第18話

 10年前



 暑い夏の日、中村小百合は小学1年生の夏休みを謳歌していた。


 朝早く起きては1人で川辺に行って昆虫を取ったり、1人で森に行き昆虫を取るという、いかにも活発な少女らしい遊びをしていた。


 しかし彼女は決して昆虫が好きなわけではなかった。


 なのになぜ彼女は毎日のように昆虫採集に励んでいたのか。


 答えはいたって単純であった。そして残酷でもあった。



 彼女は友達が1人もいなかったのだ。



 むしろ避けられていたと言った方が正解かもしれない。


 彼女の真面目で大人っぽい性格は、無邪気な小学生には合わなかったのかもしれない。


 中村小百合はそれを知っていた。知ったうえで自ら皆を避けていたのだ。


 どうせ避けられるならば、自分から避けたほうが気が楽だと考えたのも半分、嫌な現実から単純に逃げていたというのもある。


 彼女は皆がいる公園や近くの川を避け、わざわざ2時間も歩き遠くの森や川に行っていた。


 ここならば彼女を知っている人は誰一人いない。彼女が唯一自由気ままに遊べる場所だった。



 8月13日



 夏休みももうすぐ終わろうとしている月曜日、中村小百合はもちろん宿題も終わらせ自由研究も終わらせ、今日も朝からバケツを片手に川に遊びに出かけていた。


 最近は川の浅瀬に入りカニを捕まえるのが楽しくてずっとやっている。


 カニは岩場によく潜んでおり、捕まえようとしても素早く隙間に逃げ込むので素手で取るのは困難だ。


 その難易度の高さが彼女を熱中にさせていた。


「さあ、今日は10匹以上取るぞ!」


 1人で意気込みを宣言して彼女は川の中にざぶざぶと入っていく。


 当時の彼女の身長は120㎝くらいだったが、それでも水は足首くらいまでしか届かない本当に浅い浅瀬だった。


 きれいな川だったため、小さめの岩をどかせば大抵カニが潜んでいた。


 中村小百合はひたすらカニを追いかけては捕まえてバケツに入れる遊びを続けた。


 小学生低学年とは単純なもので、当時クラスの中で大人びていた彼女さえも、その遊びに夢中になっていた。



 2時間後



 さすがにカニを捕まえるのを飽きはじめた中村小百合はさらなる大物を捕まえるために、少し深いところまで冒険に出ていた。


 少し深いと言っても膝小僧にも満たない浅瀬ではあったが、体の小さな彼女は注意して歩かないとバランスを崩してしまいそうになる危ない場所でもあった。


「んー、ザリガニさんとかいないかなー」


 大物(ザリガニ)を探すこと30分。


 やっとのことで見つけた初めてのザリガニは当時珍しい(今はもっと珍しいが)二ホンザリガニだった。


「なんとしても捕まえないと……」


 彼女はゆっくりと近づき二ホンザリガニとしばらくにらめっこをする。


 ちなみに言うと川のザリガニは網やバケツなど道具がないと捕まえることはほぼ不可能である。


 しかし彼女はザリガニを絵本で見たことはあっても、現物を見るのは今日が初めて。そのようなことなど知る由がなく、カニと同じように素手で捕まえようとしていた。


 二ホンザリガニは彼女の半端ではない闘争心を感知したのか、素早く後ろにバックする。


「あ!何だあの動きは!……新しい!!」


 カニとは違うザリガニの奇妙な動きを目撃した彼女は、軽い衝撃を受けた後、ヤツを必ずや捕まえなければならないという謎の使命感に駆られていた。


「待って!ザリガニさん!」


 彼女はザリガニめがけて一直線に手を伸ばして取ろうとしたが、そんなんで捕まえられるはずがなく、またしてもバックで逃げられてしまう。


「ムムㇺ……」


 手ごわい相手に夢中になっていた彼女は、自分が岸から離れ川がだんだん深くなってきていることに気が付いていなかった。


 彼女はザリガニを手づかみしようとしたところでバランスを崩し転んでしまった。


 浅瀬だったら別に転んでも大丈夫だが、ここは既に浅瀬と呼ぶかも怪しい深さの川の真ん中だった。


 いつの間にか深いところにきてしまったことに彼女は驚くが、今更驚いても、もう遅い。彼女の小さくて軽い体は川に流されて下流へと下り始めた。


 17歳の中村小百合は全国レベルに泳げたが7歳の中村小百合は全く泳げなかったのだ。


 彼女が抵抗しようとすればするほど、彼女の体は川底や岩にぶつかり傷だらけになっていく。


 助けを呼ぼうと叫ぼうとしても口に水が入るばかりで、余計に苦しくなるばかりだった。


 やがて彼女は力つき、気を失っていた。



 

 目を覚ますと見たことのない川辺に寝ていた。隣にはずぶ濡れで傷だらけの少年が座っていた。


 私がどういうことか理解できずしばらく目を泳がしていると、彼は私が目を覚ましたことに気づきこう言った。



「よかった~。無事で」



 心底嬉しそうに言う彼は、傷だらけであることが嘘のように幸せそうな顔をしていた。


 

 そしてこれが中村小百合が初めて聞いた浅野智樹の声だった。



 まさか彼によって、彼女の今後の人生が大きく変わるなどこの時の彼女はこれっぽっちも考えていなかった。







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