第21話
さて、と自分の状態を確認する。
場所は約束した如月高校本校舎の屋上の中央。
服装は如月高校の夏制服。
手にした武装はヒップバックの中に用意した。
「よし」
首尾は上々。
仕込みは充分。
後はその場のノリと流れ。
はっきりと言えば『運次第』。
「人事を尽くしてなんとやらーーか」
不思議な気分だった。
今まで喧嘩すらしたことないと言うのに、闘いを目前として頭の中は空恐ろしいほどに冷静で、心地はといえば「ちょっとそこまでコンビニに寄っていく」という感じだ。
(自分で言うのもなんだけど、これって異常)だよな)
異常事態の連続に脳神経に変調をきたしているのか。
精神の波が大きく揺さぶられたことで、感情が一時的に麻痺しているのか。
しかし、それに構っている余裕はない。
パニックを起こさずに立ち向かえる状態はむしろ僥倖である、と前向きに思い直す。
その時、ポケットに入れた携帯電話が午後一〇時を告げる。
電話の音を思わせる電子音が夜闇に溶けていくのを感じながら、片手でその音を止めた。
「アラームを設定するとは気合が入ってるじゃねぇか」
そんな軽口を叩きながら、ご丁寧にも堂々と正面から扉を押し開く。
堂々と変わらぬアロハと短パン姿を見せたこと。それは自信の表れか。
「そっちこそ。時間丁度にご登場とは格好付けにもほどがあるね」
トコシエを刺した彼と直面して、自分は冷静でいられるか。そこに懸念はあったものの杞憂に終わった。
感情に想定以上の高ぶりは見られない。
「余裕があるじゃねえか。素人が」
短パンのベルトに差した短刀を抜き、逆手にかまえる。
「さっきのアラームが試合開始のホーンだっつーならよ、もう始めちまうが構わねぇよな」
「……そうだね。もう時間は過ぎたわけだし」
そう言って、呼吸を整え、あの時の感覚を思い出す。
身体の中にあの暖かさーー魔力が通る感覚を意識して、現実に引き出す。
周囲から魔力が流れているのを感じる。
魔力の質は目も当てられないが、少なくとも今は無能ではなくなった。
少なくとも世界最弱の魔法使いくらいなら名乗れる程度には。
しかし、それにめげることはない。
それは自分が素人だとかそんなネガティブな理由ではなくーー、
漏れ出た魔力の感覚は間違いなく、あの時感じたトコシエの温かさであったのだ。
「
話し合いの後に、出力の安定と持続時間の延長のみに絞って練習をした。
それは時間にしてはわずか数時間のことだったが、幸い講師陣の薫陶の賜物により、当初の目標は達成できた。
「前よりも安定してるな。たった、一日で何かしたのか?」
「……それはあまり思い出させないで欲しいなぁ」
それがクライクハントに頼んだ内の一つ。
もっとも、必要なことだったとはいえ、あれほどまでに苛烈だと彼が知っていれば頼まなかったかもしれないが。
「あとはクライクハントに人払いをしてもらってる。ウチにあった『栄光の右手』を使ってもらってるから邪魔がはいることはない」
この深夜の学校を完全に眠らせること。
トコシエの荷物の中に埋もれていた屍蝋の燭台に火を灯すことでその敷地内にある人を眠らせることができる。
クライクハントに頼んだことのもう一つはその『人払い』だった。
「まぁ、決闘を申し込んできやがったのはそっちだからな。それくらいはしてもらわんと」
そう話しながらも構えを解くことはない。
互いの動きを図っている状態だった。
距離にして二〇メートル足らず。
泰生の拳も、古川の短刀も間合いは遥か遠い。
しかし、それは魔法使いにとってはさして問題にはならない。
何故なら魔法使いは、それを飛び越える「不思議」を使うのだから。
事実、古川は短刀で作った傷を伸ばす魔法がある。
校舎を傷つけた傷は真っ直ぐ迫ってくる。
校舎につけた傷を伸ばしても、泰生に直接ダメージを与えることはできないが、足場を崩したり、その線を利用して「陣」を張ることは可能だ。
「見せろ」
それは一種の呪文なのか。
魔法の知り始めた泰生には判断はつかないが、その言葉を引き金にして不思議は解き放たれているのは事実だった。
校舎の地面はコンクリートでできており、そう簡単には傷はつかないはずだが、そんなことはおかまいなしとばかりに傷が拡大する。
「コンクリなら傷はつかないとでも思ったかボケが!」
鬼の首でも取ったかのように吐き捨て、魔力を高めて
「コンクリでも、金属で引っ掻けば表面に薄い傷くらいはつく。この『疵の呪剣』は微細だろうが極小だろうが等しく全部デカくできるんだよ」
そんなことは予想していた。
斬り裂き魔の凶行によって金属の郵便ポストが倒れていた地点で。
(ま、僕をマヌケだと思ってくれている分にはちょうどいいけどね)
そして、泰生は古川の短刀、自称「疵の呪剣」の能力にはいくつかの弱点があり、泰生はそれを数度の戦闘で看破していた。
まずは、伸ばした疵は人を直接傷つけられないということ。
つまりは命中しても、ダメージはない。
次に、伸ばした疵は途中で方向を変えずにただ直進するだけだということ。
さらに、全ての行動の起点となるその疵は「疵の呪剣」によってつけられなければならない、と言うルールが古川を強く縛っている。
その場の仕込みを済ませていないこの現状では、疵の拡大による攻撃は古川のある方角からしかやってこない。
つまりは、方向とタイミングさえ見切れば躱すことは無理ではない。
その要領は縄跳びとさほど変わらない。
完全にこの魔道具を活かすのであれば、あらかじめにその場に訪れ、疵をいくつも作っておく必要がある。
つまりは魔法使いに向いた武装であり、相手の裏をかく暗闘に適した魔道具であり、今回のような正々堂々とした決闘に用いるような武器ではなかったのだった。
しかし、古川にそのような事実を見落としていたとも思えない。
先の二度の戦いでは、前記の特性を活かして、不意打ち上等の戦術でトコシエをギリギリまで追い込んだのだ。
ならば何故今回は避けたのか?
