ああ、あの人は放っておいてください。
結婚式なども行われるため大きく作られている祈りの間(注:神々の像が置いてある大部屋。冠婚葬祭だけでなく、豊作の祈願や礼拝などにも使われる)の掃除を終えたメンシュは、溜息を吐きながら長椅子の一つに腰かける。
週一回ある礼拝の日の前日に行っている祈りの間の本格的な掃除は、魔法を使っても結構な重労働なのだ。
本来一人でできることではないが、とある事情から一人でこの教会を管理しているのだから仕方がない。
ちなみに、フィランには他の部屋の掃除をしてもらっている。
「終わったよ!」
メンシュが暫く目を閉じていると、フィランのそんな声が聞こえてくる。
目を開けたメンシュは、声のする方を向いて疲れた様子のフィランを見た。
「はい、お疲れ様です。まだ午後三時ですし、暫く休憩にしましょう。」
「さんせー。疲れたもん。」
フィランはそう言うとメンシュの隣に座る。
二人の距離はかなり近く、少し動けば肩が触れてしまいそうだ。
暫く二人はそのままぼんやりとしていたが、不意にフィランの体がメンシュの方に傾き、そのまま倒れ込む。
倒れ込んだ先にあるのはちょうどメンシュの太腿のあたりだった。
「ふわぁ、眠い。」
「ここで寝ないでください。起こすの面倒なので。」
「疲れたんだからいいじゃん。」
「駄目です。もし寝たら怪我しない程度の電流を小指に流します。」
「怖っ!」
真顔でそう言うメンシュの表情からは、冗談を言っているようには感じられない。
何処からか本を取り出して読み始めたメンシュを見上げながら、フィランは睡魔に負けずに今の状況を楽しもうと奮闘する。
しかし、現実はそう上手くいってくれないものだ。
「すぅ、すぅ。」
十分ほど経った頃、そんな規則正しい音が聞こえてきてメンシュは本から目線を逸らす。
いつの間にか膝の上のフィランの目が閉じており、その体からは力が抜けていた。
完全に寝ている。
それを見たメンシュは一度溜息を吐くと、本を長椅子の上に置いてからフィランの両手の小指に触れて魔法を使う。
フィランは「っ!」と声にならない悲鳴を上げると、あまりの痛さに転げまわり、メンシュの膝と椅子の上から落下する。
「いったぁ!頭打った!」
涙目になりながらそう叫ぶフィランは、すかさず頭に回復魔法を使う。
両手から淡い光が放たれ、ぶつけたことによる痛みや内出血などが無くなっていく。
「酷い!メンシュ酷い!」
「酷くないです。寝る方が悪いので。」
「限度ってものがあるでしょ!もはや悲鳴も出ないくらい小指痛かったんだけど!」
「警告しても寝る方が悪いです。」
床に女の子座りしながら抗議するフィランに対し、メンシュは自分は悪くないという態度をとる。
しかし、うっかり寝てしまっただけでこれほどの痛みを受けたフィランは、全く納得がいかない。
したことに対する罰が重すぎると思うのだ。
「だからといってここまでする?」
「僕がしたのは小指に怪我しない程度の痛みを与えたことだけです。
落ちたことに関して僕は全く関係ありません。」
メンシュはそう言い切るとすっと立ち上がってくるりと体の向きを変え、祈りの間の一番大きなドアの方を見る。
すると、そこから一組の男女が入ってきた。
「こんにちは、今時間大丈夫ですか?」
そう尋ねてくる男性に、メンシュは「問題ありませんよ。本日はどうされました?」といつも通り対応する。
人が来るとは微塵も思っていなかったフィランは慌てて立ち上がると、何事もなかったかのように振る舞おうとするが、立ち上がるときによろけたり無理な作り笑いになっていたりと全く動揺を隠せていない。
男性と女性はそれに気が付いて苦笑していたが、特に何も言わなかった。
これが大人の対応というやつかもしれない。
「実は、わたしたち結婚することになったんです。」
「そうですか。おめでとうございます。では、本日は結婚式に関するご相談ですか?」
「はい。」
「そうです。」
「わかりました。でしたら奥の部屋を使いましょう。」
メンシュはそう言うと、いくつかあるドアの一つを開けて中に二人を案内する。
長い机を挟んで向かい合うように座ると、メンシュはフィランを祈りの間にほったらかしにして話を始めようとした。
「では、結婚式について相談を――」
「はい。でも、フィランさんは放っておいていいんですか?」
「ああ、あの人は放っておいてください。頭でも撫でれば機嫌よくなりますから。」
単純なんです。
そう言うメンシュに二人は目を見合わせて苦笑する。
第三者の彼らにもわかってしまうほど、フィランはあからさまな好意を向けているというのに、メンシュ本人は全くそれに気が付いていない。
結婚予定の二人はそれを少し気の毒に思いながらも、結婚式に関する様々なことを決めていった。
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