Episode4 生活

「きったな!」

 第一声がそれだった。

 スポーツバッグとゴルフバッグを抱えたレイを、我が家に招き入れる。流石に重そうなのでゴルフバッグの方を持たせてもらうと、ずっしりと重かった。そして、中から聞こえてくる、ゴルフ道具からは発せられない感じの音。明らかに銃が入っていた。

 そして、わたしの部屋の現状――もとい惨状を目にしたレイは、眉をハの字にして苦言を呈したのだった。

「もっと他に言うことあるんじゃないの?」

「いい女が台無し。こんなんで恋人迎え入れるつもり?」

「今まさに、好きな人を迎え入れてるんだけど」

 わたしの返答に、レイは唇を尖らせる。こういう仕草もかわいい。

「……今はビジネスライクでしょ」

 いやこれのどこがビジネスライクなのか。まあツッコむのも野暮なので言わないでおく。

「こりゃ、作戦会議の前にお片付けが必要かな」

「さっきまでのハグにおしゃべり。あれもビジネスライク?」

「ああそうだよ。依頼されたらキスだってしてやる」

「じゃあ依頼する」

 すぐに攻勢に転じるべく、レイの唇をわたしの唇でふさいでやらんと突撃。瞬間、レイの手がわたしのおでこを問答無用で押さえた。殺し屋の膂力は凄まじく、わたしは一歩も前に進めず硬直状態。

「お金払ったらしてくれるんじゃないの!」

「キスは前金制! てか、リサはそんなんでキスして嬉しいの?」

 彼女の言い分は、見事に的を射ていた。上がりつつあったボルテージがみるみる下がっていく。金ならいくらでも積めるが、これはそういう話ではないのだ。

「じゃあ、なにならさせてくれるのよ」

 レイは顎に手を当て、考えるような仕草。わたしの目や手を幾度か見やったのち、告げた。

「……美味しい晩御飯作ってくれたら、なにかしてあげる」

 チャンスは、シュライクの微笑と共に転がり込んできた。わたしは心の中で、本日二度目のガッツポーズ。ここで一発キメてやれば、彼女は落とせる。ついでに好感度もアップだ。

 だが、懸念すべきことが一つ。大マフィアの娘さんは、いっちょ前に一人暮らしをしているが、これといった料理ができないのだ。わたしは昔から料理ができなかったので、彼女は見事、弱点を突きに来たということである。



 その後、料理に挑戦したのだけれど、案の定失敗。その日の夜は、ダイナーで雑に済ませた。

 もちろんお代は全部わたしが出したのだけど、レイは不満たらたらなご様子。我が家に戻っても、それは変わらなかった。なにに対して不満を抱いてるのか察せられない自分が少し腹立たしい。しかし、なんで怒ってるの? と聞くのもはばかられる。

 帰り際、今夜は酒盛りだという話になり――半ば強引にわたしが勧めたのだが――新しい酒とおつまみを買って帰った。わたしはワインで、レイはビール。たまには違うものも飲もうと、悩んだ末にカシス系のリキュールも。つまみはご飯の後ということもあって、少なめのスナック菓子をこしらえた。

 テーブルに並ぶボトルとグラスとお菓子の袋。いつもならわたし一人で座る二人掛けソファに、二人並んで座りこんだ。やや窮屈に感じる反面、レイとの距離が愛おしい。心の距離も、これだけ近いと実感できればいいのだけれど。

「そんじゃ、仕事の成功を祈って」

 ビールの注がれたグラスを手に、レイが言った。

「君の瞳に乾杯ヒアーズ ルッキング アット ユー……」

 すかさずネタを入れ込みながら、手にしたワイングラスを彼女のグラスに当てた。キンッ、と軽快な音が、酒に我が身を浸す合図となる。さっそく赤ワインの方をぐびっと――と思った矢先。

