第20話

「あれ、井上じゃん! 何やってんの?」


伊織さんが仕事の日の昼間、夏休みの宿題をやる為に図書館へ向かう途中、偶然幼い女の子を連れた門脇と鉢合わせた。

女の子は桃色の浴衣を着ていて、そういえば近くの神社でお祭りがあるんだっけと思い出す。

年の離れた兄弟がいると彼の口から訊いていたから、恐らくその妹だろう。

人見知りなのか、兄の後ろに隠れてしまっている。


「夏休みの宿題やりに図書館行くんだよ」


「えっ、真面目か。俺まだ全然やってない」


「それは……どうなのかな。妹? いくつ?」


「いくつだっけ、幼稚園年長なんだけど。ほら、りっちゃん挨拶は?」


「そっか、初めまして。お兄ちゃんの友達の井上旭です。浴衣似合うね、可愛いよ」


腰を落として目線を合わせる。

精一杯の笑顔でそう伝えると、彼女ははにかんだ。


「こんにちは、かどわきまりです。…おにいちゃんのおともだち、おうじさまみたい」


「えっ、そ、そうかな、ありがとう。初めてそんな事言われたよ」


「ええぇ」


「なに」


門脇が大げさに声を上げ、頭を後ろに反らした。


「まじかー、お前はもっと周りの声に耳を傾けた方が良いな」


「人の話は聞いてるよ」


「そうじゃなくてなあ、……まあ良いか。お祭り行かなきゃ。行こうりっちゃん! チョコバナナじゃんけんに勝ったら一本くれ!」


「いや」


「ええぇ……」


兄弟を見送り、伊織さんをお祭りに誘ったら一緒に行ってくれるだろうか、と考える。

あそこのお祭りは最後に大きな花火が上がるから、隣でそれを見たいと思った。


雨戸を閉めて、お風呂も洗った。

伊織さんの帰ってくる時間が近くなり、落ち着かなくてそわそわする。

リビングの絨毯に粘着クリーナーを掛けていると、玄関の鍵を開ける音がした。


「ただいま」


「お帰りなさい」


スーパーの袋片手にリビングに顔を出した彼に「お祭りに行きませんか」と訊きたいのに、『週末だから疲れてるかも知れない』と頭を過る。


「今日コロッケで良い? 帰り浴衣の人がいっぱいいてさあ。そういえばお祭りあるんだっけ」


「伊織さん、お祭り好きですか?」


「あー、別に。なんで? 行く?」


「お祭り、というか、花火を一緒に見たいです」


「花火? それなら俺の部屋から見えるよ」


「えっ」


「20時だっけ。その時俺の部屋来れば?」


「良いんですか」


「良いよ。キャベツ刻むから、米洗ってくれる?」


「あ、はい。やります」


あっさりと願いが叶えられる。願いが叶うのは嬉しい。

伊織さんと出会ってから、嬉しい事ばかりだ。

貰ってばかりで、僕は彼に何か返せているのだろうか。


夕食を終え、伊織さんが風呂に入っている間に台所を片付ける。

彼が出る頃、ちょうど花火が上がる時間になるだろう。

部屋に入るのは初めてで、少し緊張する。


「あっちい。風呂上りってまた汗かくよな。そろそろ時間か。おいで、旭」


先に冷房をつけてくれていたようで、真夏なのを忘れるくらい快適だ。

伊織さんの部屋はすっきりと整頓されていて、彼自身を表すように無駄が無く、少しだけよそよそしい感じがした。

外からヒュー、という高い音が聞こえて窓辺に駆け寄る。

パアン、と破裂音が続いたかと思うと、鮮やかな大輪が雲の無い夜空に咲き乱れた。


「凄い」


「綺麗だなあ」


濡れた髪をタオルでがしがしと拭きながら、伊織さんが呟いた。

誰の目にも触れず、二人きりで、なんて特等席なのだろう。

花火に照らされる彼の顔を盗み見る。

付き合わせてしまい、退屈に思われていたらどうしようかと心配だったが、それは杞憂で終わったようで安心する。


「本当、綺麗ですね」


「来年はお祭り行って見ようか」


「はい」


伊織さんが、先の約束をしてくれるのが嬉しい。

もしもそれが叶わなくとも、その気持ちだけで嬉しかった。

花火が打ち上がっていたのは30分程の時間だったが、一瞬で終わったように感じられて名残惜しい。


「終わっちゃいましたね」


「なー、一瞬だったな」


同じだ、と思った。

些細な事でも、感覚が重なるのが嬉しい。


「僕も、そう思いました」


伊織さんも、嬉しく思ってくれたら良いのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る