第19話

5年近く待った甲斐は有った。

訳も解らない内に与えられる快感より、その先を予想出来てから与えられる快感の方が依存性が勝る。


俺の全部が好きだと言いながら、俺の与えるもの全て嬉しいと言いながら、きっと旭は俺の優しさばかりが好きだ。

逃げられないよう穏やかに装っていたのだから当たり前で、それは狙い通りとも言える。

この子供に、いったいこの“私”はどれほど良い人間に見えているのだろう。

俺が、あの母親のような態度をとったら、こいつ、どうするんだろう。

それでもまだ好きだなんて言うのかな。


何も望んでいないふりをして、旭は俺から愛される事を望んでいる。

好きだと言うから好きだと返して、と表情が語っている。

子供の頃に自分の“趣味”が世間では良いものだとは取られないと学んでからは、相手の表情やちょっとした仕草にも注意を払うようになり、相手が今どんな態度や言葉を俺に望んでいるのか手に取るように解るようになった。

そしてその望む通りに動いてやれば、相手は気を良くして俺を信頼するようになる。


旭も同じだった。

旭が見ているのは旭が望んだ“伊織さん”であって、俺では無い。

あの時、「好き」だと返さなかった俺に彼は不安そうな顔をした。

俺も同じ気持ちだ、と口にするのは、簡単だった筈なのに。


「あの、まさか主人公が死ぬとは思って無かったので……僕今ショックです……」


「そうだなあ」


映画館で食べきれなかったポップコーンを胸に抱え、時折つまみながら家路を辿る。

内容に夢中になり、全然手が出なかったらしい。

八月が近付き、太陽がじりじりと首筋を刺してくる。

期末テストの結果は毎度の事ながらとても良く、どの教科も学年の五本指の中には入っていた。


「続編決まってますけどどうなるんでしょう」


「あんな終わり方でなあ。そしたらまた観に行こうか」


俺がそう言うと、眉間にシワを寄せていた旭が簡単にふにゃりと笑った。

優しくしてやりたい。

この人間を甘やかしてやりたい。

出来ない。


それは出来ない。


家に帰り、玄関に入ってすぐ彼の細い顎をとって口付ける。

旭が驚いて身じろぎし、空になったポップコーンのカップをぎゅっと抱き締めた。


「い、伊織さん?」


「なんでもない。そんな気分だっただけだよ」


「気分……」


腑に落ちないような声音で旭が呟く。


「なに? 何か不満?」


「違うんです、ただ、その」


『寂しい』

口にはしなかったけれど、少し傷付いた表情を覗かせ、そう言いたげな顔をしていた。


「その、僕が、欲張りになってしまっただけで」


「へー、成長したなあ」


彼の汗ばんだ前髪を掻き上げて、露わになった額にキスを落とす。

ぎゅっと抱き締めると、旭は「あ、汗、あせかいてるから」と腕の中から逃れようとした。


「良いよ。何がダメなの? 逃げるなよ」


「……はい」


大人しくなった旭が、おずおずと俺のシャツの胸元を握り締める。

なんで、この子供はこんなにも無防備なのだろう。

なんで、こんなに全身で俺を好きだと言ってくるのだろう。

それは俺じゃ無いのに。


ぐっと肩を押し返して身体を離す。


「クーラーつけよ。やっぱ暑いわ」


カップを拾い上げ、台所のごみ箱に押し込む。

紙で出来たカップがぐしゃりと音を立てて潰れた。

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