「は? なに言ってんの」

 ジト目のレイが言う。この目は、本当になにもわかっていない目だ。流石に悪ノリが過ぎたかもしれない。

「君の瞳に乾杯。知らない?」

 著名な映画『カサブランカ』で生まれた名言だ。日本語に訳された際、秀逸な訳が成された。それを引用してみたのだが――

「悪かったね、無教養で」

「や、そういうつもりじゃ」

 その時、レイが悪い顔をちらつかせた。なにか言われるに違いないと察し、ワインを口にしつつ思考で身構えてみる。

「で、あれが美味しい晩御飯?」

 ダイナーでのことである。ありふれた食事だが、あれはちょっとばかし金を出せば誰でも楽しめる食事である。満足いただけないのは当然だ。レイのご不満はそれか。

「高級レストランにすればよかった?」

「そういうことじゃなくてさあ。リサも料理の一つ二つくらいできないと」

「そう言うレイは料理できるの? いつも人間のお料理はしてるみたいだけど」

「人間だって肉の塊。あたしだって料理の一つや二つできるよ」

 さりげにエグいことを言っている気がしたが、まあいいだろう。それよりも、良い提案を思いついた。彼女との一週間を、幸せなものにするための。

「じゃあさ、一週間もあるんだし、わたしに料理教えてよ。映画も観ましょう?」

 今日一日、わたしとの時間を過ごす中で、レイの態度は少しづつほぐれてきていた。だけど、まとわりついた翳りだけは、拭われない。というより、彼女自身、拭い方を知らないか、忘れてしまっている。おそらく、そういう類のものではないかと思うのだ。

「……一週間か。いいね。せっかくだし、楽しもうか」

 彼女の翳りを、取り払ってあげたい。だが、殺し屋という道を選んだゆえの業が形を成しているのだとしたら、取り除くことは不可能に近い。

 一緒にいる時間の中で、なにか知ることができたら。また、なにか変えることができたら。わたしの中に、父以外のターゲットが生まれた瞬間であった。



 ガラステーブルの上に、漆黒が並べられてゆく。

 スポーツバッグから取り出される小火器たちである。黒光りする銃は、使用感を感じさせない美しさを有している。これらはレイが持参してきたものだ。愛用の種類を揃えてきているという。

「これがクリスヴェクター。サブマシンガンね。で、ハンドガンはスプリングフィールドXD。45ACP弾で統一するためにこれ使ってるの」

 わりとスタンダードな45口径ハンドガンが二丁。それと、やや得意な形状をしたサブマシンガン。クリスヴェクターに関しては、取り扱ったこともないので触れるどころか実物を目にするのも初めてな気がした。

「で、狙撃はこれ。ドラグノフ」

 せっせとゴルフバッグから取り出されるスナイパーライフル。名称も有名なため、これは知っていた。ソビエト製の銃、SVDドラグノフだ。

「ほら、狙撃はプロじゃないって言ったじゃん? まああたしの仕事ならこれで事足りるから、セミオート使ってるんだよね」

 スナイパーライフルは、ボルトアクションとセミオートの二種類に分けることができる。前者は、一発撃つごとに手動で薬莢排出を行う。後者は自動で薬莢が排出されるので、連射が可能。どちらにもメリットデメリットはあるが、弾道への影響から、主流はボルトアクションだ。

「あとは爆弾をいくつかと、趣味で持ってるバリスティックナイフ。リサが扱ったことあるのは?」

「ヴェクターはないかな。とことん暗殺向きって感じね」

「戦場の最前線でドンパチするようなブツは、あたしの仕事に必要ない。あくまでも静かに遂行するもんだよ、殺し屋は」

 この数年間、マフィアとしていくつかの死体は転がしてきた。だがそれは、組織内における粛清のみに限った話だ。だが、レイの殺しは一味も二味も違う。クライアントの依頼に従って、困難な状況にあっても多くの死体を転がしてきたのだろう。

 なぜ、殺し屋の道を志したのか、問いたかった。よいパートナーを見つけたというが、その程度が裏社会の闇に身を浸す動機とは考え難い。

 だが、今のわたしとレイの関係は、それほど奥の事情にまで踏み入っていいものなのか。結論の出ない問いが、わたしを苛む。

 これが運命のいたずらであるなら、どうにか利用してやりたい。行けるところまで、行く所存だった。



 一週間もある。当初はそう想っていたけれど、実際の期間はかなり短いものだった。

 長い時を別れて過ごしたレイのバックグラウンドに触れるためには、やはり対話が必要だ。そこで、どの話題で切り込めばいいかを考える。レイのナイーブな部分に突っ込み過ぎず、過去にはしかと触れていく。そんな話題。

「レイ、お父さんは?」

「死んだよ」

 全速力で地雷を踏み抜いてしまった。

 レイは母を早くに亡くしているため、彼女は父子家庭で過ごしていたのだ。だが、彼女は既に天涯孤独。見事なチョイスミスのおかげで、もう過去に触れられそうにはなかった。

 とはいえ、できうる限り長くレイとの時間を過ごしたいのは変わりない。そう考えたわたしは、暗殺の準備をテキパキと進めた。適切な狙撃場所。商談の細かい時間のセッティング。事を済ませた後の、逃走の段取り。

