第4話 精霊の紋章
【前書き】
ツバサが転生する前の、地球人の桂木翼だった頃の話を二話連続で投稿します。
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恋人だと思っていた女性にキープ君扱いされていたことを知り、失意のどん底に沈んでいる三十路のサラリーマン、
すでに時刻は深夜近くで、通りには街頭の明かりが夜道を照らしている。
彼は俯きながら歩いていたが、ふと顔を上げてみると目の前を精霊虫が漂っていた。
「今日は精霊虫をよく見る日だ」
得体の知れない光の蝶――怪異なのに翼は不思議と恐怖を感じない。
むしろ、親しみさえ感じていた。
その光の蝶はヒラヒラと舞いながら、ある家に入って行った。まるで翼について来いとでも言うように――
翼は精霊虫に誘われてある家の門を潜った。
そして景色は一変した――
周囲は昼間のように明るくなり、目の前には木の壁が立ち塞がっていた。
「えっ、これなんだよ? 木なのか?」
よくよく見ると、それは木でできた壁ではなく、一本の木だったのだ。
その巨木はどう見積もっても直径が三十メートル以上はある。米国の西海岸に自生するセコイアでさえ直径は六メートルに満たないのだ。それを巨木と表現するには無理があるだろう。強いて言えば超巨木……、それくらいしか表現する言葉が見当たらない。
その超巨木は翼の位置からは近すぎて全貌がわからない。見上げても枝葉が邪魔して高さは不明だ。
常識的に考えて都会の住宅街にあっていい代物ではないし、自然界でさえこのような超巨木は存在しないはずだ。
その超巨木を見上げて、翼は立ち竦むしかなかった。
ただ大きいというだけでなく、翼では理解できない何かの力を感じる。それは神木に感じるような神聖的な何かだ。それも桁違いの……。
しばらくして冷静さを取り戻すと、翼は周囲を見渡してみた。
超巨木の周囲は、直径が百メートルほどある広場になっていて、その外側には鬱蒼とした森が広がっている。
その反対側がどうなっているのか判らないが、おそらく同じようなものだろう。
「おいおい、俺はどうかしちまったのか? それとも……」
――異次元へ繋がるゲートを潜り抜けたとか? まさかな……。
「いやいや、それはないだろう。やっぱり俺の精神的な問題か……」
――早く立ち去ったほうがいい。
翼の心は警鐘を鳴らす。しかし、辺りを見回した時に判っていた。ここへ侵入した時の門はすでに存在していない――
翼が呆然として立ち尽くしていると、再び先程の精霊虫が目の前に現れた。
思わず左手を前に出すと、その精霊虫は蝶のようにヒラヒラと舞いながら掌に止まった。
「お前は知っているのか? ここはどこなんだ?」
すると今度はトンボの形をした精霊虫が集団でやって来た。
「以前、こんな光景を見たことがあるような……。そうだ……」
翼は自分が子供の頃、祖父が住んでいた家の裏山によく遊びに行っていた。そこで多くの精霊虫と戯れていたことを思い出した。
「何で忘れていたんだろう……」
翼が記憶の糸を手繰っていると、周囲は様々な形の精霊虫で満たされていた。
最初は虫型だけだと思っていたが、鳥や魚の形をしたものもいる。
全ての精霊虫の飛び方は同じで、羽ばたいているというよりも漂っている感じだ。
おそらく精霊虫の形にあまり意味はないのだろう。
周りに集まってきた精霊虫たちは翼の体中に張り付いて、まるで光の服を纏っているかのようになった。
「懐かしい……。こんなところに精霊虫が棲息しているなんて」
しかし彼は勘違いしている。ここは翼がついさっきまでいた住宅街ではないのだ。
「ふふふ、エメル
突然の声に、翼がビクッと体を震わせる。
精霊虫が音もなく一斉に飛び立つ。
まるで光の華が咲いたように――
「まあ、綺麗……」
そこに立っていたのは金髪碧眼の美しい女性だった――
「やっと逢えましたね、桂木さん」
その女性は白地に緑色の模様が入った丈の短いドレスを着ている。
そう、女性なのだが明らかに人間ではない。
なぜなら、その女性には半透明の三対の羽が背中から生えていて、宙に浮いているからだ。
「不法侵入ですね。ごめんなさい。直ぐに出ていきます」
非日常的なことが起こっているのに、翼の口からは日常的な言葉が咄嗟に出てきた。
そして回れ右をしようとしたところで、人間ではない女性が引き止めた。
「待って下さい。わたしが桂木さんをお招きしたのです」
「招かれた覚えはないけど?」
「わたしがエメルを使って桂木さんをここに誘導したんです」
「エメルって、精霊虫のことか?」
「そうです。エメルが見える桂木さんだからこそ、ここへ来ることができたわけです」
翼が知っている限りでは、人間で精霊虫が見えていたのは彼と彼の祖父だけである。
「ちょっと確認させてくれないか。もしかすると、あなたは精霊……?」
「はい、わたしの名はシルキー。
「マジかよ……」
翼は精霊虫よりも上位の存在を考えたことはあったが、実際に遭遇したことはない。
その精霊に逢えたのだ。彼の心は高揚していた。
普通の人間だったらパニックに陥ったかもしれないが、子供の頃から怪異を見慣れている彼にとっては、ちょっと刺激的な出来事でしかない。
「黎明樹の精霊?」
目の前に聳え立つ超大木。間違いなくそれが黎明樹なのだ。それにこれだけの神木だ。精霊が宿っても不思議はない。
翼は改めて黎明樹を見上げた。
