Episode8 店主
おはよう世界。感じたことのないだるさが体にのしかかっている。上体を起こして、なまった体で伸び。ぽきぽきと軽快な音が体から飛び出した。
窓の外は明るい。壁掛け時計を確認すると、どうやら眠っていた時間はさほど長くなかったらしい。こういうとき、映画だと一日二日眠っていたりするものだけど。
周囲を見渡すと、景色はなにも変わっていなかった。喫茶店に客はいないし、レイが戻ってきている気配はない。オーナーもいない。変わったことといえば、そばに冷めたコーヒーが置かれているくらいだ。
立ち上がって、フラつく足取りで厨房の方へ。ガラスケースには既にケーキが並んでいるので、営業は始めているらしい。ずっと寝ていたわたし、邪魔だったのでは。
「ソフィアさーん……」
おそるおそる奥の厨房へ。そこには、存外綺麗にされたスペースが広がっていた。ケーキに使ったであろう材料が置かれたテーブル。ほんわか漂うコーヒーの香り。銃をリロードするソフィア。
「あっ」
「えっ」
いつも彼女が持っている銃。瞬時に向けられると、口を開けた深淵と視線が重なる。あそこから飛ぶ銃弾が死神と化し、わたしを殺すのだろう。
これはさすがに死んだと思いつつ踏ん張って横っ飛び。ガンッと大きな銃声が後方で響く。じわりと浮かぶ汗を感じながら、地面に転がった。
「っ……!」
どこか撃たれたか、と一瞬絶望がよぎる。が、幸運にも傷はない。弾痕を見るに、撃ち出されたのは散弾だ。思い切って飛び込まなければ被弾していたろう。すぐさま立ち上がる。
ソフィアも敵だ。パルメザンと同じ、わたしを狙った殺し屋だったのだ。そういえば、ソフィアはわたしの愛称ではない本名をなぜか知っていたではないか。そこを疑えなかった自分に腹が立つ。
結局味方はレイしかいない。そのレイの判断も、間違っていた。やはり、人なんてものはそうそう信頼すべきものじゃない。
M4A1は持ってきたが、レイが回収していった。わたしに残された武器は、懐に入れて置いたガバメントのみ。ないよりはマシと、応戦すべく懐に手を突っ込む。
「……ない! どうして!」
銃がない。ありえるのは、どこかで落とした可能性。しかし、落とすような行動はとった覚えがない。ならば、抜き取られた?
レジカウンターを抜けて、カフェの出口へ。ドアを開けようとするが、開かず。鍵がかけられている。こじ開けるべく蹴りを入れてみるが、予想をはるかに超える頑丈さ。わたしの力でこじ開けるのは時間を要する。新たな脱出口を探す。あるとすれば。窓だろうか。
「悪いな、鬼ごっこをするつもりはねえんだ」
レジとガラスケースの後ろに立つ、エプロン姿の女。これまでで一番オーナー然とした場所に立っているのだが、ミスマッチな銃がカフェのオーナーという印象をそぎ落とす。
そもそも、ソフィアが殺す気でいたなら、入眠中を狙えばよかったはずだ。なのに、なぜ今の今まで生かされているのか。なぜ、このタイミングで殺されるのか。このタイミングでなければならない理由でもあるのか。
引き金には常に手がかかっており、死への直行便は準備オーケーとばかりに銃口を見せる。だが、まだ撃たれない。
ソフィアは、なにかを狙っている。こちらか、他のなにかが動くのを待っている? ためしに、手を動かしてみる。
「動けば撃つ」
ドスの効いた声音が飛んでくる。聞いているだけで芯まで凍り付くような声。昨夜パルメザンを見たとき味わったものより、ずっと奥まで這い寄って来る悪寒。本能が、死を覚悟しろと告げている。
それでも、戦うほかない。わたしには、武器がある。
「動きって、たとえば?」
「動きは動きだろ」
「口を動かすのは自由?」
「そいつはオレ次第かな」
口は比較的自由。それが、突破口だった。わたしはレイみたいに派手なアクションはできない。これまで磨いて来たのは、ビジネスの場でやっていくためのスキルばかり。その中には、コミュニケーションも含まれている。
なら、喋り散らしてやる。正直頭はパニック状態で上手く回らない。それでも、なにが狙いか知らないが、全て暴いてやる。
「いくら出せば助ける?」
