14.規制線の中の争乱 -Kampf in verbotener Zone
視点を変えて、時間を少し前に遡ろう。ツォーガルデン公園の中心部にあるベースから北に向けて足を進めること約5分、暗闇の中を懐中電灯一本で歩いていたモニカの前に、街灯の明かりの下で独り佇む者が現れた。背中が丸ごと隠れるほどの長い赤髪で、モスグリーンのコートとは対照的だ。彼女の存在に気が付くと幼子を諭すように首を傾げてモニカの目に視線を注いだ。
『あら、モニカちゃんじゃないですか。何で……って、ちょっと、本当に何してるんです?』
その顔に取り付けられていた不敵な笑みは、非情にも眩い光によって崩れ落ちる。
『いや?こんなに暗くちゃ誰か分かんないからさ、念の為。悪いねユッタ』
『あなたったら、そんなことしなくても分かるでしょうに……それで、エミちゃんは?』
『来ない。それが命令だから。今頃嬉々と新入りの相手してるんでしょうよ』
面白半分に浴びせた懐中電灯を切ると、モニカは満足そうな目で相手の表情を窺った。対してユッタの方はもうその仕打ちを忘れ去ったかのように平然とした態度に戻っていた。
『ああ、確か一月前の……まあそれはいいのだけど、あなた、得物はどうしたの?』
『得物?……あっ』
先にモニカが運んでいた所謂擲弾筒、彼女が前線部分で使う予定だったものは、アルベルトに強いられ置いてきていたままだった。今彼女の手元にあるものはポーチに忍ばせていたその弾だけだ。
『……ユッタはさ、今どんくらい持ってる?』
幾度かその場で外套を翻してみるも、無いと分かっているものを見つけられるはずもなく。
『んー、ゴム弾の
『……手に馴染むやつでお願い』
『ええ、もちろん!一つ貸しにしておきますからね』
そういってユッタが差し出したのは、簡素な造りをした拳銃だった。モニカはその状態を検め、そのまま腰のベルトに差し込んだ。
『いいね、それで作戦は?』
内緒話をするかの如く、ユッタは街灯の照らし出す光の円から影の中に踏み出しモニカに近付いていく。
『いいですか、丁度あの辺りの植え込みに潜んでます。何人かは素直に出頭してくれたんですが、もう何回呼び掛けても応じる気配もありません。どうしたものかと悩んだのですが……代わりにあなたが来てくれて助かりました』
『つまり……これ、使うって?本気で?』
『ええ、煙玉くらい使って構わないでしょう?もうこの場に保護対象の善良なる市民はいないんですよ』
スポットライトから外れたユッタの視線と口調は承前と比べてえらく冷めたものになっていた。
『ともかく戒厳が敷かれた以上、留まってもいいのは私たちと怪我人だけです。辛いことですが、規定通りにさせてあげませんと……』
ユッタの頭髪の編み込みは勝手にほどけ、4つの房となって垂れ下がった。その内2つの先端には、それぞれ拳銃が巻き付けられている。
『厭で厭で仕方ありませんが、私が手を下してきますよ。モニカちゃんは援護を頼みます』
『……ユッタ』
『はい?』
『その顔、何も隠せてないぞ』
その指摘を受けて、ユッタは自分の頬に手を当てる。彼女はようやくそこが紅潮し、口元も緩んでいることに気付き、バツが悪そうに顔を背けた。
『あらら、私としたことが、はしたないところを……』
そしてその表情を覆い隠すためであるかのように、リュックサックから取り出したガスマスクを装着した。
『今のは内緒にしといてくださいね?』
『わーってるって、とっとと行きなよ』
『はーい、それじゃあ早速お願いしますね』
姿勢を低くし、低木の列に沿いながら赴くのを見送り、モニカは弾を手に取った。掌に収まるほどの大きさで、刺さっているピンを引き抜くと火花とともに白い煙が音を立てて漏れ出ていく。
まったく嫌になる、あの異形者の引き立て役に徹するなんて。
『はあ……』
モニカもまた遊歩道から外れ、同じ方向に駆けていった。目標に向かって大きく振りかぶり、閃光は弧を描いて草叢の中に消えていった。
破裂するまでは数秒もかからなかった。大きな音とともに白煙が辺り一面を覆い隠す。すかさず2つ、3つ目を両翼に投げ込めばその勢いは留まるところを知らず、流石にモニカも退かざるを得なかった。この煙、単なる目眩ましでなく、催涙剤の混じった暴徒制圧用の非殺傷兵器そのものだからだ。その劇臭に慣れているとはいえ、モニカも敢えて近付く事は無い。ところどころで酷く咳き込む声や嗚咽混じりの泣き声が聞こえてくる。このまま引き返して柵を越えてくれればよし、然らずば……
