四章 星の雫

第26話

 古川道治という外からやってきた魔法使いという脅威は、藤吉泰生という土地の管理者によって、ひとまずは決着がついた。


 結界を呑み込もうとする余所者の一人一人に対処してほど魔導機関は暇ではない。

 それでもクライクハントにした理由は、如月の大結界を管理していた藤吉セツが魔導機関の前身組織である「編纂委員」の創始メンバーの一人であった、という事情だけではない。


 この町の結界が持つと、それを狙ってきた古川道治の目的、という点が大きかった。


 さらにタチの悪いことに、手に入れて何かをしようとしたからではなく、むしろ何もしようとしなかったがた


 大結界を手に入れた時の名誉を狙ったのであって、この街の大結界の持つ力を狙った訳ではない。


 その後、適切に管理をされない危険性がある。


 そのことにより、この国の霊脈の乱れが大きくなったり、偉大秘蹟の一つであるこの結界が失われるようなことがあれば、魔導機関はとしても看過できるものではない。


 クライクハントに与えられた任務はたった一つ。


 大結界崩壊につながる危険を排除する。


 それは古川の無力化、という形で決着した。

 もしこれ以上に駄々をこねるようならクライクハントの手で実力行使に出ればいい。


「もうこれ以上状況が動くこともない……か」


 ※


「終わったみたいですね」


 携帯電話から聞こえてくる声や音から察するに、戦闘は終わったらしい。


 かなりの無茶を要求されたが、古川道治を無事無力化することはできた。

「これで、古川道治の中でタイセイの手柄と思われるのは少しばかり気に入りませんが……」

 そんなことを言い出せば、彼女だって大結界の恩恵を受けての魔法行使なのだから大きい口は叩けない。


 ポケットから一つ「賢者の小石」を取り出す。

 非常用のために持っておけ、と言われていた彼女の魔力ストックである。


「さて、使


 この魔力は身を守るためなどではなく、今この時のために用意していたものである。


 つまりは


 数日前とは違う。

 泰生から渡された指輪もある。

 好機かどうかと言えば、これ以上にないほどに好機だった。



 ※


 最初に違和感を覚えたのは当然ながら泰生であった。


「これって……」


 明確な何かの変化を感じた。


 自分の身体の痒い部分をうまく伝えられない時のような気持ち悪さがある。

 それが大結界の異変であることを感じ取るのに一〇秒もかからなかった。


 意識を失い、仰向けになって倒れる古川を見た。

 目が醒めるまで見守るつもりでいたが、彼に割く時間の余裕は既に無い。


「何かあったのであるか?」

 そこに現れたのは自称医者の紳士。

 闘いの終わりを見届けに来たようだが、どこが普通では無い泰生の様子に何かを感じ取ったようだった。

「あの女。何かしているのか?」

 真っ先にその言葉が出てきたということは、クライクハントには何か思うところがあったのかもしれない。

 泰生は一回頷きボソリと「想定よりも厄介なことを企んでるかも」と悲しげに呟いた。


 しかし、すぐ表情を引き締めて崩壊した教室の入り口に向かう。

「すみません、クライクハント。彼を任せても構いませんか?」

「構わんよ。どのみち、ここで貴君は何もできんのである」

 放った言葉は厳しくも、その言葉は泰生の意思を汲んでいた。

「ありがとうございます」

「まぁ、行ったところで、貴君には何もできんであろうがな」

 ほんの一瞬だけ足を止めて、泰生は歩みだした。

 耳に入らなかったことにして。泰生は歩きだす。


 放った言葉は厳しい。

 しかし、彼が足を止めたのは厳しかったからではない。

 その言葉はどこまでも正しかったため。

 彼自身に魔法もなければ、古川と相対した時のような奇策もない。

 それでも、泰生には足を止めることは


 ※


「厳しいこと言うねぇ」

 泰生が去り、廊下に響く足音が遠のいた後、静寂に浸る前に声が聞こえた。

 その声の主は確かめるまでもない。

「起きていたのであるか」

 まるで覗いていたことを咎めるような声に、動かぬ身体を何とか動かして肩をすくめる。

「まぁ、さっきまで寝てたのは嘘じゃねぇが」

 弁明するような言葉だが、それに関してはどうでも良さげだった。

「それより殺さないのか? 今なら好きに調理できるぞ」

 その言葉に偽りはなく、おどけたように飄々と話しているが、魔法の行使どころか指一本を動かすこともできないほどに衰弱しているのは明らかであった。

 クライクハントであれば魔法に頼るまでもない。

 赤子の手を捻るよりも簡単に片付けることができていたはずだ。


 しかし、二人の勝負の決着を横からかっさらうような真似をすることに抵抗があった。

 手にかけるならせめて泰生がやるべきであって、本人がそれを望んでいないならクライクハントがやることではない、と。

「藤吉泰生に頼まれたのだから仕方がないであろう」

