Esクラリネット一Ⅱ

「…河野島こうのしまミキ、私立囃子台はやしだい中学の2年生です。吹奏楽部で、一応部長をやってます。野森くんにはいつも良くしてもらってまして…」


 ピンと伸びた背筋にかかった、二つ結びの黒髪を揺らしながら彼女は深々とお辞儀をした。

 …ん?私立囃子台?それって確か物凄いおぼっちゃまお嬢さま学校だったような。


「いやいや〜、ぼくの方が助けられっぱなしですよ、ミキちゃんには!」

「……心太くん、仮にも河野島さんは『依頼人』ですからね」


 社長さんが相変わらず見た目にそぐわない丁寧な口調で咎める。

 今日は白いラフなインナーに、コンビニ強盗帰りですかってくらいカラフルなペンキだらけのオーバーオール。左肩だけ抜いて気崩している。もちろんダメージ入り。そしてゼブラ柄のスニーカー、レザーネックレス。今日もハデだなぁ。


「うぁ…すみません、河野島さん」

「苗字呼び!?」

「心太くん、そこまでしなくてもいいんですよ」


 やっぱり感情の上下ゼロに聞こえる。


「ミキちゃんが依頼なんてどうしたんですか?」

「…心太くん、旧校舎の“あの”噂、知らない?」

「旧校舎ですか?ウワサ…?」


 はて、という顔をして考え込む心太くんに社長さんが言う。


「囃子台中学は、夕方になると旧校舎から少女の悲鳴が聞こえるという噂で持ち切りだそうですよ、囃子台中学2年の心太くん」

「うーん……あは、知りませんね〜」


「あのね心太くん、私、一昨日の帰りに先生と次のアンサンブルの曲について話してたの。で、帰ろうと思って門に行くとき、確かに聞こえたんだ。変な声。旧校舎から。けど、あれは女の子の悲鳴って言うよりも…」

「よりも?」

「えっと、ね…」


 ちょっと言いずらそうに間を置いて、丸メガネをずり上げてからミキちゃんは言った。


「ウチの吹部には無いはずの、Esエスクラの音だった」


 *✻*


「分かりました、では明後日、月曜日の夕方5時に、そちらに伺わせます」

「はい。よろしくお願い致します」


 丁寧にぺこりと頭を下げて、ミキちゃんは帰っていった。


「………仕事見学も兼ねて、あすかさんとイナリくんにも行って頂こうかと」

「えっ」


 社長さんは真っ赤っかのヘッドホンのコードを指でいじりながら言った。


「見学って…邪魔になったりしませんか?」

「恐らく大丈夫かと。まあ高音楽器にはアグレッシブな魂楽器ソーリントも比較的多いですが…心太くんともっくんの組に行っていただくので、危険な事態となる可能性は極めて低いです」


 ……ド天然心太くんと人見知りもっくんはそんなに強いのでしょうか。


 そんな不安を抱えながら、今日の目的だった仕事の説明を受ける。


 七宮相談所の基本業務はこの3段階。

 ――――――――――――――――――――

 •音害〈軽度〉 睡眠妨害、騒音被害などの人命に関わらない依頼

 電話対応、現地調査、報告書作成


 •音害〈中度〉 傷害事件、器物破損などの依頼

 直接依頼人と会話、現地調査と報告書作成は軽度同様。警察に紹介することもあり


 •音害〈重度〉 主に吸魂楽器アンソーリント関連、人命に大きく関わる

奏者プレイヤー』と魂楽器ソーリントは直ちに現場へ向かい、解決を急ぐ ――――――――――――――――――――


「―――という感じです」


 社長さんはキレイな字でホワイトボードに書き付けた。


「事務所には『奏者プレイヤー』と、一般人の社員が居ます。ですが、吸魂楽器アンソーリントが絡む場合には『奏者』以外の社員が関与することは禁止です。断固許可していません」

