2. FoLV -Willkommen Im Fernozeanischen Lagersverein.

『――この度オーブライグ島 やケルターニュ で相次いで可決された生産人口回復政策は、文字通りの「生む機械」などという非人道的な道具を導入する点で、我々人類が一万年を費やして築き上げた伝統と役割を大いに損なわせるものであることは疑いようもありません! 我が国でも遺憾ながら、致し方なく部分的に実施されているものの、行き過ぎた政策とそれを是とするロイテ科学教会に対しては断固たる非難を――』


 ここ数年のラジオは毎回この調子だ。耳を欹てずともむず痒い感覚に襲われ、ラウラ・レーリヒ・フォン・ジークボルト はたまらずチャンネルを切り替えた。


『今日はロイテ全域で雪となりますが、明日には所々で晴れ間が見られるでしょう。また北岸地域一帯で強い南風が吹く見込みです。ベーアヴァルト市、メークリヒ州、ヒルフィガー州、プリュメリア州にはすでに強風注意報が発令されています、屋外での火の取り扱いには十分注意をしてください……』


 同じベーアヴァルトのヘールドルフ区ライヒスホーフ通り八番地、すでに新年ムードが過ぎ去り、世間はいつもの日常に戻ろうとしていた。外では例年のごとく雪が降りしきり、今にも積もろうかとしている。


「……ああ、おはようアルベルト。コーヒーでもいかがかしら?」


 遠洋収容所記念協会、通称FoLV のベーアヴァルト支部。その二階の一室でラウラは、朝の日課としているチェスを嗜みながら言った。今朝の相手はロイテ防衛軍ロイテスヴェーア中佐モーリッツ・エルリッヒ である。その最中に入室したアルベルト・シュヴァルツ は彼に断って、コーヒーを淹れながら対局の様子を眺めていた。


「おっと、ではここにクイーンで……チェックメイトだ」


しかし決着はすぐに着いたようだ。


「……相変わらずお強いですこと」


「そんなこと言って、実は手を抜いていたでしょう?」


「あら、分かっていらしたので?この後すぐに新人を迎える準備をしなければならないもので……」


「ほお!確か恐慌の時以来でしたかな?いやはや、このご時勢に国民運動にも加わらず、我らのような旧い主義者に与する者がいたとは大したものですな」


「ええ、まったく喜ばしいことです」


 その声に抑揚はなかった。


「なら部外者の私はお暇しましょう。非番の趣味にお付き合いいただきありがとう。ではまた……」


 そうして彼は帰っていった。扉が閉まるとラウラはすぐにチェス盤をしまい、机の上に資料を並べ始めた。


「なあ、新人だとかなんか言っていたが、一体どんな奴だ?聞いた覚えはないが……」


 暫しの余韻の後、コーヒーを啜りながら、アルベルトはふと先ほどの話の内容で気になっていたことを尋ねた。


「知り合いの子よ。昔、家の人が世話になったの。読めばどんな子か分かるわ……そうだ、アナタも同席してきなさいよ。実はしばらくアナタに預けようと思ってるの」


「……おいおい、それは恩を仇で返すってことにならないか?」


 そう自嘲気味に言いながら、アルベルトはコーヒーを飲み乾した。彼の発言は、自分が彼女に何を求められているかをよく心得ているからこそのものであった。


「それはお互いさまよ。とにかく、そういう訳だからさっさと着替えてきなさい」


 そう言いながら、ラウラもジャケットを羽織り直した。胸元には例の錨を模したブローチが輝いている。机上に飾られたプレートには“PRÄSIDENTIN”、すなわち彼女が会長職であることを如実に示していた。


「それと、コレはあなたに任せるわ。ほら……」


彼女はアルベルトに机の端にある合金製のケースを指し示した。見るからに頑強そうな錠前が掛かり、ちょっとやそっとの衝撃ではビクともしない代物だろう。その鍵は彼女の手の内に握られている。


「了解した、すぐに準備する」


真鍮で出来たそれをひったくって、アルベルトは部屋を出て行った。それを見届けると、ラウラはようやく独りになる。


「ようやくこの時が来たのね……ごめんなさい、ジギスムント、マリー。だけど……」


 視線を落とすと、規格の揃った紙束の中に色褪せた古い写真が混じっていた。

そこに写っていた一家はもう二度と集うことはない。


――――


「君、そこで何を……?」


 一方のエルリッヒ中佐は、FoLVの建物の前で逡巡している娘に声を掛けた。彼女は肩に掛かるほどのブロンドの髪と栗色の瞳を持ち、その顔立ちは幼さが残っていた。溶けた雪が古くくたびれた外套を湿らせていたが、胸元を飾る翠色の宝石とは明らかに不釣り合いであるかのように思えた。


「あの……私、今日ここに来るよう言われたのですが……どうやって入ったらいいか分からなくて、その……」


その話し様と相まって、見るからに警戒している様子だ。立ち上がった時に分かったが、彼女の背丈は小さい。これが日常の一幕なら確実に事案となっていただろうが、今はその時ではない。


「あなたは、ここの方ですか?」


「いいや、私もただの客人だ。だが……」


その時彼女の手に握られた一通の手紙を目にして、中佐は彼女の目的をすぐに理解した。


「……恐らく君の目的はここで合っているだろう。そこから入れるから、受付で聞いてみなさい」


「あそこですね、ありがとうございます!」


 そう言って少女はお辞儀をし、重い荷物を持ちながら入口へ向かった。


「そういえば、あなたは……」


彼女が振り返ると、すでに中佐は鉄門扉を通り越し、上着に袖を通しているところだった。少女は彼の正体に初めて気が付いて、手にした鞄を落とす。武人はロイテで最も尊敬を集めている職業で、彼女が面と向かって話をしたのは今までになかったからだ。その音で正気に戻った彼女はすぐに拾い直して再び頭を下げる。彼の姿が見えなくなるまで。溜め込んだ緊張はその時に随分解消されたように思えた。


 庇に入ると身体に降り積もった雪を払いのけ、玄関を見遣る。プレートにはFoLVの文字と錨の印が刻まれている。外壁はレンガ造りで扉は開け放っているが、脇には何体か彫像が置かれている。受付と見られるスペースのすぐ奥に曲がり角があって、突き当たりに大きな絵画が飾られていた。どちらも彼女には馴染みのない意匠である。


 手に持ち続けてきた封筒を受付で提示すると、その係の男がどこかへ内線を掛けた。


「確認が取れました。2階へ上がってください、荷物はこちらで預かりますから」


 そう促されるまま彼女は鞄を置いて、着の身着のまま赤い絨毯の敷かれた階段を上がった。ここから先はもう相手の領分、一歩一歩を踏みしめるたびに彼女は胸騒ぎが強くなっているのを感じた。その一番奥、大きな両開き扉の前に来ると、確かにそこにはそれらしい表示がある。緊張のせいでしばらく立ちすくんでしまったものの、彼女は遂に意を決してその扉を叩いた。

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