8. クランとフォルク -Clan und Volk

 話を続ける前に、この世界に現生している人類について言及しておかねばならない。ナタリエやアルベルトのように夜になって活発になるものだけがヒトの特性ではないのだ。


 その最たるものは“鰓持ち”と称されるグループで、全人口の約半数が当てはまる。その名称の通り、水中での呼吸を可能とする器官を持ち合わせている鰓持ちがどこで生まれたのかは長らく謎であった。しかし、戦前から続くロイテを始め各国の学術調査の進展によってその起源が明らかにされつつある。それは帝国の植民地政策と密接にかかわっていた。


 太古の昔、この星全体を変貌させた大きな出来事があったらしい。当時は文字や紙などもちろん発明されていなかったが、人々はその光景をどうしても後の世に伝えたかったと見え、空を模した岩盤をキャンパスにして3つの巨大な筋を描いてみせた。

さながら空を切り裂くが如く。


 そのような岩絵はラウレンティアやイフリート、シンディバリーやクヴァーディ、リバタリアやザーフルなど世界各地から発見され、長らくその題材を巡って様々な議論が巻き起こっていた。(今世紀に入りロイテ南部の山麓からこの種の洞窟壁画が発見されたことは一大センセーショナルを巻き起こし、その図像は初等学校の教科書にも載っている)


 しかしようやく、ロイテの調査隊がイフリート大陸にあるニアンザ湖の底から発見した遺物によって、一つの通説に導かれた。その一つがベーアヴァルトの国立地球史博物館に展示されている巨大な隕石の破片である。湖底に露出した本体の塊の周りには祭祀のためであろう石造遺跡があるが、それはクレーターが湖になった後、水中で岩盤を掘り抜いて形成されたことが判明したのだった。これが“鰓持ち”に関する最古の痕跡として認識されている。


 湖と岩絵の形成時期からして、およそ一万年前に飛来した隕石は3つに分かれて星全体を一回りし、地上に落下。一説では一年間の公転周期が5日ほど縮まったとされるほどの衝撃だったという。“鰓持ち”の化石が出土したのがこの数百年後の地層であることから、この隕石が種としてのヒトの変化に何らかの影響を及ぼしたのは確実視されている。


 鰓持ちとなったヒトは海に還って世界中に拡散した。それまで陸上に存在していた他の人類を併呑し尽くした頃には再び鰓を失くしたグループも現れ、最早互いに通婚することが不可能なほどに分化したのである。


 こうして形成された血縁を伴う関係を持つグループクラン、宗族等と呼んでいる。しかし同じクランに属していたとしても、離れた場所に暮らしていたり、言語、習俗が異なる者への関心は薄い。大抵の小クランは広域に点在していて、その間の交流はあまり多くないのだ。


 それに対し、異なるクラン同士でも共通の地域的、言語的なまとまりを持ったグループを創造しようとする運動が起こるようになっていった。そうして生み出された概念がフォルク、すなわち民族と呼ばれた。フォルクが包摂する領域は小クランのそれに比べて圧倒的に広大で、制約が少ないと言われる。小クラン主義からフォルク主義への転換が、先進的な国家形成の入口だと捉えて差し支えない。


 一方で、フォルクの領域は広大だが、その境界は小クランと比べると曖昧な部分が大きい。同じ小クラン出身でも隣接する他の文化に影響されれば別のフォルクと見做される場合もある。ここにおいて家名とクラン名の混同が起き始め、個人を示すときは名前と宗族名を組み合わせるのが一般的になっている。


 話を戻そう。いくらナタリエが視覚に頼らず行動できるといっても、同じような能力を持つ人間はロイテどころか世界中に腐るほどいるのである。夜間経済は昼間と遜色なく発展し、基本的なサービスが24時間運用されている程度には多いのだ。


 ナタリエの通っていた初等学校も夜間授業を行っていた。当然他の児童も、多かれ少なかれ知覚能力に秀でている部分を持っていた。とりわけ児童社会では身体的に優れた能力を有する子供がヒエラルキーの頂点に立っていてた。無論、彼女はその枠から弾かれている。


 では彼女に何が備わっているかと言えば、背中に発達した防御機構で「鎧骨」と呼ばれるものくらいだ。文字通り背後からの攻撃に対して抜群の防御効果を発揮するのみで融通は利かないし何より重い。加えてその機構、技術の進歩により最早無用の長物と見做されるようになってきていた。街灯は夜の世界に昼間の住民を招き寄せたし、銃弾は容易く鎧を貫く。故に彼女は自分の才覚を軽く考えていた。


 ちなみにミチは 鎧骨かつ“鰓持ち”である。普段は服の下に隠れて見えないが、時折首元から切れ込みのように縦にのびる鰓弁の線を覗かせている。実際のところ、川や海に落ちるようなことがない限り使わないものらしい。彼女は極端な例だが、全体として社会活動にクランの能力如何は問われなくなってきている。


 しかし一部の分野ではクラン主義の風潮が未だに根強く残っている。FoLV 、もといアルベルトが統監するのもそのようなものの一つだった。

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