第56話 醜き者

 なぜ斯くも醜き者が自分の目の前に居るのだろう?

 姿形や美醜のことを言っているのではない。

 心魂の有り様を言っているのだ。


 もしかしたら彼は別の世界で生まれ育った異世界人なのではないかと疑ってしまう。

 だがそれは自分らしくない荒唐無稽な発想だ。

 彼を理解できないからと言って、彼が人外であるとはいえない。


 ――まずは彼を受け入れよう。彼が存在していることを受け入れよう。


 自分自身も他人から見れば彼と同類なのだから……。


 だがそれは……酷く醜い――




   ◇ ◇ ◇




「フレッチャー、ついに捕まえたぞ、ひっひっひっ」

 アルフェラッツ王国の勇者が下卑た笑いを浮かべた。


 勇者の主張はある意味正しい。

 ビアンカ姉弟とフレッチャーだけなら捕縛隊から逃げることなど造作もないが、今は偽装商隊という手枷足枷がいるのだ。認めたくないが半分は捕縛されているようなものだ。

 それにフレッチャーでさえ気付かぬ間に周囲を包囲されている。

 その手腕、見事としかいえない。


 ――いったい誰が私の裏をかいたのだ?


 勇者でないことは確かなのだが、フレッチャーを出し抜ける人材が王国にいるとは思えない。


「おいおい、何をぼーっとしているんだ、大魔導師様」

「私はいつもこんな感じだよ。勇者様」

 ビアンカ姉弟が偽装商隊の両側へ移動するのを横目で確認する。


「ほう、そうかい」

 勇者が周囲を見渡す。

 戦力分析をしているのか、何かを待っているのか?

 いずれにせよ、フレッチャーの目の前には勇者しかいない。


「あんたは自分の立場を解っているんだろうな?!」

 勇者が凄んで見せるがそれは演技にしか見えない。


 ――この状況を楽しんでいるのか。


「もちろん理解しているさ。我々はこのまま帝国へ向かう。君たちは見送る。ただそれだけのことさ」

「くっくっくっ、大魔導師様が冗談を言うなんて聞いてなかったぞ」

 勇者の表情が緩む。


「それはそうと捕縛隊が見当たらないが、どこに隠れているのかな?」

「お得意の魔技……なんと言ったか? そうそう、魔力探信ピンガーで探ったらどうだ?」

「残念ながら魔力探信ピンガーを使えるのはそこに転がっているカトラス君だけだ。私には使えないよ」

 フレッチャーが地面に縛り付けられているカトラスを指さす。


「第三魔導師団のカトラスか? 無様な奴らだ。お前らはそこで死んどけ!」

 勇者の言葉でカトラスが暴れだすが、声を発することもできない。


 フレッチャーは魔力探信ピンガーが使えることを隠して通常の探知魔法で勇者たちの戦力分析をおこなった。受動的な魔法であるため、捕縛隊の魔法師にも気づかれないはずだ。


 探査魔法で判ったのは大規模な捕縛隊に囲まれているだけでなく、暗黒砦守備隊もそれに加わっていることだった。その暗黒砦守備隊は東側だけに展開している。


 だが、フレッチャーが一番問題だと思ったのは捕縛隊の規模ではない。

 一人だけ違和感のある者を見つけたことだ。

 何が違うかといえば、言葉では説明し難い。もし、カトラス団長ならば共感覚で何かが判るかもしれないが、今の彼は敵でありフレッチャーが捕縛している。

 フレッチャーは地に伏しているカトラスを一瞥した。

 カトラスは何か言いたそうにしている。


 ――カトラス君は何か判ったのかも知れない。


 その時勇者が動いた。

「これな〜んだ?」

 勇者が唐突に左手に持ったものをフレッチャーに突出した。

 それは人の生首だった――

「キャーッ!」

 アーデルハイト皇女の悲鳴が聞こえた。

 だがそれは彼女が生首を見たからではなく、彼女の横に冒険者……ではなく帝国騎士の首無し死体が転がっていたからだ。


「アーノルド!」

 冒険者扮する帝国騎士の隊長であるレオンが叫ぶ。

「アーノルドさん!」

 ヴィルフリート皇子が頭の無いアーノルドに駆け寄る。だが、何ができるわけでもない。

 偽装商隊に緊張が走る。


 ――いつの間にやったんだ? 幻術の類か?


 だが、血の臭がする。幻覚ではなさそうだ。


「大人しく捕まってほしいな〜」

 それが本心のはずがないことは判っている。

 勇者が生首をブラブラと振り、血が飛び散る。

「なぜ私をさっさと捕縛しない?」

「面白いからに決まってるだろ」


 勇者の言葉を真に受けてはいけない。

 それよりも魔技の正体、そして謎の人物だ。


「これは返すぜ!」

 勇者がアーノルドの首をアーデルハイト皇女の前に投げた。

 それは湿った音をたてながら転がる。

 皇女の身体が小刻みに震えているのが遠目からも判る。


 ――よくこの状況に耐えている。

 

