Episode5 銃声

「……サ。リサ。…………て」

 おぼろげに聞こえる声。だが、視界はまだ暗い。外が今現在、夜であることは明らかだった。

 起床予定は朝の七時ごろだったはずだ。携帯のアラームも、その時間に鳴るよう設定済み。しかし、この声はわたしを起こさんとしている。

「リサ! はやく起きて!」

 強く袖を引っ張ろうとするレイ。さっきまであのような態度で、今度はなんだというのか。

「やめてよっ。なんなの!」

 その手をふりほどいた、瞬間。我が家のドアが、開く音がした。同時に、複数の足音。

 レイは舌打ち。テーブル上の赤ワインボトルを手に取り、わたしの右斜め前方――廊下から隠れる位置へ。リビングと寝室を区切る白い壁の前で身を伏せた。こちらに顔を向け、口元で指をあてている。静かにというジェスチャー。

 なにが起きているのか。起き抜けの頭は回らないが、緊迫した状況であることのみわかる。逆に言えば、それ以外はまったく不明。

 廊下に続くドアが乱雑に開かれる。そして、黒服の男二人がズカズカと入り込んできた。

「俺たちが一番乗りみてえだな」

「そうみたいだ。トロくせえヤツが多くて助かるぜ」

 男たちの顔には見覚えがあった。たしかオスカーの部下、それもかなり下の人員だ。

「あんたたち、なんのつもり!」

「起きてやがったか。なんもかんもねえ。夜中に忍び寄る理由なんて一つか二つしかねえだろ」

 一つか二つ。すぐに浮かんだのは、暗殺だった。というか、それ以外になにがあるというのか。夜這いか?

 レイは壁際で身を伏せ続けている。廊下から先、リビングに入っても、寝室側は少し先まで壁だ。男たちがわたしの傍まで踏み込んでくるまでは、レイの存在はバレない。

 周囲に武器を探す。あるのはテーブルの上のワインボトルぐらいのもの。いつもその辺に放ってる銃は片づけてしまったうえ、今身に着けているのはパジャマだ。抵抗はするだけ無駄と考えた方がいい。

「動くんじゃねえぞ。事は速めに済ませてえ。リサちゃん、一緒に来てもらうぜ」

「っ……あんたみたいな三下が、わたしをリサ呼ばわりできるとでも?」

「丸腰のてめえなんぞ怖くもねえ。ってか、銃持ってたって怖かねえよ」

 男は懐からハンドガンを取り出した。白銀の45口径――デザートイーグル。象撃ちにも使われるイスラエル製の銃だ。

「悪趣味ね。その銃でわたしの風通しでもよくしてくれるの?」

「てめえの風通し調節すんのは俺らじゃねえ。一緒に来てもらうぜ」

 こちらを覗く銃口。白く輝く銃とは対照的な闇。ひとたび放たれる輝きを目にした瞬間、この体には大穴が開くことだろう。だが、敵は殺すことが目的ではないように見える。これなら、わたしにも分があるというもの。

「チンタラすんな、立て。一緒に来るのは、死体でも構わねえんだぞ」

 前言撤回。このまま撃たれる可能性が発生した。

 デザートイーグルを構えた男がこちらへと歩み寄る。レイは依然そのまま。わたしは丸腰。もう一人の男はドア前で待機。

 この場を打開できるのは、レイしかいない。身を隠し続ける彼女に視線を送る。

「なにかそこにあんのか?」

 レイの存在がバレた。なにか言って気を引くべきか。しかし、レイはこちらを見つつ首肯した。なにかの合図だろうか。今のわたしに、レイは理解不能だ。

 デザートイーグルの男が覗き込む、と同時。レイは素早く立ち上がり、ワインボトルを上段に構えた。男が驚きに声をなくす。

 レイ、氷のような無表情――落ち着き払った雰囲気と所作で、ワインボトルを振り下ろした。

 ボトルが砕け散り、中身が溢れだす。赤ワインの洪水はさながら大量出血だが、男は未だ存命。前頭部を押さえ、声を上げながら痛みにもがき苦しむ。デザートイーグルがフローリング床の上に取り落とされた。

 殺し屋だ。今のレイは、わたしの知るレイと、正反対すら越えるほどにかけ離れていた。幾度も交わしあった、愛おしい彼女の瞳。そこから、光が消えている。

 苦しむ男。その髪をひっ掴みながら、レイは廊下方面へ一歩。もう一人の黒服の視界へ入った。そして、男の髪を引っ張り上げてデザートイーグルの男をぴんと立たせる。その腹部に、強烈な蹴りを叩き込んだ。

 蹴りを受けて男は後方へ吹っ飛び、待機していた男を巻き込んでフローリングに倒れた。

 赤ワインで濡れたデザートイーグル。レイのしなやかな手が拾い上げる。その銃口が、男たちに向けられた。

 慈悲どころか感情もなき殺意――虚無に彩られたレイの表情。あれはレイであってレイではない。本物の殺し屋シュライクが顔を出す。

 発砲。腹に響く音に合わせ、巨大な獣すら殺す銃弾が空間を疾駆。連続して引かれるトリガー。二人分の体を射抜く弾丸。確実にターゲットを殺すため完膚なきまでにやり通すシュライクの流儀。

 二つの死が我が家の中で発生。しかし、場の緊張感は絶えずそのまま。わたしは、動けずに固まっていた。

 殺し屋シュライクは、突如瞠目したのち、目をしばたたかせた。何度か首を振って、一息。その息には、確かに何かが詰まっていた。レイの中から、抜け落ちていく。目に、光が灯る。