懐中電灯とハントヴェルケ銃を構え、じっとその場に屈み込む。人工の光に照らされた煙は大気の流れを的確に捉えていたが、すぐに乱れが生じた。
『ゲホっ、ゲホ……っあ〜〜〜!』
たまらず靄のなかから飛び出てきたのは一人や二人ではなかった。大半は解放された途端にその場でへたり込んでしまったが、中には肩で息を切りながら、怒りに満ちた表情で辺りを見回す男がいた。彼は自らを照らす明かりに気付くそちらに向けて指を差し、語気を荒らげて喝破した。
『貴様、貴様がこれをやったのか!ふざけやがって、そこを動くンガはァっ……!』
だが、その口上を終えることなく男は地面に突っ伏した。モニカの発したハントヴェルケのゴム弾がその頬に食い込み、ただでさえ煙を吸って朦朧としていた脳天を激しく揺さぶったからだ。
『こっ、こいつ……やれ!』
本丸が倒れ、取巻き連中はこの仕打ちに憤慨するものの、見つかっては気絶させられていった。だが、モニカも悠長にしていられなかった。鼻を潰してあるとはいえ、光源を持つ彼女の位置は敵からは丸わかりなのだ。それにハントヴェルケ銃は射程が短く、限りある弾数のうち、すでに撃ち漏らしも発生していた。
『数が多い……』
向かってくる人数は時間が経つにつれて増えていく。徒手空拳がほとんどだが、木の棒やなにやらを頼りに迫り来ていた。それにしても想像以上に抵抗が激しい。今この時点でこの場にいること自体まともな一般人ではないことを証明しているが、ここまで武闘派揃いとは……
『おらぁ!』
そのうちの一人がすぐ近くまで寄り来て、彼女の持つ光に向けて得物を振り下ろした。
『っ……』
左手甲の装甲骨で防いだものの、懐中電灯は叩き落とされてしまう。すぐに蹴りの一撃を喰らわせるも、これ以上打つ手を持ち合わせていなかった。かくなる上は──
『ユッタ!後は任せた!』
時間稼ぎにはもう充分、自分の仕事はこれで終わりだ。と、背を向けて芝生の広場から遊歩道近くまで後退した。息を殺して街灯の陰から窺うと、直後に銃声が鳴り響き、乱射されたゴム弾が四方八方に飛散する。
『任されました!ええ!』
その中から、場違いなくらい正気を保った声がこだました。すでに煙の大半は風に混じってかき消されており、ユッタは重々しいガスマスクを取り去っていた。鼻にひりつく程度には残留していたものの気にする向きはなく、辛うじて立ち上がっていた最後の一人が事を理解する間もなく手刀を叩きつけ、その場には静寂と十数人に及ぶ体軀が横たわるのみとなった。
『大丈夫?立てますか?』
ユッタはまっすぐ遊歩道まで歩み、路面に座り込んでいたモニカに声を掛けた。
『っ痛……アイツ本気で叩きやがった、エミが来なくてよかったよ。そっちは?』
『私?見ての通り無傷ですよー。ほら、怪我してるならさっさと戻りましょう?』
そうしてユッタが差し出したのもまた左手だった。打たれた箇所を気にしていたにもかかわらず、そうした行為をするのは分かっていたので敢えて右手で掴んで立ち上がった。それを見越してか、ユッタもバランスを崩すことなく引き上げる。
『じゃ、どうするのコイツら。放置する訳にもいかないでしょ』
『ええ、ですが運ぶのを手伝ってもらうにも、何人倒れてるのか私にもよく分からないのです。モニカちゃんは覚えてますか?』
『いいや、アタシも忘れた。懐中電灯も落っことしたし、もうあっちに行きたくもないわ』
『はぁ、仕方ないですね……それも探しておきますから、ちょっと待っててください』
呆れた調子を含ませながら、それでもユッタは現場に戻っていった。それで緊張が解けたのか、今更痛みを強く感じるようになる。これはまずい、早くこの場を離れたいと思っているとどうも様子がおかしい。突然現れた光の筋はユッタが懐中電灯を拾い上げたことによるものだとは瞬時に判別できたのだが、すぐその光がこちらに向けられるようになった。
『モニカちゃーん!こちらへ!』
振り回される光線に呼び寄せられ、モニカもそちらへ向かった。あまりいい予感はしなかった。
『何さ、そんな急かして』
『いえ、これなんですが……』
彼女は手にした懐中電灯で足元を照らしだす。そこにはモニカが手を掛けた輩の図体が横たわっていた。
『あなた、本当にやってしまったのですか?』
その身を包む衣装は褐色を呈した軍服を模したもので、襟元にはライフルを象った徽章で飾られていた。
『これ、NS側の人間ですよ』
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