きれはしとかけら

 2体の狛犬の片方に目を凝らして、口の形を真似してみた。それはまったく意味のない行為だったけれど、今の私にとっては、やらなければならない儀式のようなものだった。

 ちょうど、相沢春菜がどこにでも売っているビニール紐で、その命を絶ったように、なくてはならないことだった。


 夕暮れの神社は、そこかしこに深い影を広げていって、まるで現実とは思えない不自然な景色に見えた。よくあるだまし絵の世界のように、いびつで、普通ではなくて、存在に何者かの意図が付加されているような、奇妙な世界だった。

 赤と黒に染まったその場所で、私はどこへも行くことができなくて、ただ暮れていく「今」を見ていた。思いを寄せればいくらでも思い出せるたくさんの記憶が、この世界のいたるところにばらまかれているのだ。私は、彼女を失うまで、そのことに気がつくことができなかった。

「ねえ、春菜。相沢春菜。あなたの最後の姿は、この神社と何が違うというのかしらね」

 そうつぶやいて、私は自分が真似ていた狛犬が、どちらの口だったのかも忘れてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る