Episode6 刃鳴

 外開きのドアゆえ、南階段方面の状態は見えないことだけが気がかりだ。最初に目に飛び込んでくるのは死体の頭。さすがに気持ち悪い。

 こちらの動きに合わせて、南方面のドアが開いた音。やや遅れて、鈍い衝突音らしきものが連続して耳に飛び込んできた。レイのクリスヴェクターによる銃撃だ。サプレッサーをつけているため、銃声は低く抑えられている。

 銃声がしたということは、接敵したということ。すぐさまレイの元へ向かいたい。

 矢先、北側から鳴る間の抜けた音。エレベーターがこの階に到着したことを知らせる音だった。今現在この階に用がある人間は限られている。

 開けたままのドアに背をつけて、片膝立ち。M4A1を構えなおした。

 縦長の建物において、スムーズな移動には欠かせない昇降機。エレベーターでの移動が危険なのは、アクション映画を少し観ていればわかることだ。敵がこちらを警戒している可能性を考えて、狙いを定める。

 この後、移動のための脚を手に入れる必要がある。そのため、わたし達は地下駐車場へと向かわねばならない。だが、エレベーターでの移動は絶望的だ。階段を使うのが、やはり望ましい。

 今すぐにでも、このドアを閉めてレイの方に行きたい。だが、北側より来るであろう敵は片づける必要があった。

 エレベーターが閉じる音。遠方からかすかに聞こえるレイの銃声と、謎の金属音――集中を乱す材料たち。気になるが、今は銃撃に意識を向けなければ。PCの監視カメラ映像には、二人組の黒服がエレベーターから降りてくる映像。

 わたしの銃口の先――射線上に、二人の男が同時に歩んでくる。まさか殺しのターゲットがアサルトライフル構えて待ち構えているとは思い至らなかったようだ。こちらを視認し、驚きの声を上げた。

「遅いよ」

 引き金を引く。火を噴く銃口より、5.56mm弾の奔流が溢れだした。反動に耐えながらのフルオート射撃が、隙だらけの黒服たちを容易く貫いていく。マガジンの弾がなくなるより前に、男たちは倒れて絶命した。

 監視カメラ映像を確認し、北方面に異常がないことを確認。我が家のドアを閉めた。

 もうここに帰って来ることは難しいかもしれない。名残惜しいけれど、命の方が大切だ。せめて、映画の限定版ブルーレイだけは回収したかったが。

 歩き出した、瞬間。タンッ、と音。風がすぐそばを駆け抜け、壁が深く抉られる。悪寒が背を這いまわる――すぐさま振り向く。死んだとばかり思っていた黒服が、銃をこちらに向けていた。最後のあがきだったらしく、間もなく崩れ落ちる男。

 これまでの人生でわたしがやってきたのは、一方的な殺害。いわば処理、処刑のたぐい。だが、わたしが飛び込んだこの現状は、殺し合いで、戦争だ。その意識を持たねば、やられる。今のは、単に運が良かっただけにすぎない。固唾を飲みつつ、踵を返した。


 南階段に続く廊下を進むと、首なしの死体が転がっていた。ホラー映画のワンシーンめいた光景に息を飲むが、止まってはいられない。踏まないように、大股で踏み越えた。

 廊下の先には、いくつかの弾痕が見受けられた。横に掃射されていることから、レイのものだと考えられる。既にここで戦闘は行われたのだ。

 その時、階段からレイが飛び出してきた。緊迫した表情で銃を構えているが、マガジンが込められていない。リロードするつもりのようだ。

「レイ!」

「はっ……リサ、来ちゃダメ!」

 次の瞬間、レイのすぐそばに小柄な漆黒の影が飛来。人間の形をしたそれは、両の手に長大な刃――マチェーテを携えていた。

 手にしたマチェーテで標的を切り刻み、粉みじんにすることもある異常者。接近戦に異常なまでの執着を持つという女殺し屋〈パルメザン〉だ。正直この時代にそれはどうなのと思う設定だが、間近で感じるその殺気は尋常ではない。

