コツメカワウソがコツメカワウソになる話

七戸寧子 / 栗饅頭

本編

 太陽がさんさんと降り注いでいる。

 濁ったジャングルの川でも、その光を反射してキラキラ輝き、美しく見える。そして、今私はその川の上をゆらゆらといかだに揺られてうとうと・・・


「ねー、カワウソ聞いてよー」


 ふいに、前から声をかけられる。いかだを引いているジャガーだ。


「この間とあるフレンズが私の友達のこと『頭の中お花畑だ』って言っててさぁ?彼女、そんなことないのに!明るさがあの子の一番いいところなのにひどいだろ?」


 ジャガーが愚痴なんて珍しい。そして、この『頭の中お花畑』は私のことだろう。私が傷つかないように遠回しに話してくれるジャガーは優しい。


「へぇーえ?でも、本当にお花畑だったら素敵ですたのしーのにね!」


「あはは、確かにそうだね?」


 私の頭の中はお花畑か・・・いや、それでいい。私がそうなると決意したんだ。あれからどれ位経ったかな・・・





 私の最初の記憶は、深いジャングルの中で眠りから覚めたことだった。目を開けると、体の形が変わってて今までの仲間達と言葉が通じなくなって、とても不安になったのを覚えている。

 そして、泣きながらジャングルを歩き回っていたんだ。不思議とその時は周りに誰もいなくて、慰めたり話を聞いてくれるフレンズは一人もいなかった。彼女を除いて。


「あれ、あなたももしかしてカワウソ?」


 彼女はひょっこりと木々の中から出てきた。私とそっくりな毛皮だけど、私の灰色と違って彼女はベージュだった。


「か・・・かわうそ?」


 考えてみれば、泣き声以外の私の第一声はそれかもしれない。とにかく、私は彼女に聞き返した。


「そう、カワウソ。私はニホンカワウソ。あなた、私の仲間だよね?」


 仲間とは何のことか分からなかった。そもそもカワウソとは何か、色んなことが分からなくて混乱していた。


「わからない・・・私もニホンカワウソ?なの・・・?」


「ひょっとして、自分が何の動物かわからない?あ、答え、あなたは残念ながらニホンカワウソじゃないかなー、でもカワウソで間違いはないんじゃないかなぁ。毛皮もそっくりだし・・・」


「そう・・・ねぇ?この体は何?私こんなんじゃなかったよ・・・もっと目線も低かったし、歩き方も違うし、わけがわからないよ・・・」


 彼女に出会って止まっていた涙がまた溢れてきた。思わず膝をつきグスグスと泣く私に、彼女、ニホンカワウソは温かく接してくれた。その後一緒に図書館まで行き、無事何のフレンズだったのか判明したしこの世界、パークについてもよく分かった。



 私はコツメカワウソ。



 その後はニホンカワウソの彼女を「ニホン」と呼んで慕い、毎日一緒に過ごした。ニホンもまた、私のことを「コツメ」と呼んだ。


「ねぇ、コツメはなんでいつも暗い顔してるの?」


 出会って三日ぐらいでそうニホンに聞かれた。暗い顔、自分でしてる実感は無かったがよく笑う彼女からしたら私はいつも暗い顔なのかもしれない。いや、ひょっとしたら他のフレンズから見てもそうなのかも。


「もっと笑おうよぉ、ほらこうやって」


 ニホンは私の頬を掴み、ぐいっとそれを横に伸ばして強引に笑みを作らせる。でも、私はなんだか楽しくて初めて声を出して笑った。


「そうそう、コツメはそうしていたほうがずっといいよ!他にもたのしーこといっぱい知りたくない?」


 そう提案した彼女に私は「うん」と答えた。翌日から、毎日毎日ニホンから楽しい遊びや眺めのいい場所などたくさんのことを教わった。


「ほらほら、こうやってポンポンポンと・・・」


 ニホンは丸っこい石を三つ、片手からもう片手、そこから上に投げて最初の手でキャッチとくるくる投げ回す遊びを私に教えてくれた。

 これがなかなか難しく、できるようになるまで大変だったがその過程もとても楽しいものだった。


「ね?たのしーでしょ?」


 ニホンは遊びに関しては天才と呼んでもいいほどだった。しかし、不思議と彼女が教えてくれる遊びはどれも一人でするものだった。


 最初は全く笑わない私だったが、ニホンと過ごすうちによく笑うようになり、様々なことを楽しむようになった。





 その日は、ニホンが見せたいものがあると寝起きの私の手を引いてジャングルの奥に連れ込んだのだ。彼女が見せてくれた景色は美しかった。ただし、私はあの景色を見た事を後悔している。


