第5.5話

瀬尾さんは、どうして僕の事を気に掛けてくれるのだろう。

僕の名前を呼んで、僕の事を見てくれて、僕の話を聞いてくれる。

瀬尾さん。嬉しい。

愛していると言われたのは初めてだった。

それはどんな感情だろう。

僕にはよく解らなかった。

解らなかったけれど、瀬尾さんの体温は気持ちが良く、ずっと抱き締められていたいと思った。


日曜日、目を覚ますと、隣に敷かれている布団で眠っている瀬尾さんの寝顔が見えた。

それに幸せを感じて、自然と頬が緩む。

日曜日は嫌いだった。学校が無いからどうしていいか解らなかったからだ。

クラスメイト達のようにゲームを持ってはいなかったし、勝手にテレビを観ると怒られた。

人との接し方が解らない僕に友達は出来なかった。

死なないように必要最低限の物しか渡されなかったから、時間を潰すと言ったら学校の勉強しかなかった。

配られたドリルの同じ問題を何回も解いて、同じ漢字を何回も書き写した。

要らないチラシの裏はノートと同じで、もう隙間無く書ききれなくなったら捨てていった。


口を開けば気に入らない言葉を言ってしまいそうで、母親と話す事は滅多に無くなった。

何が正しくて何が間違っているのか自分には解らなかった。

気遣って起こした行動でも、彼女の気に障れば殴られた。

僕にはあなたしかいないのに。嫌われないようにしなくてはならないのに。

どうして上手くいかないのだろう。

僕はどうすれば良いのだろう。

息を。息をしなければ良いのだろうか。

僕はここに居るのに。

家に帰るのは怖かった。

母親と顔を合わせるのが怖かった。


だから、瀬尾さんに愛していると言われた時どうして良いか解らなかった。

嬉しい。


嬉しい。

もっと抱き締めていて欲しい。


「伊織さん」


心の中で何度か呼んだ名前を口にする。

眠っていると思っていた彼はゆっくりと瞼を開けて「なに?」と笑った。

急に恥ずかしくなって何も言えなくなっていると瀬尾さんは「おはよう旭」と続けた。


「お、おはようございます、瀬尾さん」


「伊織」


「い、……伊織さん」


「今日、良い天気だな」


雨戸の隙間から差し込む日に、伊織さんは「どこか出掛けようか」と言う。

そんなのは夢のような話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る