 M4A1の銃口を向けると、パルメザンは足を止めて後方へ大跳躍。ダンッ、という着地音が聞こえる。おそらく、下の踊り場まで跳んだのだ。どんな身体能力だとツッコミたくなる。

「サンキュ、リサ。あとはあたしが!」

 リロードを終えたレイが敵に追従し階段へ消える。その後、散発的な銃声が連続した。

 二人を追って廊下を進み、踊り場を見やると――パルメザンとレイが、宙に浮いていた。

 宇宙空間かと錯覚するその光景は、重力によって落下の時を迎える。階段を跳び下りながら迎撃したレイと、踊り場から下階に向けた大跳躍で射撃を避けたパルメザン。重い着地の音が同時に床を鳴らしたかと思えば、獲物を追う獣よろしくレイは駆け降りて行った。

「え、映画みたい……」

 思わずため息が漏れる。目の前に広がった世界は、およそ自分の知り得ない闘争を段違いの迫力と現実味を以て展開していた。自分があの場に巻き込まれていたらと思うと、背筋も凍るというもの。

 四階踊り場から階段を見やると、異様な光景が在った。真っ白だった壁はいくつもの弾痕で変貌を遂げ、斬撃による傷跡も多々見られる。一分もなしに、ここは殺し屋たちのパーティ会場と化したのだ。

「って、どんなパーティしたらこうなるのよ……」

 ただただ飽きれていた。それゆえ、油断した。

 パルメザン、下の階段から大きなジャンプ。四階に続く階段の、幅四センチ弱の手すりに綺麗な着地。そのまま、手すりの上をこちら目掛けて疾走し始めた。

 もしかしてわたし、狙われてる?

 銃を構え直し、とにかく撃つ。しかし、横っ飛び――銃弾は空を穿つ。跳躍方向に銃を向けると、再度手すりに乗られて避けられる。動きだけ見れば、サーカスのそれを優に越した身のこなし。連続する射撃とサイドステップの応酬。

 そして、マズいと思うほど近づかれた瞬間、敵は照準からロストしていた。上に跳んだのだ。ありえないと思いたい跳躍の高さは、アスリート級のそれ。

 だが、これはチャンスだ。戦いに慣れてないわたしでもわかる。空中において、人は隙だらけの無力と化す。

 上方へ銃を向けて、引き金を引いた。カチッカチッ。なんの音だろう。弾が出ない。まさか、弾切れ。

 上空できりもみ回転を始めるパルメザン。構えられたナイフ。室内灯の光を反射してちかちかと点滅――さながら刃のハリケーン。

 死ぬ。確信が脳裏をよぎる瞬間、すべてがスローモーションに。どうすればいい。どこに逃げればいい。よく見れば、パルメザンの足元はガラ空きだ。

 どうにでもなれという想いのまま、足元に転がり込む。身体が床に打ち付けられ、いつも足元にある地面が眼前に現れた。

 後方より風切り音が連続した。わたしのもと居た場所で、ナイフが暴れ回ったのだ。判断が一瞬でも遅れていれば、ミンチになっていたのは空気ではなくわたしだったろう。

「跳んで!」

 レイの声に振り向く。踊り場で、両手を広げて彼女が待っていた。どうやら、そこまで跳んで逃げて来いということらしい。階段数段飛ばしならまだしも、全段飛ばしは未経験。さすがに怖い。

 でも、レイを信じて跳ぶしかない。すぐさま立ちあがり、えいやっとジャンプ。着地の瞬間が怖くて目をつぶってしまう――が、すぐに抱き留められる。いつのまにか、心地よい感覚と、好きな女の香りに包まれていた。

「うげっ」レイのうめき声。

「大丈夫?」跳んだ高さが高さゆえ、心配になった。

「ちょっと重い」

「失礼!」

 言い合いも束の間。パルメザンが上階よりこちらを見下ろす。生気を感じないその漆黒の瞳は、既知の雰囲気をまとっていた。レイが見せた、殺しに向き合ってきた者と同じ目だ。

