第5話 黎明樹の巫女を護衛するだけの簡単なお仕事
【前書き】
遡りはここまでです。次回からは流刑者の谷で戦いがはじまります。
――――――――――――――――――――――――――――――
一時は恋人との別れで気力を失っていた桂木翼だった。
しかし、黎明樹の大きさに度肝を抜き、美しい精霊に助けを求められ、黎明樹の壮大な役割に再び度肝を抜き、精霊紋で魔法が使えることを知り、そうした目まぐるしい展開のお蔭で失恋の喪失感を忘れつつある。
だが、黎明樹の精霊シルキーとは、まだ話が終わっていない。
「精霊紋を持つ翼さんに、
再びシルキーからお願いされた。
こんなに可愛らしい精霊に懇願されたら、NOと言うのは困難だ。
翼はすかさず警戒レベルを一段上げた。
「翼さんの精霊魔法はミストガルの中でも圧倒的な威力を持っていますから、旅の途中でちょっかいを出してくる魔獣や盗賊などは簡単にやっつけられます」
(やっぱり魔獣とか盗賊がいるのか……)
「それって、チートっていうやつだね」
「チート……ですか?」
「ズルしている、というような意味だけど」
「精霊紋は唯一無二のスキルなのでズルではないとは言い切れませんが……それなら他にも……」
「他にも?」
「いえ、何でもありません。チートですね。覚えておきます」
(この精霊、何か隠してるな)
「覚えなくてもいいよ。それよりも、〈黎明樹の巫女を護衛するだけの簡単なお仕事〉のように思えるけれど、何か注意点とかないのか?」
「そうですね……。魔獣や盗賊以外では、旅の途中で、冒険者、騎士隊、貴族、勇者、お姫さま、魔族、天空族、龍神族、いろいろと関わろうとしてくるかも知れませんが、適当に無視して下さい」
「勇者とか魔族もいるのか。ファンタジーだなー。でも、お姫さまには関わりたい気がする」
「止めたほうがいいです」
「はい、止めときます」
(約束はできないけどね)
「いずれにせよ、どんな事件が起こっても、それはミストガルだけの問題です。彼らが自分たちで対処しなければなりません。翼さんは無視して結構です」
「そうなのか、解った」
(本当に簡単なお仕事のような気がしてきた)
「因みに、魔族よりも天空族のほうが危険度は高いので注意してくださいね」
「天空族ね……了解した」
(まあ、何があっても関わらないで通り過ぎればいいんだろう)
「あっ、もう一つ知ってほしいことがありました」
「何でしょう? まさか邪神もいるとか?」
「邪神ですか? まさか……ふふふ……面白いですね、翼さんって」
(いるのかよ! 女の子が困ったときのセリフだろ!)
「もちろん冗談だよ」
「何で知ってるんですか?」
「えっ……」
「いえ、冗談ですよ。ふふふ……」
「簡単なお仕事なんだよね? ね?」
「そ、そうですよ……。簡単なお仕事です。異世界情緒を味わいながら旅をするという、旅行会社が飛びつきそうな企画だと思ってくだい」
「うん、それなら良いんだけどね」
「それからもう一つの注意事項がありました。それは、ミストガルには大昔に魔法文明が栄えていて、現在は古代魔法文明と呼ばれていますが、その遺跡やアーティファクトが残っているので注意して下さいということです」
「その遺跡やアーティファクトは危険なの?」
「危険なものもあります」
「やっぱり危険だよね。この仕事は?」
「え~そんなことないですよ。ちょっと待ってください……」
シルキーは目を瞑って両手を胸の前で握った。
(ちょっとその仕草、やめてくれないかな)
「いま、黎明樹から提案がありました」
生命の守護者、世界の管理者として、黎明樹は高度な知性を持っているはずだ。シルキーの交渉がうまくいかなければ何かしら譲歩してくるのは当然かもしれない。
「〈自動超回復〉スキルを授与するそうです。喜んでください」
「喜んでと言われてもねぇ……。どんなスキルなの?」
「怪我をしたら自動的に完全回復魔法が起動されます。そして、次回から同じ攻撃や外圧によって怪我をしないくらい戦闘レベルがアップします」
「要するに攻撃されたら、次回からそれが無意味になるくらい強くなるということ?」
「はい、チートスキルです」
「そうそう、チートの使い方あってる。でも、戦闘レベルって具体的な強さの指標だったりするのか?」
「ミストガルでは戦闘レベルという指標がどんな生き物にも割り当てられています」
「因みに、一般的な大人はどのくらい?」
「そうですね、10くらいでしょうか。騎士の平均が25、騎士団長が50、S級冒険者が100を超えていますね」
「今の俺って、どのくらいかな?」
「5くらいですね。ミストガルの子供たちと同じくらいの戦闘レベルです」
「低い……」
「あたりまえですよ。戦闘経験もないのに。だから、最初は即死に注意してくださいね。死んだら蘇生はできませんからね」
「なるほどね。戦うなら自分よりもちょっと強い奴と戦えばいいんだな」
「でも、戦闘はなるべく避けてください。避けられない場合は精霊魔法で応戦するように」
「うん、解ったよ」
翼はこのまま〈黎明樹の巫女を護衛するだけの簡単なお仕事〉を請け負ってしまう流れの中にあったが、地球での、いや日本での生活をどうするのかという問題があった。
長期間、日本からいなくなるのなら、仕事やアパートの後始末が必要だ。ちゃんと処理しておかないと、帰ってきた時に問題になるだろう。
「日本での後始末をするのに二十日間くらいかかると思う。それくらいは大丈夫だよね?」
「二十年ほど前倒しに結界を張り直すのですから、それくらいは誤差の範囲です」
そしてシルキーは、はっと気がついたように翼の顔を見つめた。
「それではわたしのお願いを受けていただけるのですね?」
「ああ、〈黎明樹の巫女を護衛するだけの簡単なお仕事〉、確かに承った!」
桂木翼は日本で暮らしていて、良いこともあったが、悪い事のほうが多かった気がしていた。
それは直近で彼女に酷い振られ方をしたという印象が強いこともあったのだろう。
いずれにせよ、少し自分をリセットしたい。そんな気持ちが強かったので、この依頼を受けることにした。
異世界での旅は何ヶ月かかるのだろうか? 数ヶ月、あるいは一年?
