邂逅に花を綻ばす

あらぬ方向を見据えて、陛下はふらりと歩き出した。

なんの目的もなく、ただ何かに操られるように。


梨の花びらが、またはらりと舞ってきた。

最近よく目にするそれを追って、また彼は覚束ない足取りを進める。

その花を目にするとなんとなく気分が慰められて。

でもその後、いっとう惨めな気分になる。理由は相変わらず不明のまま。

その度に梨の木を全て焼き尽くしたくなる。

今までも気に入らないものは全部そうしてきたし、血みどろ皇帝はちゃんとその苛烈さを持っているから。

ふらりふらりと歩くまま、彼は決心した。

今度こそ絶対に、梨の花を根絶やしにする。

手始めに、たどり着いた先にあるこの梨の木を切り倒そう。


固く心に決めれば、足取りもわずかにはっきりしたよう。



風が吹く。

はらはらと舞い散る花弁の量は増し、さっきまでの苛烈な気分が鎮まっていく。

急に全てがどうでもよくなっていき、足取りもフラフラ。


そうして。


「………梨の木は嫌い、ですか」


その声を聞いた時には、やっぱり悪くないかも、なんて思ってしまっていた。


いつの間にか隣を歩いていた少女が、こともなさげに聞いてきた。

梨の花が人になったら彼女のようなんだろうか、なんて馬鹿馬鹿しい考えを打ち消す。


梨花はちょっぴり笑った。嘘つきなこの人は、なんて答えるのかしら。


「ああ。全部、絶えさせてやりたいくらいには」


なんだか、本当にやってしまいそうだった。

この世界から梨の花が消えてしまうのは悲しい。

だって大好きな人のこと、思い出させてくれるのはこの花だったから。



「この先に、とても大きい樹があるのです。それさえも………」



それさえも。

そのさきは空気に混じらせて、梨花は噤んだ。


沈黙と2人分の足音が森の中を彷徨う。

その間も花弁は後から後から舞い落ちて。やがて。



開けた先に見えたのは、大きな大きな梨の木だった。

絶え間なく花びらを降らせては、また白い花を咲かせる。



『___それは昔々のこと』



遠い遠い記憶の片隅で声がした。



ずっと昔に聞いた物語。

その昔のさらに前、古の物語。

永遠を生きる、お姫様のお話。




「この木は、実を作ることが出来ないのです。花が散っては、すぐに新たな花に咲きかわってしまうので」


「永遠の命か」


コトリと陛下は首を傾げた。

月から落っこちてきたお姫様。そのお姫様が残した宝物。



「………彼女は子ども身籠っていた。それが、永遠の命だと伝えられています」



梨花は太い幹にそっと手を添えた。


「………あなたと私が生きるのは、世界の反対側。寒くて冷たくて孤独なところ。でも、あなたを落っことしてから寂しくはないの…」


ぼんやりとした独白は、陛下に聞こえることはなかった。

ただ彼女は、許されぬ罪を告白する。



「月のお姫様も、そうやって誰かに引っ張られたのかも」



「………梨の花をみると」


陛下は梨花の隣に並んだ。


「不愉快が拭われて、代わりに酷く惨めになる。………なぜ?」



梨花は瞬いた。惨めだなんて、彼には全然似合わない。

惨めなんかじゃなくて、それはもっと深いもの。



「あなたは………」


梨花は陛下を見上げた。唇が紡ぐ。


かわいそうな人。



強い風が吹いて、こぼれ落ちる花も、雪のように積もった花弁も全てが舞い上がる。



その花の嵐の中で、二人は時が止まったように見つめ合った。



「かわいそうな人。愛を知らないのね」



残酷で血みどろ、それでもって孤独な皇帝。

時折迷子みたいな顔をして、自分の足りない何かを探して彷徨っている。



片時も瞬きをせず、皇帝陛下は梨花を見つめた。


しばらく黙りこくって、それから。




「お前は愛を知っているのか」


梨花は目をまん丸にした。

白い頬がじわりと薄桃色に染まる。

不思議に思って陛下が手を伸ばすと、梨花はその手に頬ずりをした。



「………はい」



陛下の手を堪能した後、梨花は吐息交じりに頷いた。

梨花はたった一人の男をずっとずっと愛している。



「何遍忘れても、また愛してしまうくらいに………」



「ふうん」



自分から聞いたくせに、陛下はつまらなそうに梨花の髪に指を絡ませた。

だってなんか面白くなかった。

だから陛下は、ちょっぴり意地悪い気分になった。


「愛しているのに、忘れるのか」



その時に見た梨花の表情を、のちに陛下は何度も思い出す。








「愛しているから、忘れるんです」







まるで持ちうる幸せを全部かき集めたみたいな表情で彼女は頷いた。


















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