Episode7 夜天

 予想外に、何事もなく地下駐車場に到着。無機質なグレーの壁に取り囲まれた広い空間は、数台の車が止めてあるだけで、身を隠せるようなものは少ない。敵がいて銃撃戦になった場合、戦闘難度は高くなる。

 だが、敵らしき影は見当たらなかった。周囲に目を向けつつ、逃走に使うための車へ移動。咄嗟に持ってきた車のキーは、黒のセダンタイプのものだった。

 電気に当てられて黒光りする車体は、いかにも悪役が使いそうな雰囲気を醸し出している。果たして、この車で逃げ切れるだろうか。

「ねえレイ。これからどうするの?」

 勢いのままに逃げて来た。だが、勢いだけで生き延びられるほど、この世界は甘くない。

 レイは、俯いて押し黙った。それじゃわかんないよ。そう言おうとした矢先――銃声。車体のすぐ上を、銃弾がかすめていった。

「敵だ! 乗って!」

 北階段より降りて来た黒服二人が撃って来た。その手にはハンドガンが握られている。

 急いでセダンのドアを開け、飛び込むように中へ。連続した銃声が地下空間に響き渡り、後部座席のガラスが砕け散った。

「ちょっ、これ防弾じゃないの⁉」

「だからこの車じゃダメかなって思ってたのに!」

 心配は的中した。そうこう言っている内に、敵の弾丸で車体に穴が開いていく。重い衝撃が、車体を通してわたしに伝わって来る。距離があるのが幸いして、敵が狙い定めた位置に弾が当たらないことは僥倖だ。

 レイが助手席に乗りこみつつ、クリスヴェクターのフルオート連射で応戦。やはり敵とは距離があるため、サブマシンガンではやや当たりづらい。それでも、レイの弾丸は片割れの腕を撃ち抜いた。次いで、もう一人の腹を撃ち抜いたところで弾切れ。

「リサ、出して!」

「どこに行くの⁉」

「いいから早く!」

 レイがドアを閉めるのに合わせて、アクセルを強く踏み込む。タイヤが鳴き声を上げ、地下の空間に響き渡る。

 レイは身を這わせて、ガラス片が散る後部座席に移動。そして、先ほど放り込んだM4A1を手に取った。銃口を窓の外に突き出し、またもフルオート連射。動けずにいた黒服二人に偏差射撃による銃弾の雨が注ぐ。すぐさま、蜂の巣になって絶命した。

「リサ、他に敵は?」

「……わからない」

 地下駐車場を抜けて、大通りへ。人工の光だけの狭い空間を抜けたが、世界は未だ深夜真っ盛り。幸い、銃火がわたしたちを待っていた――というようなことはなく。まばらに人の通る宵闇を照らす街灯たちがわたしたちを迎え入れた。

 できるだけ速く遠くへ向かうべく、適当にセダンを走らせる。不思議なことに、追手らしき影は見受けられなかった。宵闇にまぎれるかのごとき黒い車で、あてなき道を進み続ける。

「レイ、どうするの?」

「……あたしにばっか聞かないでよ。これは、リサが始めた戦争じゃんか」

 言われて、ハッとする。アパートメントからここに至るまで、戦闘はまるきりレイに頼り切りだった。もし彼女がいなければ、わたしは成すすべなく蜂の巣になっていたか、なます切りにされていたことだろう。

 戦争。そのワードが、酷く重く感じる。わたしは、とんでもないことにレイを――別れた彼女を、巻き込んでしまった。

 ブレーキを踏みつつ、車を道路脇へ。人通りも皆無になった深夜の世界は、わたしたち以外の存在がすべて消え去ったかのような錯覚すらさせた。街灯も、なぜだかこの辺りには少ない。

「……ごめんね、レイ。そうだよね。あとは、わたし一人で逃げるよ。レイはここで降りて」

「は? なに言ってんの」

「わたしは、レイを巻き込んだ。もうわたしの人生には無関係だったはずのあなたを。なのに、図々しく」

 わたしの言葉を遮って、レイの手が腕を掴む。殺し屋の握力ゆえか、掴まれたところはかなり痛い。

「放っておけるわけないじゃん。リサを放っておけるわけ!」

 彼女のその言葉に乗る感情が聞こえた気がして。だが、正体は依然不明。嬉しく想うわたしと、いらだちを覚えるわたしが同時に生を受けて、後者が容易く競り勝った。

「……じゃあ、なんで突き放すようなこと言ったの!」

 こみ上げてくる感情。目頭が熱くなってくる。涙なんて流したくない。弱いところを見せるつもりはない。なのに、勝手に涙はあふれ出た。

「わかんないよ! わたしをどうしたいの? わたしはこんなにレイが好きだよ! でもレイは違うんでしょ? そうじゃないの?」

「それは、その」

「この一週間すごく楽しくて。最後の最後でぐちゃぐちゃになっちゃったけど、その事実は変わらないよ。でも、一つだけずっとわかんない。それはレイ、あなたのこと」

 知りたいのに、隠そうとする。断片は見えている気がするのに、全体は見えない。わたしは、今のライリー・マクスウェルを知らなすぎる。十分すぎるほどに、知っているような気だけはしているのに。

