7. 夜を生きる者 -Nachteulen

 ナタリエたちはFoLVに付属する医務室に連れてこられた。この建物の中では最も異質な空間だと彼女は感じた。真っ白に塗り固められた壁の色と同じく真っ白な光を放つ電灯。担当と目される老人は、元は船医だったらしいがその面影は見られない。傍らに置かれている用途不明の機器がその怪しさを掻き立てている。


『えー、じゃあ始めよう。とりあえず、君の顔から確認するからな、まずは目からいこうか』


 老医師は徐に懐中電灯を取り出し、ナタリエの顔に照射した。その明るさに思わず目を細めようとするが、外側から瞼を押さえられて思うようにいかない。


『うん、両方とも眼球は濁ってないな。色も問題なさそうだ。次は口の中も見ておこう』


 彼女の目元を押さえつけていた物体がバットの中に放り込まれ、また新しいもので次は舌をなぞっていく。その反対の手には何やらカードのようなものが握られているのが目に入った。


『うーん、口内炎が出来てるな。後で薬を貰っておこう。……最後はこれだな』


 そうして老人はデスクの上にあって最も異彩を放っていた道具を手に持った。その見た目は万力に似た形だが、付け根の部分に目盛りが付け加えられている。


『これは頭蓋骨の大きさを計るためのもんだ。今年からロイテで導入されるらしいから、一応使っておこう』


 ナタリエの頭にその器械が当てられる。耳元で歯車の音がキリキリ鳴るのが不安を呼んでいる。


『あの……これ何か意味があるんですか?』


 思わず口に出してしまった疑問に答えられる者はこの場にいなかった。


『……確かに、頭のデカさで何が分かるのかさっぱり分からんな。どういうことだ爺さん?』


『うーん、どうもこの基準値内に収まっているのが「ロイテ人の理想の姿」らしいぞ』


『……誰がそう言ってる?』


『エドガー・ヒールシュ』


『奴か……』 


 ヒールシュはNSの党首である。NSの行動規範のすべては彼の考えに基づくものであり、ナタリエを怯えさせた教育介入も彼の仕業だった。


『その頭蓋骨測定器も奴らが?』


『ああ、タダで配り回っとったよ。この色帳もそうだし、他にも鼻高検査キットなんて代物もあるが?』


『……いえ、もう結構です』


 もう訳が分からなかった。そもそも総統自体その条件に何一つ当てはまってないのだ、NSの願望に振り回されるのも馬鹿げている。


『では次だ。ミヒャエラお嬢さんにも計測を手伝ってもらうから、別室へ移っとくれ』


 その後は身長、体重など基本的かつまともな測定が行われた。彼女の前でのみ素肌を晒したが、その時のミチに表情は常に険しかった。


 弾き出された数値は年齢の割にそれらのどれも足りていないことを示している。すべて済まされた後、立ち会ったミチは安堵した顔をしていた。どうも被虐児じゃないかとかなり神経質に疑っていたらしい。


『まあ、基本的に食事の量が少なかったんだな。適正値になるまで負荷を掛けるのはやめておいた方がいいだろう』


『任せてください。痩せぎすだったから心配してたのですが、腕を振るう用意はできてます』


『アルベルトくんもそれでいいね?』


『ああ、異存はない。ドクトル……後は俺から話を進めよう』


 医師が席を退くと、今度はアルベルトがナタリエの前に繰り出した。


『夜の方が調子いいそうだな。今日は何時に起きた?』


『……16時に』


『了解した。暗闇の中だと感覚ははどうなる?』


『えっと、その時は何も見えなくなります。何というか、視界全体に薄い幕がかかったようになって……でも周りの様子はよくわかります。音とか匂いがもっとわかるので』


『具体的にはどこで強く感じる?』


『鼻の方です』


 身振り手振りで説明を試みていくと、アルベルトは理解しているようだが、ミチはさっぱり着いて行けていない様子を見せていた。この感覚は、昼を生きる者と夜を生きる者の間ではっきりと隔たっているようだ。


『ミヒャエラの嬢ちゃんには解り辛いだろう。俺も同じ夜型だが、個人差が大きいから本人から聞き取りをしないと方針が定まらん』


 そういうアルベルトの方は暗くなると聴覚が発達するのだそうだ。視覚に頼らずに夜間行動が可能な彼らは大戦でも重用されたと聞く。


『そうだな、そろそろ日も沈んだ頃だ。説明するより見た方が早い、少し試してみよう』


 ナタリエには目隠しが手渡され、それを着けるように促される。こうなってしまうともう何も見えない状態だ。しかし何やら周りでこそこそと動いているものがあるのは感じとれる。


『……あの、何かしてますか?』


『え?本当に気付いてなかった?』


 ミチはすぐ目の前でナタリエの顔に懐中電灯の光を浴びせていたらしいが、彼女はそのことにまったくと言っていいほどわからなかった。その代わり、ミチの声が殊更頭の中に響き渡る。ナタリエがこの闇に順応しつつある証だ。


それほど効果の高いものを装着しながらの彼女に、アルベルトは全員で外へ向かうと告げる。


『ミヒャエラ嬢、アンタには目隠しをしたままのこいつにこの建物の外までエスコートされてもらうが、何も言わなくていい。自力で引っ張っていけるはずだからな』


 なんと無茶なことを、なんて思ってはいたが、部屋中に反響したアルベルトの声はナタリエの耳から脳を通じて形ない暗闇の中に像を浮かび上がる。それも正面だけではなく上下左右、後方にも意識を引かれるのだから変な感じだった。


 匂いでミチが彼女の手の届く距離に立っているのが分かる。迷うことなく正確に彼女の手を掴むと、医務室の丸椅子から立ち上がって後方の扉を目指した。


『じゃあ、行きましょうか。ミチさん』


しかし、大まかな形や材質が分かっても、細かい部分では不鮮明なところが多く、ドアノブを探し当てるのに一苦労、更に歩いてる最中は足がもつれて転びかけることが幾度かあった。


『大丈夫?』


 一度ならず、導いていく立場にもかかわらずミチに支えられてしまう。少し恥ずかしく思うがそれで終わりとはいかない。しかし慣れれば足音から周囲の壁までの距離が分かるようになる。廊下と屋外は匂いが異なるから、それを追えば目的は達成させられる、と考えた。


『……』


 互いに無言のまま数秒。ついに周囲の様子が変わったのを感じた。冷たい空気に当てられ、足元の感触も土だと認識できる。


『着きました、多分ここですよね?』


 ナタリエが目隠しを解くと、確かにそこは外だった。しかしどうもFoLVの入り口とは様子が異なる。


『中庭よ。確かに外ではあるけれど……』


 方向を誤ってしまった。……この能力、目が見えなくても行動可能ではあるが、案内表記など何も読めないので、あらかじめ建物の構造を把握していないと、このように道に迷ってしまうことがある。肩を落としているところにアルベルトが追いついてきた。


『とまあ、こんな感じだ。まだまだ改善の余地はあるが、夜型の感覚は今見た通りだ』


 彼は再び屋内へ戻るように指図する。


『これはこいつの持っている特性の一つに過ぎん。恐らく自覚してないんだろうが、まだまだ他人とは違う面があるはずだ』


 それを見つけることが、今後自身の行く末を決定づける上で重要だという。しかしナタリエにはどうも自信を持てなかった。何故なら自分よりも秀でた特性を持つ者は何人もいるということを知っていたからだ。



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