第2話  闇夜の目覚め -Aufwachung in Nacht

6. FoLVの興り -Die Moderne Geschichite Leuteslands

 翌日、夜まで降りしきっていた雪はやみ、日光に当てられた積雪は早くも融解の兆しを見せ始めていた。


『それで……朝までずっと起きてたの?』


 夕方に近くなった頃、ミチはナタリエの髪に櫛をかけながら彼女に尋ねた。肯定の意を示す彼女はつい先程目を覚ましたばかりだ。


『夜は全然眠くならないんです。私、そういう体質なんですよ』


 アルベルトもそのことを見越しての事だろう、この日言い伝えられた集合時間まではまだ余裕があった。そう長くは残されていないが、ミチは丁寧に彼女の髪を結っていた。


『よし、できた!……どうかな?』


『これは……大分すっきりしてますね、ありがとうございます!』


差し出された手鏡の中に、ナタリエは綺麗に整った三つ編みに飾られた自身の顔を見出した。


『いいのいいの。私、一人っ子だから、こんな風に相手してくれる人がいてくれて嬉しいのよ』


 この後に検診を控えている中で、動きやすい格好を模索した結果である。服装もミチのお下がりだ。家の外へ出ると、まだ日が残っていたので丸太組のログハウス調の外観がよくわかる。裏庭の飛び石の上は除けてあるが、その合間には土と混ざって濁った雪の断片が随所に散らばっていた。


 昨夜と反対方向に向かおうとすると、後からミチもついてきた。彼女はラウラの代わりに今日の付き添いを務めるのだという。起きたらアルブレヒトともどもいなくなっていたので、人選としては妥当だと思われた。


『おつかれさまです、今日はこの子と一緒にお邪魔しますね』


 垣根を越えて、FoLVの建物の方へ行くと、またしても受付を通ることになった。先日あれほど右往左往していたこの場だが、ミチを含め、ジークボルト家はこの施設に顔パスで入れるのだと。


『おう、お嬢さん達か。アルベルトの旦那ならもう来てるよ。呼んどくか?』


『ええ、お願いします』


 昨日と同じく内線が弄られると、しばらくしてからアルベルトが現れた。


『来たな、早速だがこっちに来てくれ』


 彼が案内したのは1階の奥にある応接間の一室だった。


『まだ準備中でな。終わるまでここで話しておきたいことがいくつかある……まず、ばあさんがお前の世話を俺に頼んできた。これから俺達の仕事にも関わることがあるだろう』


 アルベルトは視線をミチに向ける。彼女は動揺を隠し切れていない。


『そんな……!本当に母がそのようなことを?』


『そうだ。疑問を持っているのは承知している。俺だってまだ事態を完全に飲み込めている訳じゃないからな。だからまずはFoLVについて、こいつに詳しく説明するべきだと思うんだが……』


 出来るか?と彼の目はミチに問い掛けている。FoLV結成については彼女の方がずっとよく知っているからだ。ナタリエも彼女の顔を見遣る。


『うーん、でもどこから話せばいいのか……?そういえば、ナタリエちゃんの生まれたのと同じ年にできたのよね』


 そもそもは終戦直後、世界各地に点在していたロイテ海外領土が敵国に差し押さえられる中で組織の雛形が作られ始めたという。


『Foっていうのは遠洋、つまり、地球の反対側の海洋地域を指すの。例えばクヴァーディとか、ザーフルとかその辺りね。そのあたりから引き揚げてきたのが今の中核メンバーって感じかな』


 ただしその前途は多難だった。戦後処理によって帝国の枠組みを消失したロイテでは経済的に苦境に陥っていたのに加えて、帝国のノスタルジーに浸った組織を時の集産主義政権が座視し続けることはなかったのだ。


『で、元は同じ地域で暮らしてた人たちの単なる寄り合い所帯だったのが、ターラーの雨事件から急に武装化に踏み切っちゃったの』


『え?』


『みんな本業は様々だったのだけど、徴募兵同士だったから。それで要人の警備とかを始めたら、これがまあ上手くいっちゃって』


 ミチは軽く飛ばしたが、40年代末期から50年代初頭のロイテは混迷を極めていた。ターラーの雨事件以降、政権とNSによる政争はついに暴力を伴うようになり、地方都市の街頭での衝突は年中行事と揶揄されるほど頻発した。単なる殴り合いには収まらず、殺人に発展することもしばしばだ。そうした脅威への備えを提供することが商売として成り立つほどの状況は察するに余りある。


 この時期の記憶はナタリエの中にもあった。ロイテの法定通貨であったターラー紙幣が市中に大量に出回ったことでその価値が大暴落し、ばらまかれたお金が雨のように降り注いだことから名づけられたのである。彼女が子供の時分に必死になって拾い集めた5000億ターラーでは何も購入することが出来なかったことを思い出す。


 ところで、だ。今度は忘れてはいない。


『「アルベルトさんが鍛えた」って、どういうことなんです?まさか……』


『……』


 二人とも首を傾げている。


『……あんなテロルの時代は終わったんだ。早々何かするつもりは、多分ないはずだ』


 なんとも歯切れの悪い返答がアルベルトから返ってくる。否定していないということはそういうことなのだろう。


『それにほら、一応ナタリエちゃんはまだ学業も体力も十分じゃないでしょう?きっとそうしたことだと思うよ』


 ミチのフォローの甲斐もあり、ナタリエも多少は落ち着きを取り戻した。そう、基幹学校に行っていないからすっかりと忘れていたが、同年代の人と比べて学習状況が大分遅れていることは否めない。昨年の夏からずっとまともに運動もしていないのだ。当然体力も落ちているはずだった。まずはそれを補うため、アルベルトの指導を仰げということなのだろう。そう好意的に解釈することにした。


『ところで、アルベルトさんは他のFoLVの人たちも見てきたんですよね?その前は何をされてたんですか?』


 ナタリエは先程の会話の中から少し気になっていたことを尋ねた。とはいえ彼の見た目、年齢も考えると、軍人としてどこかに出征していたのは予想できる。ひょっとしたら父親と同じ戦場にいたかもしれないと思っててのことだった。


『ム……そうだな、俺は志願兵として前線にいた。ただし、主戦場は南方だ』


 しかし彼女の期待は外れてしまった。しかも全く予想していなかったことに、東西どちらでもないという。


『じゃあイフリート大陸で?』


『いや、そこじゃない。そもそも俺の出身はロイテ帝国じゃなくて、ハウプトハウゼン帝国なんだ。お前の親父と遇えるとは思えん』


 彼の言は驚きを以てナタリエに迎えられた。ハウプトハウゼンは既に滅亡しているが、ロイテの隣国であり、ロイテ人が治めたもう一つの国であった。加えてその国は、彼の大戦を引き起こした張本人である。


 しかし、詳しく聞こうとしたその時に限って、唐突に応接間を仕切る扉が叩かれる。


『アルベルトくん、こちらの準備は終わったよ。そっちはどうだい?』


『ああ、問題ない……では行こう』


 またしても、肝心なところを聞く前に話が流れてしまった。その口惜しさを胸に秘め、ナタリエは渋々と同道した。まあ、また後で聞けばいいだろう、と自身に言い聞かせながら。

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