「仕事が終わって逃げ延びたら、レイはどうするの?」

「残りの報酬を払ってもらって終了。もちろん、必要な段取りでなければ再会はない。新しい依頼でもあれば、話は別だけどね」

 レイの態度は、なんだかんだで揺らぐことはない。オスカーに言われた殺し屋買い取りの話もしてみたけれど、すぐに却下されてしまった。

 進み続ける世界の時間――同時に、二人の時間に終わりが迫る。

 一緒に料理をした。カサブランカだけでなく、色々な映画を見た。レイが勧めてきたのは、ダンスの主張が激しいインド映画。アラブ系の人たちがキレのある踊りを披露する様には、思わず笑ってしまう。

「レイ、こういうの好きなの?」

「好きっていうか、なんか元気出る」

 最近はインド映画も凄いと聞く。事が落ち着いたら、色々観てみよう。

 一方、わたしが勧めたのは、日本の極道映画。なわばり争い。組の長。兄貴分への忠義。交わされる盃や、指を詰める文化など、マフィアにも少しだけなじみ深く、それでいて不思議な文化。そして、血と硝煙の香り漂う戦いと、それを彩るド派手な音楽。

「日本って平和な国じゃないの? これヤバくない?」

「WW2の直後の話だからね。戦後だし、多少荒れるのはしょうがないんじゃないかな」

「ふーん。リサも、こんなことやろうとしてるわけだ」

「さすがに、ここまで激しくないけどね……」

 極道映画に刻まれた、カオス&バイオレンス。人間の業がハッキリとフィルムに焼き付いたこの映画のような大立ち回りは、そうそうできるものじゃない。

 わたしの返事に、レイは半笑いで答えた。

「ここまでやれとは言ってないよ。でも……殺しなんて、どれも同じじゃないかな」

 それは、幾度も現場に立ってきた者の目。人の死に辟易することすら忘れ、ビジネスとして割り切るところまでたどり着いた者――言い換えれば、虚無が覗いているような瞳。

 だが、そういう目を見せるのは時折のこと。ひとたび映画を観始めれば目を輝かせるし、美味しい食べ物には目がない。基本的には、年相応なのだ。

 随所で見せる暗い瞳。身にまとう陰りも相まって、会えなかった六年間の凄絶さが立ち現われるよう。

 歳月と環境は、彼女に刺激的な魅力を与えていた。そして、刺激的なものには自然と惹かれてしまうのが、人の性というもの。犯罪者とはいえ、素朴な感性を持つわたしは、今のレイにさらに引きこまれるようになっていた。



 時は過ぎ――決行の前日。

 今日の仕事は、取引先からの電話を待つことだった。明日にはすべての運命が決することを考えると、緊張も膨れ上がるというもの。正直仕事なんてしたくないが、やることはやっておかねば怪しまれてしまう。

 時刻は午前十時。レイはまだ寝ていた。任務に向けた休息ということで、たっぷり睡眠をとっているらしい。任務の前の習慣だそうだ。わたしは、今のレイのことをなにも知らない。

 そのとき、携帯が震えた。すばやく手に取り、応答を押す。しかし、クライアントからの電話は午後の予定だったはずでは。

『もしもし、お嬢。おはようございます』

「オスカー! あなた、どうして」

 電話の奥より、予想外の人物の声。思わず驚きが声に出かける。

『いえ、仕事の件で連絡を。なにか驚くことでも?』

「いいえ、なにも。あなたからの連絡がある予定はなかったと思ったから」

 急いで平生を取り繕うと思ったが、それでは逆に怪しまれる。ある程度、テンションを維持して会話を続けることにした。

『ああ、仕事の電話を待っていたのですか? それは申し訳ない。お嬢、明日の予定は空いていますか?』

「なあに、食事のお誘い? 残念だけど――」

「明日、ボス自ら出席される商談に付き添う予定だったのですが。火急の別件が入ってしまい、行けそうにないのです。お嬢がよろしければ、お父上についていってあげてほしいのですが」

 このタイミングでどんなお願いをふっかけて来ているのだ、この男は。わたしは明日、父を殺す算段を立てているというのに。その場に同行するなど言語道断。

 だが、その選択肢に利点は存在する。父に同行しておけば、上手いことアリバイを作ることが可能かもしれない。立ち回りや態度によっては、今後のボス人生に有利に働かせることも。

 そうあっては、レイとの別行動は必至だ。わたしは父の後処理に追われ、レイは身を隠すためすぐさま逃亡。そうなれば、再会は容易ではなくなる。殺し屋とクライアントという関係とはいえ、依頼を介して確実な再会が望めるとは限らないのだ。

