第3話 ターク・デア・レプブリークの惨劇 -Katastrophe vor Tag der Republik
10. 篝火の夜 -Marschierte nach dem Tag der Republik!
通暦1959年1月末日
街の裏通りを一人の影がゆらりゆらりと覚束ない足取りで歩んでいた。男は飲んだくれだった。整っていない髭面とぼさぼさの体毛を何日も洗っていないシャツと帽子で覆い隠し、財布もすっからかんで、今しがた
『~~……』
この日もこうしてあてもなく巷間をさまよっていたところ、裏通りの奥から妙な声が聞こえた。何となしにその方向へ近づくと、何かを言い争っていることだけは分かった。
『……あーあ、ここにもいねえ。場所あってんのか?』
『確かにここが溜まり場のはずだ。誰もいないが』
『だから言ったでしょ、そんな古い情報をあてにすんなーって!もうとっくに浄化されたんだわ!』
『あーもうめんどくせえ……って、おい』
しかし男には彼らが何を言っているのかまったく理解できなかった。酔っていることに加えて、彼らが外国語で会話しているからだった。
『お前ら、そこでなにしてんだよう?え?』
『……何か絡んできやがったぞ。どうすんだよこれ?』
『落ち着け、一般人なら話の内容まで分からないはずだ』
しかし自分を無視して小声で話し続ける彼らに対し、男はいらだち始めていた。しかめっ面で彼らの方に近付くと、リーダー格と見られる女がつぶやいた。
『あれ、こいつそうなんじゃないの?』
それを聞いて全員が一斉に男の方を向いた。先程の焦り様とは打って変わったその無表情ぶりは、本能的に恐怖感を呼び起こす代物だった。
『本当だ。丁度いいな』
『だな。とりあえずやるか』
と言い終わるや否や、三人組のうちの男二人が酔っぱらいに飛び掛かった。不意を突かれた男は抵抗することもままならず、あっという間に組み伏せられてしまう。
『ンンっ!ン~~~!』
『おい、ちゃんと“ロイコ”の準備できてんだろうな?!』
『勿論よ!そいつを押さえてて、口ん中にぶち込むから!』
『なっ、止め……』
一瞬解放された男の口も、すぐに瓶の容器を押し込まれて黙らされてしまう。中に入っていたゲル状の液体が否応なしに体内に侵入していく。段々と息苦しくなり、意識も遠のいていった。
『あー、哀れなおっさんよ。次に目が覚める時にはきっと全身が凍えていることでしょう?』
そんな中、女は酔っぱらいの男にも分かるロイテ語で語り掛けた。
『なるべく人の多いところに行きなさい。後、この時間帯で明るいところ……ま、どこでもいいけれど。暖はこれで取るといいわ。んじゃ、おやすみ~』
その言葉が幾度も頭の中を反芻し、男の意識はそこで途絶えた。
――――
次に目を覚ましたとき、男は何故そこにいるのか分からなかった。寒空の下、むっくりと起き上がる。
『……サミい……』
冬なんだから当たり前だ。いつの間にか酔いも覚めていた。何時からこんなところに居たのか定かではないが、とにかく、行かなければならなかった。どこに?……人が沢山居るところ。どうしてだ?理由なんて後でいい、今はとにかく人の集まるところへ……!
男の手にしていた瓶には、いつの間にか中身がいっぱいになって麻布で栓を施されていた。しかしそんなことは些細な問題でしかない。しかしそんなことは些細な問題でしかない。彼は大通りに躍り出ると、偶々市街を行進している一団と巡り会った。彼はその中に難なく潜り込んだ。
群衆は各々の手にプラカードや松明を掲げてツェントラール区の目抜き通りを練り歩いていた。彼らの主張する所はノイシュタート・NS党への支持を表明することだった。世界有数の大都市ベーアヴァルトで組織化されただけあって、何万もの人間が一堂に会している。
目的地ターク・デア・レプブリーク、すなわちロイテ共和国議会はこの国の政治に関する最高意思決定機関である。その館内では僅差で政権与党となったNS党と野に転落したロイテ集産党の議員らによって、深夜を過ぎてもなお激しい政争が繰り広げられていた。
その日はいつにもまして風の強い夜だった。ターク・デア・レプブリークの正面に位置する芝生の広場には両党の支持者たちが集結していた。互いに罵声や怒声を浴びせ掛け、一触即発といった雰囲気の真っ只中にあった。抑制を保つことが出来たのは、単に両者の物理的な距離が遠かったからに過ぎない。ポツポツと炎が燃え盛り、人々は興奮冷めやらぬ状態でいた。その只中にあって、男の思考は全く異なる位置にあった。
極限状態まで達したところで、男は隣人から松明をひったくり、手にしていた火炎瓶に火を灯した。それを高く掲げると、歓声とともに群衆の視線が一挙に彼に注がれる。だが、男はその意を介さず、あろうことかNS党派のど真ん中にいる自らの足元で叩き割った。そんなことをすれば自身が火に包まれるのは勿論、周囲にも火炎を浴びせ掛けるのは必定である。周りにいた不幸な何人かは燃え盛る液体を直に受け、勢い強風に煽られたため徒に広がっていった。
その光景はまさしく阿鼻叫喚という言葉がふさわしい。しかしこの凶行を企てた当人は恐らく、この状況に対して誰よりも当惑していた。
『……あ、熱い熱い熱い熱いッ!ああああああ!』
文字通りの血涙がとめどなく流れ落ち、その形相は恐怖に歪んでいた。
『何だ、誰だお前は!嫌だ、出ていけ!出ていけぇ!』
だが喉は焼け爛れ、その悲痛な叫びは業火にかき消されていった。その左目は悍ましいほどに黒く濁り、彼の意思とは無関係に蠢いていた。すべてが炭と化すまで。
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