 とは言っても、直接そう言うのも陳腐な気がして代わりにそんな軽口で返した。その言葉に「そうかい」と、こちらの意図を理解してかせずか、鼻を鳴らしながら言ったのだ。


「あの女が何かしていたのか?」

「みたいであるな」

 あくまでも推定。だが、クライクハントにはその推定が的中していることを予感していた。

 占術や未来視は専門外だが、この手の予感はよく当たる。


 古川もその言葉に面白くなさそうである。

「ケッ。全部あの女の掌の上かよ」

 身体はわずかな身じろぎすら出来ないくせして、悪態は立派なことに驚きながら、こう言った。


「さぁ? そればどうであろうな」


 ※


 飛び降りるようにしながら階段を駆け下り、校庭を駆けていたときに電話のことを思い出した。


 戦闘中に繋ぎっぱなしだったことを思い出す。


「トコシエ!!」

 叫ぶと言うよりも、吠えると言った風に泰生は呼びかける。


『五月蝿いですよ』


 そんな不機嫌そうな声を聞いて、いつも通りのトコシエに泰生はやや安堵した。

『何のつもりですか、一体?』

 泰生が何のために電話しているのか、まるで分かっていない風だである。

「え、えっと」

 言葉を止めたのは、希望的観測が頭をよぎったためだ。


 ひょっとしたら、


 トコシエが結界に何かしたなんて言うのは、とんだ早とちりかつ、間抜けな思い過ごしではないのか。

 彼女はまだ布団の中にいて、古川が倒れたのを聞いて寝間着のままグッスリと眠っていたのではないのか。

 体が限界だったから終わってすぐに寝ちゃったとか、そのせいで電話は切られずに繋がっていたとか、寝入ったところに大声出して起こしたもんだから機嫌が悪いとかーー、


『もっと早くに電話が来るかと思ってましたよ。何せ、

「……やっぱ、そんなことないか」


 淡い期待に裏切られた少年は、何か言おうとして口を開く。

 しかし、そこで何を言えばいいかが分からず、開こうとした口を強く閉じた。


『何か言いたいことはないのですか?』

 泰生が黙っていると、逆にそう尋ねられる。


 言いたいことはあった。

 しかし、それをいざ話をまとめようとすると、それが上手くまとまらない。


『タイセイ』

 沈黙に身を任せているとトコシエが静かに声をかけた。

『何も私に言ってはくれないのですか?』

 それはを期待してのことなのだと、朧げながらに理解した。


「トコシエ?」

『いえ、良いです。すいません忘れてください』

 しかし、肝心なことを聞く前にトコシエが強引に話を切った。


 思えば、戦闘中は一方的に合図を出すだけだったので電話越しに彼女声を聞いたのは、今回の通話が初めてだったように思う。


 そのせいだろうか。

 表情を見て話すよりも声の感触がよくわかるような気がする。


 彼女が言った『忘れてください』はとても寂しそうに聞こえたのだ。


「……そう言えば、言いたいことがあったのを思い出した」

『……なんでしょう?』

 少々躊躇ったような間があったがが、トコシエは意を決したように口にする。


 重々しく口を開く。

「トコシエって、声が綺麗なんだね」

『はい?』

 少し裏返りそうになった声をなんとか抑えた、と言うのが分かる。


 放った言葉は果たして適当であったのか。

 ズレたおおよそ不適当な言葉だ。

 我ながらどうかしている。

 でも、きっとその言葉は間違いなんかじゃないと、泰生は信じている。


『……何を言っているのですか』

 そう、憮然としつつも呆れたような声の調子。しかし、先ほどよりもほんの僅かに緊張が緩むのが分かる。


 それだけでその言葉の価値はあったのかもしれない。


 何故か、たったそれだけのことが不思議と可笑しくて笑いが漏れる。

 トコシエはそんな変な泰生を気遣うように『大丈夫ですか?』などと声をかける。


「ねぇ、トコシエ」

 泰生は確信していた。

 ほんの短い数日間の出来事だったが、泰生とともに生活したいたトコシエは嘘だけで塗り固めていたのでは無いと。


(我ながらチョロすぎだろう)

 トコシエが何を企んでいるのか知らない。

 しかし、にどうなるのか、何も知らないままでいることが、今はとにかく怖い。


「トコシエの目的は一体なんなの? 僕やクライクハントも出し抜こうとしてまで何をしようとしたんだい?」

『……』

 永い沈黙の果てだった。

 トコシエはポツリと一つの言葉を出した。


七大神秘セブンワンダーを知っていますか?』

「え?」


 詳しく聞こうとする前に、電話がプツリと切れた。

「中途半端に巻き込んでくれるなよ……」

 それは誰に対してのものだったのだろうか。

 明確な答えを出せないままに駆け出す。


 残りおおよそ二キロ。

 街灯も少ない夜道は、見慣れたはずの通学路を全く違う様相を見せる。

 不安と畏れ、そんな泰生の心を写し出しているような、そんな錯覚に襲われた。


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