第7話

それで今後私の事は、社長って呼びな」


 美奈子から手を離した天子は、ソファに尊大そうにもたれかかる。

胸を張るようにソファの上に腕をやっているため、その豊満な胸が強調されると美奈子の視線は思わずそこに移った。


「聞こえてるかい?」


「あ、はい、それは、はい承知しています」


天子の胸に気を取られていた美奈子は慌てて返事をする。


「あと、久瀬とか天子とか、私の名前を余所で言うのは原則NG、ウチの会社名”石飛オフィスサービス興産”なんてわけの分からない看板出してるだろ?」


 それは美奈子も疑問に思った。企業名に苗字を使う場合大よそそこの代表者の苗字を出すことが多いのに、社長は久瀬であり、幸子は鹿野、他にもまだ見ぬ社員〝石飛″さんがいてその人から会社名を取った?では何故天子が社長をしているのだろう。


「石飛なんて人間、ウチにはいないよ、ただね私の久瀬って名字は主に岐阜や愛知なんかに良くある名字でこの辺りではあんまり見かけない名字なんだ、逆に石飛って名字はこの県内じゃどこにでもいる名字でね、つまり私の言っている意味が分かるかい?」


「目立つのをさけるため……?」


 美奈子の返答に、機嫌を良く笑顔を作る天子。


「さっきはあんたの事を馬鹿だなんだって言ったけどこういうとこ賢くて助かるよ、バンビの奴とはえらい違いだ、まぁこの程度のカモフラージュにそこまで大した効果は無いかも知れないけど何事も小さいところまで気を配んないとね」


 天子は小さく「それにタダで出来るし」と続けた。


 美奈子は合点が行く、なるほどそれで天子という名前を余所言うのはNGなわけだ。”久瀬社長”でも駄目、あくまで”社長”と呼ぶ様にしなければならないらしい。


 しかし、そこまで目立たなくする理由は?と聞く前に美奈子は大方の理由を察した。


「あんたは察しがいいから分かるだろ?私の商売敵や同業者は血の気の多いのが多くてね、さっきの元締めさんみたいなの」


 美奈子の顔が引きつる。


「後悔したって遅いよ、あんたはもうこっち側の人間なんだから、その覚悟であれを飲んだんだろ?」


 美奈子の顔を見て、天子が諌める。


「いや、後悔とかでは無いんですが……そういえば、特に体に変化が無いですけど」


 先ほど薬を薬包紙ごと飲み込んだ時から時間が経つがこれと言った体の変化を感じられない。

 もっと体に目覚ましい変化とか異変をきたすものかと思ったが、薬包紙を飲み込んで咽たのもだいぶ収まっている。


「コレ、失敗してますか?」


 私は魔法少女にすらなれない愚図なのか、そう思うと気持ちは沈む。


「なんか、気持ち悪かったりしない?」


「いえ、特に」


「ならおめでと、晴れて魔法少女の仲間入りだ」


 あっさりと天子は告げる。

 人の命や人生を左右する出来事にしては、お役所の様に随分とあっさりしたものだった。


「魔法少女の適性が無かったら魔薬を体に入れた瞬間に二日酔いみたいになってトイレにこもりっぱなしになるからね」


 普通は逆の様な気もするが、美奈子は黙っていた。


「それで、私も幸子さんみたいになったんでしょうか?」


「分からん」


「え?」


「いや、魔法少女になっても何が出来るかってのはその魔法少女それぞれなんだよ、ライター使わずに火が出せたり、空が飛べたり、動物と会話・使役なんて魔法少女じゃなくても出来そうなもんもあったかな?まぁ、何かしら大抵1個能力が身に付くんだけど、それ以外は他の人間と同じ、そんなもんだ」


「じゃあ一人で色んな事出来るわけじゃないんですね……」


「あー、昔のアニメみたいなの想像してた?ステッキ振ったら敵が爆発するとか?そんなもんバンビになんか持たしたら明日にはこの町が無くなるよ」


 美奈子は少し落胆した、最初に幸子のアレを見たせいもあるのだろうが、魔法少女とは女版スーパーマンみたいなものであり一人で色々な能力を持ち、一人で問題解決をするような存在だと思っていたからだ。


