終章 そして次の神秘に……

第33話

 三日後。


 夏休み真っ只中の如月町は今日も暑い。


 古川を倒し、クライクハントを追い払い、町の結界と第六神秘を護りきった魔法使い藤吉泰生はと言えば……。


「はぁー」


 完全にだらけていた。


 一日として欠かさなかった家事も宿題も全く身が入らない状況。

 友人達が見れば不安になるほどの堕落ぶりは、ある意味仕方がないのかもしれない。


 古川との闘いまでは自分が関わっていたわけだが、クライクハントと戦った以降のことは覚えていない。


 なんでも、トコシエが言うには、自分の中に誰かがいたのだと言う。


『それは、貴方よりも前にこの町の大結界を護る役目を持った魔法使いです』


 その驚愕の正体を、勿体ぶって明かした。

 何を気にしてはっきりと藤吉セツと言わなかったのだろう、と思ってしまうほどだった。


 返してもらった祖母からの指輪を眺める。

 鎖を通して首からかけたそれらは今も肌身離していない。

『もう、二度と人に渡してはいけませんよ』

 勝手に大結界を分解しようとした人間のセリフには聞こえないかったが、トコシエの表情は真剣で、とてもそんなことは口にできなかった。


 指輪自体は似たような作りになっている。

 銀色の台座にポツリと小さな石がはまっている。

 紅い石と蒼い石。

 泰生はどちらも結界の管理者の証なのだと思っていたが、片方は違っていた。


『私に渡した蒼の方はそうだったようですが、紅は違います。

 詳しく解析しなければ分かりませんが、恐らくはこの魔法まほうの中に彼女の魂を固着させる効果のものを組み込んでいるようです』


 魂。

 その存在は少なくとも体制が習ってきた科学の中には存在しない。

 魂には二十一グラムの重さがあるなんて言った科学者がいたらしいが、それが体のどこにあって、どこを開けばそれを探しだせるのかも分からない。


「まぁ、魔法があるなら魂があってもおかしくはないよなぁ」


 とは言え、魔法の専門家たる魔法使いがそう言うのであるならば、素人の泰生に疑う余地はない。


 そして、結局はそのやり取りの中で、祖母と思しき人物は泰生とトコシエの安全を保障する代わりにこの町の結界に手を出させないことを誓ったのである。


 その安全に対する担保としてトコシエは大きな代償を支払うこと要求されたのだ。


「だったら、トコシエの望みはどうなるのさ」


 結局、泰生にすら教えなかったほどに大切だったはずの願いがあったと言うのに。


 藤吉セツの提案を聞いたときに、彼女は何を思ったのだろう。


 当初想定していた彼女の計画では、まるで彼女の命のことなど考えられておらず、むしろその過程で当然のように払われる犠牲いけにえのようなものだった。


 ならば、何故自分の危険程度で歩みを止めたのだ。


「って……どう考えても、僕の命を守るためだろ……」


 ある意味、彼女がもっと冷酷であれば話は違っていたのかもしれない。


 以前、トコシエに話したように、最初の段階から彼女の裏に何か企みがあったのはわかっていた。

 彼女の力になりたいと思い、ひっそりと手を貸していたはずだったのに、気がつけばトコシエの手に届く範囲にあったはずだった彼女の望みは遥か遠くに追いやられていた。


 泰生はどこで間違えたのか。

 あれから考えていたが、きっと彼は間違えていたのだろう。


 もっと素直に、もっと真っ直ぐに、言葉で伝えていれば、きっと違った未来があったのではないかと思わずにはいられない。


 少しばかりひねくれて、迂遠に、態度で伝えていたのは、祖母セツのやり方だった。

 今から思えば泰生という人間は、藤吉セツという人間に強い憧れがあったのだろう。

 同じことをすればうまくいくと思っていた。いや、思っていたかった。


 だというのに、その祖母が自分達の窮地を助けたのだとすればーー、


(なんて間抜けなんだい)


 自分は祖母のやってきたことをうまく受け継げているつもりだった。

 なんの見返りもいらない。

 ただ、「ありがとう」と言ってもらえることだけを望んでいたというのに。


 そして、クライクハントは全てが終わった日に、意識を失い理解が追いつかない泰生に全てを話して、如月町を去った。


 彼女の夢とやらのために、まだ流離うつもりなのだろう。


 どのくらい追い続けているのか。

 これからどれほどの期間をそのことに費やすのか。


 その時間の永さを思わずにはいられない。


「トコシエ……」


 氷のように無表情なようで、その実、どこまでも熱い少女。

 稀ではあったが、見た目相応の朗らかな笑顔が思い出される。


(あぁ……)


 あの整った容貌が笑う瞬間にひょっとしたら焦がれていたのかもしれない、と思う。


「ーーって、イヤイヤ。考え過ぎじゃん」


 そんな女子中学生みたいな思考に自分自身軽く引いてしまう。


「ーーでもまぁ、ここを去る前に春巻をもう一回くらい作っとけは良かったかな」


 そんな独白に、「あら」と返事をする声が一つ。

「本当ですか?

