怖い、悲しい、なのに安心。


「ん、どうした?」

先輩は至近距離から私の顔を覗き込んでくる。心配してるのはわかるんですけど! 恥ずかしいです!

私は俯いて言った。

「先輩、こんな風に撫でてくれるの久々ですよね?」

確認するように、恐る恐る私は言う。

 思わず、声が震えた。

「え? そうか? 俺はよくやってるぞ」

――あぁ。

 わかってた。先輩は、しっかりと忘れてる。リセットされている。

 先輩の手には遠慮が無かった。告白されて、気まずい時期があったことすら、先輩は覚えていないのだろう。

 懐かしい感触が、先輩の手のひらのその遠慮の無さが、残酷な現実を連れてきた。

 ――覚悟してたはずなのに。

 どこかで信じられなくて、忘れてる可能性がある、なんて軽くしか考えられなかったんだ。


 悲しくて、心のどこかでほっとした。

 この感じ、似てる。

 悲しいのにどこか喜んでしまっている。

 ――あの時と同じだ。

 先輩にフラれた時。あの時の複雑な感情にそっくりだ。

 フラれて悲しいのに、先輩は今までの私との関係を大切にしてくれていた。

 今の関係が一番良いと思ってるから。その先輩の言葉は、先輩が私との時間を楽しいと感じてくれていた証明だ。私が楽しいと感じた先輩との時間。先輩も同じだった。それがたまらなく嬉しくて、泣きそうなのに笑えたんだ。

 ――今でもよく、覚えてる。

 私は唇を噛んで、数秒堪えた。切り替えて言う。

「……そうですよねー!」

顔を上げた私は上手く笑えているだろうか。笑っているはずだ。先輩に心配を掛けても、先輩を不安にさせてもいけない。

 私は冗談めかして笑った。


 その後部室に他の部員が戻って来た。夏樹部長様に頼んで、先輩に聞きたいことがあるからと、部活で私と先輩を二人っきりにして貰ったのだ。頭の良い夏樹は快く頷いて、他の部員を校内放送の練習に連れ出してくれていた。

 練習の必要の無い先輩と、昨日散々迷惑をかけた私は部室でお留守番、という訳だ。

「どうだったの? 美優」

夏樹がコソッと声を掛けて来た。

「うん、聞きたいことは聞けたよ」

私はただ頷く。

「なんか、元気無い?」

「ううん、大丈夫」

私は笑って、その日の部活を終えた。

 私は家に帰って、部屋着に着替えた。同時にベッドに横になる。

「はあ~」

ため息が漏れた。

 制服だと皴になるから気を張るし、ベッドで横になったりしない。その分、ラフな格好になった瞬間に、電池が切れたようにベッドに倒れ込む。

 私はゴロゴロしながら、自分のことを考えていた。

 自分が結局、どうしたいのかわからない。先輩が忘れているということは、私が忘れて欲しかったということなのだろう。

 このまま忘れていて欲しいのか、思い出して欲しいのか。それすらわからなくなっていた。

 思い出して貰うのが普通なのだろう。相手は記憶を『失くして』いるのだから。

 でも、思い出して欲しいと思うなら――。

 そうやって堂々巡りに陥っていた。

「ふう」

私はゴロゴロするのをやめて、ベッドにうつ伏せで落ち着いた。

 ゆっくり考えてみる。

 この先、大きく分けて二択な訳だ。

「先輩に思い出して貰うか」

――このまま、か。

 先輩が忘れたままなら、もう同じ失敗はしない。このままの心地良い関係を維持するんだ。

 なんだか、落ち着かない。

「そっか……」

私はふと思いついた。

「先輩が覚えてないなら……」

もう一回告白するって手があるんだ――

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