第13話
「すまないが、凛お姉さんと別れてくれないか?」
その言葉は、今、一番俺が聞きたくない話だった。
長い沈黙が、どんよりとした低気圧の空みたいに重く感じた。
わかっていた。博隆が凛の『力』の話を始めたぐらいから、何だか申し訳なさそうな目でこっちを見てくるのだから、「別れてほしい」というのは分かっていたつもりだった。
だが……
「………」
何も言えなかった。
というか、何も言葉に出なかった。言いたいことは分かっている。
「絶対に別れたくない」…そう言って断固として言い切れば良かった。
だが、その強気な態度とは裏腹に、実際に口から出てきたのは、誰もが鼻で笑うようなしょうもない虚言だった。
「あと、3日だけ待ってください。それまでに分かれます」
何バカなこと言っているんだ!本当に言いたいのはそんなことではないだろう!
なぜ自分がこんな嘘をついたのか、自分でも分からなかった。この哀れな発言に怒りさえ覚えた。
「……そうか。意外だな。君はもっと食い下がると思っていたのに」
「……」
「まぁ、話が速くて助かるよ。3日ぐらいなら、僕の方も何とか持つだろう。気になるのは凛お姉さんに不幸が舞い落ちる事だが、今まで全部家の方だったから大丈夫だろう。それに、確かに今すぐ別れるというのは無茶かもしれない。凛お姉さんだって突然別れるとか言われたら、ショックを受けるだろうしね」
いっきに言い終わった後、博隆はいつもの作り笑いに戻る。今見るととても恐ろしい。
そしてさっきの発言で分かったことがもう1つ。
この人は自分の姉、つまり凛の事しか考えていない。凛の安全を大前提にし、凛の幸せを己の幸せより優先している。
この人のよさそうな笑顔もすべては凛のため、凛が軸として回っていた。
それほど、凛を愛しているということだろう。もしかしたら、そのような思いが無意識のうちに俺の発言に圧力をかけてきたのかもしれない。
「すまない。長居させてしまったな。凛の部屋はこの部屋の真上にある。あと、ここでの話は凛お姉さんに話さないでほしい。彼女はきっと事実を知ったら悲しむだろう」
「え、えぇ……。分かりました……」
「あ、それと、約束はしっかりと守ってくれよ。約束を守らない人が僕は1番嫌いなんでね」
「………」
「じゃあ、カオリさん。彼を凛お姉さんの部屋まで案内してくれ」
そう言うや否や襖が音もなく開き、メイド姿のカオリさんが入ってきた。やっぱり和室とメイドは合わないな。
「承知しました。仕方なく、しぶしぶ、智樹様を凛様の部屋まで案内します」
なんか余計な言葉が増えているが、突っ込む気力はもはやない。
「ㇵッハッハ。さすがカオリさん。冗談が面白いな」
相変わらず豪快に笑う博隆。すごいな、この人。いろんな意味で。
俺とカオリさんは2人で凛の部屋に向かう。メイド姿のカオリさんは黙々と早歩きで俺の前を歩くもんだから、とても話しかけられない。それどころか、話しかけるなオーラが半端ない。
「あのー……」
「…何でしょう?あまりあなたとは話したくないのですが」
振り向きもせずに本当に嫌そうな声で一応返事はしてくれる。かろうじて平静を装っているが、ここまでストレートに言われると、さすがに傷つく。なんか、俺悪いことしたっけ?
「あのー。俺なんかカオリさんに恨みを買うようなことしましたっけ?どう考えても嫌われているように聞こえるのですが……」
「別に智樹様を嫌っているわけではありません。ただ、関わりたくないだけです。先ほど博隆様と智樹様のお話を聞かせていただいた所、どうやら、智樹様が原因でこの家が危機的状況に陥っているそうですね……。もちろん、智樹様が悪くないというのは承知しておりますが、それでも関わりを持ってしまうと、その不幸が私の所にまで及ぶのではないのかと不安になってしまうのです。どうかご無礼をお許し下さい」
「は、はぁ……。分かりました」
話を聞いていたのか。なら仕方がないというべきなのかな。俺だって運の悪い男となんて関わりたくないし。よかった。嫌われてなくて。
ふとカオリさんは立ち止まり、後ろに体ごと半回転する。
いきなり止まるものだから、危うくぶつかりそうになった。
俺たちはしばらく向き合う。
ふとカオリさんの口が開いた。
「ちょっと気になったので一応伝えておきます。これは私からの助言…いえ、警告として記憶の片隅に入れておいて下さい」
「……警告?」
「えぇ。博隆様はあなたとの会話の中で、最も嫌う人は約束を破る人だとおっしゃっていましたのは覚えていますか?」
「え、あ、はい。覚えています」
「彼が2番目に嫌うのは、約束の撤回を求める人です。この意味があなたにはわかりますか?」
「………」
「あの方は優しそうに見えて、実は冷酷なお方です。特に姉がらみになると、ひどいです」
「………」
「約束を守らなければ、命がないと考えて下さい」
おいおい。マジかよ……。
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