 何なら、今すぐ作ってくれたらなお嬉しいですね」」

「……はい?」

 どこかで聞いたような声に、慌てて顔を上げる。そこにいたのは、セーラー服に身を包んだ病的なまでに白い髪の少女だった。

「ト、トコシエ?」

「……なんて顔してるんですか」

 その言葉に慌てて顔を逸らす。

 自分の顔は分からないが、ひどく動揺していた顔はきっとみっともない顔だったに違いない。


 不思議そうに「どうしました?」などと訝しんでいる。

「き、聞いてた?」

「? 春巻を作ってくれるのではないのですか?」

 自分の恥ずかしい考えは読まれていないことに安堵する。


 いや、それよりも。

「黙ってどっかいっちゃったから、もう戻ってこないと思ってた」

 みっともない自分を隠したくて、感情を殺して話すと、思ったよりも素っ気ない印象になる。

 そうすると、やはり気まずいのか頭をかいて弁明する。


「悪かったと思ってますよ。

 すぐ戻るつもりだったのですが、思ったよりも色々と準備がかかったのです」

「準備?」

 なんの準備なのかは知らないが、そういえば部屋に置いてあったトランクの他にもう一つ同じタイプのトランクが置かれている。

「私が知り合いに預けていた魔道具や魔法論文が入ってます」

 それを聞いて、以前にトコシエの荷物で散乱した部屋の惨状を思い出した。


(って、いやいや。トコシエはもう旅立つんだから、もうあの惨状で僕が悩むことなんて何も……)

 アレにもう出会う必要がないかと思うとホッとする反面、寂しい部分もあったりして……、


「そんなわけで、またしばらくご厄介になりますよ」

「……はい?」

 思っても見ない話に思わず聞き返していた。


「いやいや、ちょっと待った!」

「なんですか?」

「君はたしか望みがあって、この町にやって来たんじゃなかったっけ?」

「はい。そうですよ」

 その口調は、何を今更、とばかりだった。

「だったら、この町の第六神秘とやらが使えなかなったなら、この町に用はないんじゃないの?」

「確かに、この町の大結界の力は使えなくなりましたが、それ以上に魅力的な物を見つけましたから」

「そ、それ以上?」

 世界に残された七つの神秘というのも相当だったように思える。

 そんな物騒なものが、他に眠っていたのかと思うとゾッとする。

「心配しなくても貴方が知らない話ではありません。いや、正確には知らないと言えるかもしれませんが……」

 まるで哲学の話をしているような気分になる。


「貴方の中に眠る大魔法使い。その莫大な知識です」

「ば、ばあちゃんの?」


 藤吉セツ。

 かつて大結界の管理者であった魔法使い。

「私の望みを得るための知識が恐らくはそこに眠ってるはず」

 強大な結果を望んだ中で、自分の力が不足しているならば、方法は二つ。

 ハード面を強化するか、ソフト面を強化するかな二つに一つ。

 今回の「星の雫」はハード面をを強くする方法。

 対して、知識を利用して効率よく仕事を行えるような機構を作る方法はソフト面に該当する。


「でも、どうやったらばあちゃんに会えるんだ?」

 そうたずねると、トコシエは彼の胸元にかかった指輪達を指差した。

「おそらく、貴方がその魔法をコントロールできるようになれば交代できるかもしれません」

 それを聞いて思いついたのは数日前の出来事で記憶に新しい。

「それってまさか……」

「えぇ。魔法の業を磨くことでできるようになる可能性があるのでしょう」

 正直に言えば冗談ではない。

 先日、クライクハントから叩き込まれた「発」ですら死ぬような思いをしたのに、そんなことができるようになるには、どれほどの修羅場を潜らなければならないのか。


(このひと、僕を殺すつもりなんじゃないかい?)


 が、それでも思う。

 トコシエにとっても、面倒なやり方なのではないか、と。

 確実性も低く、手間がかかる方法。


 ひょっとしたら、トコシエはそうまでしないといけない程に追い込まれているのではないのか。


「ごめん」

 思わず謝罪が口に出た。


「トコシエの夢って僕がいなければもうちょっとラクに夢が叶ったんじゃないか?」

 そんな謝罪に、怒るわけでも呆れるでもなく、ただ不思議そうにしている。

「貴方、数日前と言っていることが違いますね。

 あの方法では私自身が幸せになれないと言っていたではありませんか」

「それでも、僕は君の夢をダメにしちゃったんだ。謝るくらいはしないといけないとおもう」

 そんな律儀な言葉にため息ひとつ付く。

「気にしなくとも構いません。どうせここにある『星の雫』では私の望みは叶わなかった、とのことですから」

 その言葉は明らかに呆れている。「そんなことを言われるなんて思わなかったです」と呟く。

「貴方がいたおかげで、最悪の事態は間逃れたのですから、胸を張っても良いと思いますよ」

「最悪の事態?」

「もし貴方が何も知らずに私の作戦を続けていたら、私が殺されていたばかりか、望みすらも果たすことすら失敗していたでしょう」


「だから、ありがとう」


 ありがとう、と呟いた言葉だけで泰生は救われた気がする。


「もし、貴方がそれでもと思うのならば……」

 ほんの少し、悪戯っぽい顔を泰生に向ける。

「作って下さいな。春巻」

 それは、とてもいい笑顔であったように泰生には思えたのだ。


「わかったよ。ただし、買い物くらいは手伝ったよね」

「まぁ、そのくらいなら」


 夏休みはまだ長い。

 これからどうなるかはわからないけれども。


 じっくりと考えては行かなくてはならない。

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