「最初にバンビ見てしまったら魔法少女のみんながあんな存在だと思ってしまうのは仕方ないか、そりゃあんたには悲しい不幸だったね、あいつは簡単に言えば肉体強化ってやつだよ、際限の無い馬鹿力にアホみたいな頑丈さ、単純明快、だからこそ強い、如何にもアイツらしいだろ?」


 落ち込む美奈子をニヤニヤと笑いながら、天子は煙草の箱を手に取った。


「……あン?ってえええ!」 


 天子の悲鳴のような声を聞いて、驚いた美奈子が顔を上げた。


「あの、なにかありました?」


「ありました?じゃないよ⁉︎開けたばっかの煙草が濡れてんだけど!」


 見れば、天子が持っている煙草の箱、通常紙の割には角張って丈夫そうなそれが、大部分が濡れており触るとそのまま崩れてしまいそうなほどヘタって皺を作っていた。


「あんた、さっき魔薬飲んだ時に飲み物ぶちまけたんじゃないだろうね!?」


「流石にそれだけの量を吐き出したなら、もっと騒いでますよ……社長が飲み物こぼしたとか?」


「自分のそばの飲み物こぼして気付かない程、私はまだ惚けてないよ」


 天子は濡れた煙草の箱と美奈子を交互に見ると、美奈子を推し量るような目で見る。


「ひょっとしてこれがあんたの能力とか」


「えぇ‥‥‥」 


 煙草を濡らすだけの能力など、なんとニッチ且つ迷惑な能力だろうか、陳列してある煙草にまで被害が及ぶのならコンビニに行くことすらままならない。


 そんなはずは無い、と美奈子は天子が持っていた煙草の箱を手に取り様子を調べようとしたが、美奈子が手に取った瞬間に握り飯を半分に割るかのように手に持った部分から箱とその中の煙草が上下に分かれてしまった。


 その様子をみた天子は舌打ちをすると立ち上がると、財布を取りにエグゼグティブデスクへと向かう。


「タバコ買ってくる」


「……これを機に煙草をやめられたどうです、体に悪いし」


 美奈子の一言に天子は疎ましそうに顔を向けた。


「あんたに言われなくてもそんな事は煙草のパッケージに書いてあんだよ、そのパッケージを一日に何回見てると思ってんだ?それ承知でこっちは吸ってんの!こいつのせいで四十歳で肺がんになってもそりゃ本望だ、こいつがなきゃ私ゃ二十歳で首括ってたよ」


 一を言えば十を返す天子、美奈子は魔法少女になった事よりもこの屁理屈女王の元でこれから働かなければならない事の方が不安になってくる。


 金をドブに捨てる、という言葉があるが煙草などそのドブ水を啜るような物ではないか、何を好き好んで自分からお金を払って体を悪くするのだろう。


 美奈子は呆れた様子で、上下に分離した煙草の箱の下部を手に取った。水で濡れたせいで形もいびつになり、フィルター部分も無くなっている。

感触は熟れすぎたバナナのようである


歪な煙草が20本ぎっしりと詰まっているのが辛うじて確認できる。

2030年現在、これ一本が30円弱、新品1箱で600円に迫る勢いだ、そう新品一箱なら。


「あの社長」


「なんだい!?」


「煙草、新しい箱開けてから煙草を吸ってましたよね?」


「へぇ、なるほど、あんたここで働くってなった途端に随分気安くなったじゃないか、どこの姑だい?何度も言うが私にとってこいつは呼吸と同じ……」


「これ、20本全部はいってますよ?」 


それまで小型犬の様にキャンキャン吠えていた天子の吊り上がった表情がブラインドを下ろしたように真顔になる。


そして、目を見開いた。


「美奈子、その場に伏せな!そんでそのまま部屋の電気を消すんだ!スイッチは入口横の4つ全部!電気消したらドアの鍵もだ!」


「あの、どうし」


「いいから早く!」


天子の怒声に涙目になりながら四つん這いになり、そのまま這って入り口に向かう美奈子。

わけのわからないまま部屋の電気を全て消し、そしてそのまま鍵をかけた。


事務所の中は、暗闇と静寂が緊張によって過度に着飾った様相だ。


それは何が起こっているのか分からない、そしてこれから何が起こるのかも分からない美奈子の心の中そのものだった。



現在、午前0時を回ったところである。

加藤美奈子の長い1日は、これからようやく終わりを迎える。






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