第8話

天子は、デスクの陰に身を隠しながら、どこから外から明かりが入って来ていないかを確認する。

 そして、道路に面した大窓のブラインドが全て降りている事を確認すると、額縁に隠れていた金庫にゆっくりと近寄った。


  金庫の中には、先ほど美奈子が飲んだ魔薬が1k包装されたジップの付いたビニールの袋、それと帳簿のような冊子やいくつかの通帳が数冊、さらにその奥、鈍く怪しい光を放つものを取り出す。


  それは、コルト.32オートと名のついた拳銃、そのコピー品だった。コルト.32オート自体は日活コルトと呼ばれる映画用のモデルガンのベースとなった拳銃である。

 日活コルトと現在天子の握っている銃の違いなど、実弾が出るか出ないか程度のものである。

天子自体は別段拳銃など欲しくも無かったが、同業者からお守り代わりに持てと言われたので、なんとなくもらったのがこれだった。


その同業者からもっと信頼できて良いものもあると言われたが、映画で見慣れた拳銃そっくりのこの銃が自分の知識と技量で扱える一番信頼できる物だ、と言ってこれを受け取った。天子の拳銃の知識と技量など、こうやれば打てる程度のものであり、後はそれこそ映画で見たそのままの物しかない。


どうせ打つ機会もないであろう、その時が来たら自分は死ぬ時だと高を括っていたが、こんな事になるのならもっと良いものをもらっておけば良かったか、と今更後悔した。


拳銃を握った手が震えている。


「私は、ビビってんのかい?」


天子は強がるように鼻で笑う。

今は怖がってなどいられない。


  天子は震える手を無理やり押さえ込むように拳銃のグリップを両手で強く握りしめ何かに祈るように額の上に上げた。そして強く息を吸い不安を打ち消すように吐き出すと、手に持った拳銃のスライドを引いた。

今しがた入社した新入社員もいるのだ、自分が怖がれば恐怖が悪戯に伝染するだけだ。


その新入社員は、鍵を閉めたドアの前で子犬のようにしゃがんでオロオロ震えており状況が飲み込めていないらしいが、それも当然だろう。


「美奈子、そのままでゆっくりこっちに来な」


 天子が手招きをすると、美奈子は赤ん坊のように這いずりながら赤ん坊よりも頼りなさげに天子のいるデスクまで近づいて来る。


「あの、えっと、急にどうしたんですか……」


天子の近くまで来た美奈子が恐る恐る尋ねてくる。目には不安の塊を水分にしたように涙が溜まっていた。


 天子は美奈子の頭を強くつかむと自身の顔まで近づける。


「魔法少女の襲撃にあってる、煙草が濡れたり増えたりしたやつ、あれは多分魔法少女の仕業だ」


 天子に鋭く吊り上がった刃物のような目つきで睨まれた美奈子は萎縮する。

煙草が濡れたのがそんなに腹立たしかったのだろうか、と思ってしまうほどの形相だ。


 美奈子が日没を迎えた朝顔のように顔を伏せた。

そんな美奈子を見て、天子笑いながら美奈子の頭を掴むと宥めるように軽く前後に振った。


「別にアンタを責めてなんかいないよ、むしろ大手柄さ、私は新卒入社1年目の奴が即戦力になることなんざ期待しないが、あんたは入社1日もしないのに私の命の恩人になってしまったんだ」


 天子は苦笑し、美奈子の頬を軽くつねった。


「あの、命の恩人というのは?」


 天子の言葉を測りかねた美奈子は、頬をつねられたまま目を丸くする。


「あんたが煙草の箱の中身に気付いてくれただろ?アレだよ、多分、濡らしておいた煙草と私が開けた煙草をすり替えて、新しい煙草を私が買いに出たとこを、ずどん!ってやるつもりだったんじゃないかい?確実性に欠けたお粗末なやり方と思うが、煙草が手元に無いと落ち着かない喫煙者の性かね、私もそのお粗末なやり方に引っかかりかけたんだからとんだ間抜けだよ」


