15. 自死にいたる病 Krankheit zu Serbstmord

 「……というわけで、いま師匠が状況を見ています。まあ、私たちがとやかく言われることはないと思いますが……」

「何やってんの?!」

エミーは絶叫した。直前まで巻いていた包帯は腫れもののように膨れ上がり、モニカの左腕を必要以上に締め付けていた。

「エミ?指が動かないんだけど……?」

「モニカも、なんでノリノリで応戦してんの!明日ほどいてあげるから、一日それで過ごしてなさい!」

ひとしきり騷げたのも、すでに大勢が決したからだった。ツオガルデンに向かっていた暴徒集団はFoLVと警察当局によって押し留められ、トーア広場で壊滅せられたのである。猛威を振るった催涙ガスの分子が双方の服に染み付いたものだから、救護所は鼻の利くナタリエとって厳しい環境になっていた。

「エミーさん、ちょっと、休んできても……?」

「ん?いーよいーよ。あっちで休憩してて。しばらくしたら戻ってきなよー……」

二人の扱いに辟易していたエミーは彼女に構っている余裕もなさそうで、これ幸いと匂いのこもった幕屋から解放されると、澄んだ冷気をふんだんに肺に取り込んだ。数時間働きづめでオーバーヒートしていた頭の感覚が正常に戻っていく。ふと空を見上げるとすでに薄ら明るくなり、夜の終わりが近付いていた。

しばらく静寂の中でナタリエはこの数時間のことを思い返していた。騒乱に倒れた人々の怪我の度合いは自分にはとても看れたものではなかった。苦しみに悶える声も耳に残ったままだった。役に立てることもそんなにないし、こんなおっかない所、はやく帰りたい……。

そう思っていると、入り口の方から一台の車が石畳の遊歩道をこっちに向かってきた。ハイビームのライトに照らされて思わず目を背けたが、降りてきたのはラウラだった。

「ボス!来たんですね!」

後ろから駆け寄ったエミーが出迎えた。

「お勤めご苦労様、エミー。アルベルトと話があるのだけどどこかしら?」

「はい、今は表門の方かと……」

「わかったわ。そろそろ警察の方も本腰入れてくるでしょうし、怪我人引き渡したら解散して大丈夫とドクトルにも伝えといて」

「了解です!おじいちゃんにも云っておきますね!」

「ありがとう。……ナタリエもご苦労様。パウラに送ってもらって、もう今日は上がっても大丈夫よ。」

そう言い残して彼女は払暁の曙光の中に掻き消えていった。運転席の窓からパウラが顔を上げて手を振る。

「う~ん、終わった終わった~!ナタリエちゃんもお疲れ!初めてだったのに手際よかったんじゃない?」

「そ、そうですか?へへ……あ、片付け手伝います!」

そのうちラウラのいうとおりベーアヴァルト市警が救急隊員らを引き連れてテントを訪れ、身元の確認と搬送を同時に進めていった。次第に空になっていくベッドが撤去され、テントは一つまた一つ畳まれていった。いつの間にかモニカもユッタもいなくなっていた。

「もう大丈夫かな?じゃあパウラさん、よろしくお願いします」

「ええ、エミー様もお気を付けて」

自動車のエンジンに火がつき、明け方の街に繰り出される。昨夜の傷痕は通りに散乱し吹きすさぶゴミの群れで明らかであった。

「今日のスケジュールは白紙にしましょう。休息は充分にお取りくださいね」

屋根裏部屋に戻ったナタリエは辛うじて着替えだけを済ませ、手早く、日が傾くまでベッドに潜り込んだ。


「これが本事件の詳細です」

翌日、応接室で二人の人物が対面していた。片方はラウラ、そしてもう一人がNS党の重鎮にして内務省高官のハインリヒ・ラインマイヤーである。彼は自らが管轄する警察やその他捜査機関の持ちうる情報を携えてこの場にやってきていた。

「議会前で火を付けた男はハンス・シュネッカー45歳、ベーアヴァルト市ツェントラール地区在住の労働者です。犯罪歴はありませんが、近隣の警察署に度々苦情が。相当の飲んだくれのようで……」