 フレッチャーは覚悟を決めた。

 これ以上勇者の言いなりになっても状況が好転することはない。


 ――多少の犠牲は仕方ないか……。


 敵の数は百人以上いるし、その内魔法使いは二十人ほどいる。暗黒砦防衛隊に至っては魔獣を討伐するための武器を携えている。

 手加減などできない――


 フレッチャーは魔力を練り始めた。広域殲滅魔法を発動するためだ。


 だが、その判断は遅かった――


 フレッチャー達を囲むように目に見えないとばりが音もなく下りた。


 ――抗魔力結界ダンパー・シールドか。


 山に登ると気圧の変化で耳が詰まったようになることがある。

 今、フレッチャーの魔力感覚はそれと同じようになっていた。

 抗魔力結界ダンパー・シールドは魔法器官に直接働きかける茨姫と違い、魔力が現象に変換されるのを妨げる。つまり放出系の魔法を抑制する効果がある。

 この結界のせいでフレッチャーは広域殲滅魔法どころか攻撃の手段が削がれてしまった。


「神の御前である。軽率な行動は控えてもらおう」


 勇者の横に体格のいい戦士が進み出た。

 魔力拒絶結界のせいでその戦士の魔力を計測することはできないが、接近戦に特化していることは良く判る。


 ――この男の闘気、尋常ではない。それにしても……。


 おそらく、魔法によって身体が大幅に強化されている。だかそれは、人の強化限界を超えているようにフレッチャーには思えた。


 その戦士の出現が合図になったのか、捕縛隊と守備隊が距離を詰めてきた。


「どこに神が御座すのか?」

「ここに御座すガイル・アロンソ様に決まっておろう」

「勇者様が神だと?」

「ご神託があったのだ」


 ――この男を担ぎ上げるなんて、王国も教会も地に落ちたな。

 

「キリルちゃん、そんなことはどうでもいいよ。次にいって」


 キリルと呼ばれた戦士が周囲の捕縛隊に指示を出す。

 するとすぐに東側の暗黒砦防衛隊から、対魔獣クロスボウを使って極太矢が一斉に放たれた。


城塞障壁キャッスル・ウォール!」


 フレッチャーは得意とする障壁魔法で味方と第三魔法師団を囲んだ。

 対魔獣矢が城塞障壁キャッスル・ウォールに突き刺さる。


「まずいな。このままだと突破される」


 並の魔力なら抗魔力結界の中で城塞障壁キャッスル・ウォールどころか対物理障壁を展開することなど不可能だろう。

 だが、フレッチャーはそれを維持するだけの魔力を供給できないでいる。


 ――仕方ない、障壁を縮小するか……だが、カトラスを見殺しにはできない。


「ビアンカ! カトラス達をすぐに解放しろ!」

「えっ、でも……了解しました、お師匠様!」

 ビアンカの茨姫が霧散し、第三魔法師団がすぐさま体制を整える。


「フレッチャー! 感謝する! 全員で対物理障壁を展開!」

 解放された第三魔法師団はカトラスの号令で対物理障壁を展開する。

 次々と対物理障壁が展開されていく。

 見事なまでの統率力だ。

 フレッチャーはそれを見届けると城塞障壁キャッスル・ウォールを自分達と皇女達の範囲まで縮小する。


 だが次の攻撃には対魔獣矢の中に魔法炎弾ファイア・キャノンが混じり始めた。

 対物理障壁を魔法炎弾ファイア・キャノンが貫通して着弾する。そして、着弾した数メートルの範囲を吹き飛ばす。

 それが十発ほど着弾したせいで、第三魔法師団は三割ほどが戦闘不能に陥った。


「魔法防御体制ガンマだ! イゾラとロンゴのチーム、間違えるなよ!」

 カトラスはすぐに体制を立て直し、対物理障壁と対魔法障壁を重ねて周囲に展開するが、すぐにはその穴を埋めることができなかった。

 魔法炎弾ファイア・キャノンが飛んでくるのは捕縛隊の魔法師からだ。

 彼らは第三魔法師団の存在を知っているはずだがお構いなしだ。

 一方、彼らのターゲットであるフレッチャーの城塞障壁キャッスル・ウォール魔法炎弾ファイア・キャノンでも破れない。


「フレッチャー様! アーデルが攫われました!」

 ヴィルフリート皇子が悲痛の叫び声を上げる。

 フレッチャーがヴィルフリート皇子に振り向くと、そこに居たはずのアーデルハイト皇女の姿はなかった。


「フレッチャー! 抵抗はやめろ。この可愛いお嬢様がどうなってもいいのか?」

 勇者は片手でアーデルハイト皇女を抱えていた。

 何ということか、この混乱に紛れてアーデルハイトが勇者の手に落ちてしまった。


 ――最悪のシナリオだ。しかし、どうやって……。


「お兄様! フレッチャー様! 助けて!」

 アーデルハイト皇女が泣き叫ぶ。

 勇者がアーデルハイト皇女の頬流れる涙を舐め取る。


「いやーっ!」


 十二歳の無垢な少女に、勇者の性的意味合いを持つ行為は嫌悪感しかない。

 トラウマになるくらいの気持ち悪さだろう。


 だが、勇者の行為を見てもフレッチャーの目は冷ややかだった。

 むしろ更に冷めていく……そして、絶対零度の眼差しを勇者へ向ける。


「たかが奉公人に人質の価値があると思うのかね?」

「えっ、こんな可愛子ちゃんに価値がないだと? それなら俺のハーレムに加えてもいいよな?」


 勇者を理解しようとしてはいけない。

 そんなことは解っている。

 だが、泣き叫ぶアーデルハイト皇女の姿を見て、フレッチャーは自分を抑えることができなくなっていた。

 そして、フレッチャーの魔力が徐々に高まっていった――

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