第12話
千年桜。
流石に八月にもなって花は咲いておらず、葉が生い茂る。どんな種類の桜なのかは分からないが、一年以上通っているので何度かこの桜を目にしているので、なかなか見応えのある桜が咲くことくらいは知っている。
本当に千年前からこの場所に腰を据えていたかどうかはサッパリだが、少なくともこの学校があるよりも前にこの街を見守ってきたことは違いないらしい。
大きさはそれ程のものではない。
だが、今まで積み重ねてきた歴史の分だけの風格が備わっていた。
が、トコシエはさほど心動かされることなく、桜よりもその周りの地面にご執心の様子。
「何やってんの?」
「結界の魔力の流れを視ているのです」
当たり前のことを聞くなと言いたげでどこかぶっきらぼうだった。
基点とやらを探していることは泰生でも知っていたし、それがどちらかと言えば地下に埋まっていることも説明を受けたわけだが、それでも落ちたコンタクトレンズを探すように四つ這いで動き回るトコシエはどこか間抜けで新鮮だった。
「……何か失礼なことを考えていますね」
「え? いやいや、そんなことはないよ」
その鋭さは魔法由来のものなのか、背筋に寒いものを感じながら慌てて否定する。
「まったく……、貴方も手をーー貸すのは無理でしたね」
「面目無い」
一度、「縁」を感じ取ったと言っても、それはトコシエの手を借りてのこと。
未だ、魔力のなんたるかを理解していないトコシエが再び結界内を感知することは不可能である。
醒めた目で「隅っこで大人しくしてください」と言われれば、泰生もその場で突っ立っているのは居心地が悪く、言われるがままに隅っこに身を寄せた。
塀にもたれるように座り込み、必死に探しているトコシエを見る。
なぜあの少女はあそこまで必死なのか。
ひょっとしたらとんでもない事態に繋がることなのかもしれないが、それでも不利益を被るのはトコシエではなく、泰生である。
なぜ、彼女がそこまで必死にーー、
「とか言ったら、また怒りそうだな」
そんな未来が簡単に予想できて笑ってしまう。
そう言ってトコシエの方を向けばーー、
「ーー」
彼女の名誉のために、何が泰生の瞳に映し出されたのかを明言することは避けておく。
ただ、あえて説明するのなら、どこかに引っ掛けたのかスカートがちょっぴりとズレてしまっていた。
「ちょ、トコシエ!」
「何ですか?」
探す手を止めずに動き回っていた。
今のスカートの状態を正しく説明するためにその言葉を頭で紡ぐ。
が、
「ーー何でもない」
指摘する声が喉まで出る前に、その言葉をそのままぶつけることは躊躇う。
「?」
不思議そうに首を傾げたが、トコシエはすぐに基点を探し始めた。
なおも気付かずに探し回るトコシエのスカートは変わらぬままだ。
(どうしよう……)
こう言うのは大体指摘が遅れれば遅れるほどマズイ気がする。
そう、そもそも相手はトコシエであるのだ。
指摘しても、「あ、本当ですね。ありがとうございます」とその澄ました表情をピクリとも崩さずにスカートを直すかもしれないではないか。
それに、放っておいても彼女が立ち上がれば勝手に捲れた部分が元に戻ろうとするかもしれない。
(いや、でも……)
状況としては、この後自分で今の状況に気づいてしまうことが最もマズイのだ。
(気がついていて黙って見ていた、と思われるのはサイアクだ)
これからの関係を考えても、男としてもそれは避けたい。
「えっとね、トコシエ……」
意を決して声をかけるが、語気が徐々に弱く、尻すぼみになっていた。
「何ですか? さっきから何だかおかしいですよ」
それはお前のスカートだよーーと言えたらどんなに楽だろうか。
(いや、落ち着け。そんな言葉選んだらどう考えても詰みだろう)
「何なんですか? もう」
手を止めて、やっとこさ振り返る。
いや、振り返ってしまった。
「え? あれ?」
流石に自分の様子に気がついたのか、いつもの口調が多少崩れた。
だが、そのあとは見事なもので、淀みない動きでスカートを直すとコホンと上品に咳払いをする。
その態度を見て少し安堵した。
見た目は泰生よりも歳下にしか見えないが、誇りある魔法使いは些細な事柄で目くじらを立てるようなことは言わないようで、さーー、
「タイセイ」
と思っていたが、どうも彼女の口調はいつもよりも硬い。
「ハイ、ナンデショウカ?」
それが気のせいであることを祈るが、それが望み薄であるのは認めざるを得ない。
「いつから気づいてましたか?」
その言葉の冷たさが常よりも一層冷え込んでいることに気づいた泰生は、もう今後の運命が決定的になったことを感じ取る。
「え、いや。さぁー、何のことかね。僕はさっぱり何のことか分かんないんだけどさぁー」
「タイセイ」
それはいつものトコシエの口調からすればほんのりと優しかったが、それが逆に恐ろしく感じた。
下手な言い訳は状況を悪くするだけだと悟る。
「えっとね。一分……いや、三〇秒かな? 僕もすぐ声をかけようとしたんだけど、気を悪くするんじゃないかなー、なんて思ってさ。ちょっと悩んだんだけど、でも、トコシエも僕が黙ってたらメッチャ怒るでしょ? だから僕はすぐ声をかけようとしたんだけど、その前に君ってば自分で気づいちゃうんだもん。もう、僕ってば冷や汗ダラダラでさー。参っちゃうよねー、えへへ」
「……」
さほど姦しい少女ではない。
それ故に普段の口数が少ないことなどいつものことである。だが、それが何故か恐ろしい。
そのせいか、ついついと饒舌になる。
「えっと……いや、ゴメンゴメン。恥をかかせるつもりなんてなかったんだよ。
いや、僕もちょっと驚いちゃってさ。だって、トコシエが見た目の割には意外と色っぽいパーー」
「ーー!」
その後、泰生の意識が断絶する。
この少年、ちょっと余計なことまで喋りすぎだ。
※
「? あれ、いつのまにか寝てたのかな?」
気がつくと、桜の根元を覆う芝生の上で寝ていたらしい。
寝ぼけているのか、今ひとつ眠る前の記憶が曖昧だ。
「目が覚めましたか?」
芝生の上に足を崩して座っていたのはトコシエだった。
「ゴメン。なんか寝ちゃってたみたい」
いくらなんでも緊張感がなさすぎる自分の行動に呆れてしまう。
襲撃されているのは自分が住む街で、奪われようとしているのは祖母の形見であるというのに。
「もう、結界の防衛ってのは終わったの?」
「いえ、基点の位置は判明しましたが、私でも下手を打てば防衛機構が暴走するので、貴方が起きてからするつもりだったんです」
暴走、という物騒な響きに泰生は身体が自然と引いた。
「大丈夫です。そんなことは滅多にありません。そもそも、魔法の機構には一切手を加えませんが、数百年クラスの大結界ですから。甘く見ないだけです」
「はぁ」
はっきり言って、噛み砕いて分かりやすく説明しているのがわかるが、どういうことなのかはさっぱりである。
「なんか悪いね。全部押し付けちゃって。挙句には寝ちゃうし……」
一瞬、本当に一瞬だがトコシエが固まったように見えた。
「少し強く殴りすぎたみたいですね……」
「トコシエ?」
「……いえ、なんでもありません」
小さい言葉であったので、何を言っているのかよく聞き取れなかった。
「私が勝手にやっていることです。貴方が気に病む必要はありません」
「……なんだか優しいね」
「さぁ、気のせいでは」
しれっと言って立ち上がる。
「さて、仕上げです」
その視線の向こうには、千年桜がある。
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