「なんで、わたしと来てくれたの?」

 一筋の涙が、レイの頬を伝い落ちた。いつのまにか出ていた月の明かりが、彼女の涙をきらびやかな宝石に仕立てあげる。綺麗だ。純粋に、そう思った。

「リサだからだよ」

 やっと来てくれた返答。リサだから。わたしだから。かみ砕いて飲み込んで、意味の深くまで知ろうと努力する。それでも、言葉はやっぱり断片的で。

 ただ、一つだけ。今だけは、喜んでいい。

「ありがとう」

「……行先だけど、いい場所があるんだ。どこかで車を捨てて、そこに行こう」

 唐突に話題が変わり、振り落とされそうになる。そういえばわたし――否、わたしたちは、逃避行の最中だった。

「そこで、お別れ?」

「……リサ次第、かな」

 どうやら、レイはわたしと一緒に逃げてくれるみたいだ。なんとなくだけど、それを察することができた。

 前を見据えて、アクセルへと足をかける。行き先ができたことで、一つの不安が解消された気がして。身体が自然と、緊張から抜け始めていた。

 同時に、数瞬前までのことにゾッとさせられる。先の見えない道を進んでいた恐怖。ライトで暗がりを照らしていたとて、行先が決まっていなければ、暗がりと同じだ。

 父が、わたしを追って刺客を放ってきた。それは民間や部下を巻き込んだ、賞金つきゲームのごとき様相を呈している。そこまではわかっていた。だが、その中心にわたしがいるという事実。

 実感として湧き上がる。わたしが今、どれだけの窮地に立たされているのかを。レイがいなければ、震えて立てなくなってしまうかもしれない。

 今は、淡い希望を隣に据えて、信じて、進み続けるほかなかった。

「行先は、ヘブン&ヘル」

「……え。どこ、それ」

 突如告げられた素っ頓狂な言葉に、場の雰囲気は一気に崩れ去った。センチメンタルな感はどこへやら。

「あれ、知らない? リサも行ったことあるよ。そう時間はかからないから、もう少し走ったらどこかに車を捨てよう。誰かが盗んでいくようなとこに捨てるのがベストかな」

 ヘブン&ヘル。なんだか、今のわたしの現状を端的に表したかのような名前である。一体どのような場所なのか。行ったことがあるというが、記憶を掘り返してみても想像がつかなかった。

「……これからどうなるのかな」

「それは、あたしとリサ次第」

 おもむろに呟いた言葉に付随した、嬉しい返答。先の見えない今でも、まだ戦っていける気がした。



 住宅地が見えてきたころ、わたしたちは車を捨て、徒歩での移動を始めた。まだ夜が抜けきらない、午前五時ごろのことである。

 移動手段である車は、盗みやすいよう鍵など開けたままで置いて来た。誰かに盗まれて、こちらの手の届かない辺りまで動いてくれればいい。それが巡って、情報の錯綜につながればさらにラッキー。たとえ盗まれなくとも、目的地までは近くないため、足取りは掴まれづらいはず。

 歩き始めてから約一時間。わたしたちは目的地に到着した。道中、これといって危険やドンパチが起きることもなく。平穏無事な移動を行うことができた。できたのだが。

「ここって……」

 最後の方、どことなく見覚えのある場所を歩いていたので、まさかとは思っていたが。そのまさかであった。手作り感あふれる看板には、たしかに「HEAVEN&HELL」と書かれている。カフェにつける名前としては、いささかセンスが大衆とズレている。

「そ。あたしとリサが再会したところ」

 人通りが少ないところに、ぽつんとあるカフェ。コーヒーに一過言あるガラの悪いオーナーが運営する、あのこじんまりしたカフェであった。

「どうしてここを?」

「言ったっしょ、オーナーはカタギじゃないって。それに、信頼に足る人だ」

 言って、堂々とレイはカフェの扉を開く。来店を知らせるドアベルは、いつの時間も高らかに音をかき鳴らした。

 営業時間外でもドアが開いているというのは、不用心ではなかろうか――そんな心配を刹那にかき消す殺気。無人と思われた店内より浴びせられた。

「シュライク、ウチは十一時開店だ。ケーキの仕込みもまだ」

 美しく整えられた黒のショートヘア。刃物のごとく鋭利な目つき。あまり似合っていない緑のエプロン。そして、テーブルに置かれたUZI短機関銃。よく見ると、普通のUZIと形状がやや異なる。カスタムモデルだろうか。

