第四走 決戦は日曜日

 人生初の持久走大会を完走した後、大事件が起きました。職場で問題が起こり、退職を余儀なくされたのです。幸い失業保険がおりました。色々考えた末に就職活動はすぐに始めず、しばらく家に居ることにしました。


 就職活動は子供達の夏休み終了後に延期し、数年ぶりの専業主婦生活が始まります。そうすると日中時間があるので朝走りをする必要がなくなりました。朝食を食べ、家族を送り出してから十時頃走りに出かけることが習慣になるのでした。


 朝食後二、三時間して走りに出ると、朝一番に水だけ飲んで走るのとは違い、体中に力がみなぎってくる感じがします。外が明るいから家の周りだけでなく、走り慣れてきて距離も伸ばして色んな所に行きました。残念なことにソーイチローさんに会うことがなくなってしまいました。早朝犬を散歩させていたオジサマですね。彼に三か月坊主だと思われているかもしれないのは少し悔しいです。今でも時々良く似た犬を見かけると彼のことを思い出します。


 そんなある日、地元のジョギングクラブ「適度に歩カン会走ラン会」主催の大会のことを知りました。会の存在も毎年三月の大会のことも以前から知ってはいました。というのもタローとジローの小学校で毎年参加者を募っていたからです。小学生以下の1キロ走、大人は2、5、10キロ走に5キロ競歩走があります。


 私は10キロ走、ジローは1キロ走に挑戦することにしました。この手の大会は一度申し込んで支払いを済ませると、まずいかなる理由でも返金不可です。クールダウンは出来てもクーリングオフは出来ません。毎回大会申し込みの時にはクリックする手が少々震えます。故障、病気、仕事、やむを得ず大会に参加できなくなることなんていくらでもありますから。


 大会の日までジローも週二、三回一緒に走って練習をさせました。子供にとって1キロは長いです。100メートル走の調子でスタートしても最後まで続けられません。とにかく1キロの距離を体に叩き込んでおくことにしました。


 10キロ走当日、私の出発はジローの1キロより二時間早かったので一人で行きました。昔からの友人ケンランナーことケンちゃんも10キロ走に参加するとのことでした。10キロ参加者だけでも六百人は居たようです。ケンランナーは乳母車で当時三歳くらいの娘さんを押しての参加でしたから、スタート地点の後ろの方で簡単に発見できました。人が多くて、乳母車がなければスタート前に見つけられなかったかもしれません。


 緊張のスタート前に話し相手が居るのは気が紛れていいものです。ケンランナーは最初こそ人ごみの後ろからの出発でしたが、それからじゃんじゃん追い抜いていき、あっという間に見えなくなってしまいました。流石に走り込んでいる経験者のケンランナーは乳母車のハンデをものともしません。


 さて、ケンランナーに置いていかれた私の方はいつものジョギングのペースでぼちぼちと走っていました。コースは5キロを二周して同じところに戻ってゴールです。一周目の終わりにさしかかり、ゴール地点が見えてくると、道路の両脇に人がわんさか集まっています。すごい歓声に私も元気が出てきます、あと一周5キロです。


『沿道の皆さん応援ありがとーう! ヨカコは二周目に入りマス!』


と周りに笑顔を振りまきながらポテポテと走っていました。その時私の隣、柵の反対側、二周目の走者がゴールする側を目にも止まらぬ速さで駆け抜けるお兄さんがいたのですね。


「今、一位のランナーのウサギさんが入ってきましたー! おめでとう、ウサギさん!」


 そのアナウンスの声に、沿道の歓声は益々大きくなります。私はなんと優勝したお兄さんが10キロをゴールすると同時に一周目の5キロを終えたのでした。お兄さんは私の二倍の速度で10キロ走ったのです。なぁんだー、大歓声は私のためじゃなかったのね、テヘッ!


 その後も常に、トップ走者の速度はいつも私の二倍で、その2の数字を崩すのはなかなか大変でした。初めてハーフマラソンを走った時には私はあまり自分のタイムに満足していなかったのですが、当時のコーチにこう言われました。


「おめでとう! マラソン女子の世界記録と同じだよー!」


 いや、コーチそれって距離二倍ですから、慰めになってないですから。


 そしてハーフマラソンを何本か走りタイムも少しずつ縮まってきて、次のハーフでは2時間切りを目指したいと思っていた頃でした。当時の自己記録は2時間38秒、38秒くらいならどこかで縮められただろうと思わずにはいられないですよね。


 そんな時にナイキによるマラソン2時間切り挑戦が行われました。2017年5月のことでした。Kipchoge選手が2時間25秒でゴール、私は生中継ではなく録画で見ました。最後感動で泣きましたね。Kipchoge選手のコメントがまた泣かせるのですよ。それから、他の選手たちとその日のために準備に余念がなかった関係者の皆さんのすがすがしい笑顔にも感銘を受けました。


 私の速度は世界レベルの丁度半分ということがご理解いただけたところで、話は私の10キロ走に戻ります。とにかく一周目を走り終わった時、1位のお兄さんへの応援を受け私まで元気をもらいました。二周目もおかげさまで順調でした。あと2キロになった時まだまだいけると思った私は加速し、最後ガンガン走ってゴールしました。


 走り終えた時、1キロ走に参加するジローを連れて来てくれた義父が丁度ゴールの瞬間をカメラに収めてくれました。今度は後ろに小池さんもいないカッコいい写真です。次々にゴールする走者を一人一人見ながらカメラを手に肌寒い中待つのは大変です。私がどんな格好で走っていたかも何時頃ゴールするかも知らなかった義父のことですから尚更です。感謝感謝。


 ジローも1キロを無事完走、私も10キロ走った後でしたが半分くらい伴走しました。1キロ参加のチビッ子たちは参加者全員メダルをもらえました。私の方はますます大会に参加する楽しみに目覚めたというのに、ジローはそうでもなく、彼はこの年に参加しただけで続きませんでした。


 人には向き不向きというのがあり、子供二人もツレアイも長距離走は得意ではないようです。私は走り出す前はこんなに長距離走に楽しくのめり込めるとは夢にも思っていなかったのです。



***参考資料***

Kipchoge選手のBreaking2でのタイムは2:00:25でした。フルマラソンの距離は26.2マイルですから1マイル当たり一秒早く走れていれば二時間切れたということになります。彼は「目標に向かって努力して、でもそれがただ手から滑り落ちてしまった(訳ヨカコなので適当)」と述べています。それでも自分の走りには満足している、後悔はないそうです。この記録は正式に世界記録とは認められていません。何人もの走者が交代でペーサーとして伴走したから規則に反するそうです。ちなみにナイキはこの二時間切りの挑戦の為に二年の歳月と何億円もの費用を投資しました。


Run_ Nike - Breaking2 Marathon World Record (3:40)

https://www.youtube.com/watch?v=f5lr4Sb3_6U


Nike Breaking2 Documentary special (0:55)

https://www.youtube.com/watch?v=V2ZLG-Fij_4


Eliud Kipchoge falls short by 26 seconds

https://www.theguardian.com/sport/2017/may/06/eliud-kipchoge-misses-out-on-sub-two-hour-marathon-by-2-seconds


私の一番好きなKipchoge選手の言葉は実は二時間切りの後のインタビューではなくこちらです。偉大なことをやり遂げるのはただ運がいいだけでけでは駄目で、自分でその道を選択してつかみ取らないといけないのですね。

Passion is a choice. You need to choose to be great. It's not a chance, it's a choice.

– Eliud Kipchoge

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