やむなく近場の樹を倒し、葉を椀にして水を溜め、ティナの口元に注ごうとした。とはいえ思うようにはうまくいかない。大量の水を顔にかけられて、ティナが咳き込みながら目を覚ました。

「ひ、火竜!? どうして……ああ」

 あたりを見回したティナが、肩を落とした。青ざめていた顔にようやく自然な笑顔が蘇った。

「来てくれたんだ……」

 安堵しているはずなのに、ティナの目尻から涙がこぼれた。それらはとめどなく溢れ、彼女がいくら指で掬い止めようとしても叶わなかった。

 ティナの剣の刃と柄を彼女のもとに持って行ってあげると、ティナは少なからずショックを受けていたが、やがてそれらを袋に詰めた。

 テントの中で、ティナは着替えを澄ませた。半壊した鎧は脱ぎ捨てて、フードつきの厚いコートを纏った衣装になった。勇者というには頼りない、旅人としての出で立ちだった。

 雨はようやく止んだ。曇り空の灰色は日暮れのために色を濃くしたが、湿気は薄くなっていった。

「私、魔術のセンスがもともとなかったんだけど、最近は本当にダメなんだ」

 僕のくべた炎に薪を加えながら、ティナが呟いた。

「あなたのことを呼ぼうとしても上手くいかなかった。悔しかったな。こんなことなら、国王言いつけのとおりちゃんと修行していればよかった。勇者らしく、真っ当につくしていればよかったんだ」

 いつになくしおらしくティナは顔を俯かせた。

 僕のいない間にもティナは旅を続けていた。勇者でありながら魔王のことをさほど気にもかけていなかった彼女だが、最近は魔物自体がどんどん強くなってきており、その影響が無視できないのだという。のんびりとした旅を好んでいた彼女も戦わざるをえない場面が増えていき、窮地に陥る場面の多々あったらしい。

「あたしが間違っていたんだ。この力は世界を救うために使わなくちゃいけなかったのに、自分のために使っていたから、罰が当ったんだよ」

 ティナの顔から笑顔が消えていった。消えていく声は次第に淡々と、冷たさを帯びていった。

 ――それは違うよ。

 僕がここに来られなかったのは、僕が元気になっているからだ。僕が回復するにつれて、きっと僕の心がこの世界から離れつつある。だから原因は僕にある。君にはない。

 それらのことを伝えようとして口を動かし、舌を転がすのに、全ては炎になってしまった。か細い火の粉が舞い落ちて、ティナの前に降り注ぎ、ほんのりとした温かみをもたらした。

 ティナは俯いたままだった。

「私、このままの姿なら勇者になんて見えないよね。これなら普通の人みたいに、街で暮らすこともできるよね。適当に、旅人のふりをしていればいいんだ」

 言い終わると、ティナは膝を立たせ、顔を埋めた。

 僕は口を開いたが、止めた。どうせ全て炎になってしまう。彼女の傍にいながら、僕の気持ちを伝える術はない。

 それでも僕は彼女に諦めて欲しくなかった。

 彼女を見てることで僕がどれだけ勇気づけられたのか、彼女に教えてあげたかった。

 空の雲の合間にいつしか浮かんでいた三日月に、僕は思いきり声を飛ばした。唸りは逆巻き、炎の蛇を空へとのぼらせた。

 ――ティナ!

 僕が振り向くと、ティナが肩を竦ませた。

 顔が硬直しているのにも構わず、僕は強引に彼女の襟首を爪で引っ掛けた。

「え、ちょっ、なにするの!? ぎゃっ」

 暴れるティナを背中に放り上げ、僕は翼をはためかせた。風が渦巻き、僕は空へと舞い上がった。

「火竜! どうしちゃったの!?」

 わめくティナの声が耳に届く。彼女が背中に乗っていることが鱗越しに伝わってくる。

 夢の中でティナに会い、彼女を背中に乗せる瞬間を心待ちにしていた。それなのに、嬉しさなど一切なかった。

 岩山を飛び越えて、深い森を通り抜ける。途中、魔物達の影が見える。闇に溶ける彼らの赤い視線に刺されながら、僕は飛行を止めなかった。

 空気は冷え込んでいる。空にある薄雲は遠いままだ。眼下に広がる、歪んだ山肌の向こう側に灯りが見えた。人間のいる街が見えてきた。

 街灯に照らされた人々の姿が遠目からも確認できた。夜も更けてきているけれど、この世界の人間たちは確かな足取りで動き回っていた。耳をすませば声が聞こえる。賑やかな演奏や、酒に酔った愉快そうな響きがある。そこは人間たちの街だ。ティナと同じ、この世界の人間たちがいるところだ。

 僕はティナを振り返った。長い首のおかげで、彼女の全身を見ることが出来た。彼女は自分の肩を庇うようにして身を屈めていたけれど、僕と目が合うと、ゆっくり視線を街の方へと動かした。

「いったい、何なの」

 ――君に見せたかったんだ。

 また炎がのぼろうとする。心の底から厭になる。僕は顎で町を指し、それからティナを見つめるのを何度か繰り返した。

「私に街へ行けって言うの?」

 僕はティナを落とさないよう気をつけながら、頷き、それから元の森の方へと振り返った。口を開き、炎を上げ、威嚇する体勢になる。

「魔物と戦えって?」

 ティナの言葉に、僕は大きく頷いた。

 いつも一人でいるティナを僕は今まで守ってきたつもりでいる。だけど、僕がどんどん元気になっていくならば、思い通りにはいかない。ティナを本当に守り切れるのは、この世界の住民だ。