 彼女が只者でないのは、彼女を構成するすべてが物語っていた。この店――HEAVEN&HELLのオーナーである。

「それは残念。けど、今日頼みたいのは違う仕事。わかるでしょ? ソフィア」

 ソフィア。その名には聞き覚えがあった。紹介された三人の殺し屋の一人だ。他と比べて名前も普通だし、響きが綺麗なのでなんとなく選ばなかった人。

 レイと親しくしている辺りからも、彼女が殺し屋ソフィアであることは容易に察せられた。

「いいのかよ、オレで」

 返答する彼女の面持ちは、わずかに歪んで、心中の不満を物語る。

「ソフィアの腕もポリシーも信頼してる。あんたはそういう女だ」

「どういう女に見られてんだか。そっちがいいなら、オレが預かろう。そっちがいいなら、な」

「ちょ、ちょっと待って。なんか大事な話がわたし抜きでされてる気がするんだけど」

 これは、明らかにわたしの身柄に関する内容が相談されている。だのに、身柄たるわたし自身の意志がどこにも反映されていないのだ。

「レイ、わたしをどうするつもり?」

「ソフィアに一時的に預かってもらう。リサを連れてちゃ、街中を自由に動き回れないから」

「それはそうだけど……」

 現在、わたしはローレル・ファミリーに追われる身。とどのつまり、このアメリカ合衆国のどこにでも敵が潜んでいる可能性が考えられる。それを鑑みれば、わたしを連れて歩くことはリスクでしかないのは明らか。

「大丈夫。あたしは戻って来るから。リサを逃がすために色々取って来るだけ」

 手を取って、子供に言い聞かせるようにレイは言う。伝わって来る体温。なんだかあやされてるみたいで、気分がよろしくない。

「子供じゃない。待つことくらいはできるよ。でも」

「頼ってよ、あたしを」

 その瞳は、彼女の芯の強さを物語っていて。わたしは結局、レイに頼ってしまう。

「……わかった。わたし待つよ」

「ありがと。疲れたでしょ、少し休んで」

 手と手が離れる。不思議と、名残惜しい感じはしなかった。この手を離しても、また会える。そんな気がしたから。

「ソフィア、リサをよろしく。ケーキの仕込みでもなんでもこきつかっていいから」

「なっ、休んでって言ったのはどこの誰?」

「少しくらい動いた方が気もまぎれるよ。じゃ、またね」

「……またね」

 それは言いなれた挨拶なのかもしれないけれど。また会おうと言われたことが、嬉しかった。

「クラリッサっていったか。座んな」

 椅子に座したソフィアが、顎で対面の席を促す。とりあえず、流れに乗って座ることにした。

 ソフィア。そういえば、ちゃんと顔を見たことがなかった。しかし、不意に出たあくびで目に涙がこみ上げる。視界は熱くぼやけだし、彼女の顔も不明瞭なものと化した。

「ずいぶんお疲れみてえだな」

「わかるの?」

「顔見りゃわかる、まるで戦場帰りだ。吸うか?」

 どこからか取り出されたタバコの箱。彼女はわたしが嫌煙家だと知らないのだ。厚意とはいえ嫌なものは嫌なので、手振りで断った。

「そか。なんか飲むか?」

「……あなた、前に会った時と比べて優しすぎない? もしかして寝ぼけているの?」

「まさか。そういう風の吹き回しなのさ」

 笑みをこぼしながら、ソフィアはタバコに火を点ける。しかし彼女の真意は、わたしの目にも読み取りづらい。

「どうせコーヒーしか出てこないでしょう? それをいただくわ」

「待ってな、シュライクのお姫様」

 なんだか尺にさわる言い方――しかし、指摘する前に、彼女は厨房へ潜ってしまった。

 椅子に背を預け、身体の力を抜く。すると、間もなく大きなあくびが出た。かみ殺す気にもならず、静かな店内にわたしのあくびが轟く。

 ここまで、いつどこから撃たれるやもしれない戦場を歩いて来た。レイがついていたとはいえ、人生で初めて味わうような緊張感と長い時間共に在ったのだ。疲れていても当然。テーブルに身を預けて、さらに体を楽な体制に。

 今日までの、自分の行いを顧みる。ずいぶんと思い切った行動に出てしまった。生まれてこの方、父の敷いたレールに乗って生きて来たゆえ、強く感じる。それが嫌になったからこそ、大胆な行動に出たのだが。

 遅すぎる反抗期。遅すぎたからこそ、失敗に終わったのだろうか。

 失敗ミステイクというフレーズが、やけに身に染みる。たくさん失敗してきても、上手いことリカバーしてきた。でもこの失敗は、どう転がってもリカバー不可能。元のレールへの道は、既に自ら閉ざしてしまった。

「……終わっちゃったんだなあ、わたしの順風満帆な人生」

 行き先が見えない。レイのぬくもりが欲しくなる。目からこぼれた熱い涙――あくびによるものか、感情によるものか、判然としない。今欲しいのは、そういう熱じゃない。

 窓の外に視線をやると、朝に向かって日の出が始まっていた。闇に包まれていた世界に、光が射す。本来人々が活動を始める、日向者の時間。しかしわたしはもう、ここから動けない。どうしようもない、日陰者だ。

 今はただ、待つしかない。コーヒーの匂いが漂ってきた気がしたが、押し寄せる眠気の前に、意識が遠のいていく。

 おやすみ世界。起きるころには、わたしの世界が平和になっていたら。そんな高望みはやめよう。レイが、そこにいてくれたらいいな。

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