 天子はおどけた調子で手を上げる。おどけてはいるが腹の底でいまだに冷や汗をかいてるような気分である。


 美奈子の方といえば親とはぐれた子犬のように不安そうに天子の顔を覗いてはいるが、それでも取り乱すようなことはない。


 デスクの下に身を隠しながら、お互いの鼓動が聞こえるほどの距離で身を寄せあう2人。

 天子は自分の体の震えを美奈子に伝わらないよう、強く拳銃を握った。

 美奈子は天子の邪魔をしまいと、ただ膝を抱えている。


「アンタ、怖くないのかい?」


「今日だけで色々なことがあり過ぎて、今更魔法少女が、と言われてもイマイチ……」


「アンタ、案外に肝が座ってんだね」


 天子は感心したように美奈子の頭を撫でると、携帯を取り出し何処かへ電話をかける。


「もひもひ」


電話の相手は存外早く出たらしく、天子は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに安堵の笑顔を見せる。


「その間抜け声を聞く限りじゃ、無事っぽいねバンビ」

あたりは大気の囁きさえ聞こえそうな静寂さで、電話から漏れ出る声もはっきりと聞こえた。

電話の先は幸子であるらしく、天子はそのまま話始める。


「アンタがこの時間まで起きてる不良娘で助かったよ、やばい事になっちまった」


「どしたの?なんかしくじったん?」

そこで天子は幸子に状況を説明した。

 と言っても、幸子にも分かりやすく要点だけでをかいつまんで説明したので、魔法少女に襲われるかもしれないからやばい、あまりに端的過ぎていまいち緊張感が伝わらない説明となった。


「ともかくアンタは今すぐカノコのとこに向かって」


「そっち行かなくてダイジョブなん?」

電話越しの幸子の声はまだ何処か他人事のようであった。

電話での話に聞き耳を立てていた美奈子は、それが天子に対しての信頼の表れか、それとも説明が端的過ぎて状況をいまいち理解できていないだけなのかを測りかねていた。

「来てほしいのは山々だけど、カノコの事も心配だしね」


「あいよ」


「んじゃ、また。」


 天子は電話を切ると、また何処かへ電話をかけるつもりなのか携帯を指でなぞっている。


  忙しそうな天子に悪いと思いつつ、美奈子は一つ気になる事があった。


「社長、ひょっとして煙草の本数増えたのって私の能力じゃないですか?例えば物の時間を巻き戻すとかそんな感じで」


 天子は携帯をなぞる指を止め、美奈子の方を見ると小さくため息をついた。


「そんなら煙草が濡れたのだって元に戻んなきゃおかしいだろ?それにだ、そもそもどうやって煙草が濡れたのかが説明出来てないだろ?」


水に濡れた煙草の箱の状態から時間を巻き戻すのであれば、水に濡れた煙草の箱が乾く、タバコの本数が20本に戻る、といった順番で時間を巻き戻るはずである。


 であれば、煙草が20本入った箱が乾いた状態でないといけない。

しかもである、そもそも誰がその煙草を濡らしたのだ?天子は開けた煙草が濡れていた苛立ちから美奈子に八つ当たり気味あんなことを言っていたが、例えばどちらかの飲み物をこぼした程度で箱の中の煙草が全て駄目になるなど考えられない。