 ――もう独りは止めてほしいんだ。

 僕は街を再び見下ろした。さっきの僕の雄叫びに気づいたのか、街の人々が僕を見上げている。はっきり叫んでいる者も見えた。僕は恐怖の対象だったらしい。人間たちの光らない瞳が怯えて僕を見上げていた。

「……いやだよ」

 ティナがか細い声で言い、首を横に振った。

「私は一人で生きていたいの。誰とも関わりたくないの」

 僕は首を横に振った。彼女の気持ちはわかる。伝える言葉はないかわりに、僕は大きく首を横に振った。

「どうしてよ」

 彼女の手が僕の頸の鱗を強く掴んだ。

「私には仲間なんて要らないよ。人間の街にもいきたくない。私にはあなたがいるじゃない。あなたが私を守ってくれればずっと生きていられるじゃない!」

 ――無理なんだ!

 僕の叫んだ炎を、矢が掻き消した。人間の街から、僕を狙って後続の矢が飛んできた。敵だと認識されてしまっている。僕はしかたなく距離を置いた。

「あんな人たちと一緒になりたくないよ」

 ティナは吐き捨てるように呟いた。

 僕はティナを理解し切れていないのかも知れない。彼女が抱えている闇を僕はつかみ切れていない。

 言葉さえあれば、ティナは僕の言葉を受け止めてくれるのだろうか。

 それとも、僕が人間だとわかった途端、他の人間と同じように拒絶されてしまうのだろうか。

「あなただけが私の味方なんだよ」

 ティナの指が鱗を擦った。鈍い皮膚に針のような痺れが残った。

 ――それでも、僕は一緒にはいられないんだ。

 痺れを振りきるように、僕は身を捻り、彼女を見つめた。

 鼻の先から火の粉が舞う。ほのかに明らんだ夜の中で、彼女の顔が浮かび上がる。

 当惑した彼女に向かって、僕は小さく吼えた。

 彼女を吹き飛ばさないように慎重に。

 ――わかってくれ、ティナ。

 僕は彼女とはもう会えないかもしれない。

 それをわかってほしい。彼女には、僕がいなくても戦っていてほしい。

 仲間を作り、戦って、旅を続けて欲しい。

 言いたいことを言いつのるのに、言葉はひとつも出てこない。僕と彼女を繋ぎ止めているのは、サイズの違う視線でしかない。

 ティナは無表情になっていた。唇がわずかに動き、やがて上のそれが下のそれの先を覆う。

「火竜、元の場所に戻って」

 ティナの前髪が彼女の顔を覆ってしまった。

 強く歯噛みする口だけが見えていた。

「早くしてよ!」

 その途端、尻尾の先を掠めて矢が飛んできた。

 帰り道、僕らは一言も言葉を発しなかった。炎も、叫びも、そこにはなかった。

 相変わらずの魔物の視線をかいくぐり、テントの傍に着地すると、ティナは一人で飛び降りた。

「私はもうあなたを召喚しないよ」

 ティナは僕に指を突きつけてきた。

「あなたも、もう私を助けようとしなくていいから。私がうっかり召喚しちゃっても、無視して。もう助けないで! 私だって、あなたに頼らない。あなたはあなたで、好きなようにどこへでもいけばいい」

 投げやりなティナの口調が耳に木霊する。

 ――何もそこまで言ってないんだけど。

 僕が炎を燻らせると、ティナは一層鋭く睨みを利かせてきた。

「なによ、文句あるの?」

 ――もう少し落ちついて欲しい。

「私がおかしいっていうの? それをいうならあなただって、さっきから変よ。私を無理矢理空に連れていったり、怒鳴ったり」

 ――仕方なかったんだって。それしかできないんだから。

「とにかく、私には仲間なんて要らないの。これからも一人で生きるんだから」

 ――そんなのもったいない。

「どうして怒るの?」

 ――だって、君には人間の身体がある。元気に動くことができるんだ。僕なんかとは違う。チャンスがいくらでもあるじゃないか。それなのに、できないって決めつけるなんておかしいよ。

「私のことは放っておいてよ!」

 ――放っておいたら心配だから言っているんだ!

「しつこい! このわからずや!」

 ――そっちこそ!

「僕の言うことを聞けよ!」

 しゃがれた声が響き渡ったとき、僕の視界には見慣れた天井があった。

 白いシーツの横で、母親がやおら身体を上げる。

「びっくりした。なに、寝言? 怖い夢でも見たの?」

 顔を引きつらせる母親に、僕はぎこちなく頷いた。

 さきほどまであったはずのティナの姿はどこにもない。当然ながら、ここは病院だった。

 ティナと言い争っている途中で戻ってきてしまったのだ。

 力が抜けた。あんな言葉を残してどうなるわけでもなかったのに。

 もっと他に言うべきことがあったはずなのに。

 頭を抱える僕を寝惚けているのと勘違いしたのか、母は柔らかな笑みを浮かべた。

「大丈夫、もうすぐ退院できるって、お医者様もいってたから」

 その言葉に向けて応えることがどうにもできず、僕はそっと顔を逸らした。

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