第7話
少年が家に帰って来た時、額にはうっすらと汗が浮かび、視線は下を向いていた。
「おかえり」と声を掛けると、私が居るとは思っていなかったのか、旭は驚いてパッと顔を上げ、焦るように靴を脱いで部屋に上がった。
「伊織さん、お仕事終わったんですか」
「うん、午前だけだったんだ。外暑かった? 麦茶飲む?」
答えを聞く前に冷蔵庫を開け、グラスに氷を入れる。
「ありがとうございます」とお茶を受け取る彼の額に手を伸ばし、汗を手の平で拭った。
「お疲れ様。緊張した?」
「ちょっと」
旭ははにかみ、少し溶けて小さくなった氷を口に含んで転がす。
「ケーキ、買ったんだ。食べる?」
「ケーキ!」
その反応は子供らしく、目を丸くして瞬きを数度した。
「ショートケーキ、好き?」
「食べたこと無いです。チョコのはクリスマスの時給食で出たんですけど、白いのは初めてです」
「座って待ってて。持ってくよ」
「ありがとうございます」
空になったグラスに麦茶を入れ直し、ちょこんと彼は座卓の前に正座した。
冷やしておいたケーキを皿に乗せ、フォークとセットで彼に差し出す。
「今日頑張ったから、ご褒美」
彼の髪を撫でると、恥ずかしそうに口唇は弧を描いた。
「伊織さんは?」
「何が?」
「ケーキ」
「無いよ?」
何が言いたいのか解らなくてそのままを答えたが、彼は何やら膝頭を擦り合わせて居心地悪そうにする。
テーブルの上のケーキと私とを見ては口唇を噛んだ。
「どうした?」
「……僕だけ食べるのは、申し訳ないです」
「ああ、そう」
そう、お前は、そんな所まで気にするの。
「じゃあ一口。一口ちょうだい」
テーブルを挟んで彼の正面に座り、身を乗り出して口を開いた。
旭は三角の先を削り取り、慣れない手付きでゆっくりと私の口元に運ぶ。
白い塊に食い付いて飲み込み、「ありがとう、美味しい」と礼を言うと旭はやっとホッとしたように肩の力を抜いた。
今私に食べさせたよりも小さく削り、やっと自分の口にケーキを運ぶ。
まるで減っていくのが勿体無いように少しずつ食べ進め、最後の一口は名残惜しそうだった。
「ごちそうさまでした」
「美味しかった?」
「とても」
「そう」
彼には私が良い人間に映っているのだろうか。
どうか、私の心の中がまだ伝わりませんように。
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