第20話
灼熱の日差しが山の向こうに沈み、闇が辺りを覆っても、夏の熱気を吸った空気がまとわりつく。
決闘を控え、過剰に気が立っている古川からすれば、まるで舐められてるようなこの空気には不快さしか感じない。
唯一、空に浮かぶ月と星明かりが照らす田園風景の優しさだけが心を穏やかにさせている。
その優しさが心に沁みる気がする。
都会の夜を埋め尽くす人工の光は、彼には眩すぎてはっきり言えば好みではない。
「決闘か」
その程度のセンチメンタルに甘んじるくらい許されるだろう。
何せ、魔法使い・古川道治にとって初めての決闘である。
初陣ーーというのであれば、昨日の襲撃がそれであった。しかし、あれは不意打ちで、それでも気分を高揚させる霊薬がなければ、ああも思い切って立ち回ることは出来なかっただろう。
発、縁、陣。
魔法の基本となる技術を十数年積み重ねようと、こと戦闘においては素人そのもの。
魔法の運用を叩き込み、
しかしーー、
(もう退くことなんかできるかよ)
その歩みを押しとどめておけるものは何もない。
と言うのに、
「ーーッ」
目的地の目前で足を止めた。
足が前へ進むことを拒むのを感じる。
大山のような巨獣と出遭ったわけでなし、
大地を引き裂くような裂け目に行き交ったわけでもない。
彼が出逢ったのは暗い闇で、死を振りまく生きた呪詛。
古川にはその人の形をした闇を見通すことはできないが、ソレには人が根源的に恐怖を呼び起こすモノだと分かる。
「フム。貴様は思っていたよりも約定を違わぬ人間なのだな」
「クライクハント、だったか?」
その質問には答えることはなく、彼は直立不動の姿勢を崩さずに強い視線で古川を縫い付けた。
口にした霊薬のせいか、それとも全く別の要因か。
昨日見た時に感じた以上の不吉な気配がその男から感じ取れた。咄嗟にその時に受けた正体不明の攻撃が脳裡を過ぎる。
体を襲う異常な倦怠感。
力が抜ける四肢。
集中力の低下に吐き気。
どんな神秘を含んでいるのか理解できないほどの脅威が目の前にある。
「警戒せずともよい。私は今日は静観するだけなのだ」
「どの口でンなこと……」
「分からんのか? 今は発を絶っている。貴様が恐れる魔法は発動することはない」
そんなことは分かっている、という言葉は口から漏れる寸前で止まった。
そんなことを口にすることは己の格を貶めることなど口にしたくはない。
「何のつもりだ? 敵の前で丸腰とはいい度胸だな」
「いやなに、今は貴様に敵意がないことを示すことに重きを置くべきだと考えたが故の選択である。
決して侮っているつもりはない」
その言葉を素直に受け止められず、訝しむように睨むと、溜息をついたクライクハントは仕方なし、と「それにーー」と続けた。
「素手だからと言って遅れを取るつもりはないのでな」
侮辱ともとれるセリフだが、それは決して傲慢さくるものでも、ハッタリを効かせたわけでもないのだろう。
事実、山の泰然と構える彼は、言葉と裏腹に隙だらけ。それでもどこを打ち込んでも倒せそうにない底知れなさがある。
「不吉なやつだな」
「そうであろう。私の魔法は生者の冒涜に近いか故に、そう感じても致し方ない」
それは少し残念そうな声。
そしてそれよりも残念そうな目で古川を見つめる。
「貴様の陣は優れている。間違いなく私のそれより高度な『不思議』だ。
だが悲しいかな。貴様は魔法使いとして未熟だ。
知識も技術も足りないのは仕方がない。だが、何より深刻なのは魔法使いとしての覚悟が足りなすぎる」
「覚悟?」
「貴様がやって来たことはこの一〇年の全てが無駄だと言っても差し支えはないのだからな」
「ーー」
感情が塗りつぶされるのを感じる。
当然だ。それは古川にしてみれば侮辱でしかないのだから。
家を飛び出し騒ぎを起こしたことや霊薬に頼ってまで人を刺したことだけではない。
自らの身を削る一〇年の修練の全てを否定されたのだから。
「いや、正確にはそれなりの覚悟は背負っているが、覚悟の方向性を履き違えている。
魔法使いは『人を助けなくてはいけない者』なのだから」
「何をーー」
「それがわからない地点で君は魔法使いではない。恐らくはーー」
「黙れ!!」
聞くに耐えないとばかりにクライクハントの脇を通りすぎる。
短刀で斬ることも刺すことも過ぎらなかったのは、一刻もこの場から離れることを優先したのだ。
この先に何を言おうとしているのかは想像がつく。
『恐らくはーー藤吉泰生のほうがより魔法使いらしいだろう』
その単語だけは聞きたくはなかったのだ。
※
「全く……どうしようもないヤツであるな」
藤吉泰生と古川道治。
それはどちらに対しての言葉なのかはあえて口にしない。
誰かに聞かせる言葉でないのだから当然だ。
そういう彼も未だ未熟である自覚はある。
しかし、古川は未熟な意味すらも分からず迷走しているに過ぎない。
そして、泰生は技術は未熟どころか無知であるにも関わらず、思考は人を踏み越えていた。
数刻前。
もう一人の未熟者と話した時に言った。
「本当に私が手を出さなくても良いのであるな?」
その最後通牒のような質問に、躊躇いの様子もなく「はい」と即答した。
「僕がやろうとしている弱いから活きてくるんですよ。
僕を侮る心の隙間に漬け込む奇襲なんです。だから、完全に油断をしてもらわなくてはいけないんですよ」
後に「だから、要りません」と続きそうだったが、流石に言葉にすることはない。それくらいの礼儀は弁えているようだった。
もっとも、頼まれたところで直接手を貸すつもりなどなかったが。
「なら、私ができることは何もないのであるな。ここはひとつ、ゆっくり休ませて頂こうかね」
そばに置かれたソファにもたれる座るが、「いえ、ひとつお願いがあるんです」とすかさず声がかけられた。
先程と違う台詞に「は?」と思わず剣呑な声が漏れる。
「あぁ、いえ。矢面に立てとか、そう言ったことじゃありません」
慌ててが誤解を解こうと付け足す。
しかし、そうでないのならば一体、何をさせようと言うのか。
「大した仕事じゃないんですが、ひとつ重要な仕事をお願いします」
そう言って魔道具をひとつ差し出した。
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