「改めて、やっぱりきれい。コツメにも見て欲しくて・・・」


 私の前に立っていたニホンが言葉を放ちながら振り向いたとき、彼女の顔が青ざめていくのがわかった。

 何事かと振り向くと青い一つ目玉のお化け。セルリアンと呼ばれるものだった。


「ぁ・・・」


 声にならない恐怖を私は今も覚えている。

 足がすくみ、近づいてくるセルリアンを見つめているしかなくて、もうすぐという所だった。

 急に体が跳ね飛ばされ、地面に叩きつけられた私。とても痛かったが、何事かとすぐに起き上がる。


 最悪の景色だった。



「コツメ、大丈夫?」


 そう尋ねたニホンはセルリアンに半身を飲み込まれていた。私を庇ったのだ。


「ニホン・・・どうして・・・?」


「どうしてとかいいから・・・逃げて?」


 セルリアンに飲み込まれながらも彼女は笑顔だった。しかし、そんなニホンを目前に逃げ出せるわけもなく私は彼女を助けようとセルリアンに近づいた。が・・・


「逃げて!!」


 ニホンが今までにないような大声を上げた。私はビクッとして立ち止まり、近づけず、かつ逃げられなくてその場に立ち止まってしまっていた。


「ニホン・・・でも、でも!」


「コツメ、よく聞いて?私もね、最初はひとりぼっちだったんだ。あなたみたいに。だから、一人でもたのしーことしようと色々模索した・・・」


 ニホンの遊びが一人で出来るものばかりだったのはそういう事だったのか。その状況で妙な納得をした私は、彼女の言葉の続きを待った。


「もう、長くないかな・・・ねぇコツメ。私がいなくてもちゃんと笑ってね?楽しいことたくさん見つけてね?楽しいこと楽しいと思えるのが一番楽しいんだから・・・」


 ニホンはポロポロと涙を流していた。そして、じりじりと飲み込まれていた体がとうとう頭と伸ばした右腕だけになり、彼女は最期の言葉を私に投げかけた。


「あなたに会えて本当によかった・・・さ、私なんか構わず逃げて!」


 そこで、グポッという音と共に彼女は完全に飲み込まれた。青い半透明の化け物の中に浮いている彼女の顔は笑って見えた。


 そこから、私は逃げた。ずっと、ずっと逃げた。ずっとずっとずっと・・・





「はぁ・・・」


 私はニホンを失ってから、ずっと笑えなかった。楽しいことも楽しくなくなり、鬱になって川に浮いている木の板の固まった何かに腰掛けて無為に時間を過ごした。


「ニホン・・・私そんなに強く無いよ・・・ニホン無しじゃ笑えないよ・・・」


 今までの笑いの代わりに涙が出た。何をしても彼女の顔が頭をちらつき、その度にしくしくと泣いた。


「グスッ・・・うぅ・・・ってうわぁ!?」


 その時、私はバランスを崩してその木の板達の平らな面をズルズルと滑って、川にぼちゃんと落下した。


「ふふ、なにこれ?えへへ、あはははは」


 自然と笑いが出た。久々に感じる楽しいという感情。


『楽しいこと楽しいと思えるのが一番楽しい』


 ニホンの遺した言葉を私はふいに思い出す。そうだ、こんなんじゃ彼女に合わせる顔がない。ずっと笑っていなきゃ。そう、楽しく笑ってる毎日を過ごさなきゃ。


 私は、あの日そう決意した。今でもあの木の板達、今じゃ滑り台と呼んでいるが。滑り台は私のお気に入りの遊び場だ。





「ねーカワウソ、聞いてるー?」


 ジャガーの言葉にふいに現実に引き戻される。


 そう、確かに私の頭はお花畑かもしれない。周りからは能天気に見えるのだろう。

 でも、この花畑を私は誇りに思う。この花は彼女がくれた種から育てたもので、今はもういない彼女に向けたものだから───────。

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