第19話 ノルトライン騒動

 ツバサ・フリューゲルが突然失踪してから三日が経った。

 剣術以外は放任主義だったカーライル男爵は品行方正な息子が帰宅しないことに焦りだし、ノルトライン辺境伯に捜索隊の出動を要請した。


 ノルトライン辺境伯にとって、将来を嘱望された若き天才剣士ではなく、自分の娘の婚約者が行方不明になったという事のほうが大きな問題だ。

 当然ながら、彼はカーライル男爵の要請を請けて直ぐに捜索隊を編成し、ツバサが最後に目撃されたルクレツィア方面の捜索を命じた。





 捜索隊が出動した後のキーハイム城は、ついさっきまでの喧騒が嘘のように静まりかえっていた。


 キーハイム城に残されたジュリエッタは自室に籠もって困惑していた。


(こんなに大騒ぎになるなんて……、ガイルさんの言う通りにしただけなのに)


 ジュリエッタは自分の父親である辺境伯が、あんなにも取り乱した姿を見たことがなかった。

 戦時下にあっても毅然とした態度をとり、自分の父親ながら凛々しいとさえ思っいたあのノルトライン辺境伯が……。


「わたしは、わたしは、悪いことなんて……」


 彼女の目から後悔の念が流れる。

 カーライル男爵の息子と縁を切り、勇者ガイルと結婚すれば父親が喜んでくれると思っていた。

 ガイルは将来、魔王を斃して王族の一員になるはずだ。

 一方、翼はどうだろう?

 いくら天才剣士言われていても、所詮は男爵の息子だ。余程の手柄を立てなければ男爵止まりだろう。


「わたしは間違っていないのです!」


 ジュリエッタは、近くに飾ってあった花瓶を壁に叩きつけた。

 ガシャーン! という大きな音が部屋中に響き渡る。


「もちろん、ジュリエッタさまは間違っていません」


 いつの間にかジュリエッタの後ろには、左目を仮面で隠した金髪碧眼の青年が立っていた。

 

「フランツ……。いつからいたのですか?」


「ちょうど今来たところでございます」


 その青年は跪き、真っ白なハンカチをジュリエッタに手渡した。


「ありがとう。恥ずかしいところを見せてしまいましたね」


「はて、何の事でございましょうか?」


 その男の名はフランツ・ビットマン。アルフェラッツ王国の宰相補佐官である。

 現在は宰相からの命を受けて各領地を査察しているところだ。


「相変わらず優しいのね」


 ジュリエッタは涙を拭うと微笑んだ。


「誰にでもというわけではございません、お嬢さま」


「まぁ、嬉しいわ」


 フランツはメイドを呼び出し、壊れた花瓶を片付けさせた。




    ◇ ◇ ◇




 ノルトライン領首都キールハイムを本拠地としているコンスティー商会の朝は早い。

 豪商と言われるだけあり、その取引量はアルフェラッツ王国の一位二位を争うほどだ。朝から荷馬車の出入りが激しいのもうなずける。

 だが。この日の喧騒はそれだけが理由ではなかった。


「お頭! 捜索隊の人数が揃ったのでカーライル卿のもとへ出発しやす」


 古くからコンスティーに使え得ているエルヴィンは、彼のことを〈お頭〉と呼んでしまう癖が抜けないでいる。


「頼んだぞ、エルヴィン。我が娘の婿殿を一刻も早く見つけ出してくれ」


「もちろんでさぁ、任せてくださいよ、お頭!」


「〈お頭〉は止めなさい」


「おっと、失礼しやした。大旦那」


 コンスティー会長は辺境伯令嬢の婚約者であり、カーライル男爵の次男であるツバサ・フリューゲルが行方不明になったことで朝から商会の捜索隊を編成するのに大忙しだった。

 ツバサ・フリューゲルは男爵の息子というだけでなく、天才剣士として人気が高い。コンスティー会長はカーライル男爵と懇意にしていたので、その婚姻がコンスティー商会の発展につながると信じていた。