自分の人生をそれくらい棒に振るのも悪くない。
伊達や酔狂である。
そうと決まれば話は早い。行動あるのみだ。
◇ ◇ ◇
この話し合いは一旦お開きにした。
実はこれからが大変だ。
翼がいきなり日本から消えたりすると事件性を疑われるので、後始末をしなければならない。
一番楽なのは、自分の持ち物を全て処分し、アパートやいろんな物を解約してから失踪をほのめかす手紙を残せばいい。そうすれば、しばらくは失踪扱いで捜索されることもないだろう。
翼には親兄弟はいない。祖父もだいぶ前になくなっている。彼は疾走するには気が楽な、天涯孤独の身なのだ。
書き置きの内容は「しばらく旅に出ます。探さないで下さい」この程度でもいいと考えている。
もっとも、それを読むことになるのは公務員の誰かだろう。知り合いではない。
どのくらいで日本に戻って来れるのかわからないし、場合によっては二度と戻れない可能性もある。後のことをあまり気にしても始まらない。
(人生をリセットするんだ。多少の不備は構わないさ)
翼はシルキーに指示されて、門の外へ出ようとした時に事件が起こった。
翼の前に突然天使が出現した――
しかし、本当に天使なのか確信が持てない。なぜなら、その天使の頭髪と背中の翼は、左半分が漆黒に染まっていたからだ。
「そ、その体はっ?!」
その天使を見て、シルキーが悲鳴を上げた。
「シルキーさん、久しいですね」
天使の表情が一瞬だけ緩む。だが直ぐに翼を睨んだ。
だがその目には力が宿っていない。
「お前がセレスティーのガーディアン候補か」
(セレスティー? 巫女さんのことか?)
「お前呼ばわりかよ。それであんたは誰?」
「わたしの名は天使ゼラキエル。お前を殺しに来たものだ!」
美人が怒ると恐いなと、翼は場違いながらも再認識した。
「翼さんを殺すなんて、やめてください!」
「そうはいかないシルキー。こいつが今まで何をしてきたのか、知らないのか?」
「はい? 何のことだ?」
「こいつはな、ゴンドワナ大陸の南端に棲むフェノミナ族を虐殺したんだそ!」
「それは間違いです! 翼さんは、私がここにお招きしたばかりなんですよ。ミストガルに来たことだってなかったんですよ!」
「シルキー、なぜ嘘をつく。私はこの目で見たのだ」
ゼラキエルはそれまで苦しそうな表情をしていたが、ついには立っていられなくなり、跪いた。
彼女をよく見ると、先程よりも漆黒の部分が拡がっている。
「大丈夫か?」
「近寄るな!」
そしてそのゼラキエルは、いつの間にか右手にショートソードを握っていた。
(天使の剣?)
天使の剣を柄を握る右手から白い煙が吹き出していた。
それはまるで剣が天使を拒んでいるかのようだ。
「あっ! ちょっと待って。話せば分かります。落ち着いて下さい」
相手が武器を持っている。翼は防具持っていない。ここは卑屈になってでも話し合いに持っていくのが大人の判断だろう。
だが、翼の試みは遅すぎた。
「最後に言い残すことはないか。『辞世の句』くらいは聞いてやろう」
「お願いですから、シルキーさんに聞いて下さい。俺は無実です」
「何も言うことはなさそうだな」
「え~と、それでは一言だけ聞いて下さい」
「さっさと言え!」
翼は左手の中指を突き出してこう言った。
「地獄に落ちろ!」
次の瞬間、天使の剣は翼の胴体を貫いていた――
「や、やりやがったな……」
「地獄に落ちるのは貴様だ!」
翼の体からは赤い血が大量に流れ出ていく。
そしてその場で崩れ落ち、意識が徐々に遠退いて行く。
彼の目にはゼラキエルの頭髪が徐々に漆黒に侵されていくさまが見えていた。
「簡単なお仕事じゃなかったのかよ……」
翼の意識はそこで途切れた――
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