「禁止…。そんなに、危険なんですか」

「よっぽど大丈夫です。よっぽど。あ、ちょっと待ってて下さい。書いて欲しい書類がいくつか」


 『よっぽど』は2回も言わないで欲しかったなぁ…。



「何見てるの?イナリくん」


 声のした方を見ると、円谷さんがイナリに声を掛けている。


「別に」

「あらナマイキ。ふーん、今までのEsクラの魂楽器ソーリントのデータ資料ね」

「…ああ。色んなタイプがいるんだな」


 そのとき、私の視線に気づいた円谷さんが手招きした。


「ほら、あすかちゃんもこっちこっち!」

「あ、はい…ってすみません円谷さん、それって勝手に見て大丈夫ですか?」

「いーのいーの!あと、塩子って呼んで欲しいわ。円谷さんはカタいわよ〜」


 うふ、と笑って「笑子でもいいけどね」と付け加えた。


「えっと、じゃあ…塩子さん」

「うんうん」

「個体差ってのはどういうことですか?」

「ああそうね、基本的に楽器によって性格と見た目のタイプが大まかに決まった傾向にあるのよ」

「へえー!」

「まあホルンはおっとりした子が多いはずなんだけどね」

「あはは…」


 文句あんのかとでも言いたげにこちらを見る、イナリの視線が突き刺さる。


「あとホントのところは分からないけど、持ち主の好みが出るとも言うわよ」

「…へぇ〜」


 笑えない…。私はマゾでもショタコンでもない!!

 話題変えよう。


「そ、それで、Esクラの傾向って…?」

「そうねぇ、高音楽器だし、気が強めかしら…と言っても、フロルはあんな感じだし、6割くらいの話よ」

「なるほど…」

「へ…わ、わたしまた何かしちゃいましたか?」


 オドオドした声を上げながら資料を片付けるフロルちゃん。


「なんでもないわよ〜」

「そうなんですか?…あ、い、イナリくん。これも読みますか?」

「ん、読む」


この子は敬語というものを知らないんだろうか。


「すみません遅くなりました。東海林さん、これに記入をお願いします」

「あ、はい…」


 そのとき、カチッと時計が音を立てた。

 5時だ。


「ああ、心太くん。5時です」

「わあほんとだ!じゃあぼくは帰りますね。あすかさん、明後日学校で待ってますね〜」


 心太くんはそう言ったかと思うとさっさと帰ってしまった。


「は…早い」

「心太くんちは門限厳しいからねえ」

「そうなんですか?」

「そりゃあもう。超がつくほどのボンボンなのよ、あの子。ノモリ製薬の御曹司、そんでもって長男!全国模試で1位取ったこともあるらしいし、極めつけは柔道初段」

「ええええ」


 嘘やろ心太くん…。ノモリ製薬なら私も頭痛の時にお世話になってます。人は見かけによらないとはよく言ったものだなぁ。


「東海林さん、あとこれもお願いします」

「あ、はい。…ん?総譜フルスコアですか?」

「はい、最初の見開きに、自分の名前と魂楽器ソーリントの種類、その名前を書いてください」

「はあ…」


 なぜか、確かに『フルスコア』だ、と思った。けど中の楽譜は全部五線譜だけで、音符はひとつも書かれていなかった。


 ――――――――――――――――――

 conductor 七宮七海


 player 円谷笑子 Fl フロル

 野森心太 A.Cl もっくん


 ――――――――――――――――――


 ………なんか、名前の横に、何やら、あ、赤黒い、え、これ、これって、


「あ、これ使ってください」

「いやなんですか、なんなんですかこれは」

「それはもちろん」


 ああ聞きたくない、続きを聞きたくない。社長さんの手の中のこんな小さくて細くて銀色に光ってて先が尖った――ナイフの使い道なんて知りたくない!!!


「血判もお願いします」


 ですよねええええ!!!

 や、やだ物騒!


 何度も何度も躊躇いながら、終いにはイナリにむりやり押さえつけられながら血判を押し、私たちが帰路に着いたのはもう夜の7時を過ぎた頃でした。

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