第32話

「ん? あれ? は何を?」


 ふと気がつくと泰生は自室で眠っていたらしい。


 混乱した頭で過去の記憶の断片を探るが、どうしてもトコシエと会話して以降の記憶が断絶したように思い出せない。


 クライクハントは?

 第六神秘は?

 そもそもトコシエはどうしたのか?


 疑問は尽きないが、とにかく部屋を出ようと身体を起こしたときに、トコシエが部屋に入ってきた。


「大丈夫ですか?」


 その言葉は短く淡々としていたが、少しばかり優しさが混じる。

 疲弊した身体にその優しさが沁みる。


 ……疲弊した?


「ってあれ? なんか知らんが、身体が異様ににしんどいんだけど!?」

「…やはり覚えてないのですね」

 やはり、と言う割には残念そうにも呆れているようにも聞こえた。

「クライクハントを追い出したのですよ。貴方が」

「アナタ? そんな人いた?」

 そんな大それたことができる自信も、やった記憶もない泰生は咄嗟にそんなことを口走る。

 トコシエは冷たい眼で「……そんな小ボケは要りません」とやはり冷めた声で放つ。


 その言葉でようやく頭が回り、アナタが貴方であり、ひいてはが自分のことを指しているのだと理解した。

「え? 僕が!?」

「はい。正確には貴方よりも前にこの町の大結界を護る役目を持った魔法使いがです」


 そんなのに該当する人間など泰生には心当たりは一人しかいない。

 

 藤吉セツ。

 それは、今回のことと無関係、とまでは言えずとも、直接関わっていない。

 ある種、最もこの一連の事件から遠い人間であると言ってもいいかもしれない。


「何言ってるの。バァちゃんは去年亡くなったって言ってるじゃん」

 だから、こう言ってしまうのも仕方がない。


「いえ、この町で生きています。魂魄のみの存在として、ですが」

 この数日で様々な不思議を見たなかで、最も理解できなかった。

 はっきりと、明確に祖母から死んでいないと言っていた。

「魂魄って……魂だけってこと?

 それを僕に乗り移ったとかそんな話?」

「さあ? そこまでは」

 どこか投げやりな言葉に「えー」と不満を露わにする泰生。

 しかし、トコシエはわざと答えをぼかして曖昧に話したわけではない。その答えを持ち合わせていなかったのである。

 この土地に潜んでいたのか、はたまた彼女の遺産に潜ませていたのか、もしくは彼自身の中に眠っていたのか。


 ともあれ、泰生を置き去りにしてトコシエの話は進む。

「あの人が上手く決着をつけてくれました。クライクハントは私たちに手を出すことはもうありません」

「わ、私って?」

 その反応に一瞬、訝しんだが、すぐに納得したように「そこも覚えてないのですね」とため息混じりに呟いた。


「貴方は一度殺されかけたんですよ。クライクハントの魔法で」

「知らない間に何があった!?」

 素っ頓狂な声を上げる。

「ですからさっき言った通りです。あの人が出てきて、上手くクライクハントを丸め込んで私がこの町の結界に手を出さない、という条件で出て行ってもらいました」

 その言葉で泰生の表情が固まった。

 それは自分の命の危機よりも耳を疑う話だった。

 泰生の表情は、後の言葉が必要のないくらいに心情を語っていた。

 その証拠にトコシエはその表情を見ただけで、「えぇ、私はこの町に眠る神秘を利用して望みを叶えることはできなくなりました」と続けたのだ。


「トコシエはそれでよかったの?」

 そんなつもりはなかったはずだが、泰生の言葉はどこか責めているようにも聞き取れた。

 トコシエはその態度を不快と思うことも、咎めることもない。

「気にしなくとも構いません。第六神秘に眠る莫大な魔力を持ってしても私の望みは叶わないのです。

 そうと知ってしまえば、魔導機関や異端殲滅を敵に回してまで手に入れようとは思いませんよ」

 意識を失う前の必死さもない。

 むしろ清々しさを感じる態度に、泰生はそれ以上問いただすなどはできなかった。


「聞かないのですか?」

 しかし、トコシエはと言えば、それ以上踏み込もうとしない泰生に焦れたかのように口を開く。

 なぜ彼女方が焦れているのかわからない泰生は「? 何を?」と訊き返す。


 はっきりしない態度にトコシエは堪らずと言った風に言った。

「私が何のために七大神秘を求めたのか、です」


(そう言えば、聞いてなかったっけ)

