第3話

 夢と呼ぶには生々しい、勇者の少女との共闘は、眠る度に開幕された。

 僕は彼女に召喚された形で向こうの世界に行く。火竜というのが、向こうの世界での僕の姿だ。息を吐くように炎を噴射し、鋭い爪は何でも切り裂き、鱗は何でもはじき飛ばす。はっきりいって出来過ぎだった。

 少女が僕を召喚するときはいつも森の奥や深い洞窟の奥などだった。僕が現れると、彼女はいつでも嬉しげな顔をしてみせて、僕に敵を示し、命令を下した。

 彼女とともに戦うことは心地よかった。自分の能力があまりにも強大で、危険がほとんどないというのもあるが、誰か人のために役に立てることがとても嬉しかった。

 現実の世界の僕は全く動けなかった。役立つどころか、他人の世話にならなければ満足に動くことさえできなかった。今後幾たびかの手術がすでに予定されており、先生の指示でリハビリを受け、母の甲斐甲斐しい面会にも応じた。

 それらの世話がいらないというわけではない。そんなことは言ってはいけないということは僕にもわかっていた。

 誰にも言えないまま、僕は夢を見続けた。

 夢の中でならば、僕は自分のやりたいように動き、飛び、戦い、自分の役割を全うすることができた。

 僕が勝利を挙げる度に、少女は歓声を上げてくれた。その声がとても心地よくて、僕はますますのめり込んだ。


 少女の名前はティナといった。

 そのことを知ったのは、ある夜に召喚されたときだ。どこかの静かな湖の畔であり、いつもとは異なり、周りには魔物の姿は見えなかった。

「ちょっと、火が欲しくて」

 木の枝の積まれたものが僕らの前にあった。

「火種が切れちゃったんだ。こんなことで呼び出してごめんね」

 ――別にいいよ。

 と言うと、火の粉が上がる。彼女が後退ったので、僕はそれ以上言うのを止めた。

 僕の言葉は彼女には伝わらない。僕は黙って、地面にあぐらをかいて座った。

 身体の重さで地面が少し沈み、衝撃で何匹かの虫が飛んでいくのが見えた。

 梢が風が静かに流れ、梢が揺れる。湖畔は鏡になり、星々と月が浮かんでいた。

「もう少し、ここに座っていられるかな」

 僕に対して問い掛ける、少女の気持ちが、僕にはなんとなくわかった。

 周りに誰もいない夜の寂しさを、僕も病室で味わったことがある。そんな夜に限って上手く寝付くことができないものだ。

 僕の隣に彼女は座り、一緒に炎を眺めていた。瞳の中で揺らめく炎が彼女の顔を照らしていた。

「私、旅に出て今日で一年目なんだ」

 彼女は静かに話し始めた。

 ティナという自分の名前。はるか西方の海辺にあるという彼女の故郷。十二歳のときに背中に聖痕が浮かび、国王に呼ばれ、魔王を葬る勇者として旅に出るように命を受けたこと。

「でも、私は別に戦うことはどうでもいいんだ。一人で生きていくことが一番の望みだったから」

 ティナは早くに両親を亡くしていた。引き取り手である伯父の家で、彼女は下女のように扱われ、虐げられていた。勇者の証である聖痕は長年にわたり積み重ねられた傷痕の下から浮かび上がっていた。

 国王から命を受けたティナは、身支度を素早く済ませて家を後にした。国王のかつての武器だったという、大剣を手にして、外の世界へ飛び出した。

「もう二度と戻るつもりはない。この力さえあれば、生きることくらいできるんだから」

 魔物を倒し、武具や獣皮などを売れば報酬が手に入る。その報酬で食材を買い、野営を築き、生活をする。そうしてティナは今まで一人で生きてきた。

 ティナには仲間がいない。度々召喚されることはあっても、一度も目にしたことがない。旅をしている場所も人里離れていた。

 ティナは人間を信じ切れていないのだ。

「だけどあの日、うっかり敵の多いところに入り込んじゃって、ゴブリンがどうしても倒しきれなかった。たまたま報酬で貰っていた古い魔道書に縋って、無我夢中で召喚したら、あなたが現れてくれたの」

 ティナは僕の脚に身を寄せた。あまり近すぎると鱗で服を傷つけてしまうと。気をつけて、と代わりに火の粉が鼻から出た。

「ありがとう」

 鱗をさする彼女の掌が、固い鱗を通して伝わってきた。僕は身動ぎする気をなくなった。

 僕の膝ほどの大きさしかないティナの短い黒髪が炎を受けて煌めいていた。

 僕ならティナを守ることができる。

 胸の内で湧いた気持ちが熱を帯びていった。

 その日、どこまで起きていたのかあまり覚えていない。

 ティナは僕の横で眠ってしまい、僕は彼女の身体をついばんでテントの中に運び、爪を細かく動かして布団を掛けてあげた。

 腕を丸めて俯せにティナは眠っていた。その目元は理由のわからない涙で濡れていた。

 僕はテントの横で、尻尾に顔を埋めるようにして眠った。目が覚めると病室にいた。長い眠りだったと、母が教えてくれた。

「もう少しでよくなるから」

 同じ言葉を何回も聞いた気がする。

 僕は微笑みで返した。

 いつのまにか、心と無関係な微笑みができるようになってしまっていた。

 僕はそれからも夢を見た。

 夢の中ではいつでもティナが待っていてくれた。

 変わり映えのしない現実よりも、ティナのいるあの世界の方が僕を魅了してくれた。

 僕はほとんどベッドから起きなくなった。

 それでいいのだと、自分で自分に言い聞かせていた。

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