『お嬢、どうかしました?』

「あー、ごめんごめん。ちょっと予定思い出してたの。それで明日なんだけど……」

 この数年間のことを考えれば、どちらを選ぶかは、明白だった。

「ごめん、明日は用事があって無理なの」

『どんなご用事で』

「……と、友達とちょっと」

 電話の奥で、わざとらしいため息が聞こえた。

『お嬢、私があなたのお目付け役だったのも既に過去の話。私とあなただから、今回は水に流します。しかし、今後は』

「わかってます。ごめんね、オスカー」

『……謝ることはありません。精々、私の分も楽しんできてください』

 電話を切る。自動的に、ドでかいため息が出た。

 悪いやつではない。むしろこの男、良いところは多いはずなのである。ただ、なにかとタイミングが悪いのが玉に瑕。

「おはよー」

 寝室から、のそのそと現れるだらしない女。もちろんレイなのだが、殺し屋シュライクという通り名とは印象が違いすぎる姿である。思わず、くすりと笑ってしまった。

「……なに?」

「いいえ、なんでもない。おはよう」

 二人で共有する時間は、刻一刻と終わりに近づいている。わたしとレイの運命の交錯は、もうすぐ一つの終着点へとたどり着こうとしていた。



 夜。窓から射し込む優しい月明りを、グラスに注がれた白ワインが反射する。

 最後の酒盛りだというのに、口をつける気配はなく。なにか喋るでもなく。求めるものは多々あれど、求めようとはしない。できない。

 薄く引き伸ばしただけのような、なんとも言えない時間が過ぎていった。レイと共に在る時間というありがたみが希釈され、さよならへのカウントダウンすら実感として感じられない。

 このままでいいのだろうか。その言葉が、脳内でぐるぐると廻り続ける。ゲームみたいに、目の前に二つの選択肢がぶらさがっている――前進と停滞。

 ここで止まっていたくないわたしが、競り勝った。

「レイ……わたしを、抱いてくれない?」

 一瞬目を見開いて、しかし俯くレイ。まとわりつく重い翳りがヴェールとなって、彼女の表層を覆い隠す。

「リサ、映画の観すぎだよ」

「どういう意味?」

「女を抱いてから戦場に赴く。映画じゃ腐るほどよく見るシチュエーションだ。そのまま映画みたいに死ぬつもり?」

「現実と映画は違う。事実は小説より奇なり、だよ」

「フィクションより酷い死に方するかも。あたしはそんなの嫌だね」

「……昔みたいに、戻る気はないんだね」

「もう終わったんだよ、あたしたちは。自分の道を進む時が来たんだ」

「これがわたしの道よ」

 彼女の肩と腕を掴んで、ソファに押し倒した。ゾッとするくらい綺麗な顔が目の前に。鍛え上げられた腕の筋肉を手の中に感じる。どうしよう。どうにでもなれ。レイは無表情。わたしは今、どんな顔をしているだろう。

「あたしをレイプするの?」

 たった一言。鋭利につくられた氷の刃が、致命の一撃を心に見舞った。冷ややかな目が、軽蔑らしき色を乗せてわたしを見据える。渦巻く欲望が霧散――そもそもしたかったかどうかすらもわからず。

「これ、レイプなんだ……」

 顔など見たくないと言うようにそっぽを向くレイ。その口が開かれることは、ない。

 彼女の頬を、涙が伝う。だが、レイの涙じゃない。わたしの目からこぼれ落ちた雫が、彼女の肌を伝っている。心を露わにしているのは、わたしだけ。レイの想いは、殺し屋シュライクという壁の奥で鳴りをひそめたまま。

 もう、彼女の肌に触れていることが耐えられない。

「ごめん。寝る。レイ、ベッド使っていいから」

 明日、レイには万全のコンディションで仕事に臨んでもらわねばならない。ゆっくり休んで、明日に備えてほしい。それに、今はレイの顔を見たくない。酒に溺れて、曖昧な記憶にしてしまいたい。

「あたしもソファで寝るよ」

 なに言ってんだお前――言いそうになるのを飲み込んで抑える。フった女の横で寝たいってなんなんだよ。そういう性癖かよ。

「……いいの? 襲われるかも」

「リサを信じてるから」

 真剣に告げられる。どんどんレイがわからなくなる。突き放したり、信じてるとか言ったり。あなたはわたしとどうなりたいの? この六年間、どんな想いで過ごしてきたの?

 押し倒した姿勢から、座りなおす。すると、わたしの手に、レイの手がやさしく重ねられた。あたたかい。でも、それだけ。肉体で繋がっても。心がすべてつながるとは限らない。

 それでも、この体温だけで許してしまいそうになる。わたしって、チョロい女。

 月はもう、雲に隠れてしまった。わたしたちも、静まる時間だ。

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