それは泰生が本校舎の屋上に陣取っていたことも大きいが、弱者を相手に手段を選ばない姿勢を嫌ったからだ。
それはスポーツマンシップと言った前向きなものではなく、泰生と言う格下を相手に全力を出すことで自身の格を落とさないようにするという後ろ向きなもの。
矢のように迫り来る長大な疵を大きく側方に跳んで躱す。
直接的なダメージが無いと、思い込めば立ち向かうことはできなくはない。
その跳んだ先を二撃目、三撃目と立て続けに狙われるが、ステップを踏みながら踊るように躱す。
「チッ」
漏れ出た舌打ちは隠しきれない苛立ちの片鱗だった。
流石に自身の失態を悟ったのだろう。
しかし、こんなものは序の口で、こんなところで驚いてもらっては泰生としては不本意だ。
(ここからだ)
身体を大きく前傾し、後ろを振り返らずただ突き進む。
その脚の踏み込みは地面を踏み抜くほどの勢い。
矢のように、いや大砲のような力強さを伴って真っ直ぐに突き進む。
「なっ」
その行動に神秘や奇跡とはほど遠い。
それは「疵の呪剣」と比べれば慎ましくささやかではあっても、しかしそれは確かな「不思議」だった。
だが、古川もその程度の「不思議」で怯むほど甘くはない。
すかさず、短刀を振るって疵を伸ばす。
「当たるかよ」
しかし、泰生は器用に正面から躱しながらも直進する。
気づけば握り込んだ拳が届く位置まで踏み込んでいた。
「アアアァアアアァアアツ」
自らを奮い立たせて放った拳は幸運にも古川の顔面を強打した。
しかし、不幸なことに、
「そんくらいでどうこうなるかよぉぉぉ」
素人の拳では一撃で意識を刈り取ることなどできず、逆に拳で殴り返された。
派手な音とともに吹き飛ばされた。
「痛てて」
頬の痛みを強く感じながらも態勢を立て直す。
「雑魚が。拳なら五分五分だとか思ったか?」
少し思っていた、とは口にしない。
正直殴り合いなどしたことなかったので、拳がここまで痛いなどとは知らなかった。
が、
ゆっくりと立ち上がると古川は無警戒に近づいてきた。
「なぁ、ど素人さんよ。俺はこの決闘に意味なんて持ち得てねぇ。
もう強いやつと闘って勝った。これはもう動かないんだよ。この決闘は消化試合だ。
大結界とやらは、クライクハントが睨みを利かせている以上はもう手に入らないだろうしな」
「俺にこれ以上挑んで何のメリットがある?」
都合のいいヤツ、と殴られた痛みを感じていた。
一方的に襲っておきながら、都合が悪くなれば闘うメリットが無いなどと。
その言葉の理不尽さに自然と腹が立った。
(トコシエ、悪いけど
ボソリと漏らした声は、古川には届かない。
ここまで来たら、もっと驚いてもらわなければ割に合わない。
その余裕綽々な顔面を驚愕に歪ませなければ気が済まない。
何よりも、
「トコシエの痛さはこんなんじゃないはずだ」
トコシエの件のケジメをつけさせないままに、如月から出ていくなど許せるはずがないでは無いか。
「それすら分からずに勝手なこと言いやがって」
あれほどゴツい短刀に刺されたのだ。
たった今殴られた自分の頬よりも痛くないはずがないのである。
そう考えれば、一人地面に情けなく転げたままなどと、許されるものでは無い。
仰向けで倒れた状態からのそりと上体を起こし、ふらつく足を根性で抑えて立ち上がる。
「悪いけど。こっから先は本気だから」
それは古川に対して放った宣言であり、自分に対してのそれでもあった。
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