「俺をここへ招いた理由を教えてくれないか」
シルキーは地面に降り立ち、翼を見上げた。
彼女の身長は一四〇センチくらいで、金色の髪が腰の辺りまで伸びている。
そして両手を胸の前で組みこう言った。
「お願いがあるのです」
それは翼にとってあまりにも意表を突く理由だった。
彼は怪異が見えること以外に何の特徴もない平凡な人間だ。少なくとも彼はそう思っている。
そんな自分に美しい精霊が助けを求めている。彼にとっては青天の霹靂なのだ。
「お願いって、何を?」
「翼さんに
シルキーは願いの内容を滔々と語りはじめた。
黎明樹の役割は二つあり、一つは生命の守護者として生命を守り、育み、進化させること。
そしてもう一つは、不安定な並行世界を安定化させることだ。
並行世界については理論物理学でもその存在の可能性について議論されているが、その詳細を翼は知らないし、ましてや不安定といわれても理解不能である。
――話がでかくなり過ぎてついて行けない。
シルキーの話は更に続く。
黎明樹の仕組みを上手く運用するためには、黎明樹自体も保護する必要がある。
特に重要なのが黎明樹を隠蔽することだ。なぜなら、知的生命体に黎明樹の存在を知られてしまうと、必ず悪さをするものが現れるからだ。それは歴史上の事実であり、知的生命体とはそういうものだと認識するしかない。
黎明樹は外敵から自分自身を防御する手段を持っておらず、少し傷つけられるだけでその世界が不安定になってしまう。
もし、不安定な状態が続くと意図的に異世界へのゲートを開くことが容易になってしまうのである。
そして、ゲートが開くとお互いの世界の生態系に悪影響を及ぼすだけでなく、文明が滅んでしまうことになりかねないのだ。
「ミストガルという世界で黎明樹の結界が想定よりも早く限界を迎えようとしているのです」
それぞれの世界には黎明樹を隠蔽するための仕組みがあり、ミストガルでは黎明樹の巫女が百年毎に結界を張って隠蔽している。
最近では何故か結界の消耗が激しく、二十年前倒しで結界を張り直す必要が出てきたと、シルキーは言う。
「そうは言っても、俺は結界を張り直したりできないぞ」
「もちろんです。結界を張り直すのは今まで通り黎明樹の巫女さまです」
ところが、黎明樹の巫女は遠く離れたエルフの里で暮らしていて、結界を張るには黎明樹のところまで移動する必要がある。
いつもならば準備を整えて黎明樹の下へ向かっていたのだが、今回は旅の護衛役が不慮の事故で亡くなってしまったそうだ。
「黎明樹の巫女の旅は極秘裏に行われます。エルフの里の人々もこのことを知らされていません。だから、強いだけでは護衛役は務まらないのです」
――やっぱり異世界にはエルフはいるんだな。
「秘密裏に実行したいならば、異世界の人間を使えば情報が漏れるリスクは少ないかも知れないね。護衛が終われば帰還するだろうし?」
「解かってくださいましたか。よかった!」
「でも、俺は非力な地球人だからね。情報が漏れることを心配する以前に、護衛なんてできないよ。他の地球人を探したほうがいい」
そもそも翼は護衛に関する知識を何も持ち合わせていないし、格闘技の類もまったくの素人だ。地球には翼以上の適格者はたくさんいるはずなので、他を当たったほうがいいだろう。
「ミストガルという世界は、いわゆる〈剣と魔法〉の世界です。普通の地球人には護衛などできません」
「俺は普通の……というより平凡な地球人なんですけど?」
「まさか……気づいてないのですか?」
「えっ、何を?」
「まだ活性化されていないようですね」
シルキーは翼に近寄って右手を彼の胸に当てた。すると、眩い光が溢れ出す。
「翼さんは〈精霊の紋章〉を持っています」
翼の胸の前には、光り輝く紋章のようなものが浮かび上がっていた――
「うわっ! 何だ!」
翼の目の前には今までと違う世界が顕れた。
精霊虫や鬼のような強力な怪異しか見えなかったが、今ではもっとたくさんの精霊や怪異が見えている。
「そうか……これが本当の世界……なんだな」
「その紋章は〈精霊紋〉ともいいます。現在の地球には精霊紋の保持者は一人しかいません。それが桂木翼さんです」
なぜ精霊紋を保持したまま人が生まれてくるのか、それはシルキーにも解らないそうだ。しかし、そんなことができるのは精霊よりも上位の存在しかありえない。
「つまり、翼さんは普通の地球人ではないのです」
「精霊紋を持っていると、なんで巫女さんの護衛ができるのか、まだ解らない」
「精霊の力を借りることができますから、強力な精霊魔法が使えます。それも詠唱無しで桁違いの魔法です」
つまり、翼は世界最強の精霊魔法使いなのだ――
やっと翼にも理解出来そうな話が出てきた。
彼は三十路になったばかりだが、Web小説やラノベを読んでいる。その知識が役に立つとは思えないが、その手の話には抵抗感がない。
「い、今でも使えるの?」
実際、彼は魔法に対して相当興味があるようだ。
「地球でもミストガルでも使えますよ。でも、黎明樹の前では使わないでくださいね」
「それはもちろんだよ。いきなり世界が滅びたりしたらいやだからね」
この時、翼の心には不本意ながら外堀を埋められていくような不安感が生じていた。
――護衛任務か……俺にできるのか?
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