「金の問題じゃねえんだな。これが」
「助かる余地なし?」
「オレが引き金を引けば、死ぬだろうな」
軽く答えられる質問を攻めるがごとく重ねて、相手の反応を伺う。反射的な返答に慣れてきたら、重要な質問を問い、反射的に答えさせる。尋問のテクニックの一つ。
しかし、わたしは既に失敗を犯している。このテクニックを使う場合、イエスかノーで答えられる単純な質問が望ましい。だが、相手の興味を引き、なおかつイエスノーに返答を限る質問がすぐに浮かばなかったのだ。
「それはショットガン? UZIみたい」
「ああ、オレの愛用銃の一つだ」
「殺しは好き?」
「嫌いじゃない。金稼ぎのためだ」
一瞬目を逸らした。殺すことに関して、彼女は歓迎的ではない? パルメザンと違って、人間ができているよう。
「この仕事でまたお金を貰う?」
「そうさな。かなりの大金だ」
「使い道はお店?」
「そのつもりだが。遺言はそれでいいのか? お前――」
「殺し屋は本業なの?」
「……ちっ。副業だ。オレの本業はあくまでもここ」
観察していると、ソフィアが中々の美人であることに気付く。レイがいなかったら好みのタイプかもしれない。本意でない殺し屋をしながらカフェを営む女。彼女は何者なのか。
そろそろ潮時か。ここで一つ、仕掛ける。
「わたし、あなたが欲しい」
「……は?」
ぽかんとするソフィア、銃にこめられた力が緩む。プロの殺し屋たる彼女が、こんなミスをするものか? ましてや、ターゲットの前で。もう少しトークに徹する。
「常々、優秀な私兵が欲しいと思っていたの。できれば女の子の」
「ここで勧誘活動か。面白い」
「わたしレズビアンなの。あなたの顔、すごく好き」
「ぶっ! お前、酔っ払ってんじゃねえだろうな」
「本当よ? ねえソフィア、わたしのものにならない?」
「嫌だね。いくら積まれたって性奴隷はまっぴらごめんだ」
「酷い! わたしの好意はそんな汚れたものじゃないわ。純粋に、時間と愛を重ねていきましょう? お金と時間はたっぷりあるもの!」
ジェスチャーをつけて大仰に、恋する乙女をふるまう。彼女の銃は、動く気配がない。
「オレにそういう趣味はねえ。第一、今依頼は取ってねえんだよ」
「依頼だなんて淡泊な! それ以上の関係にわたしたちならなれるわ!」
ソフィア、やや頬が紅潮。かわいらしいところもあるようだ。恋愛話には弱いのか。
「お前、今の状況がわかってんのか? てめーの目の前には」
ここだ。ここで、刺す。
「あなた、わたしを殺す気ある?」
銃口は、ごくわずかに逸れていた。ショットガンなので、そのまま撃たれれば、死にはせずとも大怪我は確実。だが、逸れたことが重要なのだ。
「もう依頼は取ってないのよね? どうしてわたしは例外? 寝ている間に殺せばいい話じゃない? その銃はおもちゃ? そしてなにより、このやりとり、意味ある?」
もう、ソフィアに戦意はなかった。口端に笑みを浮かべている。
「……もうオレも年だな。座んな。楽しいお話の記念に、ケーキでも出してやるよ」
緊迫した空気が弛緩する――床にへたりこんでしまう。
「いいの? 動いても」
「お前はオレから答えを引き出しちまった。つまりは、そういうことだ」
銃をレジカウンターに置いて、厨房に引っ込んでいく。終わった、ということでいいのだろうか。正直いつ死んでもおかしくない状況で、今だって打開できたとは限らないのだが。
だが、わたしの言葉に、ソフィアは素直な反応を見せていた。なにか事情があって殺さないことは確からしい。ここは、安心してもいいはずだ。
正直な話、色々抜きにわたしは、彼女のことが気になっていた。好意とかそういった意味でなく、純粋な興味で。
促された通りに、立ち上がろうとする。が、腰が抜けてしまったらしい。立ち上がれない。どうにもならず、あうう、と声が漏れた。誰か助けてほしい。
そこに、ケーキを持ったソフィアが到来。こちらを見据え、鼻で笑った。屈辱だ。つらい。
「大丈夫かい、シュライクのお姫様」