 そして娘のイレーネがツバサと幼馴染なのだ。

 コンスティー会長は何としてもツバサを無事に見つけ出さなければならなかった。


「イレーネ、起きているか?」


 コンスティーは娘が部屋に閉じ籠り、焦燥しているさまが不憫でならなかった。


「ほっといて頂戴!」


 イレーネはコンスティーが年を取ってからの娘だ。可愛くてしょうがない。なんと言われようが構わずにはいられない。

 だが、それがいけなかったのだ。

 コンスティーが甘やかして育てたせいで、イレーネは我侭に育ってしまった。


「心配はいらないよ。私が必ずツバサくんを探し出すから」


「あっちへ行って」


 イレーネが勇者のパーティーと一年間の修行を終えてからというもの、コンスティーは娘の様子が変なことに気がついていた。

 彼は一流の商人だ。人の機微を感じ取ることに長けている。だからこそ、一代でコンスティー商会をここまで築き上げることができたのだ。


「イレーネ……、過ちを犯していなければいいのだが……」


 コンスティーの勘は当たっていた。

 だが、その事実を彼が知るのは、だいぶ先のことになる。




    ◇ ◇ ◇




 カーライル男爵は苛立っていた。

 ツバサが最後に目撃されたキールハイムの北側にあるルクレツィア方面をくまなく探したのだが、何一つ手がかりを見つける事はできなかった。


「カーライルさま、現在の人数ではこの地域を捜索するには不十分です。もっと人数をかけることはできないでしょうか?」


「それができれば苦労せんのだ。それができれば……」


 ルクレツィアはローデシア帝国との国境に近く、何度も戦場に地域だ。

 ここで人数をかけると、帝国を刺激することになりかねない。


「それに、ツバサがこの周辺にいる気がせんのだ。何故ゆえこのような荒廃した土地にようがあるというのだ?」


「魔獣を狩るにしても、この土地にはほとんど棲息していません。ここに来た理由が分からないですね」


「そうだ、その通りなのだ。理由が解らん。がな」


 いくらツバサでも独りで狩りに行くはずがない。獣ならまだしも魔獣を単独で狩るのは愚の骨頂である。もちろん、ツバサはそんなことはよく解かっているはずだ。

 カーライルはツバサは複数人とここへ来たのではないかと疑っていた。だからといって同伴者を探すには時間がかかり過ぎるので捜索に踏み切るしかなかった。しかも、五十人に満たない人数でだ。


「よし、作戦変更だ。十人はわたしと一緒にエルカシス遺跡の捜索に行く。フレッチャー殿を呼んで来てくれ」


 ツバサが行くとしたらこんな荒野ではない。おそらくエルカシス遺跡のはずだ。

 カーライルは、ツバサに何が起こったのか解らなかったが、奇しくもツバサが暗黒大陸へと飛ばされたエルカシス遺跡に思い当たった。


 そして幸運なことに、捜索隊にはノルトライン領の上席魔導士であるフレッチャーが参加していた。

 フレッチャーはノルトライン領が誇る魔導士団の団長を務める魔導士であり、辺境伯の私設魔法研究所の所長でもある。つまり、少なくともアルフェラッツ王国では魔法にかけては右に出るものはいない。


 カーライルが捜索隊を編成し直し、エルカシス遺跡に出向くと直ぐにフレッチャーはあることを発見した。


「カーライルさま、こちらへお出で下さい」


「どうされた、フレッチャー殿。何か手がかりがありましたかな?」


「一緒に付いてきて下さい」


 フレッチャーはカーライルを遺跡の地下へと連れて行った。


「エルカシス遺跡の地下には古代魔法文明の転移魔法陣が残っているのをご存知でしょうか?」


「いや、知らぬが」


「これがその転移魔法陣です」


「ふむ。わたしにはこれが何をするのかさえ解らぬが、これほど大きな魔法陣を見たことがない」


「それを言うならわたしでも解りません。ですが、これを稼働させるには大量の魔力が必要になります」


「どのくらいの魔力が必要だというのだ? それはツバサの捜索に関係あることなのか?」


「最初の質問の答ですが、おそらく中級魔導士が二十人以上は必要でしょう」


「戦争が始められる人数だな」


「はい。そして二番目の質問の答ですが、ツバサさまはこれでどこかに転移させられた可能性があります」


「な、なんだと!」


「この魔方陣には大量の魔力を流し込んだ残滓が残っております。最近使われたのは間違いありません」


「何故だ……」


 ツバサは何故ゆえ転移させられたのか? そしてそれができる人物はだれか?

 カーライルはツバサが誰の恨みを買ったのか、解らなかった。しかし、それができる人物には心当たりがあった。


「フレッチャー殿。この魔方陣を起動できる人物に心当たりがあるのだろう?」


「わたしが知っている人物の中には、それができる人間は一人しかいません」


「だろうな……」


 今は状況証拠しかないが、実行犯が判ればそこから動機や犯行の事実を炙り出すことができるはずだ。


「必ず尻尾を捕まえてやる」


 カーライルはそれがどんなに困難なことであろうと、徹底的に戦うつもりだった。

 最愛の息子に危害を加えた犯人を許すことはできないのだ――

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