「ちょっと行ってくるよ」

 そう言って、レイはわたしを踊り場にぽいっと放り捨てた。そして、ハンドガンとナイフを手に。瞳から、再度光が消えた。

 声をかける間もなく、殺し屋シュライクは始動。牽制射撃を交えつつ、三段飛ばしで階段を駆け上がる。

 敵は接近戦のエキスパート。無闇に突っ込むのは、愚策と言うほかなかった。

 四階踊り場に立つレイ。スプリングフィールドXDの銃口がパルメザンを捉える。だが、すばしっこい彼女はすぐさま狙いから外れる。それでも、レイは引き金を引いた。標的を狙えていない銃弾が、無慈悲にも壁や床に穴を開けていく。

「レイ! 危ないよ!」

 レイを援護すべく、M4A1をリロードしつつわたしも階段を上がる。だが、恐れていた事態がレイに降りかかる。

 ハンドガンがホールドオープン状態――弾切れ。遠距離というレイの優位が瓦解する瞬間。ナイフ一本でどうこうできる相手ではない。

 その隙を見逃さないパルメザン。刃の暴風と化して、殺意が吹き荒れる。

「待ってたよ」

 口端がつりあがる。ナイフの切っ先は、パルメザンを向いていた。

 レイの持つナイフの柄が、強く握られた瞬間。刃は柄を離れ、弾丸のごとく前方へ放たれていた。

 バリスティックナイフ。別名、スペツナズナイフ。刃を射出することが可能で、ロングレンジにも対応できる近接特殊武装。

 まっすぐ進んだ先は、パルメザンの喉。深々と刃が突き刺さり、首の肉を引き裂き、抜け出ていく。人間の体を流れ続けるはずの鮮血が、途轍もない勢いで外へと排出された。

 怯んだ隙を見逃さないレイ、懐からもう一丁のハンドガンを取り出し、パルメザンの頭めがけて速射。頭に生まれる新たな排出口から、鮮血と脳漿が勢いよく吐出する。そのまま床に倒れ、動きを止めた。

 あれだけ人間離れした動きを披露した凄腕殺し屋だが、死ぬときは一瞬。他の人間となんら変わらない。当たり前の事実のはずだが、それゆえに安堵させられる。床にこぼれ続ける血液量からしても、彼女はもう立ち上がらないだろう。しかし、どうにも油断ならない。

「大丈夫、だよね?」

「……はぁ。さすがに死んでなきゃ困る」

 横目に遺体を見つめる。十秒ほど過ぎても、ピクリとも動かない。

「この子、小さいね」

「見た目に騙されちゃダメ。こいつ、たしかあたしらより年食ってるし。それに、殺しに年齢なんて関係ない。物心ついてりゃ誰だって殺し屋になれる」

「……恐ろしい世の中だわ、ほんと」

 激闘の終わりを知らせる静寂が、わたしにため息を漏らさせた。壁に寄りかかって、へろへろっと座りこむ。今だけは、心も体も落ち着いていたかった。

「わたしが来るまでどんな戦いしてたの?」

「あたしが追っかけると、ぴょんぴょん跳び回りながら下に降りてくんだ。あんまりにもすばいっこいもんだから躍起になって撃っちゃって、弾切れ。それ見た途端突っ込んできて、なんとか上まで逃げて来たの。あとは知ってるっしょ」

 説明しつつ、レイのじとっとした目がこちらに向く。なにかを責め立てるような瞳。

「来ちゃダメって言ったのに」

「あ、それは……でも、銃向けなかったらレイが切られてた」

「あれくらい避けれる! リサ、あと一歩遅れてたら死んでたんだよ? わかってんの?」

「……そんなに心配してくれてたんだ」

「当たり前っ……もう! リサはたまに危なっかしいことしだす! うかうかしてらんないよ」

 恥ずかしかったのか、言葉を紡ぐのを躊躇したような感じで頭をかく。この一週間、あまり目にすることができなかったレイのかわいい表情。これを見られたのなら、下手に戦ってみた価値もあるというもの。

「ごめん、心配かけて」

「……行くよ」

 ドライな言葉。相反するかのように、差し伸べられる手。その手を取って、立ち上がる。つながれた手は、少しだけあたたかい。彼女はもうわたしの知らないレイだけれど、わたしのよく知るレイでもあるのだ。

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