「リサ、大丈夫?」

「え、ええ。わたしは、大丈夫だけど」

 彼女は銃口を玄関ドアに向け、こちらを向くことなく喋り続ける。

「ここ何階だっけ」

「四階だけど……」

「跳び下りは無理か。リサ、この建物の監視カメラ映像は見れる?」

「えっ……ああ、この階のだけなら繋いでる」

 この階の設備は買い切っているので、すべてPCから確認することが可能だ。しかし、今それを使うのだろうか。

「ちっ、全部ないのか……あたしがここ見てるから、リサは監視カメラ映像の確認と、あたしの銃の準備を。逃げるよ」

「逃げるって、なんで。どこに?」

「……現実見てよ! 計画がバレた。そんでリサの組織のヤツらが殺しに来た。それ以外に考えられないでしょうが!」

 悔し気なレイ――垣間見える焦り。先ほどまであんなにも落ち着いていたのに。

 計画がバレた。父がわたしを殺しに来た。親子の情など皆無。すべては損得勘定。やっとのことで、事態が飲みこめてきた。自分でやろうとしていたことが返って来たという事実に、打ちのめされかける。

「リサ! なにしてんの!」

 冷や水のごときレイの言葉が心を叱咤する。眠気など、とうの昔に吹き飛んでいた。そうだ、このまま突っ立っていてはなにも始まらない。ただ襲われて、死を待ってなんていられない。

「わかった。行く当てはあるの?」

「追って話す。でも武器がなきゃどうしようもない」

 今はレイを信じて動くしかない。寝室にあるノートPCを動かし、読み込んでいる間にクローゼットからレイのバック群を取り出す。想定より幾分も重かったそれらは、間接的にレイの筋肉量を感じさせた。ついでに、レイが使うかもしれないわたしの私物銃をいくつか取り出しておく。

 寝間着から着替えつつ、PCの画面を確認。分割された監視カメラの画面を見る。エレベーターホール、北階段、南階段、ドア前――そこに映った予想外の光景に、悲鳴を上げそうになる。

 黒服の死体が二つ、転がっていた。しかもそれらは、首から上が消えてなくなっており、血を吐き出すだけの肉袋と化している。別画面に目をやると、血だまりの中に頭が二つ置かれていた。

「リサ! 敵は?」

「い、いないけど」

 そのとき、遠くでガチャッと音。同時に、カメラ映像内のドアが動いた。カメラには誰も映っていないため、レイが開けたのだろう。

「うわっ!」

 頭が映った画面で、ドアは開いた。置かれていたのは、わたしの部屋の前だったようだ。

 その瞬間、別画面で黒い影が動いたように見えた。気になってその画面を注視するが、その後動きはとくになし。カメラの不調と考えるべきだが、なんとなく違和感。

 鍵とチェーンを閉めたのち、レイがドタドタと駆けて来て、寝室のドアを勢いよく開放。

「頭転がってるとか聞いてない! びっくりしたじゃん!」

「レイの行動が速すぎるの! ほら、バッグ出しといたよ」

「……ありがと」

 渋い顔で受け取るレイ。さすがの彼女も、ホラー仕掛けにはびっくりするようだ。

「あの頭なに? 嫌がらせ? リサ、どんなのに付きまとわれてんのさ」

「あんな悪趣味な知り合い居ないよ……たぶん」

 まずは装備を共有。わたしの私物銃はレイに「いらない」と使用を断られたので、自分で使うことに。メインにアサルトライフル──M4A1カービン。サブにガバメント。レイは持参したクリスヴェクターとスプリングフィールドXDで武装した。他の爆発物や弾薬は、コート内に隠しているらしい。

「ねえレイ、この画面なんだけど」

 先ほど感じた違和感を説明。うごめく影が映ったのは、南階段を映したものだった。

 このアパートメントの階層は、北から順にエレベーターホール、北階段、居住室に続くドアのあるまっすぐな廊下、南階段という構成になっている。

 説明をすると、レイは瞠目して呼気を漏らした。なにか得心した様子だ。

「もう他の殺し屋が来てるんだ……」

「どうして、殺し屋だってわかるの?」

「それは……この手口、見覚えがある。たぶん〈パルメザン〉だ。それに、さっき乗り込んできた男が言ってた。一番乗りだって。モタモタしてたらもっと来るかも」

 それすなわち、多くの者たちが、わたしを狙ってここに向かっているということだ。わたしを狙うという目的を前提に、争いが発生しているのだ。

「あはは……まるで賞金首ね。つまりお父様は、わたしをマネーゲームの材料にしたんだ」

「リサ、大丈夫?」

 柄にもなく心配しているようだった。同情なんていらない。わたしは、もう決めたんだ。この出来事は、逆にわたしの決意を後押しするものとなる。

「わたしは戦う。レイは、どうするの?」

 不意を突かれたような反応――すぐに戦意を乗せた面持ちに。かと思えば、口端を釣り上げて軽い笑みを見せた。

「別料金を請求するかも。ビジネスだから」

「いくらでも持って行って。ただし、二人で生き残れたら、ね」


 レイはどうしても南階段に潜む者が気になるということで、わたしを囮にする作戦を提案してきた。

 まず、レイがベランダを伝って南階段直近の部屋へ侵入。待機する。

 パルメザンらしき影は、我が家のドアが開いたときに動いた。それを鑑みて、まずわたしが外へ。敵が動くか否かに関わらず、レイも一拍置いてドア開放、行動開始。敵の正体を暴きつつ、南階段を押さえるという算段だ。

 レイから電話がかかってくる。準備ができた合図。廊下に持ってきたノートPCで監視カメラの映像を確認し、異常がないことをチェック。

「異常なし。準備できたよ」

『オーライ、ドアの音に合わせて動くから通話そのままで』

 携帯をそのままポケットへ。M4A1を構えて、ドアを開いた。

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