 例えば美奈子の能力が指から水を出すだったとしても、それなら今度は煙草の本数が増えたことの説明が出来ない。


「煙草が濡れた事と煙草が増えた事、この2つの出来事があんたの能力って事1つじゃ説明が出来ないんだよ」


天子は美奈子を指さした。


 これ以上の言及は天子を苛立たせるだけだと思い、美奈子は言葉を飲み込む。

 天子は美奈子の様子を見て頷くと、再びどこかへ電話を掛けた。


 だが、それから幾度かのコール音がなっても電話は繋がらず焦燥感と煙草が長らく吸えない苛立ちで、天子は爪を噛みながら右ひざを立て揺らしている。


「アイツ出やがらないねぇ‥‥‥市民様が一大事ってのに」


 その苛立ちは美奈子にも肌に刺さるように伝わってくるが、かと言って手伝えることも無く、せめて邪魔だけはしまいと、再び膝を抱えたまま頭を伏せて黙っていた。


 時計が秒針を刻む音が聞こえる。


 美奈子は、事務所の中に時計があることに今になって気がついた。

 毎秒事に聞こえる音がこんなに眠るように感じたのははじめてだ。



 美奈子は今日の出来事を反芻していた。


 彼に暴力を振るわれ、幸子という魔法少女が現れ、その魔法少女に島根に連れ去られ、大きな借金を背負わされており、そして魔法少女になった。

 どれ一つ取ってもまともな人生を送っていては起こり得ない出来事だ。


 美奈子はここに来る前に自分は今日死ぬものと何度も思った。

 天子の話を聞いていた時も、運命の女神が不幸を押し売りする悪魔に寝取られたような気分だった。


 そして、運命の女神を寝取った張本人が現在誰かに命を狙われている。

 ここまで来るとまるで喜劇だ。

 カエルを飲み込んだ蛇がそのまま鷲に獲物として睨まれた様である。


 そう思うとおかしくなり美奈子は思わず吹き出してしまった。


「……さっきは肝が据わってるなんて言ったけど、この状況で笑ってられるとかアンタ正気かい?」


 携帯を耳に当てたまま天子が呆れた様な視線を向けていた。

 美奈子は口を抑え、頭を伏せて謝罪する。



 先ほどの例え話を天子にしたら、天子は怒るだろうか。


 自分の失態を認め間抜けと卑下する人間がその程度で怒るとは思えない。

 美奈子は今なおイラつきながら電話をかける天子を見て、不思議な人だと思った。


 美奈子の足をすくい泥沼に引きづりこんだ張本人だが、どこか親しげで気安い雰囲気がある。

 狡猾で外道である一方で寛容な面も併せ持つ人間臭さ。

 自分勝手なルールを用いてフェアでありたいとのたまい、何処か一本、己の筋を通そうとする。



 あぁ、ひょっとすると、この人の様な人物を侠客だとか極道というのだろう。



 美奈子の視線を感じることも無く天子の苛立ちはいよいよ限界を迎え、噛んでいるのが爪から親指そのものになろうとしていた時、コール音が切れた。


 電話の向こうから「もしもし」という男性の声が聞こえてくる。

 天子の苛立ちを刻んだ眉間の皺が深くなった。


「もしもし……じゃねぇよコォルァ!電話出るのがおせぇんだよ!あァ!?忙しかっただ?どうせ鼻ほじりながらパチンコ雑誌でも読んでたんだろ!?人様みたいに忙しいなんざ偉そうなこと言ってんじゃ無いよ!アンタ、今日は当番だろ?ちょっと一大事でね、今すぐパトのサイレンならしてこっち来な!……ハァ⁉︎所管区じゃ無いから無理だァ⁉︎んなもん知ったこっちゃねぇ!良いか?私が警官って聞きゃあ、まず想像すんのは石原裕次郎!そんでそん次は両津勘吉、そいであんたの間抜け面の順なんだよ!110の3桁より先にアンタに電話したことのどこに道理に適ってないとこがあるんだい、エェ!?それにどうせ明日は非番だろうが!あぁ?訓練だ?また警察学校行かなきゃならんほどにアンタのおツムはおめでたいのかい!?ともかく早く来ないとアンタの上司・嫁さんにアンタの有る事無い事言いふらすよ⁉︎」


 焦燥と苛立ちの摩擦によって生まれた言葉の嵐が、美奈子の耳にも響き渡る。

 直接言われていない美奈子ですら、思わず頭を抱えて過ぎ去るのを耐え忍ぶしか無いほどだ、電話の向こうの見知らぬ誰かがまともに耳に受話器を当てていられるのか。


 天子の顔は、嵐が過ぎ去った後の爽やかな晴れ間の様にスッキリとした顔で、


「あぁ、くる時に煙草を買ってきて」


と、頼んだ後に


「……出来ればいつものとは違う銘柄で」


と、爽やかな晴れ間だった表情に曇り模様を少し残した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る