そう言ってケーキを置き、近づいてくるソフィア。なんと、わたしをお姫様抱っこでテーブルまで連れて行ってくれた。近くで見ると、彼女の美人さがより際立って目に映った。
「惚れるなよ?」
「顔は好きだけどなぁ」
「顔だけかよ」
ソフィアに援助してもらって、なんとか着席。やっと、彼女とちゃんと向き合って話すことができる。それがなぜだか、少しだけ嬉しかった。
「銃向けられてガクブルしてるだけの女ならどうしようかと思ったが。ずいぶん喋りが達者なようで」
彼女の態度は、ずいぶんと崩れたものになっていた。ようやく心落ち着いて過ごせるというもの。コーヒーを一口含み、絶妙な味と共に安心を噛みしめた。
「今日は運が良かった。あれじゃただの質問攻めよ」
「ふうん。そのトークスキルで、シュライクをたぶらかしたってわけだ」
「人聞きの悪いこと言わないで。レイとはちゃんと付き合ってるわ」
「じゃあレズビアンってのは?」
「本当よ」
「まあ顔が好きって言われちまったもんなぁ。あ、それはウソか?」
「本当よ」
そう言うと、ソフィアは一度頭を抱えて俯き、再度わたしに向き直った。俯いたとき、どんな表情をしていたのだろう。
「その話はやめだ。お前の父親だったか。そいつから、オレのとこにも依頼自体は来た。ターゲットはもちろんお前。報酬はかなり高えから、多くのヤツが食いついたはずだ」
「やっぱり……。でも、もう依頼は受けてないって」
「お前の父親がやったのは、掲示板に顔写真と賞金載っけたのと同じだ。それに食いつくオレじゃねえし、店の経営は十分上手くいってる」
本当にこんな店で上手くいくものか? でも、殺しで稼いだ金があると言っていた。店が赤字でも、肉体労働で稼いでいるから問題ないということか。
「今、こんな店でとか思ったろ」
「なんでわかったの……?」
「大事な店だからな。そういや、シュライクのやつ遅いな」
「たしかに。どこに行ってるんだか知らないけど、そろそろ姿を見せてもいいのに」
窓の外に視線をやる。昨晩の曇天はどこへやら。雲はあれど、天頂にある太陽が世界を照らしていた。
ソフィアに視線を戻すと、ショットガンの銃口がこちらに向けられていた。
「……いい精神病院を紹介しましょうか?」
「安心しな、正気さ。あのシュライクを飼いならしてるんだ、ただ付き合ってるだけとは思えねえ。オレは、お前が気になる」
どうやら、わたしがソフィアに興味を持ったように、彼女もこちらに興味を持ったということらしい。興味の示し方が尋常ではないが。
「お前とシュライクの馴れ初め話でも聞かせてくれ。面白くなかったら殺して連れてく」
笑みと共に告げられる、殺害予告。頬を冷や汗が伝う。彼女は本気だ。
「そんなことをするメリットがある?」
「オレはお前が信用ならねえ。その笑顔の底にどれだけのものを隠してるか。そして、シュライクにふさわしい相手かどうか」
「……あなた、レイとどういう関係?」
「それに関しちゃ、答える義理はねえなぁ」
突拍子もない行動。やはり、彼女もまた、裏社会を生きる生き物だった。殺し屋ソフィアの完全な理解へと至る道は長い。
「もしわたしを殺したとして。この身はマネーゲームの標的よ。アメリカ中がわたしを狙ってる。それに、レイだっている。こんな現状を切り抜けられると?」
問うた、刹那。身体を刺し貫かれたような錯覚――錯覚だと気づくのに三秒を要する。目の前の女から噴き出した殺気が、そう思わせたのだ。
「オレはこれでもプロの殺し屋。ナメてもらっちゃ困る」
この女は、殺せる。その上で、障害となる全てをも殺して目的を達成しうる力量を有している。人間という生き物の底知れなさを、これほど恐ろしく思ったのは初めてだ。彼女の内にいる獰猛な化け物は、エプロンと美人の皮では隠し切れていない。
「……わかった。話してあげるわよ」
「コイバナなんて初めてだ。ティーンエイジャーはいつもこんな気分で過ごしてんのかな」
「普通のティーンエイジャーは銃なんて持ってない!」
「人を計るには、まず銃を向けてみる。オレの哲学さ」
「
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