ラウラが拾い上げた資料には、その男の容貌を写したものが二つ─一つは生前の、もう一つは焼け爛れて激しく損傷した──収められていた。湧き上がった不快感を淹れたてのコーヒーと共に胃の奥に流しこむ。

「とても政治活動に熱心なようには見えませんが?」

「その通り、彼はこの15年間いかなる政治的集会にも参加しておりません。我々の見立てではそうした動機に基づくものではないのです。これを」

「……酷い傷痕ですね。これも彼の?」

「ええ、顔の一部がこのように損壊していました。ただの火傷ではこうはなりません。ハンスは恐らくロイコ症ではないか、とするのが我々の推測です」

所謂ロイコ症という病がある。体内に侵入した寄生虫によるもので、特定の宗族にのみ発症する。その症例は健忘、感覚喪失などが挙げられるが、特筆すべきは強大な自殺衝動だ。

「ロイコ症?ですがそれは……」

「勿論、この説を立証するには証拠が不十分な状況です。本体の虫は見つかっていないし、治療歴がなく放置されていたのも不自然、そして……」

「ロイコで焼身自殺した者は皆無、そうでしょう?」

「その通り。過去500年、このようなロイコ症の死に方は例がありません」

ロイコ虫が何故宿主を死に誘うか?という問いに対し、定説では種の拡散が目的だといわれている。つまり、亡骸を禽獣に喰わせることで虫の卵がその体内に宿り、遠く離れた地に定着させることを狙っているのだ、と。その理論でいえば、この虫が炎を忌避するのは当然といえよう。しかし、目の前の報告書にはその原則から大きく外れた言説が堂々と開陳されている。

「このこと、まさか本気にしてないでしょうね?」

「……あくまで客観的な根拠に基づく推察です。当然、誰もそうは思わない事でしょう。それより気にしなければならないことがあるのでは?」

「……報復があると?」

話の本題はむしろそちらの方だった。昨夜の事件でモニカ、ユッタ両名により攻撃されたのは、NS党の武装部門、通称SEKと略される社会改造闘争のメンバーだった。

「根本はSEK側の不手際ですから、表向きは手を出してこないでしょう。ですが、うってつけの口実を得たとも思っている。10年前に彼らの野望を潰した件、忘れた訳でもありますまい?」

「あれ、まだ根に持ってるの?敵対していたわけでもないのに?」

「ええ、だから余計に今日党が存続しているのは自分たちあってのものだと信じ込んでいる。私も厄介だと……と、今のは失言でしたね」

「聞かなかったことにするわよ」

「ありがとうございます。それで、我が党としても此度の加害行為に対して特に引責を求めるものはありません。もし彼らが行動を起こそうとしているのなら……」


内務省の建物をでると、雪が積もりはじめていた。

「お話はどうでした?」

「ユッタ。あまりいい状況じゃないわね。でも勝機は充分。わかってたことだけど、あなたたちへの処分もないわ」

「ありがとうございます。あ、傘差しますね」

どこからともなく取り出した折りたたみ傘を広げ、ユッタは車までのみちすがらラウラの頭上に差し出した。

「あの子には早めに鍵を開けさせるようにしましょう。アルベルト、頼める?」

「了解だ」

運転席に座っていた彼は、まっすぐ進路を確認しながらアクセルペダルを踏み込んだ。

「その新人の子、誰が担当するんですか?」

「そうね、最初はモニカが適任でしょう、エミーもつけてやって……あなたは後よユッタ。あの子に実力が備わるまではね。当面はSEKの動向に気を付けるように」

「はーい。ちょっと残念ですが……」

「気を引き締めなさい。あるいは総力戦になるかもなんだから」

 一夜明けたトーア広場はほとんど平静を取り戻していた。あの惨状はまるで夢であるかのように人々は通りを行きかっている。だがこの車の中の人間ははっきりと現実を認識していた。今やはっきりとした敵の姿を脳裏に浮かべながら……。

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