 トコシエが苛立つ理由は分からないが、そう言ったトコシエの心情はなんとなくわかる。


 何故ここまでしたのか。

 泰生としては別にトコシエの手助けになると言うのなら、別に構わないとさえ思っていた。

「トコシエが話したくないなら別にいいと思ってる」

 だから、と言うわけではないがそう素直に答えることにした。

「僕にはトコシエの悩んでることや困ったらことを聞いても、きっと何もしてあげられないんだ」

 そんな悟ったようなことを言って笑う。

 上手く笑えているか自信はなかったのだけれど。


「どうしてですか」

 対して、彼女はその答えは納得できるものではなかったらしい。

「私は貴方の都合でここまで巻き込んだ挙句に、一歩間違えば死ぬところだったのですよ。

 私に文句の一つや二つ言う権利はあるでしょう」

 それは理由がどうこうよりも、文句を言って欲しいと言うことでもない。

 ただ、自己主張の少ない泰生に焦ったさを感じているようだった。


「そりゃ、君に責任がないなんていい加減なことを口にするつもりはないけど。

 この件に関して僕だって責任がないわけじゃないよ」

 そこまで口にして「いや、違う」と思い直す。

「僕が悪いんだ。トコシエはそう悪くないよ。僕が殺されかけたって言う話だって僕の不注意が招いたのかもしれないな」


「不注意……。それは、人知れず手を貸していたことですか?」


「あー、やっぱ気づいてた?」

 確信めいた言い方に惚けても無駄だと確信したのだった。


 ※


 妙だとは思っていた。


 自分が「こうなればいいのに」と思っていたことが、思ったようにことが運んでいた。


 そして、そのきっかけになったタイミングは、対古川道治戦の作戦会議。

 あの時、結局クライクハントは泰生に付きっ切りとなり、決戦の際も藤吉邸から離れたためにクライクハントに邪魔されず、大結界に細工をすることができた。

 そして、「賢者の小石」をトコシエが待っておくべきだと主張したのも泰生だった。

 あの言葉があったためにあの作戦の際でも堂々と結界に仕込んでいた魔法を起動するための「小石」を隠し持つことができた。


 そう考えれば、そもそも最初の地点で彼女の言葉を素直に信じて家にあげた点も不思議だった。暗示の魔法で誤魔化す手間が省けたために深くは考えず、彼のお人好し加減に呆れていた自分に怒りすら覚えている。


 一度や二度ならそう言うこともあるかと思あのだろう。

 或いは奇跡の価値を知らない一般人であれば深く追及することもなく流していたかも知れない。


 奇跡を司る魔法使いだからこそ違和感を持ち、偶然と必然の境界を感じ取ることができたのかも知れない。


 彼が上手うわてだったとか、その謀略の才があったとかではない。


 彼女もまた古川と同じ。

 藤吉泰生という人間を甘く見ていた。

 あえていうなら、古川のそう言った部分に漬け込む才があったということか。


 そこまで説明すると、「ちょっとやり過ぎたかな」などと言って頭を掻く。


 そんな能天気な姿にムッとして「なら、貴方はいつから私がウソをついていると思っていたのですか?」と言い放ってしまう。

 少し大人ない様な気がして、口にしてからやや後悔するが、泰生はさして気にした様子もなかった。


「そうだね。最初に変だと思ったのは最初に会ったときだね」

「まさかそんな……」

 その言葉に驚く前に、彼から出た言葉を疑った。

 そんな嘘をついても彼になんの利益にもならないと分かっていても、疑わずにはいられなかった。


 もしそうだとするならばーー、


「だって、バァちゃんが死んだことを知らないのに、晩年のバァちゃんのこととか、いつ、どんな風に亡くなったとか聞かなかったでしょ。危機を伝えるほどに親しかったはずなのに」

「……」

「あとは、やっぱり『栄光の右手』かな」

 なおもトコシエの失態を続けて説明していく。

「アレは中にいる人間を眠らせる。でも、君は使。理由を考えたら一つしか思いつかなかった」

 確かにあのときに魔道具を使っていればもっと楽に作業は済んでいたはずである。

 その心当たりのあるトコシエは何も言わなかった。

「きっと、僕に印象付けたくないんだな、ってね。

 ともするならば、

「トコシエ。間違ってたら悪いんだけど、きっと夜中にこれを使って大結界を弄ってたんじゃないか?」


 当たりだった。

 屍蝋の塊である「栄光の右手」は、そのおぞましい見た目とも、華やかな名前とも違う。

 最もよく知られた効果は「侵入した家の人間を眠らせる」こと。

 今回、如月の大結界を探る「切り札」とも言える魔道具だった。


「とは言え、私の技術でどうこうできるほどにこの結界は甘くはなかったんです」

「だから、他の基点にアクセスしたかったのかい?」

 その言葉に少し引っかかっていたことが、絡まった糸を解くように理解できた。

「なら、やっぱり大結界を管理するための指輪を渡したのは……」

「まぁ、もちろん古川道治を追っ払うのにも必要だった訳だけどさ」


 言い回しを聞けば、やはりあれも泰生からの手助けだったらしい。


 二人は知らないが、古川は全てトコシエの手のひらだったとぼやいていたが、とんでもない。

 コントロールしていたのは誰だったのかをここで語る必要はないだろう。


「なら、どうしてですか?」

 私が何かを企んでいると、そこまで確信しながら、何故手を貸すような真似をしたのですか?」

 今の段階で口にする「もし、あのときに〜ならば」は負け惜しみになる。

 なるが、言わずにはいられない。

 もし、あのとき泰生がもっと警戒していたとすれば、流石にもっと早い段階で感づいていたはずである。


「まぁ、最初はそこまでするなんて思ってなかったし、最初にトコシエの話を聞く限りじゃそんなに凄いもんとは思わなかったしね」

 どこか他人事のようにさえ聞こえる彼の言葉にやはり呆れたのだった。


「やはりお人好しですね」

「悪かったね」


 そう言って笑ったのは泰生だけでない。

 トコシエもまた、ごく自然に笑うことができている。

 そして、そのことに安堵し、これから自分がすることを心に決めた。


 しかし、その数時間後。

 その夜が明けようとしたときに、トコシエは藤吉邸から姿を消した。

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